アブラモヴィッチ・ニュース 2001年
 
(2001.12.20)
水曜日にディレクターのマリヤン・ヴラクと話し合ったアブラモヴィッチは「繰り返しレンタルされることは望まない。もしここで私を必要としないならば、私を放出してくれ。私にドキュメントを渡して、そしてチームから出させてくれ」とディナモとの契約破棄を要求。またロンチェレヴィッチ監督も同席の上での話合いを求めました。アブラモヴィッチにはハイドゥクに加え、NKザグレブも興味を示しているそうですが、本人は「それについては何も言えない。時間と共に全てを知ることになるだろう」とコメント。一方、ヴラクは「契約破棄はさせない。そんなチャンスなど無い。金曜日にもう一度話合いをしても、アブラモヴィッチに契約破棄を与えて手放す考えには至らないだろう」とコメントしています。
(2001.12.15)
ドマゴイ・アブラモヴィッチがディナモ退団を示唆した翌日のJutarnji-List紙でロンチャレヴィッチ監督は食い違うコメントを残しました。「ドマゴイは練習でもよく努力し、自分を試し、動き、そしてアピールしている。だが、頭での競り合いや接触プレーの時に問題が起こる。愚かなのは"私が彼をサイドに追いやった"と偽って批判したことだ。彼は自分からそこへと逃げた。なぜなら戦いを避けたからだ。ペナルティエリアで留まる必要が彼にはあったのだが」とのこと。ロンチャレヴィッチは放出リストを作成しているそうで、アブラモヴィッチはディナモを離れる可能性が高そうです。
(2001.12.14)
この日のJutarnji-List紙にドマゴイ・アブラモヴィッチが起用面の不満から、ディナモとの契約を破棄、ハイドゥクに入る可能性があることが取上げられてました。アブラモヴィッチは「私が先発した時、監督は私を右ウィングに配置した。もちろん満足などしてないよ。私は一度も本当のチャンスを与えられなかった。続けて何試合も出場しなければ選手として成長しない。私がチャンスを与えられた時、自分のマーカーの後ろを走るように指図されたんだ....」とコメント。昨季は出場機会を求めて初めて2部リーグのクロアチア・セスベッテへのレンタルを志願したのですが、「私がセスベッテに送られた時、私は大きく成長することを望んだ。ザイエッツ(ディナモGM)は私に言った。"もし10ゴールを決めたなら、それはスーパーだよ"と。私は15試合で15ゴールを決めたが何の意味も無かった。イングランドでのU-16欧州選手権では3試合で4ゴールを決め、(ユースの)クラブでも代表でも定期的に最高のストライカーとなってきた。しかしそれが推薦理由となるには不充分だった。監督が同情してくれることで何年間も待ったのだか、それでは今後も何もならない。10分間のプレーのみや、右サイドで使われていてはね。こんなことでは選手として決して成長しないんだよ! 私はクロアチアリーグで自分を証明したい。どこでもいいからプレーしたい。たとえトシュク(現在最下位のクラブ)であってもね。そこで私のゴール数が偶然でないことを証明するのさ...」とディナモへの失望感と怒りを口にしました。彼の代理人フランコ・ジェリッチ氏は、ハイドゥクの監督スラベン・ビリッチがアブラモヴィッチの情報を集め、ただちに彼をハイドゥクに呼ぼうとしていることを断言しています。アブラモヴィッチは「ディナモの人達は私を怒らせないように、私の欠点を創造している。彼等は私のことを戦いから逃げる臆病者だと語る。もしディナモに必要無いのなら私を放出してくれてもOKだ。私がディナモを離れないとロンチェレヴィッチ監督が知ったとしても、彼はこれまでと同様に導くだろう。隔離された場所に座らせ、監督は練習前に"君はエキストラだ"と知らせる。なぜ彼は私以上にバカなことをするのだろうか?」と監督にも矛先が向っています。
(2001.10.28)
首位のNKザグレブとのザグレブ・ダービーでアブラモビッチは今季二度目のスタメン出場を果たしました。3トップでの右ウィンガーとして、途中からは左ウィンガーとしてプレーしましたが、序盤のチャンスを除けばゲームにさほど絡むことが出来ず、64分で途中交替となりました。この試合はシーソーゲームの展開となり、3-3のドロー。ザグレブに初めて本当のダービーが誕生した、と評価されるほどの好ゲームでした。

