信康の娘

長女:登久姫..1576〜1607
(とく・福、法名:峯高院)
父:松平信康
母:五徳(織田信長の女)
    1579(4才) 父・信康(22才)自刃、祖母・築山殿暗殺
    1580(5才) 母・五徳(23才)、岡崎城を出立し美濃に帰る(2月)
    1582(7才) 本能寺の変、祖父・信長(49才)没
    1590(15才) 豊臣秀吉仲介により、信濃松本城主小笠原秀政(22才)と結婚(8月)
    ........夫・秀政、下総古河3万石に移る(9月)
    1600(25才) 長女於虎、家康養女として徳島藩主蜂須賀家政の子至鎮と結婚
    1601(26才) 夫・秀政、信濃飯田5万石に移る
    1603(28才) 徳川幕府成立
    1606(31才) 長男幸松丸(忠脩)、次男春松丸(忠政)、将軍秀忠の加冠により元服
    1607(32才) 飯田城にて死去〔10月18日〕
  • 所生の子女
    忠脩(大坂夏の陣にて戦死)、忠政(豊前小倉藩主)、他四男
    於虎(徳川家康養女・徳島藩主蜂須賀至鎮室)、千代姫(徳川秀忠養女・熊本藩主細川忠利室)
*信康の長女。4才で父を失いました。翌年、母・五徳姫は美濃に帰りましたが、登久姫と妹は祖父・家康の元に留められ、成長しました。
15才の折、当時信濃松本城主の小笠原秀政と結婚。秀政はかつて、人質として駿府に置かれ家康の側近・石川数正に監視されていましたが、その石川数正が豊臣秀吉の元へ出奔した時にともに秀吉の元に赴いた経歴があり、この結婚も秀吉の仲介でした。おそらく家康と小笠原家との確執の解消のためか。
秀政との間に六男二女。二人の娘はそれぞれ将軍の養女となり、有力外様大名に嫁ぎました。
信濃飯田城にて32才で死去。墓所ははじめ飯田にありましたが、のちに次男忠政の領地・豊前小倉に移されました。

次女:熊姫..1577〜1626
(久仁・国子、法名:妙光院悟窓祐慶)
父:松平信康
母:五徳(織田信長の女)
    1579(3才) 父・信康(22才)自刃、祖母・築山殿暗殺
    1580(4才) 母・五徳(23才)、岡崎城を出立し美濃に帰る(2月)
    1582(6才) 本能寺の変、祖父・織田信長(49才)没
    1590(14才) 徳川家臣、上総大多喜城主本多忠勝の嫡子・忠政(16才)と結婚
    1603(27才) 徳川幕府成立
    1610(34才) 夫・忠政(38才)、家督を継ぎ、伊勢桑名10万石を領する
    1616(40才) 祖父・徳川家康(75才)没
    1617(41才) 姫路10万石に移る、長男・忠刻、徳川秀忠長女・千姫と結婚
    1626(50才) 死去〔6月25日〕
  • 所生の子女
    忠刻、政朝(播磨姫路藩主)、忠義
    亀姫(小笠原忠脩室・忠政室)、国姫(徳川秀忠養女・堀忠俊室・有馬直純室)
*信康の次女。父を失ったのは3才の時。翌年母・五徳姫は美濃に帰り、姉妹は家康の元で養育されました。
14才で、家康配下の名将である本多忠勝の嫡子・忠政と結婚。家士の神谷新左衛門、中村又左衛門、林小左衛門らが従いました。三男二女を生み、長男忠刻は秀忠の長女・千姫の婿。
嫡男忠刻の死没より程なくして、姫路において死去しました。