現地発、クロアチア・サッカー報告(14)

検証−1990.5.13


 「1990.5.13」
旧ユーゴのサッカーを齧ったものならば、この日に何が起こったかは直ぐにピンと来るだろう。ボバンの熱烈ファンならばセルビア人の警官隊がクロアチア人観客に弾圧を加え、その中で袋叩きにされる子供を助けるために心優しいボバンが立ち向かったと美談に仕立て、セルビア寄りの物書きならば警官を蹴り飛ばしたボバンを悪玉として、またツルヴェナ・ズヴェズダのサポーター「デリエ」は一方的にやられた被害者として描くだろう。わずか12年前の出来事なのだが、この日に起きた真実について誰一人きちんと検証せず、偏った勝手な解釈ばかりしているのではないだろうか?

【写真:毎年5月13日は志願兵として亡くなったBBBを弔うため、スタジアム前
のモニュメントに花と蝋燭が備えられる。これは今年の写真。モニュメントには
「ディナモの全てのサポーターにとって戦争は1990年5月13日、マクシミール・
スタジアムにて始まった」と記されている】
 ティトーという唯一無二の指導者を失ったユーゴスラヴィア連邦は、共和国同士の経済格差を主要因にして民族主義政治家・民族主義政党が台頭する。1989年以来のドミノ的な共産主義崩壊はユーゴスラヴィアにも及び、共産主義同盟が消滅したことで連邦の実権はそれぞれの共和国に分割された。クロアチアではクロアチア民主同盟(HDZ)率いるフラニョ・トゥジマンが"クロアチア独立"の大義名分のもと支持を伸ばし、1990年5月5日、複数政党制選挙において急進的なHDZが過半数の議席を獲得、同月30日にフラニョ・トゥジマンはクロアチア共和国初代大統領に選出された。5.13事件は民族対立・民族主義が渦巻く中で起こった。

では、実際にどのような暴動事件が起きたのだろうか。1990年5月14日付のVecernji-List紙に分単位で事件が記述されている。これに当時現場にいた者の証言、更に昨年秋に発売されたCD-ROM「マルチメディア・エンサイクロペディア "NKディナモ"」に収められたカメラワークの異なる5種類の映像を元にして実証していく。マクシミール・スタジアムは西側が一般客の座るメインスタンド、北側のゴール裏の立見席にBBBが陣取り、東側バックスタンドの下段立見席は北側から溢れたBBB、上段椅子席にはおおよそ一般客。南側ゴール裏席の下段立見席に1500人のデリエ、上段椅子席には僅かなファンと一般客が同居していた。

