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智子【としこ】 1740〜1813(在位1762〜1770) . <幼名:以茶宮・緋宮> 父:桜町天皇 母:藤原(二条)舎子(関白二条吉忠の女)
.......父・桜町天皇21才、母・准后女御舎子25才 1744(5才) 深曾木の儀 1745(6才) 異母弟・八穂宮(桃園天皇・5才)、舎子の養子として准后御殿に入る 1746(7才) 同母姉・盛子内親王(10才)没 1747(8才) 父・桜町天皇、弟・桃園天皇(7才)に譲位、母・舎子皇太后に冊立(5月) ....... 幼名を緋宮に改名する(8月) 1750(11才) 内親王宣下、名を智子と定める(3月) ........父・桜町上皇(31才)没(4月)、母・舎子、女院(青綺門院)となる 1760(20才) 一品に叙される 1762(23才) 弟・桃園天皇(22才)没、即位する 1768(29才) 甥・英仁親王(後桃園天皇・11才)立太子 1770(31才) 甥・後桃園天皇(13才)に譲位 1779(40才) 後桃園天皇(22才)没、光格天皇(9才)即位 1790(51才) 母・舎子(75才)没 1794(55才) 弟の孫・欣子内親王が光格天皇に入内、中宮に冊立 1799(60才) 六十賀の祝いが催される 1813(74才) 崩御〔閏11月2日〕 (京都泉涌寺〔月輪陵〕に葬られる) .史上最後の女帝。異母弟桃園天皇の早世後、甥英仁親王(後桃園天皇)が幼少であったため即位した。摂政近衛内前が万事を執行し、政治に関わることはなかったが、好学の人として数々の歌合せなどを主催した。譲位後、後桃園天皇・光格天皇と打ち続いた幼帝に対し、上皇としてよく訓示したといわれる。 .彼女の家族は早世した人が多く、結局皇統も傍系の光格天皇へと受け継がれていく。 .文才を知られ、詠歌千数百首、日記四十一冊、『禁中年中の事』一冊を残しました。 |
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