允恭天皇后妃

 
皇后:忍坂大中姫命【おしさかのおおなかつひめ】
<忍坂之大中津比売命(古事記)、践坂大中比弥王(上宮記)>
父:稚渟毛二岐皇子
母:百師木伊呂弁(咋俣長日子王の女)[古事記]
[夫との血縁関係]:従兄弟(4親等)・・・父稚渟毛二岐の兄弟、仁徳帝の子
    允恭元年..夫の雄朝津間稚子宿禰皇子に自ら洗手の水を捧げ即位を促す
    ....... 水が凍りて死にかかり、皇子即位を承諾する(12月)
    允恭二年..皇后となる(2月14日)、忍坂大中姫のために刑部が定められる
    允恭七年..宴の舞の礼言により、妹の弟姫を允恭天皇に奉ることになる
    ....... 大泊瀬皇子の出産時、天皇が弟姫の宮に向かったため怒り産殿を焼く
    允恭二十三年..木梨軽皇子、皇太子となる、同母妹軽大娘皇女に通ず
    允恭二十四年..軽大娘皇女、伊予に流される
    允恭四十二年..允恭天皇没(1月)、木梨軽皇子、穴穂皇子に討たれる(10月)
    .......... 皇太后となる(12月14日)
    雄略二年..雄略天皇に膳臣長野・菟田御戸部・真鋒田高矢を宍戸部として献ずる
  • 所生の皇子女
    木梨軽皇子(允恭天皇皇太子),名形大娘皇女,境黒彦皇子,穴穂(安康天皇),軽大娘皇女,八釣白彦皇子,大泊瀬稚武(雄略天皇),但馬橘大娘皇女,酒見皇女

妃:弟姫【おとひめ】
<衣通郎姫,藤原之琴節郎女(古事記)、布遅波良己等布斯郎女(上宮記)>
父:稚渟毛二岐皇子
母:百師木伊呂弁(咋俣長日子王の女)[古事記]
[夫との血縁関係]:従兄弟(4親等)・・・父稚渟毛二岐の兄弟、仁徳帝の子
    允恭七年..允恭天皇の妃となる、姉・忍坂大中姫を憚り藤原に宮を構える
    允恭八年..天皇、藤原宮に行幸(3月)
    ....... 姉・忍坂大中姫を憚り、河内の茅渟に宮を構える
    允恭九年..天皇、茅渟宮に行幸(2月)、茅渟宮に行幸(8月)、茅渟宮に行幸(10月)
    ....... 忍坂大中姫、百姓の負担を理由に天皇の頻繁な行幸を諌める
    允恭十一年..天皇、茅渟宮に行幸(3月)
*皇后の同母妹。容姿に優れ、衣を通して肌の色が輝いたので衣通郎姫(そとおしのいらつめ)と呼ばれました。藤原宮に居た折、名代として藤原部を賜りました。