17時39分−東側バックスタンド下段のBBBから南側のデリエに向けて投石が始まる。デリエも投石にて応酬。両サポーターの距離は30〜40メートル。
18時07分−デリエは南側ゴール席を上下段に分ける広告看板を剥がし始める。
18時11分−デリエは広告看板で塞がれていた上下段の間の通路を突破。上段の観客は入場口へと殺到するが、逃げ遅れた者はデリエの攻撃を受ける。デリエは次々と椅子を剥がし、観客や西側メインスタンドの方向へ投げる。入場口を通って反撃に来たクロアチア人もいたが、デリエが優勢。連邦警察の警官隊はその時、何も反応しなかった。
18時14分−東側バックスタンドから50人ほどのBBBが柵を飛び越えて、南側スタンドへ向う。立見席に残っていたデリエは上へと逃げようとするが、BBBは横断幕を剥がし取るだけで警官隊に追われて、元の東側スタンドへと逃げ込む。
18時17分−過敏に反応した北側のBBBが発煙筒を次々と投げ、空いた柵の一部から突破を試みる。突破を防ごうとする警官隊と殴り合い・蹴り合いが始まる。この辺りでディナモとズヴェズダの選手はピッチでの練習から引き上げる。
18時19分−北側のBBBが突破に成功、次々にピッチへとなだれ込む。おおよそ100〜150人のBBBは警官隊と揉み会い、南側へと詰め寄ってデリエに投石を始まる。当初、警官隊はデリエの盾となりメガホンにてピッチで暴れるBBBを説得しようとしたが、侵入後2分ほどで一気にBBBの追い出しに掛る。BBBは一目散に北側スタンドへと逃げ込むが、逃げ遅れた者は警棒で叩かれる(ここでボバンの飛び蹴りがあるが、それは後述にて)。
18時22分−2台の放水車が入ってくる。
18時29分−BBBは棒高跳びの着地台のスポンジを燃やし始める。1台の放水は北側BBBに向けられ、警官隊は催涙弾を北側へと打ち込む。
18時31分−再びピッチになだれ込み暴れるBBBが警官隊に追われて北側スタンドへと逃げ込む。BBBは警官隊に向けて「Ubojice, ubojice!」(殺人者、殺人者)と叫ぶ。
18時33分−燃えていた棒高跳びのスポンジを消火。
18時35分−東側のBBBに放水が向けられる。
18時42分−南側上段の立見席へと移ったデリエを守るため警官隊が取り囲む。
18時51分−警官隊はピッチから退き、BBBがピッチを占領する。
18時53分−警官隊はBBBに向けて催涙弾を発射。
18時56分−公式スピーカーから「サポーター達よ、落ち着いて聞いてくれ。選手達とディナモ経営陣は君達に試合だけは救ってくれと願っている」と流れる。
18時59分−BBBは放水車にも投石を始める。
19時01分−3発目の催涙弾がBBBに打ち込まれる。
19時06分−警官隊は北側スタンドに急襲を掛け、BBBを追いやる。
19時21分−公式スピーカーから試合中止が発表される。

 東側バックスタンドのBBBによる投石がきっかけにこれだけの騒ぎへと変化した。これらBBBの行動は決して許されるものではないが、デリエが襲撃の方向を更に少数派である上段の観客へと向けたのもまた罪であった。そして騒ぎが拡大した最大の要因に、当時BBBの一員として北側にいたイヴァンは南側で起きたデリエのアクションに対しての警官隊の無反応を指摘する。「連邦警察こそセルビアの象徴だった」と語る彼らにおいて、攻撃の対象はデリエから警官隊へと変貌したのであった。
ズヴェズダのキャプテンであったドラガン・ストイコヴィッチのコメントが翌日のVecernji-List紙に掲載されている。
「マクシミール・スタジアムで起きたことはディナモにとって最も損失であろう。ディナモのサポーターはチームが首位で無いことを罰したかったのだろうか?
(当時首位がズヴェズダ、2位がディナモだったが、勝点差からズヴェズダの優勝が決まっていた) 南側スタンド全てをズヴェズダのサポーターに開放する方が良かった。それならば(東側からの)ディナモ・サポーターは石で狙えなかったであろう。全てにおいて誰が罪であるかは判らない。しかし私はこのようなことを酷く嫌う。外国へと去ることをかろうじて待つだけだ。」
ズヴェズダの事務総長、ヴラディミール・ツヴェトコヴィッチ氏はデリエと警官隊の反応に対して批判する。
「貴方達が見た全てが貴方達に言えることだ。ツルヴェナ・ズヴェズダはこのようなサポーター達に支えられていないし、我々も彼らをこの試合に呼んでいなかった。警官隊はサポーターが看板を剥がし始めた時に間へと入る必要があった。そして警官隊はこの観客席の部分を空にすべきであった。我々にとってこれら全てが明日への教訓となることを望む。」

