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皇后:正子内親王..810〜879 .<法名:良祚> 父:嵯峨天皇 母:皇后 橘嘉智子(橘清友の女) (同母兄弟)仁明天皇 [夫との血縁関係]:叔父(3親等)・・・父嵯峨帝の弟
827(18才) 皇后に冊立(2月) 828(19才) 雲林邸に行啓し農事を視察、田植の男女に録を賜う(3月) 833(24才) 淳和天皇退位、皇太后となる、恒貞親王立太子 840(31才) 淳和上皇(60才)没、出家する 842(33才) 父・嵯峨天皇没(7月)、承和の変、恒貞親王廃太子(8月) 850(41才) 母・嘉智子没 854(45才) 太皇太后となる 860(51才) 淳和院に大斎会を設け、菩薩戒を受ける(戒師:天台座主円仁)(5月) 868(59才) 嵯峨旧宮を寺に改め、大覚寺とする 879(70才) 崩御〔3月23日〕 (遺令により嵯峨山中に薄葬)
.嵯峨天皇の皇女。母は皇后橘嘉智子。仁明天皇の同母姉妹。入内の時期は分かっていませんが、825年16才で恒貞親王を生み、2年後、18才で淳和天皇の皇后に立てられました。恒貞・恒統・基貞の三皇子を生む。 .所生の恒貞親王は、仁明天皇の皇太子に立てられましたが、嵯峨上皇の崩後間もなく、東宮坊の舎人らの陰謀事件に連座したとして太子を廃されました(承和の変)。その後、文徳天皇の即位の際、皇太后正子を太皇太后に上げようとしたが固辞して受けなかったと伝わりますが、結局のところは太皇太后の尊称が与えられたようで太皇太后と称されます。 .慈仁の心篤く、京中の棄児や孤児を集めて乳母を給い、その養育費に封戸の五分の二をあてたという。 また嵯峨旧宮を改めて大覚寺とし、そこに済治院を建て僧尼の病を療治させました。 さらに淳和院を道場として平生近侍の尼たちを永く安置居住させるなどしました。
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贈皇后:高志内親王【こし】..789〜809 父:桓武天皇 母:皇后 藤原乙牟漏(内大臣 藤原良継の女) (同母兄)平城天皇・嵯峨天皇 [夫との血縁関係]:異母兄(2親等)・・・父桓武帝の子
801(13才) 加笄の儀を行う(11月)、この頃大伴親王(淳和天皇・16才)と結婚か 804(16才) 桓武天皇、高志内親王の房に臨んで曲宴を催す、三品に叙位(1月5日) 806(18才) 王子・恒世を生む(2月),父・桓武天皇没(3月) 809(21才) 薨去〔5月7日〕、のち一品を追贈 823 .. 淳和天皇即位、皇后を追贈
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尚蔵:緒継女王【おつぐ】..787〜849
....... この頃、東宮大伴親王(淳和天皇・29才)に入侍か 823(37才) 淳和天皇即位,この頃、尚蔵に任官か 833(47才) 淳和天皇退位 840(54才) 淳和上皇(60才)没 847(61才) 薨去〔11月7日〕、ときに従二位
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女御:永原 原姫【もとひめ】.. 生没年不詳 .<号:亭子女御・永原女御・永原媛・永原御息所>
873.. 広隆寺に金色阿弥陀仏像・観世音菩薩像を寄進する
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女御:橘 氏子【うじこ】.. 生没年不詳 父:右兵衛督 橘永名
863.. 従四位上に叙される(1月) |
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宮人:大中臣 安子.. 生没年不詳 父:神祇伯 大中臣淵魚
855.. 従五位上に叙される(1月)
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宮人:大野 鷹子.. 生没年不詳 父:左近衛中将 大野真雄
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宮人:橘 船子.. 生没年不詳 父:従四位上 橘浄野
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宮人: 池子..生没年不詳父:大和守 丹"土犀" 門成
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宮人:清原 春子.. 生没年不詳 父:右大臣 清原夏野 母:葛井庭子か?
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更衣:藤原 潔子.. 生没年不詳 父:大和守 藤原長岡 *従五位上に叙される。
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