平城天皇后妃

贈皇后:藤原 帯子【たらしこ】.. ? 〜794
<英帯能子>
父:参議 藤原百川
(兄)左大臣緒嗣・(姉)桓武天皇夫人旅子
[夫との血縁関係]:従姉の子(5親等)・・・父百川の兄、良継の娘、乙牟漏の子
    779.. 父・百川没
    794.. 木蓮子院において卒去〔5月27日〕
    806.. 平城天皇即位、皇后を追贈
*桓武天皇即位の功労者、藤原式家の贈太政大臣・百川の娘。
皇太子安殿親王(平城天皇)の妃となりましたが、794年病を得て没しました。平城天皇の即位後、没後12年を経て皇后位を贈られました。

妃:朝原内親王【あさはら】..779〜817
父:桓武天皇
母:妃 酒人内親王(光仁天皇の女)
(異母兄)平城天皇・(異母弟)嵯峨天皇・淳和天皇
[夫との血縁関係]:異母兄(2親等)・・・父桓武帝の子
    781(3才) 父・桓武天皇即位
    782(4才) 斎宮に卜定される(8月)
    785(7才) 伊勢に群行(9月)
    796(18才) 斎宮を退下(2月)、三品に叙される(7月)
    ....... 桓武天皇、京中巡幸の途中、内親王第に立ち寄る(12月)
    ....... この後、東宮・安殿親王(平城天皇)の妃となる
    798(20才) 田二五〇町を賜わる
    806(28才) 父・桓武天皇没、平城天皇(33才)即位,妃となる
    809(31才) 平城天皇退位、嵯峨天皇即位
    810(32才) 薬子の変、平城上皇出家
    812(34才) 妃の位を辞す(5月)
    817(39才) 薨去〔4月25日〕、ときに二品
*桓武天皇の第二皇女。名は「あしたはら」とも読まれます。母は妃酒人内親王。
4才で斎宮に卜定され、7才で伊勢に下向、796年18才まで在任。退下の理由は不明。
この後に東宮・安殿親王(平城天皇)に嫁し、天皇の即位に伴い、妃となりました。 しかし子女は生まれず、810年薬子の変により平城上皇が出家したこともあって、812年5月妃の位を辞しました。
817年4月度者六人を賜りましたが、病平癒せず、同25日39才で薨去。嵯峨天皇は使を遣わして喪事を監護させました。

妃:大宅内親王【おおやけ】.. ? 〜849
父:桓武天皇
母:女御 橘常子(兵部大輔 橘島田麻呂の女)
(異母兄弟)平城天皇・嵯峨天皇・淳和天皇
[夫との血縁関係]:異母兄(2親等)・・・父桓武帝の子
    801.. 加笄の儀(11月)、この頃、東宮・安殿親王(平城天皇・28才)の妃となるか
    806.. 父・桓武天皇没、平城天皇即位,妃となる
    809.. 平城天皇退位、嵯峨天皇即位
    810.. 薬子の変、平城上皇出家
    812.. 妃の位を辞す,四品に叙される(5月)
    817.. 母・常子没
    824.. 平城法皇(51才)没
    828.. 出家する(11月)
    849.. 薨去〔2月14日〕、ときに三品
*桓武天皇の皇女。母は橘常子。
801年11月に加笄の儀(女性の成人儀礼)を行っており、この頃14・15才か。 間もなく東宮であった安殿親王(平城天皇)に嫁したと思われます。天皇即位後、妃の位に就く。
平城上皇の出家後、812年、朝原内親王とともに妃の位を辞し、この時四品に叙されました。 上皇の崩後、828年に至り出家。

