尚侍一覧

生没年
在任期
プロフィール
藤原 宇比良古
?〜762
760頃?〜762
藤原仲麻呂(恵美押勝)の妻。北家の房前の娘。尚蔵を兼ねる。
大野 仲仟
?〜781
770頃?〜781
左大臣藤原永手の妻。父は藤原広嗣の乱を平定した大野東人。尚蔵を兼ねる。
安倍 古美奈
?〜784
781頃?〜784
内大臣藤原良継の妻。桓武帝皇后・乙牟漏の母。尚蔵を兼ねる。
百済王 明信
?〜815
787頃?〜806頃?
右大臣藤原継縄の妻。桓武帝に近侍し、信任が厚かった。
藤原 薬子
?〜810
809〜810
種継の娘。藤原縄主の妻。平城帝に寵妃となる。嵯峨帝により官位を剥奪され、のち自殺。
五百井女王
?〜817
808頃?〜817
市原王の娘。母は桓武帝の同母姉・能登内親王。桓武帝の実姪にあたる。
藤原 美都子
791〜828
820頃?〜828
藤原冬嗣の妻。長良・良房・順子らの母。良房は摂政に、順子は文徳帝の生母となる。
継子女王
?〜?
830頃?〜832頃?
827年、典侍在任。832年、尚侍在任。同年11月正二位に叙される。
百済 慶命
?〜849
836〜849
嵯峨帝の宮人。百済王氏。寵愛すこぶる厚く、嵯峨院に別宮を築かれた。
菅野 人数
?〜863
?〜857
掌侍、典侍を経て任官。857年、官を移され尚蔵に任命される。
広井女王
?〜859
857〜859
権典侍、典侍を経て任官。歌うことに優れ、特に催馬楽歌をよくし、習う者多かった。享年80余才。
当麻 浦虫
780〜859
857〜859
典殿、掌侍、典侍を経て任官。生涯嫁がず宮廷に仕えたという。享年80才。
源 全姫
812〜882
860〜882
嵯峨帝の皇女。摂政藤原良房の妻・源潔姫の同母妹。清和帝の大叔母に当たる。
藤原 淑子
838〜906
884〜906
藤原長良の娘。関白基経の異母妹。右大臣藤原氏宗の妻。宇多帝の養母を努めた。
藤原 満子
872〜937
907〜937
藤原高藤の娘。醍醐帝の母・胤子の同母妹。醍醐・朱雀帝に仕える。
藤原 貴子
904〜962
938〜962
もと皇太子保明親王の妃。関白忠平の娘。親王死後に御匣殿別当となり、さらに尚侍となる。
藤原 灌子
?〜?
964? 〜?
掌侍、典侍を経て任官。歌人。正三位。973年、度者を賜わる。
藤原 登子
?〜975
969〜975
師輔の娘。村上帝中宮・安子の同母妹。重明親王室。夫と姉の死後、村上帝に召され寵愛された。
藤原 婉子
?〜?
976〜?
関白兼通の娘。円融帝中宮"女皇"子の妹。初め藤原誠信室。のち源乗方に通ず。長く在任か。
藤原 ヨシ子
?〜?
982〜989頃?
師輔の娘。もと冷泉帝の女御。989年出家。"ヨシ゛の字は上に「付」下に「心」。
藤原 綏子
974〜1004
987〜1004
摂政兼家の娘。三条帝の東宮時代、元服の添臥を努めて妃となる。のち源頼定と密通。
藤原 妍子
994〜1027
1004〜1012
道長の娘。11才で尚侍となる。のちに東宮時の三条帝に入内。中宮になるに伴い、辞官。
藤原 威子
999〜1036
1012〜1018
道長の娘。御匣殿別当を兼ねる。のち後一条帝に入内し、中宮になるに伴い、辞官。
藤原 嬉子
1007〜1025
1018〜1025
道長の娘。裳着の前に任官された。のちに東宮時の後朱雀帝の妃。難産により死没。
藤原 真子
1016 〜1087
1042〜1087
関白教通の娘。姉妹に後朱雀帝女御生子・後冷泉帝皇后歓子がいる。病弱により参内せず。

*尚侍の定員は2人です