醍醐天皇后妃

中宮:藤原 穏子..885〜954
<号:五条后>
父:関白太政大臣 藤原基経
母:(人康親王の女)
(同母兄)左大臣時平・関白忠平 (異母姉)皇太夫人温子
[夫との血縁関係]:再従兄弟(6親等)・・・母の父、人康の兄、光孝帝の孫
    891(7才) 父・基経没
    901(17才) 醍醐天皇(17才)に入内、女御宣下
    903(19才) 皇子(保明親王)誕生
    904(20才) 皇子(保明親王・3ヵ月)立太子
    909(25才) 従三位に叙される、兄・時平没
    923(39才) 保明親王没(3月)、中宮に冊立(4月)、皇子(朱雀天皇)を生む(7月)
    925(41才) 孫・慶頼王没、寛明親王(朱雀天皇・3才)立太子
    930(46才) 醍醐天皇(46才)退位・没、朱雀天皇即位
    931(47才) 皇太后となる
    946(62才) 村上天皇即位、太皇太后となる
    949(65才) 兄・忠平没
    952(68才) 朱雀上皇没
    954(70才) 内裏昭陽舎において崩御〔1月4日〕
    (鳥辺山にて火葬、宇治木幡の宇治陵に葬られる)
  • 所生の皇子女
    903〜923.. 保明親王(醍醐天皇皇太子・文彦太子)
    919〜957.. 康子内親王(右大臣 藤原師輔室)
    923〜952.. 寛明(朱雀天皇;在位930〜946)
    926〜967.. 成明(村上天皇;在位946〜967)
宮廷での女官:右近(歌人)

*関白基経の娘。兄・時平の配慮により、醍醐天皇に入内する。
早くに入内を望んだが、醍醐天皇の祖母・班子女王の意向により参入を止められたという。899年に先んじて入内していた為子内親王が薨去、翌年班子女王が崩御し、巷間では穏子母氏の怨霊の浮説が流れたといいます。 さらに翌901年1月に右大臣菅原道真が左遷された後、ついに入内。女御となりました。
2年後皇子(保明親王)を生みました。が、保明親王は22才で早世。菅原道真の祟りと噂されました。次の皇太子となった保明親王の子・慶頼王も2年後に没。近親の死が重なりました。
しかし、保明親王薨去の年、皇后に立后し中宮職を付されました。皇后に律令通り中宮職を付された初例で、この後はこれが主流となります。また同年朱雀天皇を生み、2年後に村上天皇を生みました。二帝の国母として勢力大きく、兄・忠平とともに摂関政治の隆盛に貢献しました。
70才と長命であったものの、后位についてより崩じるまで他の立后はなく、皇太后・太皇太后となっても“中宮”と称され、単に“大后(おおきさい)”とも呼ばれました。また居所にちなみ五条后とも称されます。 また『太后御記』と呼ばれる仮名日記(現在は散逸)を記していたことが伝わります。

妃:為子内親王.. ? 〜899
父:光孝天皇
母:班子女王(仲野親王の女)
(同母兄)宇多天皇
[夫との血縁関係]:甥(3親等)・・・兄宇多帝の子
    884.. 父・光孝天皇即位(2月)、源朝臣姓を賜わる
    887.. 父・光孝天皇没、兄・宇多天皇即位
    891.. 内親王宣下
    897.. 東宮・敦仁親王(13才)元服・即位,添臥として入内、妃となる、三品に叙位
    899.. 薨去〔3月14日〕(死因:難産)、一品を追贈
  • 所生の皇子女
    899〜 ? .. 勧子内親王
*宇多天皇の同母妹で、醍醐天皇の実叔母に当たります。
醍醐天皇の元服・即位の日に添臥役となり、新帝の妃となりました。2年後、皇女(勧子)を出産しましたが、難産により薨去。

