藤原氏の妻たち

*鎌足の妻*


鏡姫王【かがみ】.. ? 〜683
<鏡王女>
    669.. 夫・鎌足没
    683.. 天武天皇、鏡姫王家に行幸し病を見舞う(7月4日)、死去(5日)
*『万葉集』に鎌足との贈答歌が載り、『興福寺縁起』などから鎌足の正妻とされています。
鏡王の女と読めば額田王の姉妹に当たります。鏡の王女、姫王と読めば鏡は名であり、舒明天皇の皇女・皇孫とする説もあります。
死去の前日、天武天皇が姫王家に行幸し、病を見舞いました。

車持 与志古娘【よしこのいらつめ】.. 生没年不詳
父:車持 国子
    659.. 不比等を生む
  • 所生の子女
    不比等(史)
*車持国子の娘。長男・定恵を生み、また鎌足の晩年に次男・不比等を生みました。略歴不詳。

*不比等の妻*


賀茂 比売【ひめ】.. ? 〜735
<加茂比売>
    682.. この頃、宮子を生む
    697.. 宮子、文武天皇(15才)に入内、夫人
    701.. 宮子、第一皇子・首皇子(聖武天皇)を生み、気鬱の病にかかる
    707.. 文武天皇没
    720.. 夫・不比等没
    724.. 聖武天皇即位
    735.. 死去〔1月8日〕
  • 所生の子女
    宮子(文武天皇夫人)、長娥子?
*賀茂朝臣。鴨朝臣と同氏か。鴨朝臣は大和鴨君の後裔で、天武十三年(614)、鴨君に朝臣姓を賜わっています。古代の名族。
不比等の妻となり、宮子を生む。宮子は文武天皇の夫人となり、聖武天皇の母となりました。また、長屋王室・尚蔵従三位、長娥子も彼女の所生かと言われています。
正四位上で死去。孫・聖武天皇は散一位の葬儀をもって送らせました。

蘇我 娼子【?】.. 生没年不詳
父:大臣 蘇我連子
    664.. 父・連子没
    680.. 武智麻呂を生む
    681.. 房前を生む
    694.. 宇合を生む
  • 所生の子女
    武智麻呂、房前、宇合
*斉明・天智朝において大臣を勤めた蘇我連子の娘。兄弟の安麻呂が石川朝臣姓を賜わっているので石川娼子ともいいます。
不比等の妻となり、武智麻呂、房前、宇合の三男を生む。

藤原 五百重娘【いおえのいらつめ】.. 生没年不詳
<号:大原大刀自>
父:内大臣 藤原鎌足
    669.. 父・鎌足没
    680.. この頃、新田部皇子を生む
    686.. 天武天皇没
    695.. 麻呂を生む
  • 所生の子女
    (父:天武天皇) 新田部皇子
    (父:不比等) 麻呂
*不比等の異母妹。もと天武天皇の夫人。新田部皇子を生む。天武天皇との贈答歌から大原に宮を構えていことが分かり、字を「大原大刀自」といいました。
天武天皇の没後、異母兄の不比等と結婚。麻呂を生む。

県犬養 橘 三千代【みちよ】.. ? 〜733
父:県犬養 東人
    684.. この頃、美努王と結婚、葛城王(橘諸兄)を生む
    701.. この頃、藤原不比等と結婚、安宿媛を生む
    708.. 大嘗祭の宴にて橘宿禰姓を賜わる
    720.. 夫・不比等没
    728.. 安宿媛立后(光明皇后)
    733.. 死去〔1月11日〕
  • 所生の子女
    (父:美努王) 橘諸兄(葛城王)、橘佐為(佐為王)、牟漏女王
    (父:不比等) 安宿媛
*県犬養東人の娘。はじめ美努王の妻となり、橘諸兄らを生みました。
天武天皇から聖武天皇に至る歴代の内廷に奉仕し、文武天皇及び聖武天皇の乳母的な存在ではなかったかと考えられています。708年、大嘗の宴において、三千代自身に橘宿禰姓を賜わりました。この頃すでに宮廷内での三千代の勢威は並ぶものがなかったと思われます。
死去した時は、内命婦正三位。光明皇后の母であることをもって散一位に准ずる葬儀を賜わり、喪事の監護が付けられました。
また、没年の12月28日、一品舎人親王以下四人の公卿を県犬養橘宿禰第に遣わし、贈従一位の詔、および食封資人を生前どおり賜う別勅を下しました。

