冷泉天皇后妃

中宮:昌子内親王..950〜999
<号:三条太皇太后・観音院太后>
父:朱雀天皇
母:女御 熙子女王(文彦太子保明親王の女)
[夫との血縁関係]:従兄弟(4親等)・・・父朱雀帝の弟、村上帝の子
    950(1才) 誕生、内親王宣下(8月)
    952(3才) 父・朱雀上皇没
    961(12才) 内裏承香殿において裳着、三品に叙される(12月)
    963(14才) 東宮・憲平親王(冷泉天皇・14才)に入内(2月)
    967(18才) 冷泉天皇即位、中宮に立つ(9月)
    969(20才) 冷泉天皇退位、円融天皇即位
    973(24才) 皇太后となる(7月)
    984(35才) 花山天皇即位
    985(36才) 大雲寺内に観音院建立
    986(37才) 一条天皇即位、太皇太后となる(7月)
    999(50才) 権大進橘道貞の三条第において崩御〔12月1日〕
    (岩倉陵に葬られる)
    (養子)永平親王(村上天皇皇子)
宮廷での女官:和泉式部(「和泉式部日記」の作者・歌人)

*朱雀天皇の一人娘。母は熙子女王。
朱雀天皇の譲位後の生まれで、同年8月10日内親王となる。生後ほどなく母を亡くし、3才の折、父上皇も崩じました。 遺された唯一の皇子女であったため、叔父の村上天皇の厚い庇護を受け、12才で承香殿において裳着の儀を行い、宸筆(天皇の直筆)を以って三品の位を授けられました。
東宮・憲平親王(冷泉天皇)の元服の時、その宮に入って妃となり、践祚の後、中宮に冊立されました。 しかし天皇とはほとんど同殿せず、里邸に居していたという。天皇譲位ののち24才で皇太后、37才で太皇太后となる。
深く仏道に帰依し、985年北岩倉山の大雲寺境内に観音院を創建し、しばしば参詣しました。没するにあたって遺令を親書して同院のことを指示しました。50才で崩御。

[贈皇太后]:藤原 懐子..945〜975
父:摂政太政大臣 藤原伊尹
母:恵子女王(中務卿 代明親王の女)
[夫との血縁関係]:従兄弟(4親等)・・・父伊尹の妹、安子の子
    963(19才) 東宮・憲平親王(冷泉天皇・14才)に入内
    967(23才) 冷泉天皇即位、更衣となる、女御宣下(12月)
    968(24才) 一条殿にて皇子(花山天皇)誕生
    969(25才) 冷泉天皇退位、皇子(花山天皇・10ヵ月)立太子
    972(28才) 父・伊尹没
    975(31才) 薨去〔12月〕
    (宇治木幡の宇治陵に葬られる)
    984.. 花山天皇即位、皇太后を追贈
  • 所生の皇子女
    964〜986.. 宗子内親王
    966〜985.. 尊子内親王(円融天皇妃、斎院;在任968〜975)
    968〜1008.. 師貞(花山天皇;在位984〜986)
*藤原伊尹の長女。
19才で東宮・憲平親王に入侍しました。東宮は14才。 東宮妃の頃に二人の皇女を生み、天皇即位の翌年、里邸の一条殿にて皇子(花山天皇)を生む。 その翌年の天皇譲位に伴い、皇子は新帝円融天皇の皇太子となり、さらに父・が摂政に就任したが、972年には死没。摂政の地位は叔父の兼通に移り、政権より離れました。
31才で薨去。花山天皇の即位により、984年、皇太后を追贈されました。

[贈皇太后]:藤原 超子.. ? 〜982
父:摂政太政大臣 藤原兼家
母:藤原 時姫(摂津守 藤原中正の女)
(同母兄)関白道隆・関白道兼(同母弟)摂政道長・(同母妹)皇太后詮子
[夫との血縁関係]:従兄(4親等)・・・兼家の姉、安子の子
    968.. 冷泉天皇に入内(10月)、女御宣下(12月7日)、従四位下(29日)
    969.. 冷泉天皇退位、円融天皇即位
    982.. 卒去(庚申の夜に頓死)〔1月28日〕
    (宇治木幡の宇治陵に葬られる)
    1011.. 三条天皇即位、皇太后を追贈(12月)
  • 所生の皇子女
    973〜975.. 光子内親王
    976〜1017.. 居貞(三条天皇;在位1011〜1016)
    977〜1002.. 為尊親王
    981〜1007.. 敦道親王
*藤原兼家の長女。母は藤原中正女・時姫。同母兄弟に道隆・道兼・道長。
968年10月に入内し、12月に女御の宣旨を被る。『一代要記』によると公卿の女ではなく女御となった初例であるという。 ときに父の兼家は蔵人頭で、公卿ではありませんでした。天皇の譲位の後、光子内親王・居貞(三条天皇)・為尊・敦道親王の三男一女を生む。
982年、庚申待ちの明け方に眠るようにして急死しました。『富家語談』・『古事談』には、以後兼家一門では庚申の催しを行わなかったと伝える。
所生の三条天皇の即位に伴い、1011年皇太后を追贈され、国忌山陵が置かれました。

女御:藤原 ふし..生没年不詳
父:右大臣 藤原師輔
母:藤原 盛子(武蔵守 藤原経邦の女)
(同母兄)摂政伊尹・(同母弟)関白兼通・摂政兼家
[夫との血縁関係]:甥(4親等)・・・姉安子の子
    960.. 父・師輔没
    963.. 東宮・憲平親王(冷泉天皇・14才)元服、この頃入侍、御匣殿別当となる
    967.. 冷泉天皇即位
    968.. 女御宣下(12月7日)、この時従四位下
    969.. 冷泉天皇退位
    982.. 尚侍に任官(7月)、正四位下より従三位に昇叙(10月)
    989.. 出家する(9月)
*藤原師輔の六女。冷泉天皇の叔母に当たります。
東宮憲平親王(冷泉天皇)の宮に入御し、御匣殿別当となりました。 天皇即位ののち、968年藤原超子とともに女御に宣下される。
天皇譲位後に982年、尚侍に任じられ、従三位に昇る。989年に出家し、その後の消息に付いては詳らかにしません。