白河天皇后妃

中宮:藤原 賢子..1057〜1084
<又は源賢子>
父:右大臣 源顕房
母:源 隆子(権中納言 源隆俊の女)
養父:関白 藤原師実・養母:源 麗子(右大臣源師房の女)
(同母兄)太政大臣雅実(同母妹)関白忠実室師子・(義弟)関白師通
[夫との血縁関係]:再従兄の子(7親等)・・・父顕房の母、尊子の姉、彰子の曾孫
    1071(15才) 東宮・貞仁親王(白河天皇・19才)に入内〈局:麗景殿〉
    1073(17才) 白河天皇即位、女御宣下、従四位下(3月9日)
    1074(18才) 敦文親王を生む、中宮に冊立(6月20日)
    1077(21才) 長男・敦文親王没
    1079(23才) 善仁親王を生む
    1084(28才) 里内裏・東三条殿において崩御〔9月22日〕
    (鳥辺野にて火葬、上醍醐陵に葬られる)
    1087.. 太皇太后を追贈
  • 所生の皇子女
    1074〜1077.. 敦文親王
    1076〜1096.. 堀河准母・中宮・郁芳門院,斎宮;在任1078〜1084)
    1078〜1144.. 令子内親王(鳥羽准母・皇后宮,斎院;在任1089〜1099)
    1079〜1107.. 善仁(堀河天皇;在位1086〜1107)
    1081〜1156.. ヮq内親王(斎院;在任1099〜1107)
*右大臣源顕房の女。父方の叔母夫婦である関白藤原師実夫妻の養女となり、15才のとき東宮であった白河天皇に入内。寵愛を一身に受けました。
白河天皇即位に伴い女御の宣旨を被り、翌年中宮に冊立されました。敦文親王(夭折)・堀河天皇の二皇子と三皇女を生む。
里内裏にて崩御した際、天皇は賢子の遺体から離れようとせず、天皇が死に立ち合う例はないとの諌める廷臣に「例は此よりこそ始らめ」と語ったという。

女御:藤原 道子..1042〜1132
<号:承香殿女御>
父:内大臣 藤原能長
母:(播磨守 源済政の女)
[夫との血縁関係]:再従兄の子(7親等)・・・父能長の父、頼宗の姉、彰子の曾孫
    1069(28才) 東宮・貞仁親王(白河天皇・17才)に入内〈局:宣耀殿〉
    1073(32才) 白河天皇即位、女御宣下、従四位下〈局:承香殿〉
    1076(35才) 准三后となる(12月)
    1077(36才) 善子内親王を生む
    1082(41才) 父・能長没
    1086(45才) 白河天皇退位、堀河天皇即位
    1087(46才) 善子内親王、斎宮に卜定
    1089(48才) 善子内親王の伊勢群行に伴い、伊勢に下る
    1106(65才) 上洛し、九条に堂舎を建立、丈六阿弥陀を供養する
    1107(66才) 善子内親王、斎宮を退下、帰京する
    1129(88才) 白河法皇(77才)没
    1132(91才) 薨去〔8月17日〕
  • 所生の皇子女
    1077〜1132.. 善子内親王(斎宮;在任1087〜1107)
*内大臣藤原能長の女。父能長は白河天皇の母茂子の義弟(ともに藤原能信の養子)に当たり、その縁をもって立太子ほどない東宮・貞仁親王(白河天皇)に入内。しかし、11才年上であることや打ち解けない性格から寵愛は薄かった。善子内親王を産みし後は、また参内せず。
善子内親王の伊勢群行に付いて伊勢に下り、18年を伊勢で過ごしました。

典侍:藤原 経子.. 生没年不詳
父:太宰大弐 藤原経平
    1075.. 皇子(覚行法親王)を生む(4月)
  • 所生の皇子女
    1075〜1105.. 覚行法親王(仁和寺御室・尊勝寺長吏)
*のち藤原公定の妻となる。
覚行法親王は出家後に親王宣下を受けた法親王のはじめ。