(写真) 先発するも決定機に絡めず。
(2001.10.24)
今季が始まって以来、途中交替の出場が続いているアブラモヴィッチですが、10月24日のクロアチア・カップの対カメン・イングラッドにおいてフルタイムでプレーし、良い動きを見せました。得点はヘディングによる1ゴールでしたが、チャンスを幾度と作りだし、得点力不足が問題となっているディナモで充分にアピールを果たしました。ロンチャレヴィッチ監督も「アプラモヴィッチのプレーには非常に満足している。試合を通して良くプレーした」とコメントしております。
(2001.9.15)
クロアチア・リーグ第7節対カコベツ戦で、アブラモヴィッチは70分に途中交替で出場。スコアレス・ドローになりかけた89分、GKペリッチがディナモの選手と交錯してキャッチし損ねたボールをかっさらい、決勝点となる今季初ゴールを決めました。試合後のインタビューで「GKへのファウルがあったかどうかを分析に入る前に、私はゴールを決められことを嬉しく思っている。弾かれたボールが私のところへ届き、ボールをネットに収めた。再び我々は無敵の状態を続けている。私はこの先もそうなることを望んでいるし、もっと多くのプレー時間とゴールが私にあることを信じている。」とコメントしています。

(2001.8.9)
ディナモ・ザグレブはUEFAカップ予備選でエストニアのフローラとホームで対戦。ゴンジッチの先制点後の66分にザホーラに代って交替出場。特に目立った活躍はなく、試合そのものは1-0で勝利しています。
(2001.8.4)
クロアチアリーグが7月29日に開幕。アブラモヴィッチは背番号「9」で登録されました。初戦のトシュク戦(○4-2)は出場出来ず、この日の第2節のザダール戦で途中交替で67分から今季初出場しました。しかし状況は変えられず、試合はスコアレスドローに終っています。
(2001.7.21, 23)
ディナモ・ザグレブはサン・エティエンヌに赴いて練習試合を行い、16分、54分と続けてクラニチャールのアシストからザホーラがゴールを決めて、2-1で勝利しました。ミキッチ&ザホーラのツートップの下に16歳のクラニチャールという、4-3-1-2という新フォーメーションを採用し、アブラモヴィッチは66分に交替出場、共に交替出場したペトロビッチ、マリオ・ユリッチと攻撃陣を形勢するも、目立った活躍は出来なかったようです。23日にはギリシャのアリスと対戦、こちらではバラバンとのツートップで先発するも一度のチャンスを決められず、66分に交替しました。試合は1-3で敗戦しています。
(2001.7.16)
ディナモ・ザグレブはマケドニアのヴァルダル・スコピエと練習試合で対戦、3-0と勝利しました。アブラモヴィッチは先発したものの前半はチーム全体がさっぱりの内容だったようです。後半頭からアブラは下げられ、ツールーズから復帰したばかりのペトロビッチ、ザホーラ、クラニチャールを投入して3トップの形にして大成功したとのこと。アブラモヴィッチは一気に5番手に落ちてしまいそうです(;_;)
(2001.7.7, 11)
ディナモ・ザグレブはフランスに遠征し、7日にボルドー戦でアブラモヴィッチはミキッチとのツートップで先発したもののの、65分にゴンジッチと交替しました(結果は1-1のドロー)。続いて11日にはフランス王者のナントと対戦、アブラモヴィッチはゴンジッチのツートップでスタートしましたが、後半頭から交替したザホーラとクラニチャールのツートップの方がスピードがあってナント守備陣を脅かしたそうです。結果は0-0でしたが、ロンチャレビッチも後半のツートップを誉めており、アピール不足の感があるアブラモヴィッチにはレギュラー獲得に向けて黄信号が点灯した模様です。
(2001.7.6)
ディナモ・ザグレブはガラタサライとスイス三部リーグのSOLOTHOURNによる45分×3のトライアングル・マッチを行いました。ガラタサライには0-2の敗北をしたものの、SOLOTHOURN戦はアブラモヴィッチの2ゴールをはじめザホーラ、ドルピッチのゴールで4-0の勝利をして、ガラタサライに次ぐ2位となりました。
