宣陽門院

覲子内親王1181〜1252
<法名:性円智>
父:後白河天皇
母:高階栄子(法印 澄雲の女・丹後局)
    1181(1才) 誕生〔10月5日〕
    1183(2才) 平家西下、後鳥羽天皇践祚
    1187(7才) 袴着の儀
    1189(9才) 内親王宣下、准三后(12月)
    1191(11才) 女院(宣陽門院)となる(6月)
    1192(12才) 父・後白河法皇より所領が譲られる(1月)、後白河法皇(66才)没(3月)
    1195(15才) 源頼朝・北条政子上洛、宣陽門院と母・丹後局に伺候
    1198(18才) 後鳥羽天皇退位、土御門天皇即位
    1200(20才) 雅成親王を猶子とし、所領は後鳥羽上皇の管領となる
    1202(22才) 近臣・源通親没
    1205(25才) 出家する
    1210(30才) 土御門天皇退位、順徳天皇即位
    1216(36才) 母・栄子没
    1221(41才) 承久の乱、猶子雅成親王配流、所領を没収される、後堀河天皇即位
    1222(42才) 幕府より所領が返進される
    1226(46才) 養女・近衛長子(9才)、後堀河天皇の中宮となる
    1232(52才) 後堀河天皇退位、四条天皇即位
    1242(62才) 四条天皇没、後嵯峨天皇即位
    1246(66才) 後嵯峨天皇退位、後深草天皇即位
    1251(71才) 所領(長講堂領)を後深草天皇に譲る
    1252(72才) 伏見殿において崩御〔6月8日〕
(猶子)雅成親王(後鳥羽天皇皇子)
(養女)近衛長子(近衛家実女・後堀河天皇后・鷹司院)

*後白河天皇の皇女。母は後白河法皇晩年の寵妃・丹後局。誕生時、父の法皇は55才。
9才で内親王宣下、同日准三后となり、11才で女院号を宣下されました。天皇の配偶者でなく、かつ准母にもならずでの女院号宣下は初めてでした。
翌年、病中の父後白河法皇より、長講堂領をはじめ六条殿その他の莫大な所領を譲られました。そのため彼女と母・丹後局は朝廷で隠然たる権力を保ち、1195年源頼朝夫妻が上洛した際には、母子それぞれと対面しました。
しかし、成長した後鳥羽天皇が土御門天皇に位を譲り、院政を始めると母子の勢力にもかげりが差し、1200年後鳥羽上皇の皇子・雅明親王を猶子としたことで、所領は実質的に後鳥羽上皇の管理下に入りました。そのため所領は承久の乱の際、上皇関連の所領として没収されましたが、翌年幕府より返進。
晩年、養女・近衛長子を通じて所領を天皇に伝えようとしましたが、後堀河天皇系の男子が絶えてしまい、養女長子への一期譲渡も許されず、1251年後深草天皇に譲られました。