陽成天皇后妃

宮人:こうし..生没年不詳
<好子(編年記)、姉子(尊卑分脈・皇胤紹運録)>
    884.. 陽成天皇退位、光孝天皇即位
    887.. 宇多天皇即位
    897.. 醍醐天皇即位,即位式に際し帳を掲げる役を務め、従四位下に叙位
    901.. 元長親王を生む
    924.. 正四位下より従三位に昇叙する(1月)
  • 所生の皇子女
    901〜976.. 元長親王
    ? 〜964.. 元利親王
    ? 〜914.. 長子内親王
    ? 〜930.. 儼子内親王
*多くの皇子女を生む。924年、正四位下より従三位に叙されましたが、これは陽成上皇は自らの年爵である男女爵を停止しての措置でした。

宮人:綏子内親王.. ? 〜925
<号:釣殿宮>
父:光孝天皇
母:班子女王
(同母兄)宇多天皇
[夫との血縁関係]:従兄の子(5親等)・・・父光孝帝の兄、文徳帝の孫
    884.. 陽成天皇退位、父・光孝天皇即位,源朝臣姓を賜り臣籍に下る(4月13日)
    .... この頃、陽成上皇に入侍するか
    887.. 光孝天皇没、兄・宇多天皇即位
    891.. 王籍に復し、内親王宣下、三品に叙される(12月)
    892.. 姉妹とともに母・班子女王の功徳を修す(12月)
    897.. 醍醐天皇即位
    900.. 母・班子女王没
    907.. 陽成上皇の四十賀に際し、仏像・経典を用意する
    925.. 出家(3月)、薨去〔4月2日〕
*光孝天皇の皇女。班子女王の所生の第三女。宇多天皇の同母姉妹。
父の即位後、上皇となった陽成院の宮に入ったものと思われます。邸内の釣殿に住まい、釣殿宮と称されました。
陽成院の詠歌、「筑波嶺の峰より落つるみなの川 恋ぞ積もりて淵となりぬる」(小倉百人一首)は、釣殿宮に贈ったものと伝えられています。

宮人:(藤原遠長の女)..生没年不詳
父:藤原遠長(藤原連永の誤りか)
    884.. 陽成天皇退位、光孝天皇即位
    890.. 元良親王を生む
  • 所生の皇子女
    890〜943.. 元良親王
    ? 〜958.. 元平親王

宮人:(紀氏)..生没年不詳
<号:紀君>
    884.. 陽成天皇退位,皇子・清蔭を生む
  • 所生の皇子女
    884〜950.. [源]清蔭
*紀氏であり、紀君と称されました。

宮人:(伴氏)..生没年不詳
<号:若狭御>
父:伴保平か
  • 所生の皇子女
    ? 〜936.. [源]清鑒
*清鑒の母は綏子内親王に仕え、若狭御と呼ばれる。

宮人:(佐伯氏)..生没年不詳
  • 所生の皇子女
    ? 〜912.. [源]清遠