文彦太子(保明親王・醍醐天皇皇太子)妃

東宮妃:藤原 仁善子.. ? 〜950
<号:本院御息所>
父:左大臣 藤原時平
母:廉子女王か?
(兄弟)中納言 敦忠・(姉)宇多天皇宮人 褒子
[夫との血縁関係]:従姉妹(4親等)・・・父時平の妹、穏子の子
    909.. 父・時平没
    916.. 東宮保明親王(14才)に入侍(10月)
    921.. 慶頼王を生む
    923.. 保明親王(21才)没,慶頼王立太子
    925.. 慶頼王(5才)没
    930.. 醍醐天皇没、朱雀天皇即位
    937.. 娘・煕子女王、朱雀天皇に入内し女御宣下
    945.. 卒去〔12月20日〕
  • 所生の皇子女
    921〜925.. 慶頼王
    ? 〜950.. 煕子女王(朱雀天皇女御
*左大臣時平の娘。本院大臣と称される父にちなみ、本院御息所と呼ばれました。正五位下。
早くに父を失うも、保明親王の母・穏子の強い推挙によって東宮元服の夜に入内。慶頼王・煕子女王を生みました。 しかし、保明親王は21才で早世。続いて東宮となった所生の慶頼王も2年後に没しました。 娘の煕子女王はのちに朱雀天皇に入内。
なお『尊卑分脈』では時平の娘のなかに「仁善子」はおらず、醍醐天皇の女御の定方の娘を「仁善子」とする。この女御を「仁善子」と記すのは『日本紀略』『一代要記』であり、 他方『本朝世紀』『九条殿記』は時平の娘を「仁善子」とする。後者の方が妥当かとされる。

東宮妃:藤原 貴子..904〜962
<号:中将御息所・東宮御息所・小一条内侍>
父:関白太政大臣 藤原忠平
(兄弟)関白 実頼・右大臣 師輔
[夫との血縁関係]:従兄(4親等)・・・父忠平の妹、穏子の子
    918(15才) 東宮保明親王(16才)に入侍(4月)
    923(20才) 保明親王(21才)没
    930(27才) 醍醐天皇没、朱雀天皇即位,父・忠平、摂政となる
    931(28才) 御匣殿別当となり、飛香舎に移る(4月)
    938(35才) 尚侍に任官(11月14日)、従三位に叙される(12月)
    945(42才) 正三位に昇叙(1月)
    946(43才) 村上天皇即位
    949(46才) 法性寺尊勝堂において父・忠平の七十の算を祝う(3月)
    ....... 邸の政所屋が焼亡(10月)
    951(48才) 従二位に昇叙(1月)
    962(59才) 薨去〔10月18日〕、従一位を追贈
*関白忠平の長女。中将御息所・東宮御息所と称されました。
15才で1才年上の東宮・保明親王の妃となりました。
保明親王の薨後、御匣殿別当となり、931年に内裏の飛香舎に入る。938年、尚侍となり、任官の折は父・忠平の邸から壮大な行列を組んで慶賀を奏しました。父の小一条邸を里邸とし、小一条内侍と称されます。
59才で薨去。貞節篤孝により従一位を追贈。別に絹一〇〇疋、布二〇〇端を贈られました。