(2001.7.2)
スイス合宿に入ってるディナモ・ザグレブはSempione Cupに参加し、スイス1部のアーラウと対戦して0-4の完敗。アブラモヴィッチは先発したものの、結果を残せないまま60分にクラニチャールと交替しました。
(2001.6.26)
ディナモ・ザグレブは2001/2002シーズンに向けて始動、この日はスロベニア1部リーグのプブリクムと練習試合を行い、2-1で勝利。先発出場したアブラモヴィッチは43分にレコのパスを受けて1ゴールを決めております。
(2001.3月〜5月)
クロアチア・セスベッテでの出場機会を求めていたアブラモヴィッチは5月27日のクロアチア2部リーグ最終節・対Zminj戦でも2ゴールを挙げて勝利に貢献、チームは3位で終了し、彼自身のレンタル生活を終えました。セスベッテでの成績は20試合出場15ゴール。僕は現地で3試合ほど観戦してきましたが、彼を活かすパッサーがいない中、自らの持ち味を出そうと頑張っておりました。ディナモのロンチャレビッチ監督は来季の戦力としてアブラモヴィッチを引き戻すことを公言しており、来季からの飛躍が期待されます。
(2001.3.6)
アブラモヴィッチは二部リーグのクロアチア・セスベッテに再び加わり、第18節にフル出場しました。相手は首位のPomorac。アウェーでの試合でしたが、ディナモから同じくレンタル移籍されている親友ダリオ・ザホーラの88分のゴールでセスベッテが1-0と勝利しています。
(2001.2.22)
アブラモヴィッチがディナモ・ザグレブと2003年夏まで契約を更新しました。
クロアチアの日刊紙Vecernji-Listの記事を紹介します。
「『契約にサインしたことは非常に嬉しいよ。子供の時にここでサッカーを始めて7年間が経ち、ディナモは僕に多くのことを与えてくれた。』−ドマゴイ・アブラモヴィッチはディナモと新たに2年間の契約を結んだあとにこう述べた。契約の場には父親のアルベルト・アブラモヴィッチ、代理人のフラノ・ゼリッチ、チームディレクターのザイェッツ、ヴラク、ロティムが同席した。
しかしフォワード層の込み具合が大きいがために、若者は夏までクロアチア・セスベッテでプレーすることになる。
『新たな契約にサインしたことは素晴らしいことだが、私は外国からのオファー(ヘルタ・ベルリン)を持っていた。しかしザイェッツとヴラクとの話合いで、ここでサッカー選手としての名声を得るほうが良いという結論に達した。夏までセスベッテでプレーすることになるが、それは私にとって最高の判断だ。なぜならプレーすることを望んでいるからだ。』−アブラモヴィッチは付け加えた。
『コンプレックス無しにドマゴイがセスベッテに行くことに決まったことは我々も嬉しい。それは我々のイニシアティブによるものではなく、彼本人の考えによるものだ。それは賢い判断であり、セスベッテにはザホーラもいる。ジュニア時代に一緒にプレーしていた興味深いタンデムとなるだろう。レンタル移籍は良い結果をもたらしてきた。ビシュツァンにしてもショコタにしても別のクラブでプレーし、彼等が帰って来た時にはチームから手放すことの出来ない存在となったのだ。』−ザイエッツは付け加えた。
人の話では、金銭面の契約条件は問題とはならなかった。アブラモヴィッチはプレーした試合数に応じて稼ぐことになるだろう。また付帯事項としては、ディナモが彼の必要性が生じた時には、夏より前にレンタルから引き戻す可能性がある。」
(2001.2.5)
ディナモはギリシャ遠征をしておりますが、アブラモヴィッチはポレチェ合宿以来、足の親指の爪に問題を抱えていて、通常の練習では強い痛みを感じることから、チームに帯同しながらもアピールできないでいるとのことです。
(2001.1.11)
3月20日から26日まで日本で開催されるユース大会に、クロアチアU-20代表が招待されていることが明らかになりました。同時期にU-21欧州選手権予選があることから、協会側が招待に応じるかは未確定ですが、もし来日が確定した場合、アブラモヴィッチがエースストライカーのチームをここ日本にて見られることになります。
