鳥羽天皇后妃

中宮:藤原 璋子..1101〜1045
<待賢門院,号:仁和寺女院>
父:権大納言 藤原公実
母:典侍 藤原光子(左中弁藤原隆方の女・堀河・鳥羽両天皇乳母)
代父:白河天皇
[夫との血縁関係]:従弟(4親等)・・・父公実の妹、苡子の子
    1107(7才) 父・藤原公実(54才)没
    1117(17才) 鳥羽天皇(15才)に入内、女御宣下
    1118(18才) 中宮に冊立
    1123(23才) 鳥羽天皇退位、崇徳天皇即位
    1124(24才) 女院(待賢門院)となる
    1129(29才) 代父・白河法皇(77才)没
    1141(41才) 崇徳天皇退位、近衛天皇即位
    1142(42才) 出家する
    1145(45才) 実兄・藤原実行の三条第において崩御〔8月22日〕
    (花園西陵に葬られる)
  • 所生の皇子女
    1119〜1164.. 顕仁(崇徳天皇;在位1123〜1141)
    1122〜1133.. 禧子内親王(斎院;在任1132〜1133)
    1124〜1129.. 通仁親王
    1125〜1143.. 君仁親王
    1126〜1189.. 統子[恂子]内親王(皇后宮・上西門院、斎院;在任1127〜1132)
    1127〜1192.. 雅仁(後白河天皇;在位1155〜1158)
    1129〜1169.. 覚性入道親王[本仁親王](仁和寺総法務)
宮廷での女官:待賢門院堀河(歌人)・待賢門院安芸(歌人)

[皇后宮]:藤原 泰子..1095〜1155
<高陽院,初名:勲子>
父:関白 藤原忠実
母:源 師子(右大臣 源顕房の女)
(同母弟)関白忠通・(異母弟)内覧頼長
[夫との血縁関係]:従兄の子(5親等)・・・母師子の姉、賢子の孫
    1108(14才) この頃、白河法皇に内裏への入侍を勧められるが父忠実、固辞
    1120(26才) 父・忠実関白を罷免、内覧を留められ宇治に籠居
    1129(35才) 白河法皇没
    1133(39才) 鳥羽上皇(31才)に入侍
    1134(40才) 准三后、女御宣下(3月2日)、皇后宮に冊立(19日)
    1139(45才) 女院(高陽院)となる
    1141(47才) 出家する
    1155(61才) 高陽院において崩御〔12月16日〕
    (福勝院護摩堂の板敷の下に葬られる)
    (養女)叡子内親王(鳥羽天皇皇女・生母得子)
*初め白河法皇への入侍を要請されたが、父の忠実が固辞し、のちに鳥羽天皇が自分の後宮への入内を望んでいることを知ると 忠実は積極的に応じ、白河法皇の勘気を蒙ったと伝えられます。そのため、父忠実は関白を罷免・隠居させされ、入内は ありませんでした。
白河法皇の死後、40才近くであるに関らず鳥羽上皇の宮に入り、上皇の妃にして女御宣下、立后が行なわれました。

[皇后宮]:藤原 得子..1117〜1160
<美福門院>
父:権中納言 藤原長実
母:源 方子(左大臣源俊房の女)
[夫との血縁関係]:再従兄の子(7親等)・・・母方子の父、俊房の弟、顕房の娘、賢子の孫
    1134(18才) この頃、鳥羽上皇(32才)に召される
    1139(23才) 皇子(近衛天皇)誕生(5月)、皇子(3ヶ月)立太子、女御宣下(8月)
    1141(25才) 近衛天皇即位、皇后宮に立てられる
    1149(33才) 女院(美福門院)となる
    1156(40才) 出家(6月)、鳥羽法皇没(7月)、保元の乱
    1160(44才) 金剛勝院御所において崩御〔11月23日〕
    (遺命により遺骨は高野山に葬られる)
  • 所生の皇子女
    1135〜1048.. 叡子内親王
    1137〜1211.. ワ子内親王(二条天皇准母・八条院)
    1139〜1155.. 躰仁(近衛天皇;在位1141〜1155)
    1141〜1176.. “女朱”子内親王(二条天皇中宮・高松院)
*息子・近衛天皇の折りに、東宮の母である故を以って上皇の召人ながらに女御となり、 即位に際し、国母の故を以って皇后に立てられたため、「国母の皇后」と称されます。