坊門院

範子内親王..1177〜1210
<土御門天皇准母・皇后宮、号:猫間斎院・六角宮>
父:高倉天皇
母:(中納言藤原成範の女・小督局)
(異母弟)安徳天皇・後鳥羽天皇
    1177(1才) 誕生〔11月〕
    .......藤原光隆(猫間中納言)の七条坊門第において養育される
    1178(2才) 藤原重頼の中御門京極邸において内親王宣下、斎院に卜定(6月)
    1179(3才) 袴着(12月)、母小督局出家し、嵯峨に閑居
    1180(4才) 紫野院に入る、父・高倉天皇退位、安徳天皇即位
    1181(5才) 父高倉上皇没、斎院退下(1月)、在所世尊寺第焼亡(11月)
    1183(7才) 法性寺合戦、上西門院・皇后宮亮子らと伴に頌子内親王の五辻第に避難
    .......平家都落ち、後鳥羽天皇即位
    1192(16才) 鎌倉幕府成立
    1195(19才) 准三后を宣下される
    1198(22才) 土御門天皇即位、皇后宮(土御門天皇の准母として)(3月)
    1206(30才) 女院(坊門院)となる(9月)
    1208(32才) 大火により坊門第が焼亡
    1210(34才) 崩御〔4月12日〕(死因:胸病)
(養子)土御門天皇

*高倉天皇の第二皇女。母は中納言藤原成範の女、『平家物語』で小督と称される女性です。
2才の時、賀茂斎院に定められ、5才で父高倉上皇の死没により退下するまで在任。猫間中納言藤原光隆の邸において養育されたため、猫間斎院、また六角宮と称されました。
2年後の法性寺合戦に際しては、上西門院・皇后宮亮子らと伴に頌子内親王(五辻斎宮)の五辻第に避難。のち当邸を伝領し、後鳥羽・土御門天皇は度々方違行幸を行っています。 また三条万里小路第や坊門第に住んだこともありました。
19才の時准三后。異母弟である後鳥羽天皇の子・土御門天皇の即位に際して、その准母となり、22才で皇后宮に冊立。さらに女院となりました。
一条室町第において胸病にて崩御。ときに34才。