宇多天皇后妃

[皇太夫人]:藤原 温子..872〜907
<号:中宮・東七条后・七条后>
父:関白太政大臣 藤原基経
母:操子女王(式部卿 忠良親王の女?)
[夫との血縁関係]:再従兄(6親等)・・・父基経の母、乙春の姉妹、沢子の孫
    888(17才) 宇多天皇(22才)に入内、更衣(10月)、女御宣下(11月)
    891(20才) 父・基経没
    893(22才) 正四位下より正三位に昇叙(1月)
    896(25才) 東宮敦仁親王(醍醐天皇)の生母胤子死去に伴い、その養母となる
    897(26才) 宇多天皇退位、醍醐天皇即位,皇太夫人に冊立
    898(27才) 五条宮より朱雀院に移る,「朱雀院女郎花合」を宇多上皇と共催する
    ....... 中宮職に賜る恩典の一部辞退を申し出る(4月)
    902(31才) 屏風歌を紀貫之に詠進させる
    903(33才) 東七条宮に移る
    905(35才) 出家する(5月)
    907(36才) 崩御〔6月8日〕
    (宇治木幡の宇治陵に葬られる)
  • 所生の皇子女
    890〜 910.. 均子内親王(敦慶親王室)
    (養子)醍醐天皇
宮廷での女官:伊勢(歌人)

*晩年に東七条宮(亭子院)に住んだため、東七条后・七条后と称されます。
宇多天皇即位の翌年入内し女御となりました。均子内親王を生むが皇子はなく、藤原胤子の所生の敦仁親王が立太子しました。 しかし関白の娘として重んじられ、胤子の死により東宮敦仁親王の養母となり、その即位により皇太夫人に冊立されました。
宇多上皇と「朱雀院女郎花合」を共催するなど、その宮廷は華やいでいたようです。また女房には歌人の伊勢がおり、『古今和歌集』に伊勢の哀悼歌を載せるほか、『伊勢集』に温子との贈答歌や哀悼歌を伝えています。

[贈皇太后]:藤原 胤子.. ? 〜896
<号:承香殿女御>
父:内大臣 藤原高藤
母:宮道 烈子(山城国宇治郡大領 宮道弥益の女)
(同母弟)大納言定国・右大臣定方
    884.. この頃、定省王(宇多天皇・18才)と結婚
    887.. 宇多天皇即位
    888.. 更衣となる、禁色を聴される
    893.. 女御宣下、従四位下(1月)、敦仁親王(醍醐天皇)立太子(4月)
    896.. 卒去〔6月30日〕
    (小野陵に葬られる)
    897.. 醍醐天皇即位、皇太后を追贈
  • 所生の皇子女
    885〜930.. 敦仁(醍醐天皇;在位897〜930)
    887〜930.. 敦慶親王
    ?〜926.. 敦固親王
    893〜967.. 敦実親王
    892?〜958.. 柔子内親王(斎宮;在任897〜930)
*早くより定省王の妻となり、第一皇子・敦仁を生む。 宇多天皇即位の翌年更衣となり、893年女御に昇りました。曹司から承香殿女御と称されます。同年敦仁親王(醍醐天皇)が立太子しましたが、3年後、その即位を見ぬまま死没。醍醐天皇の即位に伴い、皇太后を追贈されました。
父の高藤が山科に狩猟に行った際、宇治郡司宮道弥益の家に宿泊し、その娘を見初めてもうけた女子であるとの説話が『今昔物語』等に載っています。 祖父・宮道弥益の宅を寺とした勧修寺は、醍醐天皇が胤子の御願を継ぎ建立されたものとされています。

女御:橘 義子.. 生没年不詳
父:参議 橘広相
    884.. この頃、定省王(宇多天皇・18才)と結婚
    887.. 宇多天皇即位
    888.. 更衣となる、禁色を聴される
    893.. 女御宣下、従四位下(1月)
    896.. 従四位上に昇叙
  • 所生の皇子女
    885〜891.. 斎中親王
    886〜927.. 斎世親王
    ? 〜 ? .. 斎邦親王
    ? 〜902.. 君子内親王(斎院;在任892〜902)
*橘広相の娘。早くより定省王の妻となる。即位に伴い更衣、のち女御に上げられました。同日藤原胤子も女御に昇格しており、古参の功によってでしょう。 所生の斎世親王は菅原道真の娘婿となり、その左遷事件の一端となりました。

女御:菅原 衍子.. 生没年不詳
父:右大臣 菅原道真
母:島田宣来子
    896.. 女御宣下(11月)、正五位下から従四位下に昇叙
    897.. 宇多天皇退位、醍醐天皇即位
    899.. 出家する(10月)
*菅原道真の長女。

女御:橘 房子.. ? 〜893
    8??.. 従四位下に叙される
    893.. 卒去〔11月16日〕
*宇多天皇の年齢等から、仁寿三年(853)従四位下に叙されたのは別人かと思われます。

