日本武尊(小碓尊・仲哀天皇の父)妃

 
[皇太后]:両道入姫命【ふたぢのいりびめ】
<石衝毘売命、布多遅能伊理毘売命(古事記)>
父:垂仁天皇
母:弟苅羽田刀弁(山代之大国之淵の女)[古事記]
[夫との血縁関係]:甥(3親等)・・・兄弟景行帝の子
    景行四十三年..日本武尊(30才)没
    仲哀元年..皇太后(9月1日)
  • 所生の皇子女
    稲依別王,足仲彦尊(仲哀天皇),布忍入姫命,稚武王
*日本書紀の垂仁天皇の項には該当する皇女なし。
所生の子女のうち、稲依別王は、古事記では意富多牟和気の女・布多遅比売の所生とあり、 布忍入姫命・稚武王は古事記に記載がない。

妃:弟橘媛【おとたちばなひめ】
<弟橘比売命(古事記)>
父:忽山宿禰(穂積氏の祖先)
     景行四十年..上総への海で嵐に遭い、海神を鎮めるため船から身を投ず
  • 所生の皇子女
    稚武彦王
*日本武尊の東征に従い、途中相模から上総へと向かう海上で嵐に遭い、海神の怒りを鎮めるため、自ら身を投じました。 尊が後に、「吾が嬬よ」と嘆じたため東国を「吾妻」と呼ぶといいます。

妃:吉備 穴戸武媛【あなとのたけひめ】
<大吉備建比売(古事記)>
父:吉備武彦
  • 所生の皇子女
    武卵王,十城別王
*古事記では吉備臣建日子の妹、大吉備建比売。 所生の子女のうち、十城別王は古事記に記載がない。

妃:宮簀媛【みやすひめ】
<美夜受比売命(古事記)、宮酢媛>
父:(尾張氏)
    景行四十三年..日本武尊、草薙剣を媛の家に置いたまま伊勢にて死没
*古事記では尾張国造の祖。寛平二年の熱田太神宮縁起には火明命十一代の孫、尾張国造乎止与命の子の稲種公の妹とある。 日本武尊は東征の帰路尾張において、宮簀媛を娶りました。五十葺(伊吹)山に荒ぶる神がいると聞き、草薙剣を媛の家に置いたまま退治に向かったが、神の怒りに触れて病となり、媛の家には向かわず、伊勢にて没した。 媛は尊の死後、草薙剣を斎き祭ったという。熱田神宮の起源説。

妃:山代之玖玖麻毛理比売【やましろくくまもりひめ】
  • 所生の皇子女
    足鏡別王
*日本書紀に記載なし。所生の足鏡別王は、書紀の仲哀紀に登場する天皇の異母弟・蘆髪蒲見別王と同一人物だろうとされます。

妃:布多遅比売【ふたぢひめ】
父:意富多牟和気(淡海の安国造の祖先)
  • 所生の皇子女
    (稲依別王)
*日本書紀に記載なし。所生の稲依別王は、書紀では両道入姫命の所生とされる。