女御:源 和子.. ? 〜947
<号:承香殿女御>
父:光孝天皇
[夫との血縁関係]:甥(3親等)・・・兄宇多帝の子
    885.. 源朝臣姓を賜わる
    887.. 父・光孝天皇没、宇多天皇即位
    897.. 醍醐天皇即位
    902.. この頃、醍醐天皇(18才)に入内し、女御となるか
    903.. 慶子内親王を生む
    930.. 醍醐天皇(46才)退位・没
    947.. 薨去〔7月21日〕、ときに正三位
  • 所生の皇子女
    903〜923.. 慶子内親王(敦固親王室)
    906〜944.. 常明親王
    907〜966.. 式明親王
    910〜961.. 有明親王
    918〜980.. 韶子内親王(斎院;921〜930,源清隆室・橘惟風室)
    921〜936.. 斉子内親王(斎宮;在任936)
*光孝天皇の皇女。一世の源氏。
承香殿を曹司とし、承香殿女御と称されました。女房に歌人の承香殿俊子などがいました。

女御:藤原 能子.. ? 〜964
<仁善子、号:衛門御息所・三条御息所>
父:右大臣 藤原定方
[夫との血縁関係]:従兄弟(4親等)・・・父定方の姉、胤子の子
    913.. 更衣より女御となる、正五位下に叙される(10月)
    919.. 従四位下に叙される
    930.. 醍醐天皇(46才)退位・没
    .... この後、左大臣藤原実頼の室となる
    932.. 父・定方没
    964.. 卒去〔4月11日〕
    (北山の観隆寺に葬られる)
*右大臣定方の娘。醍醐天皇の従姉妹に当たります。衛門御息所・三条御息所と呼ばれました。
『大和物語』によると醍醐天皇の没後、敦実親王と通じ、その仲の絶えた後に左大臣藤原実頼の妻となり頼忠を生んだとする。しかし天皇の没年は930年であり、頼忠の生年(924年,922年の二説あり)と合わない。 しかしながら『日本紀略』『尊卑分脈』でも前女御が実頼の室となったとし、『清慎公集』に実頼との贈答歌が多数残ることから、実頼の妻となったことは否定できないという。
また、歌を能くしたといいます。『夫木抄』四二三四に見える「藤壷の女御」について、能子のことだろうとみる説もあります。

女御:藤原 和香子.. ? 〜935
<号:大将御息所>
父:大納言 藤原定国
母:(参議 藤原有実の女)
[夫との血縁関係]:従兄弟(4親等)・・・父定国の姉、胤子の子
    903.. 女御宣下(12月10日)、正五位下に叙される
    906.. 父・定国没
    930.. 醍醐天皇(46才)退位・没
    935.. 卒去〔11月〕
*大納言定国の娘。醍醐天皇の従姉妹に当たります。大将御息所と呼ばれました。

更衣:藤原 淑姫.. ? 〜948
父:参議 藤原菅根
母:(石見守 藤原氏江の女)
(同母兄弟)大納言元方
    908.. 父・菅根没
    912.. この頃醍醐天皇に入内し更衣となるか
    913.. 長明親王を生む
    930.. 醍醐天皇(46才)退位・没
    948.. 卒去〔8月〕、ときに従四位上
    (北山の施無畏寺の辺りにて火葬)
    974.. 正四位下を追贈される
  • 所生の皇子女
    913〜953.. 長明親王
    914〜987.. 兼明親王
    918〜958.. [源]自明
    921〜946.. 英子内親王(斎宮:在任946)
*和歌・学問に優れた参議藤原菅根の娘。
淑姫は生前に寺を起こし六観音を作って滅罪生善を祈願し、成就せずに没しました。兼明親王は遺教を受けて北山に観音寺を建立、のちに寺号を施無畏寺と改めました。 兼明親王は前中書王と呼ばれ、博学多才で詩文を能くしたと伝わります。
淑姫の歌は『後撰集』に載り、また「長明のみこの母の更衣、さとに侍りけるにつかはしける」と題した醍醐天皇の一首も同集にあります。

