雄略天皇后妃

 
皇后:草香幡梭姫皇女【くさかのはたびひめ】
<橘姫皇女・幡梭皇女、波多毘能若郎女・長日比売命・若日下部王(古事記)>
父:仁徳天皇
母:日向髪長媛(諸県君牛諸井の女)
(同母兄)大草香皇子
[夫との血縁関係]:甥(3親等)・・・兄弟允恭帝の子
    安康元年..兄大草香皇子、讒言により討たれる、大泊瀬皇子(雄略天皇)の妃となる
    雄略元年..皇后となる(3月3日)
    雄略十四年..大草香皇子への根使主の讒言が発覚し、根使主討たれる
    ......... 根使主の子孫の半分を、草香幡梭姫のために大草香部とする

[皇太夫人]:葛城 韓媛【からひめ】
<韓比売(古事記)>
父:大臣 葛城円
    安康三年..父・葛城円大臣、眉輪王らをかくまい、討たれる
    雄略元年..雄略天皇の妃となる
    雄略三年..斎宮・稚足姫皇女、不貞を疑われ、神鏡を埋めて自刃す
    清寧元年..清寧天皇即位、皇太夫人に冊立
  • 所生の皇子女
    白髪(清寧天皇),稚足姫皇女(伊勢斎宮)
*葛城円大臣の女。
 日本書紀では、父・葛城円大臣が眉輪王らの助命を求め、韓媛と葛城宅七区を献じたが許されなかったとある。古事記では、事件以前に婚約がなされており、韓媛と屯宅を無条件で献じている。

妃:吉備 稚媛 【わかひめ】
父:(吉備上道臣氏)
    雄略七年..夫・吉備上道臣田狭、任那に赴く,雄略天皇に召される
    雄略二十三年..雄略天皇没,星川稚宮皇子に皇太子への謀反を薦める
    ...........星川稚宮皇子・兄君らと共に反乱し、大蔵にて焼死
  • 所生の子女
    (父:吉備上道臣田狭) 兄君,弟君
    (父:雄略天皇) 磐城皇子,星川稚宮皇子
*書紀の異説に吉備窪屋臣の女。または、葛城玉田宿禰の女、名を毛媛。
 はじめ同族の吉備上道臣田狭の妻。田狭が妻を自慢する言葉を雄略帝が耳にし、夫田狭を任那に遣わして、その間に稚媛を召しました。もしくは田狭を殺して召したという。
 雄略帝死後、子の星川稚宮皇子・兄君とともに反乱を起こし、皇太子(清寧天皇)側の軍により占拠した大蔵の官を焼かれ焼死しました。

妃:和珥 童女君【おみなぎみ】
父:春日和珥臣 深目 *はじめ采女だったという。一夜召したところ妊娠し、雄略帝は疑って生まれた娘を認知しませんでした。
 娘・春日大娘が歩くようになったころ、側近の物部目連が、天皇に良く似ている、一晩に七回も召して疑うのはよくない等々進言し、雄略帝は童女君を妃に、娘を皇女としました。