亀山天皇后妃

皇后宮:藤原(洞院) 佶子..1245〜1272
<京極院>
父:左大臣 洞院実雄
母:藤原 栄子(法印 公審の女)
(異母妹)玄輝門院・顕親門院
[夫との血縁関係]:従姉の子(5親等)・・父実雄の兄、実氏の娘、大宮院の子
    1260(16才) 亀山天皇(12才)の大嘗祭の女御代を務める(10月)
    ........亀山天皇に入内、従三位、女御宣下(12月)
    1261(17才) 中宮に冊立(2月)、皇后宮となる(8月)
    1272(28才) 崩御〔8月9日〕、同日女院号(京極院)を追贈
    (蓮華峯院陵に葬られる、のち後宇多天皇らと合葬)
  • 所生の皇子女
    1262〜1264.. "目見"子内親王
    1265〜1267.. 知仁親王
    1267〜1324.. 世仁(後宇多天皇;在位1274〜1287)
*左大臣洞院実雄の長女。
16才で亀山天皇に入内。翌年中宮に冊立され、新たに藤原嬉子が立后したため皇后宮となりました。
28才で崩御。同日院号を宣下され、京極院と号しました。

中宮:藤原(西園寺) 嬉子..1252〜1318
<今出川院, 法名:仏性覚>
父:太政大臣 西園寺公相
母:(中原師朝の女・三条局)
(幼少時の養母)大宮院(伯母)
[夫との血縁関係]:従兄(4親等)・・・父公相の姉妹、大宮院の子
    1261(10才) 従三位(4月)、亀山天皇(13才)に入内、女御宣下(6月)
    ........中宮に冊立(8月)
    1267(16才) 父・公相没、この頃より後宮を出て外舎に住む
    1268(17才) 女院(今出川院)となる(6月)
    1274(23才) 亀山天皇退位
    1283(32才) 出家する(8月)
    1305(54才) 亀山上皇(57才)没
    1318(67才) 崩御〔8月10日〕
宮廷での女官:今出川院近衛(歌人)

*太政大臣西園寺公相の女。西園寺実兼の同母妹。
10才で亀山天皇に入内。同年中宮に立てられました。
寵は薄く、16才の時父・公相が没したのち、後宮を出て外舎に住む。翌年院号宣下あり、今出川院と号しました。 32才で出家。67才で崩御。

[女院]:藤原(近衛) 位子..1262〜1296
<新陽明門院, 法名:覚証>
父:関白左大臣 近衛基平
母:(右近衛少将 久我通能の女)
    1274(13才) 亀山上皇(36才)に入侍(6月28日)
    1275(14才) 従三位に叙される、女御宣下、准三后(2月)
    ........女院(新陽明門院)となる(3月28日)
    1290(29才) 出家する(4月)
    1296(35才) 崩御〔1月22日〕
  • 所生の皇子女
    1276〜1278.. 啓仁親王
    1279〜1280.. 継仁親王
*関白近衛基平の女。
13才で亀山上皇の後宮に入り、翌年2月女御の宣下を受け、従三位、准三后となる。3月女院号を賜り、新陽明門院と号しました。啓仁・継仁親王を生みましたが、ともに夭折。
29才で出家。35才で崩じました。

[女院]:藤原(西園寺) 瑛子..1273〜1336
<昭訓門院、 法名:真性覚>
父:太政大臣 西園寺実兼
母:中院 顕子(内大臣 中院通成の女)
(同母姉)伏見天皇中宮永福門院・(異母妹)後醍醐天皇中宮禧子
[夫との血縁関係]:父の従兄(5親等)・・・祖父公相の姉妹、大宮院の子
    1301(29才) 亀山上皇(53才)に入侍(1月)、従三位に叙される(3月)
    ........准三后、女院(昭訓門院)となる(3月19日)
    1303(32才) 恒明親王を生む
    1305(33才) 亀山上皇(57才)没(6月)、出家(9月)
    1322(50才) 父・実兼没
    1333(61才) 鎌倉幕府滅亡
    1336(64才) 崩御〔6月26日〕
  • 所生の皇子女
    1303〜1351.. 恒明親王(号:常磐井宮)
宮廷での女官:昭訓門院春日(歌人)

*太政大臣西園寺実兼の二女。
29才で53才の亀山上皇の仙洞御所に入侍し、従三位、准三后、さらに院号宣下あって昭訓門院と号しました。 所生の恒明親王は亀山天皇の晩年の鍾愛を受け、一時大覚寺統の後嗣に目されたこともありました。
亀山上皇の死没に伴い出家し、64才で崩御。

宮人:藤原(洞院) ばいし.. 生没年不詳
<号:中の君>
父:左大臣 洞院実雄
母:(賀茂神社神主 賀茂能直の女・但馬局)
(異母姉)京極院・玄輝門院
[夫との血縁関係]:従姉の子(5親等)・・父実雄の兄、実氏の娘、大宮院の子
    1272.. 姉・佶子没、この後、亀山天皇の後宮に召される
    1274.. 理子内親王を生む
  • 所生の皇子女
    1274?〜1282.. 理子内親王
*左大臣洞院実雄の二女。皇后宮佶子(京極院)の異母妹。同母妹に顕親門院季子(花園天皇母)がいます。中の君と称される。 姉・佶子の没後、亀山天皇の後宮に入りました。佶子の死を歎いた天皇が妹を望んでのことでしたが、寵愛は深くなかったという。理子内親王を生む。
理子内親王は大宮院に養育されましたが、1282年に8才ほどで死去。中の君もそれ以前に没しています。

宮人:藤原 寿子.. 生没年不詳
<号:讃岐局・讃岐二位・花園三位・京極局>
父:大膳大夫 藤原景房
代父:太政大臣 西園寺公相
  • 所生の皇子女
    叡雲入道親王[定良親王]
*大膳大夫従四位下藤原景房の女。はじめ亀山天皇の母・大宮院に侍して讃岐と称し、天皇に召されました。 景房が太政大臣公相の家臣であったため、公相の養女とされ従三位、のち従二位に叙されました。 讃岐二位、花園三位、京極局と称されました。

典侍:藤原(法性寺) 雅子.. 生没年不詳
<号:中納言典侍>
父:法性寺雅平
母:(藤原光氏の女)
    1270.. 憙子内親王を生む
  • 所生の皇子女
    1270〜1324.. 憙子内親王(昭慶門院
*従三位に叙される。