式乾門院

利子内親王..1197〜1251
<四条天皇准母・皇后宮、法名:真性智>
父:後高倉院 守貞親王
母:持明院 陳子(持明院基家の女・北白河院)
(同母弟)後堀河天皇・(同母妹)安嘉門院邦子
    1210(14才) 順徳天皇即位
    1212(16才) 父・守貞親王、出家する
    1221(25才) 承久の乱、弟・後堀河天皇即位
    1223(27才) 父・後高倉院没
    1226(30才) 内親王宣下、斎宮に卜定
    1229(33才) 准三后
    1232(36才) 後堀河天皇退位、甥・四条天皇即位、斎宮退下
    1233(37才) 皇后宮に冊立(四条天皇准母として)
    1234(38才) 弟・後堀河上皇没
    1238(42才) 母・北白河院没
    1239(43才) 病により出家、同日女院(式乾門院)となる(11月)
    1242(46才) 甥・四条天皇没、後嵯峨天皇即位
    1246(50才) 後嵯峨天皇退位、後深草天皇即位
    1251(55才) 崩御〔1月2日〕
(養子)四条天皇

*後高倉院守貞親王の第一王女。後堀河天皇の同母姉。
30才で内親王の宣下を受け、同日伊勢斎宮に定められました。翌年4月左近衛府にて初斎院、9月野宮に入る。在任6年、後堀河天皇の譲位により退下。
翌年、甥の四条天皇の准母となり、皇后宮に冊立。43才の時、出家した同日に女院号を宣下さられました。
父・後高倉院より河内国石川荘領家職などを伝領、分国に若狭・信濃などがありました。女院の死後は後堀河天皇の皇女・室町院暉子内親王に伝領されました。