(2001.1.9)
アブラモヴィッチはブラオビッチ新監督の意向でレンタル先のセスベッテからディナモに戻ることになり、10日からポレチで始まるキャンプに参加します。また9日にはディナモ・ザグレブから2年間の新たな契約を提示されたようです。今年の夏にディナモとの契約が一旦切れることから、彼にもとには移籍話がしばしば囁かれていました。本人は「クラブは私に新たな契約を差し出した。それは2003年夏までディナモに所属するというものだ。条件には満足しているが、代理人と相談してサインするかどうかを決めるつもりだ」とコメントしています。
(2001.1.7)
クロアチア日刊紙「Vecernji-List」でドマゴイ・アブラモヴィッチが自らの心境を語る貴重なインタビューが掲載されていました。記事全文を紹介します。

"第1節のチバリア戦でドマゴイ・アブラモヴィッチが素晴らしい2ゴールを決めた時、今季は彼の年になるだろうと誓う人々が沢山いた。ところが、ディナモの19歳は今年、自らが持つ可能性を花開くことを周囲から期待されていたにもかかわらず、それ以後は殆ど出場機会を得られなかった。それだけではなく、稀にユニフォームを着る時以外は、殆どの試合を観客席から見るハメになったのだ。
「プレーがしたいんだ。私にはそういった機会が与えられるべきだと思う。自分自身を信じているし、このチーム(ディナモ)でのポジションを奪えると思っている。しかし、今は"機会"だけを望んでいるんだ。」−アブラモヴィッチはそう確信している。
ビシュツァン以外、ディナモからは誰も去ることはなかった。少なくとも現在は。しかしディナモが放出リストの範囲を広げたとしても、アブラモヴィッチのライバルとなるツビタノビッチ、バラバン、ショコタが対象外になるのは殆ど確実だ。
「競争が大変なのは知っているよ。しかし、諦めてはないよ。ただ一つ断言出来るのは、ここで私がポジションを手にして、自分を証明することだ。」
彼は観客席暮らしから離れ、ここ最近の2節では2部リーグのクロアチア・セスベッテで過ごした(自分から志願してのレンタル移籍)。
「そこでの2試合は私のキャリアに何も特別なものをもたらさない。しかし、もし誰か見ているならば理解して貰えるだろう。少なくとも自分への正当な評価を得られた2試合だった。セスベッテにおける練習は殆んどしてなかったけど、移籍して10日後にはマン・オブ・ザ・マッチにも選ばれたんだ。」
これから先はどうなるのだろう? 彼は水曜日に新たな戦い、そして新たな証明に向けて準備を始めている。練習でもドマゴイは100%で行う。自我を持つ選手であっても、モチベーションと才能を持つ若者であっても、発展していく中で必ず壁があるものだ。
「これは私だけのケースでは無い。私は尽きないほど多くのモチベーションを持っている。しかしもう長く待つことはできないよ。もし夏までに本当の待遇を得られなかったら、(ディナモを)去るつもりだ! いつも"君はまだ若い"と言われるが、時間は限られているし、これでは(契約終了の)23歳までずっとこのままの状況で迎えるかもしれない。いや、それは許すことが出来ないんだ。何処へ行くって? 私は既にヘルタ・ベルリンからの長期のオファーを持っている。直ちに私を求めているんだ。しかし彼らも夏まで待つ用意が出来ている。したがって、それに関しては心配はしてないものの、本当ならばもう2,3年ディナモで留まりたいんだ。しかし、それにはプレー出来るという条件だけが必要だ。最も愛するクラブ(ディナモ)で幾つものトロフィーを征服したいよ」
現状をアブラモヴィッチは満足していているのか?
「今はいかなる試合において少なくともプレーの機会は保証されているし、自分がスタメンに値することをも指し示している。若い選手には時間があるといえども、決して成功するわけではない。ゴンジッチ、レコ、ユリッチ、ザホーラ、アブラモヴィッチ、そして仲間達(ディナモ・ユース組)は多くの可能性を持っており、ここで育った選手達がクラブの力になる時が来ているはずだ。」−アブラモヴィッチはそう結論を出した。"

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