二条太皇太后

令子内親王1078〜1144
<鳥羽天皇准母・皇后宮、号:二条太皇太后・二条大宮>
父:白河天皇
母:中宮 藤原賢子(右大臣源顕房の女・関白師実の養女)
(同母弟)堀河天皇・(同母姉)郁芳門院・(養母)源麗子(藤原師実室)
    1078(1才) 誕生〔5月18日〕
    1079(2才) 内親王宣下
    1080(3才) 別封五〇〇戸を賜わる
    1084(7才) 母賢子没(9月)、准三宮(11月)
    1086(9才) 父白河天皇退位、弟・堀河天皇即位
    1089(12才) 斎院に卜定される
    1096(19才) 歌合を主催
    1099(22才) 病により斎院退下
    1106(29才) 新造二条院に移る
    1107(30才) 甥・鳥羽天皇即位、皇后宮に冊立(鳥羽天皇の准母として)
    1123(44才) 鳥羽天皇退位、崇徳天皇即位
    1129(52才) 父白河法皇没、出家
    1134(57才) 太皇太后となる
    1141(64才) 崇徳天皇退位、近衛天皇即位
    1144(67才) 崩御〔4月21日〕
    (上醍醐陵に葬られる)
(養子)鳥羽天皇

宮廷での女官:二条太皇太后大弐(歌人)

*白河天皇の第三皇女(第四子)。
生後間もなくより義祖母に当たる源麗子に引き取られ、養育されました。12才で斎院に卜定されましたが、22才で病により退下。以後二条院を居所としました。
甥・鳥羽天皇即位に際し、准母となり皇后宮に冊立。以後、これが佳例となり、非妻の内親王の立后の際には皇后宮が用いられるようになりました。
その後、太皇太后に昇り、二条太皇太后・二条大宮と呼ばれました。