現地発、クロアチア・サッカー報告 (番外編)
バルト三国・サッカー探訪の旅 (1)
リトアニア
〜
ビリニュスの新興クラブとロマノフ王朝 〜
2008/7/17 UEFAカップ予備戦一回戦「FKヴァトラvs.ヴァイキングFK」
スペインの優勝で終わった「ユーロ2008」から半月余り経った7月16日、僕はリトアニアの首都ビリニュスに足を踏み入れた。歓喜から一転、奈落の底へと落とされたクロアチアvs.トルコの準々決勝以来、溜息ばかりをつく毎日。ザグレブからビリニュスまで辿り着くには、その準々決勝で訪れて以来のウィーンを経由することになる。ウィーン空港では叩き売りとまではいかないが、ユーロ2008のTシャツが割引で売られ、あの饗宴も既に過去のものになったようだ。
【ビリニュスの大聖堂。旧市街は
古い教会が多い世界遺産だ】
「バルト三国・サッカー探訪の旅」。あの試合のショックを忘れるには悪くないアイデアだった。マイナー志向の性格もあるのだが、一年以上前にクロアチアの友人と飲んだ際、彼ならではのバルトの魅力を語ってくれた。
「エストニアもラトビアもビールは安いしな。美人も多いし、ほんといい国だったぞ」
彼はクロアチア代表のサポーターとして2001年6月にラトビア、2003年6月にエストニア、またディナモ・ザグレブのサポーターとして2001年8月にエストニアを二日以上かけて陸路で訪れたというツワモノだ。確か話題のきっかけは、彼が昨年6月のエストニアでのユーロ予選観戦を計画していたことだったと覚えている。彼は続けた。
「今じゃEUに入ってすっかり物価は上がったと聞いているけどな」
こう振り返れば、サッカーに絡めたバルト訪問のチャンスを、これまで僕は指をくわえながらみすみす逃したことになる。この夏、訪問のきっかけとしてチャンピオンズ・リーグ予備戦でディナモがバルトの国々と当たることを期待していたが、それも見事に外れてしまった。同じヨーロッパにもかかわらず、バルトの国々に対してクロアチアからは「遠い」イメージを抱きすぎていたのだ。これ以上物価が上がる前に行かねばならぬ。
実はバーゼルでのユーロ準決勝取材を想定し、「ザグレブ〜バーゼル」間のフライトをなけなしのマイルで予約していた。結局はキャンセルするハメになったが、期限を考えればマイルを使うタイミングを今しかない。帰国日をクロアチア・リーグ開幕に間に合うよう7月27日に決め、それから一気に、かつ丹念にバルト三国のサッカー日程を調べ、クラブに取材申請を出していった。このご時勢、インターネットさえあればどこのマイナークラブだろうがコンタクトが取れる。サッカー観戦の旅をしていた10年ほど前の頃を考えれば、改めて凄い時代になったものだ。
最初の訪問地、リトアニアのビリニュス。クロアチアとリトアニアは国土面積や人口、物価やGDPなど、国家としての規模が良く似た国だ。そのためクロアチアから来たところでも違和感はそう感じない。古い交通機関や道路舗装の悪さはそっくりだ。ソ連から独立して18年、ロシア語教育を受けた世代が多い国でもり、いざ言葉が通じなければロシア語と同じスラブ語グループであるクロアチア語を話せば何とかなる(ロシア人の比率が多いラトビアやエストニアでは尚更だった)。
ただし、クロアチアと違うのは人が寡黙なところだ。5日間の滞在でからかわれた回数は"わずか"に二回。ちなみに次に訪れたラトビアではフレンドリーに声を掛けられる反面、からかわれる機会も多かった。ラトビアもクロアチア同様に根の悪い右翼主義が蔓延しているのだろうが(ミュージックショップで愛国歌のCDを店の中央に置く辺りはそっくり)、リトアニアはその点でシャイで商売っ気もなく、外国人に対しても無関心だった。一方で自殺率は世界一だというが。
【古いスポーツの資料もバスケにまつわる
ものが多い。ビリニュス郊外のトゥラカイ城にて】

話をスポーツに移そう。リトアニアNo.1スポーツといったらバスケットボールだ。独立以来、オリンピックでは銅メダルを3度獲得し、2003年には欧州選手権を制覇。欧州選手権ではソ連支配以前、つまり第二次大戦以前に二度優勝し、ソ連に併合されてからもリトアニア人選手が主力選手だったという。「バスケットボールはリトアニアにとって二番目の宗教だ」とさえ語られる。
