番外編 蘇我馬子の妻

日本書紀によると物部守屋の妹。
実名は出てきませんが、馬子の妻の記述は書紀に2つあります。

(その一)
用明天皇二年秋七月の項・・・「この役で、(物部守屋)大連の子息と親族は、あるいは葦原に逃げかくれて、姓を改め名を変えるものがいた。あるいは逃亡してどこへ行ったかわからないものもいた。時の人は話し合って、『蘇我大臣の妻は、物部守屋大連の妹である。大臣は、むやみに妻の計を用いて、大連を殺した』といった。」

(その二)
皇極天皇二年冬十月六日の項・・・「蘇我大臣蝦夷は病によって参しなかった。私に紫冠を子の入鹿に授け、大臣の位に擬した。またその弟を呼んで、物部大臣といった。大臣の祖母は物部弓削大連の妹。だから母の財によって、威を世にはった。」
<現代語訳日本書紀/教育社新書>

この2つを総合すると、馬子の妻は蘇我氏の滅ぼした大連・物部守屋(別名を弓削ともいう)の妹であること、入鹿兄弟の祖母、つまり蝦夷の生母であるということ、また物部氏滅亡の後かなりの財を相続し(実質的には蘇我氏による簒奪でしょうが)、蘇我宗家はその財によって潤っていたということが分かります。
彼女による物部氏の財産相続は、その一の「馬子の妻が夫に計って兄を殺させた、と世間が噂した」という記述からも感じとれないこともないでしょう。妹が兄を殺させて何が得する? 他の一族が消えて何の得がある? 財産が一人占めできるじゃあ〜りませんか! 昔から激しい財産争い(^。^)?
蘇我氏との戦いで物部宗家は絶えましたが、引受け人無しならばその財は国庫に収納になったでしょう。それが蘇我宗家にいったのは彼女のおかげ。彼女が正当な物部の財産相続人だったから。
そして息子の蝦夷は、蘇我氏ながら名族・物部氏の当主も兼ねていることを示そうと、次男に「物部大臣」と名乗らせたと考えられます。

『旧事記』の天孫本紀には、守屋の妹でなく、守屋の兄・石上贄古大連と異母妹・布都姫夫人との娘、名を「物部鎌足姫大刀自」とあるそうです。すなわち守屋の姪。
しかし彼女が物部氏出身であることは間違いないでしょう。

ちなみに『旧事記』で鎌足姫大刀自の母とされる布都姫夫人、崇峻天皇の時に夫人に立てられ朝政に参与し、石上神宮を奉斎したとのこと。でも馬子の妻を生んでから崇峻天皇の後宮に入っては、年代的におかしい・・・(-_-)。かる〜く20才は年上じゃ。
「夫人」は妃の意味じゃないのかも? 名誉職?
余談ですが、漫画「日出処の天子」(白泉社)では布都姫夫人は馬子の妻の異母妹ということになっています。
(管理人は『旧事記』というものを実際に読んだことがないのであしからず。ここら辺は『日本女性人名辞典』の「布都姫夫人」の項を参照にしています。)