仁明天皇后妃

[皇太后]:藤原 順子..808〜871
<号:五条后>
父:左大臣 藤原冬嗣
母:尚侍 藤原美都子(藤原真作の女)
(同母兄)摂政良房
[夫との血縁関係]:再々々従弟(10親等)・・・父冬嗣の曾祖父、房前の弟、宇合の孫、乙牟漏の孫
    826(19才) この頃、東宮・正良親王(仁明天皇・17才)に入内か、父・冬嗣没
    827(20才) 道康王(文徳天皇)を生む
    833(25才) 仁明天皇(23才)即位、従四位に叙される(11月)
    842(35才) 承和の変、恒貞親王廃太子、道康親王(文徳天皇)立太子
    850(43才) 仁明天皇(40才)没、文徳天皇即位、皇太夫人となる
    854(47才) 皇太后となる
    858(51才) 文徳天皇没、清和天皇即位、同母兄良房、摂政となる
    861(54才) 落飾する(2月)、受戒(戒師:天台座主円仁)(6月)
    864(57才) 太皇太后となる
    871(64才) 崩御〔9月28日〕
    (後山階陵に葬られる)
  • 所生の皇子女
    827〜 858.. 道康(文徳天皇;在位850〜858)
*「美姿色。雅性和厚」と伝えられる。
女御より皇太夫人に昇った初例。のち皇太后。東五条院(五条宮)を居所としたことから、五条后と称される。『伊勢物語』によると、姪の高子が一時同居した時、在原業平との間に問題を起こしました。
仏法に帰依深く、宇治郡に安祥寺を建立しました。

[贈皇太后]:藤原 沢子.. ? 〜839
<鳥戸太后(陵に因む)>
父:紀伊守 藤原総継
母:藤原 数子
[夫との血縁関係]:再々々従兄弟(10親等)・・・父総継の曾祖父、房前の弟、宇合の孫、乙牟漏の孫
    827.. この頃、東宮・正良親王(仁明天皇・18才)に入内か
    828.. 宗康王を生む
    831.. 時康王(光孝天皇)を生む
    833.. 仁明天皇即位
    839.. 卒去〔6月30日〕、従三位を追贈
    (鳥戸山陵に葬られる)
    884.. 光孝天皇即位、皇太后を追贈
  • 所生の皇子女
    828〜868.. 宗康親王
    831〜887.. 時康(光孝天皇;在位884〜887)
    ? 〜892.. 人康親王
    ? 〜897.. 新子内親王
*寵愛は後宮に並ぶ者がないといわれたという。 宮中にて急病となり、小車に乗って宮中を退出し、里邸に着くと生き絶えました。天皇はこれを聞き哀悼し、使を遣わして従三位を贈り官に喪事を監護させました。
のちに所生の時康親王(光孝天皇)が即位。没後45年を経て皇太后を追贈されました。

女御:藤原 貞子.. ? 〜864
父:右大臣 藤原三守
[夫との血縁関係]:再々々従兄弟(10親等)・・・父三守の曾祖父、房前の弟、宇合の孫、乙牟漏の孫
    833.. 仁明天皇即位,従四位下に叙される(11月)
    836.. 成康親王を生む
    839.. 従三位に叙される(1月)
    850.. 仁明天皇(40才)没(3月)、正三位に叙される(7月)
    851.. 出家する(2月)
    864.. 薨去〔8月3日〕、従一位を追贈される
    (仁明天皇の深草陵内に葬られる)
  • 所生の皇子女
    836〜853.. 成康親王
    ? 〜851.. 親子内親王
    ? 〜877.. 平子内親王
*「風姿魁麗。言必典礼。宮掖之内、仰其徳行」と伝わる。
寵愛篤く、しかも終始寵せられ衰えることがなかった。天皇崩御の後、追慕の余り飲食をも顧みず、容貌が変るほどで、毎夜泣き暮れたといいます。翌年尼となりました。
薨後、従一位を贈られ、仁明天皇の深草陵内に葬られました。

女御:滋野 縄子.. 生没年不詳
父:参議 滋野貞主
    836.. 無位より正五位下に叙される(4月),のち従四位上
  • 所生の皇子女
    ? 〜901.. 本康親王
    ? 〜847.. 時子内親王(斎院;在任831〜833)
    ? 〜869.. 柔子内親王
*父は天皇側近の良吏・貞主。その薨伝に「長女縄子。心至和順。進退中規。仁明天皇殊加温幸」とある。

女御:橘 影子.. ? 〜864
父:右大臣 橘氏公
[夫との血縁関係]:従兄弟(4親等)・・・父氏公の姉妹、嘉智子の子
    840.. 女御宣下、従四位下を授けられる(11月)
    850.. 仁明天皇(40才)没
    864.. 卒去〔11月10日〕

更衣:紀 種子.. ? 〜869
父:右兵衛督 紀名虎
(姉妹)文徳天皇更衣 静子
    839.. 無位から正五位下に叙される(1月)
    847.. 父・名虎没
    850.. 仁明天皇(40才)没
    862.. 平城旧京中の勅旨田四〇町を返し賜り、併せて興福寺宿院を賜る(6月14日)
    869.. 卒去
  • 所生の皇子女
    ? 〜869.. 常康親王
    ? 〜870.. 真子内親王

更衣:(三国町).. 生没年不詳
    845.. 更衣を廃せられる
  • 所生の皇子女
    ? 〜 ? .. [貞]登
*三国氏であり、三国町と称されました。承和十二年(845)藤原有貞との密通の疑いにより、更衣を廃せられる。

宮人:藤原 賀登子【かとこ】.. 生没年不詳
父:常陸守 藤原福当麻呂
    843.. 無位より正六位上に叙される(1月),のち従五位上
  • 所生の皇子女
    ? 〜 898.. 国康親王

宮人:藤原 小童子【わらわこ】.. 生没年不詳
父:従五位下 藤原道長
  • 所生の皇子女
    ? 〜865.. 重子内親王
*従五位上に叙された。

宮人:高宗女王.. 生没年不詳
父:従五位上 岡屋王
    840.. 従五位上に叙される(1月)
  • 所生の皇子女
    ? 〜876.. 久子内親王(斎宮;在任833〜850)
*岡屋王は天武天皇皇子の高市皇子の孫。

女嬬:百済 永慶【ようけい】.. 生没年不詳
父:鎮守府将軍 百済王教俊
(姉妹)尚侍 慶命
  • 所生の皇子女
    ? 〜866.. 高子内親王

宮人:(山口氏).. 生没年不詳
    849.. 皇子・覚を生む
  • 所生の皇子女
    849〜879.. [源]覚
*名を周子または恒子か。