そのリトアニアでサッカーはバスケットボールの陰に隠れた存在といえる。これまでワールドカップ、ユーロの出場はゼロ。とはいえ、今回のユーロ2008予選では噛ませ犬でないことを証明した。2006年9月2日、会場はナポリのサンパオロ・スタジアム。初戦の相手はドイツ・ワールドカップで優勝したばかりのイタリア。リボルノ監督からイタリア新監督となったドナドーニは自らの教え子に手を噛まれることになる。21分、リボルノ所属のFWダニレヴィシウスが先制点を奪うと、その後は30分にインザーギのゴールのみで押さえ込み、アウェーで貴重なドロー。ちなみにドイツ・ワールドカップ予選でもスペイン相手にアウェーで0-0のドロー、クロアチアもユーロ1996予選でドローの苦渋を味あわせている。
ところで、バルト三国同士での実力の優劣はどうだろうか。参考データに使えるのは、1928年以来行われている「バルティックカップ」だ。バルト三国で唯一ユーロ本大会(2004)にも出場したラトビアが優勝19回とトップ。続いてリトアニアが16回、そしてエストニアが8回となる。リトアニアの黄金時代は90年代であり、8回中、実に6回に優勝している。
また現時点での実力を計る物差しとして、2008年8月6日に発表されたFIFAランクを挙げてみよう。リトアニアが59位(520P)、ラトビアが65位(484P)、エストニアが121位(256P)。つまり、エストニアが一歩遅れた状況で、リトアニアとラトビアが拮抗した関係にある。先のユーロ予選のリトアニアは、リウビンスカス監督の指導による強固な守備をベースにした手堅いサッカーをやり、ウクライナ戦の勝利を含む5勝1分6敗、勝点15の7ヶ国中5位でフィニッシュした。失点13(得点11)という数字は、イタリアの9失点、スコットランドの12失点とも遜色ない数字だ。
[※ちなみに1992〜1995年、また2003年から今まで代表監督のポストにあったリウビンスカスは政治家に転身するため、この8月に辞任している。8月にはカウナスの新監督ジョゼ・コウセイロが兼任で指揮することに。リトアニア初の外国人代表監督となった]
【観戦からわずか4年のヴァトラ・スタディオン。
試合1時間半前はまだガランとしていた】
ただし、今回の旅の趣旨はカメラ片手にバルト三国のサッカーをクラブレベルにて追うことだ。現在のリトアニアの一部リーグ「A LYGA」は8チームからなる。2006年にチャンピオンズ・リーグ予備戦二回戦でディナモ・ザグレブがリトアニア王者のエクラナスと対戦したことを覚えているが、1999年以降にカウナス以外で優勝したのは2005年のエクラナスのみ。2007/2008シーズンはカウナスが2位スードゥヴァ・マリヤムポーレを勝点差15も引き離す優勝を果たした。しかしながら、今季は半シーズンを終えてカウナス、スードゥヴァ、エクラナスの3チームによる混戦状態。それを追うのがビリニュスに本拠地を置く新興クラブ、FKヴァトラ(FK VETRA)だ。
7月17日、場所はビリニュスのヴァトラ・スタジアム(収容5,500人)。最初の取材カードに選んだのはUEFAカップ予備戦一回戦第一戦「ヴァトラvs.ヴァイキング」だ。ビリニュス中央駅からもそう遠くない徒歩圏内のスタジアムである。
ヴァトラは1996年創立と「A LYGA」では最も若いチームだ。チームカラーの黄色の座席で覆われたバックスタンドにはチーム名の「VETRA」(リトアニア語で「嵐」の意味)の赤い文字が浮かび、ゴール裏にはリトアニア国旗にちなんだ黄・緑・赤の三色横縞の座席が鮮やかに映える。2004年に完成したこの新しいスタジアムは、カウナスの「S.ダリウス&S.ギラナス・スタジアム」と共にリトアニア代表の試合で使用されているという。ヴァトラのメインスポンサーの一つはナイキ。ヴァトラ・スタジアムにはナイキのロゴ「スウッシュ」があちこちに目立つ。
