信長の母と乳母

母:(土田殿).. ? 〜1594
(号:大方殿様、法名:報春院)
父:土田政久
    1538.. 信長(吉法師)誕生
    1552.. 夫・信秀(41才)没、信長が家督を継ぐ
    1556.. 柴田勝家・林秀貞ら家臣、次男・信行の擁立を謀る
    .....土田殿の嘆願により信行ら赦免される(8月)
    1557.. 次男・信行再び謀反を計画し、信長に暗殺される
    1582.. 本能寺の変・信長(40才)没
    1594.. 死去
  • 所生の子女
    信長(吉法師、安土城主・右大臣)
    信行(勘十郎)
*織田信秀の正室。嫡子信長の母。
次男信行がはじめに擁立されかけた際、信長・信行両者の母である彼女の嘆願によって赦免されたこと以外、目立った行動はしていません。
信長死後は、信長次男の信雄の元に身を寄せ、信雄が改易された後は信長異母弟の信包の伊勢安濃津城に身を寄せました。信長死後、急速に衰えた織田家の中で、ひっそりと没したようです。

乳母:(養徳院)..1515〜1608
(号:大御乳さま)
父:池田政秀
夫:池田恒利(滝川貞勝の次男・婿養子)
    1536(22才) 一子・恒興を産む、この頃、織田家嫡子・吉法師(信長)の乳母となる
    1538(24才) 夫・池田恒利没
    1573(59才) 信長より尾張に化粧料百五十貫文を与えられる
    1582(68才) 本能寺の変・信長(40才)没
    1584(70才) 小牧・長久手の戦い、子・恒興(49才)と孫・元助、秀吉側に参戦して戦死
    1594(80才) 孫・輝政(31才)、徳川家康の二女・督姫(30才)と再婚
    1598(84才) 豊臣秀吉没
    1600(86才) 孫・輝政、播磨姫路五十二万石藩主となる
    1605(91才) 曾孫・利隆(輝政嫡子・22才)、徳川秀忠養女・鶴姫(12才)と結婚
    1608(94才) 死去〔10月16日〕
  • 所生の子女
    恒興(摂津伊丹城主・美濃大垣城主、紀伊守)
*信長の乳母。信長に深く敬愛されました。養徳院は法名。
織田家家臣・池田政秀の長女で、滝川貞勝次男・恒利を婿に迎え、池田家を継ぎました。
嫡子・恒興を産み、その頃3才の信長の乳母となりました。乳児の信長は乳母の乳首を次々に噛み切るという神経質な赤ん坊でしたが、彼女の乳だけは穏やかに飲んだといいます。2年後に夫が亡くなると、さらに一身を捧げて信長を養育しました。子の恒興も、信長の乳母子として親しく仕え、有力武将の一人となりました。
1573年には、信長から尾張に化粧料百五十貫文を与えられました。宛名は「大御ち」。
信長死後も、信長次男の信雄・羽柴秀吉から知行を支給され、「大御乳さま」と尊称されました。小牧・長久手の戦いで子・恒興と孫が秀吉側に属して戦死した際には、秀吉自らの詫びの手紙を送られています。
残った孫の輝政は、後に播磨姫路城主となり、徳川家康の娘・督姫と結婚しました。子孫は国替えによって岡山に移ったものの、長く大大名として繁栄しました。