尚侍:藤原 薬子【くすこ】.. ? 〜810
父:中納言 藤原種継
(兄弟)右兵衛督 仲成・(姉妹)桓武天皇宮人 東子
    785.. 父・種継、長岡京にて暗殺される,早良親王廃太子、安殿親王立太子
    794.. 藤原帯子没、この頃、長女が東宮・安殿親王(平城天皇)に入侍か
    .... 東宮坊宣旨となる,のち桓武天皇により宮廷を退けられる
    806.. 桓武天皇没、平城天皇(33才)即位,宮廷に復帰する
    807.. 伊予親王謀反事件
    808.. 正四位下に叙される
    809.. 平城天皇譲位、嵯峨天皇即位(4月)
    .... 従三位より正三位に昇る、ときに尚侍(9月)
    .... 平城上皇、平城旧京に向かう(11月)
    810.. 上皇、平城遷都の意を表明(9月6日)
    .... 天皇、薬子の官位を解官,兄弟・仲成逮捕される(10日)、仲成処刑(11日)
    .... 上皇とともに東国に向かおうとするが、天皇軍に阻まれる
    .... 上皇剃髪する,毒により自殺〔9月12日〕
  • 所生の子女
    (父:藤原縄主).. 三男二女
*中納言・造長岡京使、藤原種継の娘。はじめ藤原縄主と結婚し、三男二女をもうける。
長女が東宮安殿親王の妃となった縁で東宮坊宣旨となりました。東宮に近づいたため桓武天皇に退けられましたが、平城天皇が即位するにいたって、再び仕えて尚侍となり兄弟の仲成とともに権勢を振るいました。伊予親王謀反事件は薬子・仲成の策謀とされます。
平城天皇の譲位の後、薬子・仲成は上皇に重祚を勧め、ついに上皇は平城遷都の意を表明しました。程なく薬子は解官。 上皇と伴に東国に向かおうとしたが阻まれ、仲成が処刑され、上皇が剃髪入道するに及んで、毒を仰いで自殺しました。

東宮妃:(藤原縄主の女).. 生没年不詳
父:中納言 藤原縄主
母:尚侍 藤原薬子(中納言 藤原種継の女)
[夫との血縁関係]:再従兄(6親等)・・・父縄主の父、蔵下麻呂の兄、良継の娘、乙牟漏の子

*藤原縄主と藤原薬子の長女。天皇が東宮だった頃「以選入宮」した。同じ藤原式家の帯子死没後のことか。天皇即位後の動静は不詳。

宮人:伊勢 継子.. 772〜812
父:木工頭 伊勢老人
    799(28才) 高岳王を生む、これ以前に東宮安殿親王(平城天皇・26才)に入侍
    806(35才) 平城天皇即位
    808(37才) 無位から正五位下を授けられる(11月)
    809(38才) 平城天皇退位、嵯峨天皇即位、高岳親王立太子(4月)
    ....... 河内国の内蔵寮田一一町を終身に賜る(5月)
    810(39才) 薬子の変,高岳親王、太子を廃せられる(9月)
    811(40才) 山城国紀伊郡の田二町を賜る、ときに従四位下
    812(41才) 卒去〔7月6日〕,従三位を追贈
  • 所生の皇子女
    799〜865.. 高岳親王(嵯峨天皇皇太子・真如入道親王)
    ? 〜882.. 巨勢親王
    ? 〜842.. 上毛野内親王
    ? 〜846.. 石上内親王
    ? 〜863.. 大原内親王(斎宮;在任806〜809)

宮人:葛井 藤子.. 生没年不詳
父:正五位下 葛井道依
    792.. 阿保王を生む、これ以前に東宮安殿親王(平城天皇・19才)に入侍
    806.. 平城天皇即位
    809.. 平城天皇退位、嵯峨天皇即位
    810.. 薬子の変、平城上皇出家
    833.. 従五位下に叙位、姓蕃良朝臣を賜る(8月)
  • 所生の皇子女
    792〜842.. 阿保親王

宮人:紀 魚員【うおかず】.. 生没年不詳
父:従三位 紀木津魚
    810.. 薬子の変、平城上皇、出家する
    835.. 従五位下に叙される(4月)
  • 所生の皇子女
    ? 〜835.. 叡努内親王