信長の姉妹

妹:お市..1547?〜1583
(号:小谷の方、法名:自性院)
父:織田信秀
    1552(6才) 父・信秀没
    1567(21才) この頃、小谷城主・浅井長政(23才)と婚礼
    1570(24才) 夫・長政、信長に離反する(4月)、姉川の戦い(6月)
    1573(27才) 信長、小谷城を攻略、お市と三女子、織田方に引き渡される(8月26日)
    ........夫・長政(29才)自刃(9月1日)
    1582(36才) 本能寺の変、清洲会議(6月)、柴田勝家(61才)と結婚
    1583(37才) 北ノ庄城落城、自刃〔4月24日〕
  • 所生の子女
    万福丸、次男
    茶々(関白・豊臣秀吉側室、淀殿)
    お初(大津城主・京極高次室)
    小督(大野城主・佐治一成室、岐阜城主・羽柴秀勝室、征夷大将軍・徳川秀忠室)
*当代一の美女として名高かった女性。信長の13才くらい年下の妹。母は未詳で、異母妹・同母妹の両説があります。どちらにしろ、信長の姉妹達の中でも政略的に用いられ、二度の結婚は二度とも重要な意味を持っていました。
21才程で、北近江を領する小谷城主・浅井長政と結婚。二男三女をもうけましたが、結婚6年目で小谷城は信長に攻められ落城、夫長政と義父久政は自害し、お市は三人の娘とともに織田方に引き渡されましたが、別に逃れた嫡子は捕らえられ、串刺しにされたといいます。
その後、伊勢か美濃にて9年間を過ごしました。
本能寺の変後、信長の後継者争いの中で、お市は信長三男の周旋で、北ノ庄城主柴田勝家と結婚。三人の娘とともに越前北ノ庄城に移りました。しかし、半年ほどで北ノ庄城は落城。夫柴田勝家とともに自害しました。辞世の句は「さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 夢路をさそう 郭公かな」。
後に長女淀殿が両親の肖像画を書かせ、高野山の持明院に奉納しました。戦国夫人の肖像として有名な、美しい画像です。(ちなみに重要文化財。)

妹:お犬.. ? 〜1582
(号:大野殿・大野姫、法名:霊光院)
父:織田信秀
    1552.. 父・信秀没
    1574.. 夫・佐治為興戦死
    1577.. 管領細川晴元の子・昭元と結婚
    1582.. 死去
  • 所生の子女
    (父:佐治為興)一成(大野城主、改易後、織田信包家臣)
    (父:細川昭元)元勝
    ......女(安倍実季室)・女(前田家侍女)
*はじめ尾張国大野城主・佐治為興と結婚。嫡子一成を生みました。
為興が戦死した後、信長の命で足利管領家の細川昭元と結婚。昭元は山城国槙木島城主。一男二女をもうけました。
佐治為興との子、一成の妻はお市の三女小督(後の徳川秀忠室)、継室は信長の娘お振でした。細川昭元との長女は安倍実季の正室、次女は前田利常の正室・珠姫に仕え、長男元勝は豊臣秀頼に仕えて大阪両陣で戦いました。

姉:(犬山殿)..生没年不詳
父:織田信秀
    1564.. 犬山城落城、夫・織田信清、甲斐に逃れる
*犬山城主・織田信清の妻。信清は信秀の弟・信康の子なので、従兄妹同士の結婚でした。
1564年、犬山城は信長によって攻められ、夫の信清は甲斐の武田信玄の元に逃れました。

姉妹:(織田信成室)..生没年不詳
父:織田信秀
    1568.. 嫡子・正信誕生
  • 所生の子女
    正信(小幡城主)
*那古野城主・織田信成の妻。信成は信秀の弟・信光の子なので、従兄妹同士の結婚でした。嫡子・正信を生みました。

妹:(栄輪院)..1552〜1573
父:織田信秀
母:(養徳院、信長乳母)
    1552(1才) 父・信秀没
    1573(22才) 死去(異説あり)
  • 所生の子女
    信氏(小田井城主)、忠辰、女(牧野宮内少輔室)
*小田井城主・織田信直の妻。栄輪院は法名。
小田井城主の織田氏は清洲三奉行家の一つで、信秀の母・含笑院がこの家の出身と言われています。

姉妹:(神保氏張・稲葉貞通室)..生没年不詳
父:織田信秀
    1552.. 父・信秀没
    1592.. 夫・神保氏張失脚、肥後熊本を流浪、この頃離縁、稲葉貞通と結婚
  • 所生の子女
    (父:神保氏張) 氏張
    (父:稲葉貞通) 三男二女
*はじめ、元越中の守山城主・神保氏張に嫁し、氏長を生む。氏張は1592年に領国の支配に失敗して失脚。これにより、彼女は離縁したらしく、美濃清水城主・稲葉一鉄の子、稲葉貞通と結婚し、三男二女を生みました。

姉妹:(飯尾尚清室)..生没年不詳
父:織田信秀
  • 所生の子女
    敏成
*奥田城主・飯尾尚清と結婚。敏成を生む。

姉妹:(小林殿).. ? 〜1587
(法名:信徳院)
父:織田信秀
    1570.. 夫・牧信清没
    1584.. 死去〔8月15日〕
*小林城主・牧信清の妻。小林城跡に建つ清浄寺に夫妻の墓碑があり、法名は信徳院殿善行恵長大禅定尼。

姉妹:(津田元秀室)..生没年不詳
父:織田信秀

*野府城主・津田元秀の妻。

姉:くらの方..生没年不詳
父:織田信秀
  • 所生の子女
    長将、(織田)信弌
*尾張津島の有力土豪であった、大橋重長の妻。『張州雑志』が「クラノ御方」と名を伝えます。大橋重長の子息の一人、勘七郎信弌は織田姓を名乗り、1581年の馬揃えでは「御連枝衆」として馬乗しました。

姉妹:(遠山勘太郎友勝室)..生没年不詳
父:織田信秀
  • 所生の子女
    女(武田勝頼室)