宮人:源 師子..1070〜1148
父:右大臣 源顕房
母:源 隆子(権中納言 源隆俊の女)
(姉)白河天皇中宮 賢子・(兄)太政大臣雅実
[夫との血縁関係]:再従兄の子(7親等)・・・父顕房の母、尊子の姉、彰子の曾孫
    1091(22才) この頃、白河上皇に召される、皇子(覚法法親王)を生む(12月)
    1094(25才) この頃、忠実(17才)の妻となる
    1095(26才) 長女・泰子を生む
    1102(33才) 従三位に叙される
    1105(36才) 夫・忠実、関白に就任
    1109(40才) 従二位に昇叙、政所を開設,のち従一位
    1120(51才) 夫・忠実、内覧を止められ宇治に籠居,長男・忠通、関白に就任
    1129(60才) 夫・忠実、政界に復帰
    1133(64才) 泰子、鳥羽上皇の後宮に入侍
    1134(65才) 出家する
    1142(73才) 仁和寺に堂舎を建てて住む
    1148(79才) 薨去〔12月14日〕
  • 所生の子女
    (父:白河天皇)
    1091〜1153.. 覚法法親王(仁和寺御室)
    (父:藤原忠実)
    1095〜1155.. 泰子(鳥羽上皇皇后宮・高陽院)
    1097〜1164.. 忠通(関白)
*中宮賢子の同母妹。ただし『栄花物語』では後冷泉院女房、式部命婦を母とする。
はじめ上東門院の女房。上皇の寵を受け懐妊ののち退下し、のち忠実に嫁したとされる。 所生の皇子は仁和寺に入って覚行法親王に養育され、のちに覚法法親王となりました。
忠実との間に、鳥羽上皇の後宮に入った高陽院泰子、摂政・関白を歴任した忠通を生み、自ずから嫡妻となり、1109年北政所として政所を開設。さらに従一位に昇りました。

宮人:源 頼子.. 生没年不詳
<盛子>
父:三河守 源頼綱
    1090.. 皇女・官子を生む
    1108.. 皇女・官子、内親王宣下、同日斎院に卜定(11月)
  • 所生の子女
    1090〜 ? .. 官子内親王(斎院;在位1108〜1123)
*掌侍となり、白河上皇の寵を受け皇女を生み、1108年10月皇女と認められる。

宮人:(藤原季実の女).. 生没年不詳
父:木工権守 藤原季実
    1093.. 皇女・恂子を生む
    1108.. 皇女・恂子、内親王宣下、同日斎宮に卜定(10月)
  • 所生の子女
    1093〜1132.. 恂子内親王(斎宮;在任1108〜1123)
*密かに皇女を生み、1108年10月皇女と認められる。

宮人:(春日殿).. 生没年不詳
父:参議 藤原師兼
    1093.. 郁芳門院根合に参加
    1094.. 皇子(聖恵法親王)を生む
  • 所生の子女
    1094〜1137.. 聖恵法親王
*郁芳門院女房。のちに藤原宗通の妻となる。
歌人であり、『郁芳門院根合』に参加。

宮人:(備前).. 生没年不詳
父:陸奥守 源有宗
    1128.. 皇子(円行)を生む
  • 所生の子女
    1128〜 ? .. 円行
*白河法皇の女房。歌人。1132年8月、六条院女房とあり(『中右記』)。

宮人:(源政長の女).. 生没年不詳
父:備中守 源政長
    1128.. 皇子(行慶)を生む
  • 所生の子女
    1128〜 ? .. 行慶

宮人:(美濃).. 生没年不詳
    1091.. 白河法皇崩御、出家する(7月)

宮人:(祇園女御).. 生没年不詳
<別号:白河殿・東御方>
    1093.. この頃、白河上皇に出仕するか
    1105.. 祇園社東南角に阿弥陀堂を建立する
    1106.. 鳥羽殿の御堂にて五部大乗経の講説を行う(7月)
    1129.. 白河法皇崩御
*姓氏不詳。宣旨を受けた女御ではなく、白河殿とも称されました。藤原顕季(白河法皇の乳母子、院の近臣)の縁者で、三河守源惟清の妻かといわれます。 また蔵人源仲宗の妻とも、祇園西大門の小家の水汲女ともいう。はじめ下級官女か。
祇園社の東南に阿弥陀堂を建てており、里邸はその辺りにあったと伝えられます。 子女はもうけず、法皇の猶子であった藤原璋子を養育したという。晩年は仁和寺内の威徳寺に暮しました。
平清盛の母は祇園女御とも、祇園女御の妹とも伝わるが、伝承の域をでない。

宮人:(廊御方).. 生没年不詳
父:権中納言 藤原通季
    1129.. 白河法皇崩御、出家する(7月)
  • 所生の子女
    (父:藤原実能)
    公保(大納言)、公雲(僧都)
*白河法皇の寵を受け、のち藤原実能との間に公保・公雲をもうける。

宮人:(うれしき)..1070〜1148
<宇礼志岐、号:賀茂女御>
父:賀茂社神主 賀茂県主重助
    1129.. 白河法皇崩御、出家する(7月)
*賀茂社の神主賀茂県主重助の女。 姉妹ともに晩年の白河法皇の寵を受ける。姉を「うれしき(宇礼志岐)」、妹を「いわいを(伊波比乎)」といいました。 ともに賀茂女御と称します。公式の女御にはあらず。

宮人:(いわいを).. 生没年不詳
<伊波比乎、号:賀茂女御>
父:賀茂社神主 賀茂県主重助
(姉)うれしき
    1129.. 白河法皇崩御、出家する(7月)
*姉妹ともに寵を受ける。祝緒(伊波比乎)といい、姉とともに賀茂女御と称されました。