垂仁天皇后妃

皇后:狭穂姫【さほひめ】
<沙本毘売・佐波遅比売(古事記)>
父:彦坐王
母:沙本之大闇見戸売(春日建国勝戸売の女)[古事記]
(兄)狭穂彦王
[夫との血縁関係]:従兄弟(4親等)…父彦坐王の兄弟、崇神帝の子
    垂仁元年..皇后に冊立(2月9日)
    垂仁四年..兄・狭穂彦王、謀反の計画を語る
    垂仁五年..垂仁天皇を刺し殺そうとするも、未遂
    ........兄・狭穂彦王とともに稲城に入り、ともに薨去〔10月〕
  • 所生の皇子女
    誉津別命
*佐保を本拠とした狭穂彦王の妹。
 兄の狭穂彦王が謀反をはかり、姫に匕首を与えて天皇を殺すように指示しました。行幸中の高宮で、狭穂姫の膝を枕に天皇が昼寝をした時、姫は天皇を刺そうとしたが果たせずに、思わず涙を天皇の顔に落としました。 起きた天皇に問われて兄の謀反を告白してしまい、天皇は上毛野君の遠祖八綱田に命じて狭穂彦を討たせました。 狭穂彦は稲を積んだ城(稲城)に入って抵抗し、姫は皇子誉津別命を抱いて稲城に入りました。 天皇は皇后と皇子を城から出すように命じたが従わなかったため、八綱田は城に火を放ちました。 そこで姫は皇子を抱いて城を出て、丹波道主王の娘たちを後宮に召すように進言し、皇子を渡すと再び城に入り、狭穂彦とともに焼け死んだという。
 『古事記』では、狭穂姫は稲城の中で皇子を生みました。燃える城で生まれたので、本牟智和気(ほむちわけ,火内別の意か)と姫が名付けたという。

皇后:日葉酢媛命【ひはすひめ】
<日葉酢根命、比婆須比売命・氷葉州比売命(古事記)>
父:丹波道主王
母:丹波之河上之摩須郎女[古事記]
[夫との血縁関係〕:父の従兄弟(5親等)…父丹波道主王の父、彦坐王の兄弟、崇神帝の子
    垂仁十五年..垂仁天皇の宮廷に入る(2月)、皇后に冊立(8月1日)
    垂仁三十二年..薨去〔7月6日〕
    (狭木之寺間陵に葬られる、墓に埴輪が用いられる)
  • 所生の皇子女
    五十瓊敷入彦命(石上斎宮),大足彦尊(景行天皇),大中姫命(石上斎宮),倭姫命(伊勢斎宮),稚城瓊入彦命
*丹波道主王の長女。渟葉田瓊入媛らの姉。
 先の皇后、狭穂姫の奏請により丹波より五人(または四人)の媛が天皇の宮に入り、日葉酢媛命はその長女として皇后となりました。景行天皇、倭姫命など三男二女を生みました。
 垂仁天皇に先立って没しましたが、その際、殉死が禁じられ、野見宿禰の意見に従って埴輪が用いられたという。埴輪の起源説話である。

妃:渟葉田瓊入媛【ぬはたにいりひめ】
<沼羽田入毘売命(古事記)>
父:丹波道主王
母:丹波之河上之摩須郎女[古事記]
[夫との血縁関係]:父の従兄弟(5親等)…父丹波道主王の父、彦坐王の兄弟、崇神帝の子
    垂仁十五年..垂仁天皇の宮廷に入る(2月)、妃となる(8月)
  • 所生の皇子女
    鐸石別命,膽香足姫命
*丹波道主王の次女。膽香足姫命は、古事記には伊賀帯日子命に当たるとされ、皇子となっています。

妃:薊瓊入媛【あざみにいりひめ】
<阿邪美能伊理毘売命(古事記)>
父:丹波道主王
[夫との血縁関係]:父の従兄弟(5親等)…父丹波道主王の父、彦坐王の兄弟、崇神帝の子
    垂仁十五年..垂仁天皇の宮廷に入る(2月)、妃となる(8月)
  • 所生の皇子女
    池速別命,稚浅津姫命
*丹波道主王の四女。古事記では、後宮に迎えられた四人の中に見えない。

妃:真砥野媛【まとのひめ】
<円野比売命(古事記)>
父:丹波道主王
[夫との血縁関係]:父の従兄弟(5親等)…父丹波道主王の父、彦坐王の兄弟、崇神帝の子
    垂仁十五年..垂仁天皇の宮廷に入る(2月)、妃となる(8月)
*丹波道主王の三女。垂仁十五年2月姉妹とともに垂仁天皇の後宮に入り、8月に日葉酢媛命を立てて皇后とし、また「皇后の弟三人の女を以って妃としたまふ」とあり、真砥野媛も妃となったようですが、子女は記載されていません。
 『古事記』では、円野比売(まどのひめ)は歌凝比売とともに故郷に返され、恥じて山代国相楽で縊死しようとしたが果たせず、弟国(山城国乙訓)の淵に落ちて死没しました。
 なお、『先代旧事本紀』では磐樟別、稲別命を生んだことになっています。

宮人:竹野媛【たかのひめ】
父:丹波道主王
    垂仁十五年..垂仁天皇の宮廷に入る(2月)、
    ........故郷に返され、途中の葛野で自ら輿から落ちて死す(8月)
*丹波道主王の五女。容貌が醜いため故郷に返され、それを恥じて山城国葛野の辺りにおいて自ら輿から落ち、死没しました。
 『古事記』では丹波道主王の四女は日葉州比売命・沼羽田入毘売命・歌凝比売・円野比売とあります。
 その内故郷に帰されたのは歌凝比売と円野比売で、円野比売が弟国(山城国乙訓郡)において、淵に落ちて死んだといいます。

妃:綺戸辺【かんはたとべ】
<弟苅羽田刀弁(古事記)>
父:山背の大国不遅
    垂仁三十四年..垂仁天皇が山背に行幸した時に召される(3月)
  • 所生の皇子女
    磐衝別命
*古事記では妃・苅羽田刀弁の妹。石衝別王・石衝毘売命を生んだとしています。

妃:苅幡戸辺【かりはたとべ】
<苅羽田刀弁(古事記)>
父:山背の大国淵(古事記)
  • 所生の皇子女
    祖別命,五十日足彦命, 胆武別命

妃:迦具夜比売命【かぐやひめ】
父:大筒木垂根王
  • 所生の子女
    袁邪弁王

    *日本書紀には見えない妃。