【写真:インタビューに答えるズボニミール・ボバン】
 続いて、この暴動事件で警官に飛び蹴りを加えたことでクロアチアでは英雄(悪人)扱いとなったズボニミール・ボバンについてクローズアップしてみよう。
インタビュー場所はテニス場が隣接したボバンの兄が経営するカフェ。ここには故フラニョ・トゥジマン前大統領や友人レオナルドの写真と共に、彼が警官隊と対峙する写真も壁に飾られている。ラフな格好で現れたボバンは1990.5.13事件に関してこう振り返った。
「事件から時間が経過して状況も変わり、自分の中ではOKだと考えている。今でもあれは誇りだと捉えている。人道的な意味でもモラルに従ってやったことだ。2人のファンが警棒で叩かれた。それは我々の民族に対して不正が行われていると感じた。どうして不正かと言うと、警察がクロアチア人に対してのみ、一つの民族に対してのみ行ったからだ。ベオグラードでそのようなことは無く、ザグレブで我々のサポーターのみに暴力が揮われるのは非常に不正だと思った。だから殴られている人達と同じクロアチア民族として反応しなければならない。あの頃は共産党政権、連邦警察が我々の民族に対して色々と酷いことをした。だから人道的に、モラル的に反応しなければいけないと思ってやったのだ。ちょっと感情的になったとは言えるかもしれないが、感情とともに反応するのが人間だと思う。まずはサッカー選手の前に人間であり、モラル的に反応しなくてはならなった。」

 ボバンは「自分はナショナリストでは無くてパトリオットだ」と言う。クロアチア愛国主義者の意見として聞けばひとまず筋は通るものの、事件の経過と共に咀嚼しながら自らの行動をあくまで正当化するために練り上げられたコメントではないかと勘ぐってしまう。直接的に何が彼を警官隊への飛び蹴りに駆立てたのだろうか。これについては、1990年5月16日のVecernji-List紙に掲載された、事件後間も無い彼のインタビューから読み取れる。
「ディナモのサポーターに対しての警官隊の態度に腹が立った。ヨシップ・クジェ監督
(のちのガンバ大阪監督)とヴィエコスラフ・スクリニャール(同じくガンバ大阪でもプレー)は我々のサポーターを守ろうと試みた。そこで私は自分の甥を見た。甥は警官隊に歯を折られていた。全てに対して自分のオーソリティを見せようと試みたが、まず警官隊は警棒でスクリニャールの肩を叩いた。続いて私の首と腕を叩いた。私を殴った警官隊を覚えていた。私は彼の方向へと向い、遣り返してやった。私を殴った誰に対しても私は遣り返す!」
つまり当時21歳のボバンは「遣ったら遣り返す」という典型的な一若者に過ぎなかったのが実情であった。ボバンのファンは「子供を助けるために警官隊を蹴った」と信じているだろうが、ピッチに雪崩込むようなBBBに子供がいないのは常識からでも映像からでも明らかだ。甥と言っても彼の年齢から察して兄妹の息子では無く、少し離れた親戚であろう。彼は12年前のインタビューにおいて、自分には罪が無いことを断言して、ワールドカップ・イタリア大会への代表召集に関して自分の考えをこう述べている。
「これら全ての出来事は私の代表選出の可能性に影響してくることは無いと思っている。なぜなら私はワールドカップ参加へのクオリティがあるか無いか、あくまでサッカー選手として評価される必要があるからだ。」

【写真:カフェには警官に膝蹴りするボバンの写真が飾られる】

 5月18日、第1回目のユーゴスラビア・サッカー協会の規律委員会の会合が行われた。試合でのオーガナイズの悪さを理由にディナモへ、サポーターの管理を理由にズヴェズダのそれぞれに罰せられることが決定。またボバンとスクリニャールへの罰にも触れ、ボバンに関しては賛成4:反対3で出場停止処分が決まる。同月25日、ビデオ検証と5時間の話合いの末に規律委員会は最終の裁定を下す。ディナモは6試合、ツルヴェナ・ズヴェズダは2試合のホームスタジアム使用禁止、スクリニャールは無罪、そしてボバンには9ヶ月間の出場停止が決定した(のちにドイツのテレビ局が収めた映像がボバンの行為を正当防衛だったと証明され、出場停止が4ヶ月に軽減されている)。
12年が経過し、ボバンはイタリア・ワールドカップ出場を棒に振ったことを
「私はまずサッカー選手である前に人間である。人生の中で自分として一番大切なことをやったまでで、そのためにサッカー選手としてワールドカップに出場出来なかったことは全く後悔してない」
と振り返る。 しかし、例え彼がイタリア・ワールドカップのユーゴスラビア代表に選出されたとしても、チームの戦力となったかは疑問である。

