葛城氏の女たち

(葛城)・・・畿内・大和の豪族。武内宿禰を祖とする。応神朝(河内王朝)に外戚として権力をもったが、雄略天皇が葛城円大臣を攻め滅ぼしたことで勢力を失ったらしい。

葛城高額媛【かずらぎのたかぬかひめ】
<葛城高額比売(古事記)>
父:多遅比多訶
母:菅竈由良度美
  • 所生の皇子女
    気長足姫(仲哀天皇后)、 虚空津比売、息長日子王
*気長宿禰王の妻となり、仲哀天皇后・気長足姫(神功皇后)を生みました。
系譜上では、天日矛命の末裔で、父は多遅比多訶、母はその姪菅竈由良度美とされており、葛城氏との縁はありません。
しかし、神功皇后朝において、葛城襲津彦が将軍として活躍したことは彼女の縁かとも思われます。

磐之媛【いわのひめ】
<石之日売命(古事記)>
父:葛城 襲津彦
    仁徳二年.. 皇后となる
    仁徳七年.. 磐之媛のために葛城部が定められる
    仁徳二十二年.. 仁徳天皇、八田皇女を妃としたい旨を話すが、許さず
    仁徳三十年.. 紀国に行幸、その間仁徳天皇、八田皇女を妃とする
    ......... 筒城岡の南に居し還幸せず(9月)
    ......... 口持臣が遣わされる(10月)、天皇筒城宮に至り帰還を促す(11月)
    仁徳三十一年.. 去来穂別尊が皇太子となる
    仁徳三十五年.. 山背の筒城宮において薨去
    (乃羅山に葬られる)
  • 所生の皇子女
    履中天皇〔去来穂別皇子〕、住吉仲皇子、反正天皇〔多遅比瑞歯別皇子〕
    允恭天皇〔雄朝津間稚子宿禰皇子〕
*第16代仁徳天皇の皇后。記紀に登場する皇后の中で、唯一皇族出身でない人物。
父は神功・応神朝において伝説的に描かれる将軍・葛城襲津彦。仁徳帝の即位前にその後宮に入ったようです。
磐之媛は後宮にて絶大な勢力を持ち、仁徳帝が新たに妃を召しいれるのを許しませんでした。
仁徳帝が異母妹・八田皇女を妃にしようとするも磐之媛は許さず、結局磐之媛が行幸で留守中に八田皇女を妃にしました。媛はこれを怒り、宮に帰らず山城の筒城に留まりました。古事記ではその後和解したようですが、日本書紀ではそのまま筒城にて死去したとされています。
また、古事記では吉備の黒比売が皇后の怒りを怖れて吉備に帰ってしまったことが、日本書紀では皇后の怒りにより召すことができなかった宮人・玖賀媛を播磨国造の祖速待に与えたことが記されています。
磐之媛ためにその名代(私有民)、「葛城部」が定められたという記事からも、彼女の力の大きさを窺い知ることができます。

黒媛【くろひめ】
<黒比売命(古事記)>
父:葦田宿禰(葛城襲津彦の子)
    履中元年.. 皇妃となる
    履中五年.. 神の祟りにより薨去
  • 所生の皇子女
    磐坂市辺押羽皇子(仁賢天皇・顕宗天皇の父)、御馬皇子、 青海皇女(飯豊皇女)
*第17代履中天皇の皇妃。「皇妃」という称が使われるのは黒媛のみで、黒媛の死後に皇后となる草香幡梭皇女に先んじて書かれていることから、皇后に準じた位として書き分けられたものと推測されています。
父の葦田宿禰は古事記に「葛城曾都比古(襲津彦)の子」と書かれており、葛城襲津彦の娘・磐之媛を母とする履中帝と黒媛は従兄妹にあたります。
履中天皇五年九月、急死。車持君が筑紫の神戸を奪ったための祟りであるといいます。
なお、日本書紀の履中天皇即位前記にも黒媛の名が見えます。天皇が太子の時、羽田矢代宿禰の娘黒媛に求婚したが、使者に立てた弟の住吉仲皇子が太子を装って黒媛を犯した。後日、太子自身が黒媛の邸を訪れると見慣れない鈴が落ちていた。黒媛に聞くと「先日あなたが落としたものではありませんか。何故私に聞くのですか」と答えた。これにより太子は事態を知った。住吉仲皇子は事が露見した事を知って兵を起こし、太子の宮を焼いたが、逆に太子によって殺された、とあります。二人の黒媛は父の名が異なって記されていますが、同一人物と考えられています。
彼女の所生の皇子・市辺押羽皇子は、有力な皇位継承者と目されましたが、雄略天皇に狩り場に誘われ、暗殺されました。

【はえひめ】
父:蟻臣(葦田宿禰の子)
    安康三年.. 夫・市辺押盤皇子、狩り場にて暗殺される
  • 所生の皇子女
    居夏姫、仁賢天皇〔憶計王〕、顕宗天皇〔弘計王〕、飯豊女王(飯豊青尊)、橘王
*第17代履中天皇の第一皇子・市辺押盤皇子(磐坂市辺押羽皇子)の妃。従兄妹にあたります。市辺押盤皇子は従兄弟・雄略天皇(即位前)に狩り場に誘われ、矢を射られて暗殺されました。
遺児である憶計王・弘計王は播磨に逃れ、雄略帝が没し、皇位継承者のなき清寧帝が迎えるまでその地に隠れ住みました。
それぞれ、第24代仁賢天皇、第23代顕宗天皇となります。

韓媛【からひめ】
<韓比売(古事記)>
父:葛城 円大臣
    安康三年.. 父・葛城円大臣、眉輪王をかくまい、討たれる
    雄略元年.. 雄略天皇の妃に冊立
    雄略三年.. 娘・斎宮稚足姫皇女、不貞を疑われ、神鏡を埋めて自刃す
    清寧元年.. 皇太夫人となる
  • 所生の皇子女
    清寧天皇〔白髪皇子〕、稚足姫皇女(伊勢斎宮)
*第21代雄略天皇の妃。第22代清寧天皇の母で、清寧朝に皇太夫人(おおきさき)の称号を与えられました。
雄略帝の先代、安康帝は皇后の連れ子にして、かつて討ち殺した大草香皇子の子である眉輪王に殺されました。仇を理由に攻める雄略帝に対し、眉輪王と雄略帝の兄・坂合黒彦皇子は葛城円大臣の邸に立てこもりました。葛城円大臣は葛城の宅七区と娘・韓媛を奉げることで二王子の助命を願いましたが許されず、ともに焼き滅ぼされました。しかし約束通り、韓媛は雄略帝の妃となりました。
一男一女、清寧天皇と伊勢斎宮・稚足姫皇女を生みました。

広子【ひろこ】
<飯女子(古事記)・伊比古郎女(法王帝説)>
父:葛城直磐村
    用明元年.. 嬪となる
  • 所生の皇子女
    麻呂子皇子、酢香手姫皇女(伊勢斎宮)
*第31代用明天皇の嬪。葛城直氏の系統。
麻呂子皇子(当麻公の祖)、酢香手姫皇女(用明・崇峻・推古朝の伊勢斎宮)を生みました。娘の酢香手姫皇女は後に、斎宮を自ら退いた際、葛城に戻ったと伝えられます。