堀河天皇后妃

中宮:篤子内親王..1060〜1114
父:後三条天皇
母:贈皇太后 藤原 茂子(能信養女・公成の女)
(幼少時の養母)陽明門院禎子・(同母兄)白河天皇
[夫との血縁関係]:甥(3親等)・・・兄白河帝の子
    1062(3才) 母・茂子没
    1068(9才) 父・後三条天皇即位、内親王宣下(8月)
    1073(14才) 父・後三条天皇退位、兄・白河天皇即位
    ........ 斎院卜定(3月)、父後三条上皇没、斎院退下(5月)
    1079(20才) 養母陽明門院の譲りにより、准三后宣下、封邑一〇〇〇戸を賜る
    1083(24才) 「篤子内親王家侍所歌合」を催す
    1086(27才) 堀河天皇即位
    1091(32才) 堀河天皇(13才)に入内(10月)
    1093(34才) 中宮に立てられる(2月22日)
    1094(35才) 養母・陽明門院禎子内親王没
    1107(48才) 堀河天皇(29才)没(7月)、出家する
    1114(55才) 堀河院において崩御〔10月1日〕
    (雲林院掌侍堂に土葬される)
宮廷での女官:上総(堀河院中宮上総、歌人)

*後三条天皇の第四皇女。母は藤原茂子。白河天皇の同母妹。
幼くして母を亡くし、祖母の陽明門院に養われました。9才の時父天皇が即位し、3人の姉とともに内親王宣下を受ける。 14才で賀茂斎王に選ばれましたが、父上皇の死により2ヶ月程で退下。 退下ののちも祖母・陽明門院の邸で過ごしたようです。20才の時、陽明門院の奏請により准三后の宣下を受けました。
1091年、甥の堀河天皇に入内。ときに篤子は32才、天皇は13才であり、天皇より19才年長でした。2年後中宮に冊立。 この入内について『今鏡』には「御叔母の前斎院ぞ女御に参り給ひて、中宮に立ち給ひし。ことのほかの御齢なれど、幼くより類ひなく見取り奉らせ給ひて、ただ四の宮(篤子内親王)をとかや思ほせりけるにや侍りけむ」とある。 陽明門院の配慮もあったと思われます。 親子ほどの年齢差だったものの、天皇は中宮を慕わしく思い、仲は悪くなかったようですが、皇子女には恵まれませんでした。
48才の時、堀河天皇の崩御に遭い出家。55才で崩御。遺言に従い、遺骸はかねて用意の雲林院掌侍堂内に土葬されました。

[贈皇太后]:藤原 苡子..1076〜1103
父:大納言 藤原実季
母:藤原睦子(太宰大弐 藤原経平の女)
[夫との血縁関係]:従兄の子(5親等)・・・父実季の姉、茂子の孫
    1091(16才) 父・実季没
    1098(23才) 堀河天皇(20才)に入内(10月)、女御宣下(12月)
    1099(24才) 従四位上、流産する(4月4日)
    1102(27才) 懐妊により着帯の儀を行う(8月)
    1103(28才) 卒去(死因:難産)〔1月26日〕、従二位を追贈(2月3日)
    (宇治木幡の宇治陵に葬られる)
    1107.. 鳥羽天皇即位、皇太后を追贈
  • 所生の皇子女
    1103〜1156.. 宗仁(鳥羽天皇;在位1107〜1123)
*大納言藤原実季の女。白河天皇の母茂子の姪にあたる。
23才の10月29日、兄の権中納言公実の三条高倉邸より出立、堀河天皇に入内しました。 父・実季は既に没しており、入内の事はもっぱら白河上皇が沙汰したという。2ヶ月後女御となる。
ほどなく懐妊するも、翌年4月に流産。
1102年再び懐妊し、左少弁藤原顕隆の五条高倉第に退下して産所としました。 翌1103年1月16日、皇子(鳥羽天皇)を出産するも、産後の肥立ちが悪く、26日俄かに病んで没しました。ときに28才。
1107年、鳥羽天皇が即位するに及び、皇太后を追贈されました。

典侍:源 仁子.. ? 〜1126
<仁子女王, 号:大夫典侍>
父:神祇伯 康資王
母:(但馬守 藤原隆方の女)?
    1099.. 皇女を生む
    1107.. 堀河天皇(29才)崩御、鳥羽天皇即位
    1123.. 崇徳天皇即位,"小宗"子内親王、斎院に卜定(8月)
    1126.. 死去〔7月〕
  • 所生の皇子女
    1099〜1162.. "小宗"子内親王(斎院;在任1123〜1126)
*はじめ四条宮寛子(後冷泉天皇后)の女房。のち宮中に入り典侍となる。
1126年に死去。内親王は母の喪により、斎院を退下しました。

典侍:藤原 宗子.. ? 〜1129
<号:宰相典侍>
父:近江守 藤原隆宗
母:(肥後守 藤原義綱の女)?
    1093.. 堀河天皇の新典侍として陪膳に奉仕(1月1日)
    ..... 「郁芳門院根合」に参加(5月)
    1103.. 皇子(覚暁)を生む
    1107.. 堀河天皇(29才)崩御、鳥羽天皇即位
    ..... 藤原家保との間に、家成を生む
    1119.. 顕仁親王(崇徳天皇)の乳母に任ぜられる(5月)
    1123.. 崇徳天皇の即位式に際し、右の帳をかかげる役を務める(2月19日)
    1129.. 卒去〔1月24日〕
  • 所生の子女
    1103〜 .. 覚暁
    (父:藤原家保)
    1107〜1154.. (藤原)家成
*内裏女房。1093年1月新典侍として陪膳に奉仕。同年5月の郁芳門院根合では「宰相典侍」と見えます。
1103年、堀河天皇の皇子・覚暁(仁和寺花蔵院大僧正)を生む。
また、藤原家保の室となって、のちの鳥羽院の寵臣中納言家成らを生みました。
1119年5月28日誕生の鳥羽天皇第一皇子(のちの崇徳天皇)乳母に任ぜられ、1123年2月の同天皇即位の折には、右方の帳をかかげました。 1129年1月、卒去。『中右記』には年三十三才、異本に四十三才とありますが、郁芳門院根合参加時の年齢を考えると幼すぎ、同一人とすると疑わしい。

宮人:(藤原時経の女).. 生没年不詳
父:伊勢守 藤原時経
    1104.. 皇子(最雲法親王)を生む
  • 所生の皇子女
    1104〜1162.. 最雲法親王(梶井門跡)