 当時のユーゴスラビア代表監督イヴィツァ・オシムはワールドカップ直前合宿のメンバーを発表した際、ボバンがリストから漏れた理由を問われ、こう答えている。
「質問はデリケートで、答えるのは難しい。才能に関していえばボバンに疑いはない。しかし、現実的になってくれ。予選で彼は一試合も代表でプレーしていないんだよ。つまり、それが答えの一つだ。
ボバンはもっと才能をピッチで表現しなくてはならない。継続的に良いプレーをすることでね。
可能性ある選手だと私は信じているが、彼が選ばれなかったことを悲劇的かつ刺激的に捉えないで欲しい。そして、自らの行動について冷静に考えて欲しい。ボバンはパルマでの試合ののち、22人の代表リストに近づいていた。ところが規律委員会は彼に出場停止処分を与えたので、私は出場停止の選手をリストに加えることは出来なかった。
ボバンは大きな才能を持ち、人間としての質も持っているが、彼は誤りを犯したことを理解し、その誤りを正す必要がある。」


 22人のリストにはボバン同様、予選で一試合もプレーしなかったロベルト・ヤルニ、ダヴォール・シュケル、アレン・ボクシッチが選出された。しかし実際にユーゴスラビアをベスト8へと躍進させる原動力となったは、ドラガン・ストイコヴィッチであり、脇を固めたスレチコ・カタネッツ(当時サンプドリア)、そしてサフェト・スシッチ(PSV)、ファルク・ハジベギッチ(ソショー)といったベテラン陣だったのである。
「サッカーは政治ではないし、政治になってはいけないものだ。私は政治家では無い。しかし、ユーゴスラビア代表は最高の選手達のグループだ。」
−サラエボ生まれのクロアチア人であるイヴィツァ・オシムは代表発表時にこう述べた。オシムに比べ、12年前のボバンの発言・振るまいは政治家以前に子供同然であったのは判って貰えるだろう。
[付記]
幾つかの文献に、1990年5月13日がディナモとズヴェズタの最後の試合と記されているが、これも明らかな誤りだ。1990/91シーズンにホーム&アウェーで二試合行われている。1990年11月18日にはズヴェズダがホームで3-1、1991年5月18日にはディナモがホームで3-2と勝利、両試合共にボバンはフルタイムでプレーした。この時は両サポーターの行き来は無かったと聞いている。

【写真:アフメトヴィッチ氏のインタビュー記事】
 そもそも、ボバンが蹴りを入れた警官というのはセルビア人警官なのか? ユーゴスラビア連邦がモザイク国家ならば連邦警察もモザイク組織だ。事件からちょうど12年が経過した2002年5月13日、Vecernji-List紙で驚きの記事を見つけた。「ボバンと会うことを望むよ」との見出しでインタビューを受けたレフィック・アフメトヴィッチ氏(Refik Ahmetvic)。12年前にボバンに蹴られた警官である。現在はサラエボで自動車教習所のインストラクターを務めるアーメトヴィッチ氏は名前からも明らかなムスリム人だ。衝撃の事実に驚く僕に近くにいた友人ミロが諭した。
「ボバンが蹴ったのはセルビア人警官だって? 誰もそんな認識はしてないよ。大体、誰がセルビア人で誰がムスリム人だなんて一目で解かるわけないじゃないか。」

 
アフメトヴィッチ氏は記事の中で当時を率直に振り返る。
「今は自分の時間の多くを運転教習に費やしているが、時々あの出来事を思い出す。記憶は色褪せることは無い。我々はBBBとデリエをなだめるという義務を与えられたが、サポーター間の喧嘩が展開されてしまった。一人のサポーターが同僚を殴ろうとし、私は彼を守ろうとした。ズボニミール・ボバンは私の身体に両足で蹴りを入れることで反応した。私が悪くて蹴りを受けたのか義務として受けたのかに関わらず、それは私自身への蹴りではなかったと判断している。それは当時の国家に対しての蹴りであった。私はダイレクトな国家の化身であったのだ。
信じて欲しい。起こったこと全てを考慮に入れなくても、私はボバンの豊富なキャリアにおいての成功全てに喜んだ。彼が世界的なスター選手になったことは嬉しいよ。またクロアチアがワールドカップ3位になったことも嬉しかった。90年5月のこの不幸な出来事から私は逃げることは出来ない。しかし、私はある一つの望みを持っている。それはボバンと会いたいということだ。」