更衣:源 周子.. ? 〜935
<号:近江更衣・近江御息所・中将御息所>
父:右大弁 源唱
[夫との血縁関係]:再従兄の子(7親等)・・・父唱の父、定の兄、仁明帝の曾孫
    902.. 殿上での賭弓に際し物を献ずる,この頃醍醐天皇に入内か
    903.. 内宴にて陪膳に奉仕し、禁色を聴される
    930.. 醍醐天皇(46才)退位・没
    935.. 卒去、ときに従四位下
  • 所生の皇子女
    904〜938.. 勤子内親王(右大臣藤原師輔室)
    905〜981.. 都子内親王
    906〜 ? .. 敏子内親王
    909〜954.. 雅子内親王(斎宮;在任931〜936,右大臣藤原師輔室)
    912〜927.. 時明親王
    914〜982.. [源]高明
    915〜949.. [源]兼子
    928〜986.. 盛明親王
*嵯峨源氏。嵯峨天皇の皇子源定の孫女にあたり、三世の源氏。
祖父・定は嵯峨天皇の寵愛を専らにした百済慶命の所生で、この血統からは多くの文人がでました。
歌に優れ、私家集のほか「近江御息所歌合」を伝えており、詠歌が『後撰集』『新古今集』『玉葉集』にとられています。
また所生の源高明は学問に優れ『西宮記』を著し、管絃では娘・勤子内親王が親しく醍醐天皇の手を伝え筝譜を賜ったと伝わります。

更衣:源 封子.. 生没年不詳
父:左京大夫 源旧鑑
[夫との血縁関係]:従兄弟(4親等)・・・父旧鑑の兄弟、宇多帝の子
    901.. この頃、醍醐天皇に入内し更衣となるか
    902.. 宣子内親王を生む
    903.. 克明親王を生む
    915.. 靖子内親王を生む
  • 所生の皇子女
    902〜920.. 宣子内親王(斎院;在任915〜920)
    903〜927.. 克明親王
    915〜950.. 靖子内親王(大納言 藤原師氏室)
*光孝源氏。父・旧鑑は光孝天皇の皇子であり、封子は二世の源氏。
早くに宮に入り、第二皇女宣子内親王、第一皇子克明親王と靖子内親王を生みました。

更衣:藤原 鮮子.. ? 〜915
父:伊予介 藤原連永
    901.. この頃、醍醐天皇に入内し更衣となるか
    902.. 恭子内親王を生む
    915.. 卒去〔4月30日〕、ときに従五位上
  • 所生の皇子女
    902〜915.. 恭子内親王(斎院;在任903〜915)
    904〜937.. 代明親王
    904〜969.. 婉子内親王(斎院:在任931〜967)
*恭子内親王は母の喪により斎院を退下。卒後、詔により絹布を賜る。

更衣:藤原 桑子.. ? 〜921
<号:楓御息所>
父:中納言 藤原兼輔
母:(右大臣 藤原定方の女)
    924.. 章明親王を生む
  • 所生の皇子女
    924〜990.. 章明親王
*歌人として有名な藤原兼輔の娘。楓御息所と称されました。
父兼輔の歌、「人の親の心は闇にあらねども子を思う道にまどいぬるかな」は、桑子への寵愛が 変わらぬよう醍醐天皇に奉ったものと『大和物語』は伝える。

更衣:満子女王.. ?〜920
父:民部大輔 輔相王
[夫との血縁関係]:従兄の子(5親等)・・・父輔相の姉妹、班子の子、宇多帝の子
    879.. 父・輔相王没
    920.. 死去(頓死)〔6月27日〕
  • 所生の皇子女
    ? 〜933.. 修子内親王(元良親王室)
    909〜947.. 普子内親王(参議源清平室・和泉守藤原俊連室)
*父・輔相王は桓武天皇の孫であり、仲野親王の子。

更衣:(源昇の女).. 生没年不詳
父:大納言 源昇
(姉妹)宇多天皇更衣 源貞子
[夫との血縁関係]:再従兄の子(7親等)・・・父昇の父、融の兄、仁明帝の曾孫
    906.. 重明親王を生む
  • 所生の皇子女
    906〜954.. 重明親王
*嵯峨源氏。嵯峨天皇皇子・源融の孫。大納言昇の娘。姉妹に宇多天皇の更衣貞子がいる。
所生の重明親王は学問に優れ、吏部王と称された。

更衣:(藤原伊衡の女).. 生没年不詳
<号:中将更衣・少将御息所>
父:参議 藤原伊衡
  • 所生の皇子女
    ? 〜961.. [源]為明

更衣:(源敏相の女).. 生没年不詳
<号:兵衛御息所>
父:左兵衛佐 源敏相
    942.. 皇子允明を生む
  • 所生の皇子女
    919〜942.. [源]允明