殷富門院

亮子内親王1147〜1216
<安徳・後鳥羽天皇准母・皇后宮、法名:真如観>
父:後白河天皇
母:藤原成子(権大納言 藤原季成の女・高倉三位局)
(同母弟)以仁王・(同母妹)式子内親王・(異母兄)二条天皇・(異母弟)高倉天皇
    1155(9才) 父・後白河天皇即位
    1156(10才) 内親王宣下、斎宮卜定(4月)、保元の乱(7月)、野宮に入る(9月)
    1157(11才) 父・後白河天皇退位、斎宮退下(8月)、二条天皇即位
    1159(13才) 平治の乱
    1165(19才) 二条天皇没、六条天皇即位
    1168(22才) 六条天皇退位、高倉天皇即位
    1177(31才) 母・成子没
    1180(34才) 高倉天皇退位、安徳天皇即位、同母弟以仁王、乱を起こし敗死
    1182(36才) 皇后宮に冊立(安徳天皇准母として)
    1183(37才) 法住寺合戦、上西門院らと伴に頌子内親王の五辻第に避難
    ........平氏西下、後鳥羽天皇践祚、後鳥羽天皇の准母となる
    1187(41才) 女院(殷富門院)となる
    1192(46才) 鎌倉幕府成立、父・後白河法皇没、出家する
    1198(52才) 後鳥羽天皇退位、土御門天皇即位
    1210(64才) 土御門天皇退位、順徳天皇即位
    1216(70才) 崩御〔4月2日〕
    (法金剛院東新御堂に葬られる)
(養子)安徳天皇・後鳥羽天皇

宮廷での女官:殷富門院大輔(歌人)

*後白河天皇の第一皇女。
母は高倉三位局藤原成子で、同母弟妹に平氏政権に対し乱を起こした以仁王・歌人として著名な式子内親王らがいます。 9才の時、父の後白河天皇が即位。翌年内親王宣下を受け、同日斎宮に卜定される。伊勢に群行せぬまま父・天皇の退位により退下。
36才で、異母弟高倉天皇の子である安徳天皇の准母となり、皇后宮に立てられました。さらに後鳥羽天皇の准母となり、ついで女院となりました。
父・後白河法皇の死没により、出家。70才で崩じました。