更衣:源 貞子.. 生没年不詳
<号:小八条御息所>
父:大納言 源昇
[夫との血縁関係]:再従兄(6親等)・・・父昇の父、融の兄、仁明帝の孫
    8??.. 従五位上に叙せられる
    895.. 依子内親王を生む
  • 所生の皇子女
    895〜936.. 依子内親王
*嵯峨源氏。源融の孫女。小八条御息所と呼ばれ、『後撰集』に一首が入集。

更衣:徳姫女王.. 生没年不詳
父:参議 十世王
[夫との血縁関係]:従兄(4親等)・・・父十世の姉妹、班子の子
    892.. 更衣となる(12月)
  • 所生の皇子女
    ? 〜958.. 孚子内親王
*十世王女、孚子内親王の母は、892年に更衣となった徳姫女王と同一人かと考えられています。

更衣:藤原 保子.. 生没年不詳
父:参議 藤原有実
    894.. この頃、誨子内親王を生む
  • 所生の皇子女
    ? 〜952.. 誨子内親王(元良親王室)
    ? 〜979.. 季子内親王
*藤原有実女、誨子内親王らの母は、『日本高僧伝要文抄』『寺門伝記補録』に見える更衣・藤原保子と同一人かと考えられています。

更衣:源 久子.. 生没年不詳
    892.. 更衣となる(12月)

更衣:藤原 静子.. 生没年不詳
    892.. 更衣となる(12月)

宮人:藤原 褒子.. 生没年不詳
<号:京極御息所・富小路御息所・六条御息所>
父:左大臣 藤原時平
(兄弟)中納言 敦忠・(妹)保明親王妃 仁善子
[夫との血縁関係]:父の再従兄(7親等)・・・父時平の母の父、人康の兄、光孝帝の孫
    909.. 父・時平没
    919.. この頃、宇多法皇(53才)に入侍か
    920.. 雅明親王を生む(4月)
    921.. 宇多法皇の春日大社行幸に供奉する(3月)
    .... 亭子院において「京極御息所歌合」を催す(5月)
    924.. 従二位に叙せられる(3月1日)
    926.. 宇多法皇の六十の賀算を行う(9月)
    931.. 宇多法皇(65才)崩御(7月19日)、七七忌の法要を仁和寺にて行う(9月8日)
  • 所生の皇子女
    920〜929.. 雅明親王
    ?〜?.. 載明親王
    926〜948.. 行明親王
*宇多天皇が法皇となってからの妃。多いに寵厚される。3人の皇子は宇多法皇の出家後の誕生のため、表向きは醍醐天皇の子とされました。 父の時平が宇多天皇より4才年下であるため、宇多天皇との年齢差は親子以上だったでしょう。
法皇の御息所ながらに盛んな宮廷だったようで、921年亭子院において「京極御息所歌合」を催す。女房に歌人の一条君がおり、褒子の歌も『後撰集』に一首入集。
陽成天皇皇子・元良親王よりの恋歌が残ります。

宮人:(伊勢).. 生没年不詳
<別号:伊勢の御(源氏物語・新撰髄脳),伊勢の御息所(拾遺和歌集)>
父:大和守 藤原継蔭
    875.. この頃、誕生
    890.. この頃、宇多天皇女御・温子の女房となる
    896.. この頃、皇子を生む
    897.. 宇多天皇退位、醍醐天皇即位,温子、皇太夫人となる
    907.. 温子(36才)崩御、この後は均子内親王に出仕
    910.. 均子内親王(21才)没
    912.. この頃、敦慶親王との間に王女(中務)を生む
    930.. 敦慶親王(44才)没
    931.. 宇多法皇(65才)没
    938.. 勤子内親王の薨去に際し、哀悼歌を詠む
  • 所生の皇子女
    (父:宇多天皇)
    .. 皇子(夭折)
    (父:敦慶親王)
    .. 王女(号:中務)
*歌人として著名。宇多天皇の女御、のちの皇太夫人・温子に仕える。伊勢は女房名で、父が前伊勢守であったことから伊勢と呼ばれました。
温子に仕える内に宇多天皇の寵を蒙り、皇子を生みましたが、幼くして夭折しました。 温子死去の後は、温子所生の皇女・均子内親王に仕え、均子内親王が敦慶親王の妃となったため、ともに敦慶親王の邸に移る。 しかし均子内親王も21才で早世。その後、伊勢は敦慶親王との間に一女(中務)をもうけましたが、敦慶親王も44才で没しました。
和歌・書・筝を能くする当代一の才媛で、公卿文人間に広い交流をもちました。三十六歌仙の一人であり、『古今集』ほか勅撰集に180首が入集。家集に『伊勢集』があります。
勤子内親王薨去に際し「女四宮へとぶらひ聞ゆとて」の哀悼歌を詠んだのちは、動向不詳。