嘉陽門院

礼子内親王..1200〜1273
<法名:真如性>
父:後鳥羽天皇
母:(内大臣 坊門信清の女・坊門局)
(異母兄)土御門天皇・(異母弟)順徳天皇
    1204(5才) 内親王宣下、斎院卜定、准三后
    1210(11才) 順徳天皇即位
    1212(13才) 病により斎院退下
    1214(15才) 女院(嘉陽門院)となる
    1220(21才) 出家する
    1221(22才) 承久の乱、父・後鳥羽上皇隠岐に配流、母・坊門局、上皇に供奉する
    ........後堀河天皇即位
    1232(33才) 四条天皇即位
    1239(40才) 父・後鳥羽上皇隠岐にて没
    1242(43才) 後嵯峨天皇即位
    1246(47才) 後深草天皇即位
    1259(60才) 亀山天皇即位
    1273(74才) 崩御〔8月2日〕
*後鳥羽天皇の第二皇女。母は坊門信清の女・坊門局で、鎌倉3代将軍実朝正室の姉妹です。
5才で内親王となり、賀茂斎院に卜定。さらに准三后を宣下されました。13才の時、病により退下。以後、賀茂斎院は卜定されず、最後の斎院となりました。
その後、15才で女院号を受けました。
承久の乱により父・後鳥羽上皇の隠岐に配流され、政権からは遠のいたものの、以後長く生きて74才で崩御。