 彼がセルビア人ならば民族対立を単純図式化できる。これを98年フランス・ワールドカップ前後に日本の幾人かの物書きが安易に文章にして広めたことが「セルビア人警官」として定着させてしまったのだ。しかし実際の警官はムスリム人だったというのは強烈な皮肉だ。当時の写真や映像を見ると、アフメトヴィッチ氏を含む2人の警官に警棒で殴られた時にもボバンはアフメトヴィッチ氏に膝打ちを加えている
(カフェに飾られる写真参照)。その後、ボバンは別の現場にいたアフメトヴィッチ氏を見付けて走り出し、不意打ち的に両足で乗り掛るような形で蹴り飛ばした。ボバンの背後には彼の行動を静止しようと追い掛けるスクリニャールとクジェ監督の姿があった。

ボバンがこの事件を「私が人間となった日だ」と昇華させるならば、アフメトヴィッチ氏は事件の中での自分の存在を、加害者でも無く被害者でも無い「国家の化身」であったと昇華させる。しかし両者の自己解決とは関係無く、この事件は様々な解釈が重ねられ、とりわけ日本では誤った形で伝えられ続けることになる。BBBとは全く無縁で、当時は20歳だったマリッツァは冷静にこう語る。
「おおよそのクロアチアの歴史家はあの事件と戦争勃発は関係無いと答えると思うわ。その前から戦争となる予兆はあったわけだし。もしサッカー好きの歴史家だったら関係あるとも答えるかもしれないわね。」

 ボバンに殴られた元警官の記事を現BBBのメンバーの一人、フラニョに見せて感想を尋ねた。
「ボバンが実際に蹴り飛ばした警官がムスリム人であろうが関係ないよ。1945年以来、警察長官の90%はセルビア人であり、それはクロアチア人にとって恐怖であった。つまり警察はセルビア人を代表する組織であったのさ。」

僕はフラニョに意地悪な質問をぶつけた。
"ならば、ボバンが蹴り飛ばしたのが実はクロアチア人の警官だったらどう思う?"
−苦虫を噛み潰した顔でフラニョはこう答えた。
「うーん、それでもボバンを支持しただろうなあ。重要なのはセルビア人の象徴であった警察隊に飛び掛ったことさ。」
続いてトミが答えた。
「ボバンはBBBとクロアチアという我々の国家を守ったのさ。クロアチア人にとっての英雄だよ。しかし今は...」
ん、今は?
「今はすっかり自惚れやがったよ。昔は確かに英雄だったが、金も名誉も得て天狗になっちまった。オレは嫌いだな。」
トミの発言にその場に居あわせたBBBの誰もが"そうだ"と頷く。2000年8月9日、チャンピオンズリーグ予備選にてディナモはACミランと対戦。試合前にミラノのドゥーモ広場に集結したBBB150人がイタリア警官隊と大立ち回りを演じる。この事件に際してボバンは寄りによって「BBBはフーリガンだ」と口を滑らせてしまったのだ。10年前は共に警官隊と遣り合った同士だったのだが。これでボバンとBBBの蜜月は完全に終った。

「1990.5.13」−この日に起きた事件から、今度はズボニミール・ボバンという名前が消えるのもそう遠く無い話かもしれない。


写真の一部は日本の新聞社取材に同行した際に筆者が撮影したものです。またボバンのインタビューは取材コーディネーターとして知り得た内容であります。これらの掲載に当たってはクライアントから許諾を得ています。ホームページ掲載の記事・写真などの無断転載を禁じます。

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