*房前の妻*


牟漏女王【むろ】.. ? 〜746
<号:北の大家>
父:美努王
母:県犬養 橘 三千代か?
    708.. 父・美努王没
    736.. 法隆寺丈六仏に白銅鏡一面を奉納する
    737.. 夫・房前没
    739.. 従三位に叙される
    746.. 死去〔1月〕
  • 所生の子女
    永手、真楯、御楯
*北家・房前の妻。永手、真楯らの母。
夫の房前が没した2年後、従三位に叙される。死去したときは正三位。尚侍・尚蔵相当の位階であり、夫の死後に本格的に宮仕えし、後宮吏官であったのかと思われます。

*宇合の妻*


久米 若売【わかめ】.. ? 〜780
父:久米奈保麻呂
    737.. 夫・宇合没
    739.. 石上乙麻呂との姦通事件で下総国に配流される(3月)
    740.. 大赦により召還(6月)
    780.. 死去〔6月24日〕
  • 所生の子女
    百川
*式家・宇合の妻。百川の母。
夫の喪中に石上乙麻呂との姦通事件を起こし、下総に配流されました。翌年大赦により召還。
光仁天皇冊立の立役者となる百川の生母であることから、叙位を受け、没した時は散位従四位下。

*(南家)豊成の妻*


藤原 百能【ももの】..720〜782
父:藤原 麻呂
    737(18才) 父・藤原麻呂没
    749(30才) 孝謙天皇即位、従五位下に叙される
    757(38才) 橘奈良麻呂の変(7月4日)
    ....... 夫・豊成、弟の仲麻呂の讒言により太宰員外帥に左遷(12日)
    758(39才) 淳仁天皇即位
    764(45才) 称徳天皇即位、夫・豊成、右大臣に復する
    ....... 正五位上より従三位に昇叙される
    765(46才) 夫・豊成没
    778(59才) 従二位に叙される
    782(63才) 死去〔4月17日〕
*南家・左大臣武智麻呂の長男である豊成の妻。父は京家の麻呂。豊成とは従兄妹同士。
30才の時従五位下に叙される。おそらくこの頃に宮仕えを始めたと考えられます。
夫・豊成が一時、弟の仲麻呂の讒言によって左遷されましたが、仲麻呂(恵美押勝)が乱を起こして敗死し、称徳天皇が即位すると、豊成は旧官位に復しました。これに伴い、妻の百能は従三位に昇叙されます。仲麻呂の妻・宇比良古のあとを継いで尚侍に任じられたか。
さらに従二位に叙され、63才で没しました。

*(南家)仲麻呂の妻*


藤原 宇比良古【おひらこ】.. ? 〜762
<袁比良売>
父:藤原 房前
    737.. 父・藤原房前没
    749.. 孝謙天皇即位、正五位下に叙される
    757.. 夫・仲麻呂、紫微内相となり、大臣と同格とされる
    758.. 藤原仲麻呂、大保となり、恵美押勝の名を賜わる
    760.. 夫・恵美押勝、太保(太政大臣)となる、正三位(1月)、尚蔵と尚侍を兼ねる
    762.. 死去〔6月23日〕
  • 所生の子女
    真先、久須麻呂、児従(藤原御楯の妻)
*南家・藤原仲麻呂(恵美押勝)の妻。父は北家の房前。仲麻呂と従兄妹に当たります。
母は不詳ですが、房前の正妻である牟漏女王が母だとすると、祖母・県犬養橘三千代から続く後宮女官の血脈。
749年に正五位下に叙され、以降昇叙を重ね、760年、夫が太保(太政大臣)となった同月に正三位に叙される。後宮吏官として尚蔵と尚侍を兼ね、淳仁朝の後宮を取り仕切りました。
夫・恵美押勝と孝謙上皇の対立の始期に死去。その死は恵美押勝の零落の一因となったといいます。

