後宇多天皇后妃

[尊号の女院]:れいし..1270〜1307
<遊義門院>
父:後深草天皇
母:中宮 西園寺 公子(西園寺公相の女・東二条院)
[夫との血縁関係]:従兄(4親等)・・・父後深草帝の弟、亀山帝の子
    1270(1才) 誕生〔9月19日〕
    1271(2才) 内親王宣下
    1274(5才) 後宇多天皇(8才)即位
    1285(16才) 邦治親王(後二条天皇)の准母となり、皇后宮に冊立(8月)
    1287(18才) 後宇多天皇退位、異母兄・伏見天皇即位
    1291(22才) 女院(遊義門院)となる(8月)
    1294(25才) 後宇多上皇(28才)の仙洞御所に入る(6月)
    1298(29才) 後伏見天皇即位
    1301(32才) 後二条天皇即位
    1304(35才) 母・公子没(1月)、父・後深草上皇没(7月)
    1307(38才) 崩御〔7月24日〕
    (嵯峨の今林陵に葬られる・蓮華峯寺に分骨し、後宇多天皇らと合葬される)
宮廷での女官:冷泉為子(遊義門院権大納言、歌人・後醍醐天皇宮人)

*未婚の頃、後宇多天皇の第一皇子邦治親王(後二条天皇)の准母となり、皇后宮の尊称を受け、女院号を与えらました。その後、25才の時はじめて宇多上皇のの仙洞御所に入る。後宇多上皇の寵厚く、上皇は彼女の死を契機に出家したといわれます。

[女院]:源(堀河) 基子..1269〜1355
<西華門院、 号:東御方・二条局、法名:清浄法>
父:堀河具守
母:(平親継の女)
(養父)太政大臣久我基具(祖父)
    1284(16才) この頃、後宇多天皇(18才)に入侍か
    1285(17才) 邦治親王(後二条天皇)を生む
    1287(19才) 後宇多天皇退位、伏見天皇即位
    1298(30才) 邦治親王、後伏見天皇の皇太子となる
    1301(33才) 後二条天皇即位
    1308(40才) 後二条天皇(24才)没、出家(8月)、従三位に叙位(11月)
    ........准三后、女院(西華門院)となる(12月)
    1324(56才) 後宇多上皇(58才)没
    1326(58才) 孫の皇太子・邦良親王(27才)没
    1333(65才) 鎌倉幕府滅亡
    1336(68才) 室町幕府成立
    1355(87才) 崩御〔8月26日〕
  • 所生の皇子女
    1285〜1308.. 邦治(後二条天皇;在位1301〜1308)
*祖父である太政大臣基具の養女となりました。はじめ新陽明門院位子に仕えて東御方と称し、のち後宇多天皇の後宮に入り二条局と称しました。

[女院]:瑞子女王..1272〜1329
<永嘉門院、 法名:妙法智>
父:征夷大将軍中務卿 宗尊親王(鎌倉6代将軍)
母:(堀河具教の女)
[夫との血縁関係]:従兄(4親等)・・・父宗尊の弟、亀山帝の子
    1274(3才) 父・宗尊親王没
    1302(31才) 准三后、女院(永嘉門院)となる
    1324(53才) 後宇多上皇(58才)没、出家する
    1326(55才) 邦良親王(27才)没
    1329(58才) 崩御〔8月29日〕
(養子)邦良親王(後二条天皇皇子、後醍醐天皇皇太子)

*叔父である亀山天皇に養育され、後宇多天皇の後宮に入る。後宇多天皇の猶子となるも、叙品・内親王宣下はなく、准三后の宣下ののち女院となりました。 後醍醐天皇皇太子・邦良親王の養母。

[女院]:藤原(五辻) 忠子..1268〜1319
<談天門院、 号:中納言典侍、法名:蓮華智>
父:参議 五辻忠継
母:(蔵人頭皇后宮亮 平高輔の女・帥局)
    1285(18才) この頃、後宇多天皇(19才)に入侍か
    1286(19才) 長女・弉子内親王を生む
    1287(20才) 後宇多天皇退位
    1288(21才) 尊治親王(後醍醐天皇)を生む
    1298(31才) 従三位に叙される(7月)
    1301(33才) 准三后(7月)
    1303(35才) 出家(これ以前、後宇多上皇のもとを去り、亀山上皇の後宮に入る)
    1305(37才) 亀山上皇没
    1308(40才) 尊治親王、花園天皇の皇太子となる
    1318(51才) 後醍醐天皇即位(2月)、女院(談天門院)となる(4月)
    1319(52才) 崩御〔11月15日〕
  • 所生の皇子女
    1286〜1348.. 弉子内親王(皇后宮・達智門院,斎宮;在任1306〜1308)
    1288〜1339.. 尊治(後醍醐天皇;在位1318〜1339)
    1292〜1347.. 性円法親王
    1294〜 ? .. 承覚法親王
*のちに後宇多上皇の元を去って、亀山上皇の後宮に入ったといわれる。歌を能くし、『続千載集』に八首入集。

准三后:倫子女王..1265〜 ?
父:征夷大将軍中務卿 宗尊親王(鎌倉6代将軍)
母:近衛宰子(太政大臣近衛兼経の女)
[夫との血縁関係]:従兄(4親等)・・・父宗尊の弟、亀山帝の子
    1265(1才) 鎌倉にて誕生〔9月21日〕
    1266(2才) 父・宗尊親王、将軍職を廃され、ともに京に赴く(7月)
    1274(10才) 後宇多天皇(8才)即位,父宗尊親王没
    1300(36才) この頃、皇女(崇明門院)を生むか
*父は征夷大将軍宗尊親王。鎌倉で生まれましたが、父の将軍廃立に伴い、京に赴く。
はじめ亀山上皇の後宮に侍しましたが、のち後宇多天皇の後宮に入り、内親王を生みました。のちに准三后。