|
女御:煕子女王.. ? 〜950 .<号:王女御> 父:保明親王(醍醐天皇皇太子) 母:藤原 仁善子(左大臣 藤原時平の女) (同母兄弟)慶頼王(醍醐天皇皇太子) [夫との血縁関係]:甥(3親等)・・・父保明の弟
925.. 慶頼王没 937.. 女御宣下(2月)、これ以前朱雀天皇(15才)に入内 938.. 従四位下に叙される(12月) 945.. 母・仁善子没 946.. 朱雀天皇退位、村上天皇即位 950.. 昌子内親王を生む .... 従三位に叙位、同日薨去〔5月5日〕
.朱雀天皇の同母兄で醍醐天皇の皇太子であった保明親王の娘。王女御と呼ばれました。 .天皇在位中は皇嗣に恵まれず、譲位後の950年、昌子内親王を生むも、同年28〜34才で薨去。 煕子女王に先立たれた朱雀上皇の和歌一首が『玉葉集』にある。
|
|
女御:藤原 慶子.. ? 〜951 .<号:大将御息所> 父:関白太政大臣 藤原実頼 母:(藤原時平の女)? (兄弟)関白 頼忠・(妹)村上天皇女御 述子 [夫との血縁関係]:父の従弟(5親等)・・・父実頼の父、忠平の妹、穏子の子
946.. 朱雀天皇退位、村上天皇即位 951.. 卒去〔10月9日〕、ときに正五位下 .入内の模様について『吏部王記』に「夕右大将実頼卿長女初参内裏、陪昭陽舎、即夜侍寝云々」と記されますが、 『玉葉集』に「朱雀院の御時、入内の後いかなることかありけむ、清慎公(実頼)のもとへつかはしける」の詞書をもって 「身のうきに思ひあまりのはてはては おやさへつらき物にぞ有りける」の歌が載り、慶子の諦観がうかがえます。
|
|