*(北家)永手の妻*


大野 仲仟【なかち】.. ? 〜781
(号:大野内侍)
父:大野東人
    759.. この頃、大野内侍と称され、光明皇太后に近侍する
    765.. 正五位上、勲四等
    766.. 称徳天皇、右大臣永手第に行幸し、永手に正二位、仲仟に従四位下を賜わる
    769.. 称徳天皇、左大臣永手第に行幸し、永手に従一位、仲仟に一階を賜わる
    770.. 光仁天皇即位、従三位、この頃、尚侍となるか
    771.. 夫・永手没
    774.. この頃、吉備由利の後任として尚蔵となるか
    781.. 死去〔3月10日〕
*北家・永手の妻。父は藤原広嗣の乱を制圧した征討大将軍、大野東人。
天平宝字三、四年(759,760)ごろ、大野内侍として現れ、光明皇太后に近侍し、阿弥陀浄土院造営に銭、あしぎぬを施納して助成し、経典の宣伝に関与しています。
766年、夫・永手が右大臣、続いて左大臣に昇るに及んで仲智も位階を進め、後宮吏官として出仕していたようです。
死去した時、尚侍兼尚蔵。光仁天皇冊立の立役者、永手の正妻として女官の頂点にいました。

*(式家) 良継の妻*


安倍 古美奈【こみな】.. ? 〜784
父:安倍粳虫
    770.. 光仁天皇即位
    774.. 娘・乙牟漏、皇太子山部親王(桓武天皇)の第一皇子を生む
    775.. 従五位上より従四位下に昇叙
    777.. 夫・良継没
    781.. 桓武天皇即位、この頃、尚蔵となるか
    782.. この頃、藤原百能の後をつぎ尚侍となるか
    783.. 娘・乙牟漏(24才)、皇后に冊立
    784.. 死去〔10月28日〕
  • 所生の子女
    乙牟漏(桓武天皇皇后、平城・嵯峨天皇母)
*式家・良継の妻。
良継は光仁天皇朝において信任厚く内大臣に任じられ、娘・乙牟漏は桓武天皇に入侍し、のちに皇后に登りました。古美奈は尚侍と尚蔵を兼ね、後宮に重きをなしました。位階は従三位まで進む。
娘・乙牟漏立后の翌年、死去。

*(式家)百川の妻*


藤原 諸姉【もろあね】.. ? 〜786
父:内大臣 藤原良継
    769.. 無位から従五位下に叙される
    770.. 光仁天皇即位
    774.. 新城宮行幸に内教坊の女楽を率いて供奉し、正五位下を授かる
    777.. 従四位下に叙される(1月)、父・良継没(9月)
    779.. 夫・百川没
    781.. 桓武天皇即位、従四位上に昇叙
    783.. 正四位下に昇叙、この頃尚縫に就任する
    786.. 従三位となる、娘・旅子(28才)、桓武帝の夫人となる(1月)、死去〔6月29日〕
    (百川の相楽墓内に葬られる)
  • 所生の子女
    旅子(桓武天皇夫人、淳和天皇母)
*式家・百川の妻。父は百川の兄・良継。妹(異母妹か) に桓武天皇の皇后・乙牟漏がいます。
百川は光仁天皇冊立の立役者の一人で、光仁・桓武朝においては藤原式家が栄えました。父・良継、夫・百川ともに光仁天皇の重臣。
夫の百川は大臣にならずに没しましたが、諸姉は尚縫に就任し、従三位まで進みました。
823年外祖母の故を以って正一位を追贈されました。