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阿倍【あべ】 718〜770(749〜758、764〜770) <高野帝、諡号:宝字称徳孝謙皇帝> 父:聖武天皇 母:藤原安宿媛(右大臣藤原不比等の女・光明皇后)
720(3才)外祖父・藤原不比等没 721(4才) 曾祖母・元明上皇(61才)没 724(7才) 父・聖武天皇即位、内親王となる 727(10才) 同母弟・基王誕生(閏9月)、基王(2ヵ月)立太子(11月) 728(11才) 基王没(9月) 729(12才) 長屋王の変(2月)、母・安宿媛(29才)皇后に冊立 733(16才) 外祖母・県犬養橘三千代没 734(17才) 伯父・武智麻呂、右大臣となる 735(18才) 曾祖母・賀茂比売(聖武天皇外祖母)没 737(20才) 疫病流行し、伯父・房前没(4月)、麻呂没、武智麻呂没(7月)、宇合没(8月) 738(21才) 立太子、伯父・橘諸兄、左大臣となる 740(23才) 聖武天皇、広嗣の乱の都に及ぶのを怖れ、伊勢・美濃・近江を巡幸(10月) ....... 父母らと伴に恭仁宮に移る(12月)(以後五年間、平城京を留守にする) 743(26才) 恭仁宮において五節の舞を舞う 744(27才) 異母弟・安積親王(17才)没 745(28才) 聖武天皇及び百官、平城京に帰る 748(31才) 大伯母・元正上皇(69才)没 749(32才) 即位(7月)、母・光明皇太后のために紫微中台の官位を定める(9月) 752(33才) 東大寺大仏開眼供養、父・聖武上皇、母・光明皇太后らとともに出席 ....... この夕、従兄・藤原仲麻呂の田村第に入り、在所とする 754(35才) 祖母・太皇太后藤原宮子没 756(37才) 伯父・左大臣橘諸兄、辞職(2月) ....... 父・聖武上皇(56才)没、遺詔により道祖王立太子(5月) 757(38才) 道祖王廃太子(3月)、大炊王立太子(4月) ....... 大宮改修のため藤原仲麻呂の田村第に移る ....... 藤原仲麻呂を紫微内相とし、大臣と同格とする(5月) ....... 従兄・橘奈良麻呂の変(7月4日)、道祖王、黄文王ら拷問により獄死 ....... 従兄・右大臣藤原豊成、仲麻呂の讒言により太宰員外帥に左遷(12日) 758(39才) 淳仁天皇(26才)に譲位、太上天皇となる ....... 藤原仲麻呂、大保となり、恵美押勝の名を賜わる 760(41才) 恵美押勝、太保(太政大臣)となる(1月)、母・光明皇太后没(6月) 762(43才) 淳仁天皇を非難、法華寺にて出家する ....... 国家の大事と賞罰の決定を自ら行うことを宣言 764(45才) 恵美押勝の乱、敗死(9月18日)、道鏡を大臣禅師とする(20日) ....... 淳仁天皇(32才)を廃し、淡路に配流、即位〔重祚〕(10月) 765(47才) 和気王、謀反により処刑(8月)、淳仁廃帝(33才)没(10月) ....... 道鏡を太政大臣禅師とする(閏10月) 766(48才) 道鏡を法王とする、藤原永手を左大臣、吉備真備を右大臣とする 767(49才) 大学に行幸し釈奠を行う(2月)、道鏡のために法王宮職を設置(3月) 768(50才) 道鏡の弟、弓削浄人を大納言とする 769(51才) 法王に大臣以下賀拝する(1月) ....... 異母妹・不破を呪詛の罪により厨真人厨女と改名させ、京から追放(5月) ....... 和気清麻呂、日嗣は皇緒のみとの宇佐八幡神託を奏す、大隅に配流(9月) 770(52才) 崩御〔8月4日〕 (高野陵に葬られる) .同母弟・基王夭折の後、光明皇后に男子が生まれなかったため、21才にして立太子。女性皇太子の唯一の例です。32才で聖武天皇の後を受け即位しました。 .東宮学士吉備真備との師弟関係は終生変わらず、真備より受けた深い儒教的教養を持ち、礼治主義的な政治姿勢となって詔勅に示されました。 .だが、その治世は権勢争奪に絡んだ反乱や事件が多発し、断罪・処刑に課せられる者が多く出る。孝謙朝においては従兄・藤原仲麻呂を重用し、その養子格であった淳仁天皇に譲位。しかし4年後には淳仁天皇と対立し、恵美押勝の乱の後、これを廃して再び即位しました。称徳朝では道鏡を重用して法王の位を与え、また、師の吉備真備を右大臣に抜擢しています。 .和気清麻呂が日嗣は皇緒のみという神託を奏した翌年、皇位継承者を定めないまま崩御。死後、道鏡は下野国に左遷されました。 |
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