後白河天皇后妃
中宮:藤原 忻子..1134〜1209
父:右大臣 藤原公能
母:藤原 豪子(権中納言 藤原俊忠の女)
(妹)近衛・二条后多子
[夫との血縁関係]:父の従弟(5親等)・・・父公能の父、実能の妹、璋子の子
    1155(22才) 後白河天皇(29才)に入内(10月21日)、女御宣下(26日)
    1156(23才) 中宮に冊立
    1157(24才) 新造内裏に入る<局:承香殿>
    1158(25才) 後白河天皇退位
    1159(26才) 皇后宮となる
    1161(28才) 父・公能没
    1172(39才) 皇太后となる
    1192(59才) 鎌倉幕府成立、後白河法皇(66才)没
    1209(76才) 崩御〔8月12日〕
    (冷泉高倉陵に葬られる)
*早くより天皇と同殿しなかったという。

[皇太后]:平 滋子..1142〜1176
<建春門院、号:東御方・小弁局>
父:兵部権大輔 平時信
母:藤原 祐子(権中納言 藤原顕頼の女)
(姉)平清盛室時子・(兄)権大納言時忠
[夫との血縁関係]:祖父の再従弟(8親等)・・・母祐子の父、顕頼の祖父、為房の妹、光子の娘、璋子の子
    1159(18才) 平治の乱
    1160(19才) この頃、後白河上皇(34才)に召される
    1161(20才) 皇子(高倉天皇)を生む
    1165(24才) 二条天皇没、六条天皇即位
    1166(25才) 憲仁親王(高倉天皇)立太子、従三位に叙される
    1167(26才) 女御宣下
    1168(27才) 高倉天皇践祚(2月)、皇太后に冊立(3月)
    1169(28才) 女院(建春門院)となる
    1170(29才) 「建春門院滋子北面歌合」を催す
    1173(32才) 最勝光院を建立、落慶供養
    1176(35才) 最勝光院南御所において崩御〔7月8日〕
    (法華三昧堂の下に葬られる)
  • 所生の皇子女
    1161〜1181.. 憲仁(高倉天皇;在位1168〜1180)
    (猶子)承仁法親王(後白河天皇皇子・生母丹波局)
宮廷での女官:建春門院中納言(俊成女、「建春門院中納言日記」又は「たまきはる」の作者・歌人)

*初め後白河天皇の同母姉・上西門院統子内親王の女房であり、小弁局と称した。後白河上皇と上西門院が同殿していたため、上皇の目に止まり、寵妃となる。

[贈皇太后]:藤原 懿子..1116〜1143
父:大納言 藤原経実
母:藤原 公子(権大納言 藤原公実の女)
代父:左大臣 源有仁
(同母兄)左大臣経宗
[夫との血縁関係]:従兄弟(4親等)・・・母公子の姉、璋子の子
    1142(27才) この頃、雅仁親王(後白河天皇・16才)と結婚
    1143(28才) 三条高倉第において薨去(死因:産後の疱瘡感染)
    1158.. 二条天皇即位、贈皇太后を追贈
  • 所生の皇子女
    1143〜1165.. 守仁(二条天皇;在位1158〜1165)

宮人:藤原 成子.. ? 〜1177
<号:高倉三位・高倉局・播磨局>
父:権大納言 藤原季成
母:(権中納言 藤原顕頼の女)か?
[夫との血縁関係]:従兄弟(4親等)・・・父季成の姉、璋子の子
    1146.. この頃、雅仁親王(後白河天皇・19才)に入侍か
    1147.. 王女・亮子を生む
    1155.. 後白河天皇即位
    1158.. 後白河天皇退位
    1172.. 薨去〔3月11日〕、ときに従三位
  • 所生の皇子女
    1147〜1216.. 亮子内親王(殷富門院,斎宮;在任1156〜1158)
    1150〜1202.. 守覚法親王(仁和寺御室)
    1151〜1180.. 以仁王
    ? 〜1192.. 好子内親王(斎宮;在任1158〜1165)
    ? 〜1201.. 式子内親王(斎院;在任1159〜1169)
    1157〜1165.. 休子内親王(斎宮;在任1166〜1168)

宮人:高階 栄子.. ? 〜1216
<号:丹後局・浄土寺二位>
父:法印 澄雲
    1177.. 業房との間に金毘羅丸(教成)を生む
    1179.. 平清盛、後白河法皇の院政を停止、夫・業房、伊豆に流刑(11月)
    1180.. 夫・業房、摂津国福原に連行され殺害される(7月)
    ..... この頃、後白河法皇(54才)に召される
    1181.. 皇女・覲子を生む(10月)
    1183.. 平家一門西下、後鳥羽天皇践祚
    1186.. 上洛した幕府の公文所別当・大江広元と折衝する(7月)
    1187.. 従三位に叙される(2月)
    1189.. 覲子、内親王となり准三后の宣下を受ける
    1191.. 覲子、女院(宣陽門院)となる,従二位に叙される(6月)
    1192.. 鎌倉幕府成立,後白河法皇(66才)没、出家する(3月)
    ..... 山科影堂領を譲られる、娘・宣陽門院に長講堂領・六条殿等が譲られる
    1196.. 源頼朝、北条政子・大姫・頼家を伴い上洛、宣陽門院御所を訪問
    ..... のち頼朝の六波羅邸に招かれ、対面する
    1197.. 橘兼仲の妻に後白河法皇の霊が取付き託宣する、兼仲夫妻流刑(3月)
    ..... 近臣源通親と謀り、関白九条兼実を失脚させる(11月)
    1202.. 近臣源通親没、この頃より勢力が衰える
    1206.. 源仲国の妻に後白河法皇の霊が取付き託宣する、仲国夫妻洛中追放
    1216.. 薨去〔2月または3月〕
  • 所生の子女
    (父:平業房) 業兼,[藤原]教成(藤原実教の猶子となる),他三女
    (父:後白河天皇)
    1181〜1252.. 覲子内親王(宣陽門院
*初め後白河院の近臣であった平業房の妻となり、数人の子をもうける。 平清盛へのクーデターにより後白河法皇の院政が停められた時、夫の業房も伊豆に流され、脱出するが捕らえられて、翌年7月に殺される。 この前後より、後白河法皇に近侍し、法皇の寵を受けた。皇女を生み、政治にも容喙するようになり、「近日朝務ひとえにかの唇吻にあり」(『玉葉』)と評され、権勢は楊貴妃にたとえられた。 法皇の死後は、長講堂領をはじめとする莫大な所領が娘・宣陽門院に伝領され、それを擁してその後も政治的活躍を続けた。
後鳥羽上皇の院政開始、近臣の死などにより晩年は勢力が衰え、亡き夫業房の所領・浄土寺に住んだ。