12年の歴史しかないヴァトラはサクセスストーリーに満ち溢れたクラブだ。1996年、4部リーグでスタートした彼らは1998年に3部、2000年に2部、そして2001年に1部に昇格。一度は2部に降格するも、2003年に再び1部に戻ってからは3〜5位をしっかりとキープしている。2003年、2005年、2008年にはリトアニア・カップで準優勝。そして2004年からは欧州へと踏み出した。この年、90年代にオーストリア・ウィーン、ハンブルガーSVで活躍したリトアニア人FWヴァルダス・イヴァナウスカスを監督に招聘し、インタートトカップ二回戦ではスコットランドのハイバーニアンに大金星を収める。4年連続のインタートトカップ出場となった昨年は、二回戦でレギア・ワルシャワのサポーターがヴァトラ・スタジアムで暴動を起こしたこともあり、不戦勝で三回戦に進出。そこでブラックバーン・ローヴァーズとも対戦した。
けれども昨年末にロシアのスポンサーが撤退したことで危機が訪れた。給与未払いが続き、新たなスポンサーを見つけるまでに選手の多くが、またチームスタッフがチームを去ってしまったのだ。監督としてエクラナスを二度リーグ優勝に導いたヴィルギニウス・リウブシスは5月のインタビューで
「もっとディフェンスをしっかりさせ、攻撃はよりアグレッシブにさせたい」
と語った。初めてUEFAカップ出場に挑戦するヴァトラだが、昨季まではブラジル人やクロアチア人、スロヴェニア人らがいたものの、彼らがチームを去った今は、リトアニア人をベースにマケドニアとグルジア、ウクライナから補強。しかし、キャプテンで司令塔のマケドニア人MFデヤン・ミロシェスキがサスペンション。ゲームメイクでは彼の欠場が響き、どちらかといえば凡庸な3人のセントラルハーフを置いた4-5-1システムを敷いてきた。
GKスミシュコ
−(右から)DFバロヴスキ
、ツヴェタノヴスキ
、キヤンスカス
、ヤンカウスカス
−MFヴァジェヴィチウス
、レメジス
、オスタプ
、シェルナス
−FWラズリス![]()
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【サムエルソン(左)にタックルするオスタプ(右)。 |
【とてもおとなしいバックスタンドの観客。 |
一方、対戦相手となるのはノルウェーのヴァイキングFK。1899年創立と歴史は古く、過去に8度リーグ優勝。2002/03シーズンにはチェルシーをUEFAカップ一回戦で葬り去ったことがある。昨シーズンは3位となり、UEFAカップの出場権を取得。ちなみにこの試合の3日前、ヴァイキングはチーム唯一のリトアニア人FWアンドリウス・ヴェリチュカを100万ポンドでグラスゴー・レンジャースに売却。ヴェリチュカは祖国凱旋に至らなかった。こちらのシステムは4-3-3。国際色豊かなスタメンだ。ヴァイキングの撮影スタッフに聞いたところ、ヴェリチュカがいた頃は彼がワントップの4-2-3-1を組んでいたが、現在はチームのベストプレイヤーであるチェコ人のマルティン・フィロが3トップの中央に入る。ちなみにフィロはU-21チェコ代表のキャプテンも務めた22歳の若きタレント。昨年12月に180万ドルというチーム史上最高の移籍金でヴィクトリア・ビルゼンから獲得した選手である。
GKミューレ
−(右から)DFロス
、ソマ
、クリングバイル
、ベルテルセン
−MFサムエルソン
、ストックホルム
、ダニエルソン
−FWアルデルソン
、フィロ
、ガールデ![]()
木々に囲まれたヴァトラ・スタディオンに集まった観客は500人ほど。牧歌的な雰囲気の中、バックスタンドはまったりとしており、試合に関心のない子供たちがスタンドをはしゃぎ回る。ゴール裏の右上角にはヴァトラのサポーター「トルナドス」("竜巻"の意味)が30人ほど構えた。構成員はユース選手と20代の男性が中心だが、女性も数人ほど加わる。声と手拍子のみのオーソドックスな応援で、コールのバリエーションが少ない分、静かな時間帯がもっぱら多い。
一方で北欧から9人でやってきたヴァイキングのサポーターは、思いのほか熱いサポーターだった。「ビッケ! ビッケ!」と叫ぶ彼ら。その昔、「小さなバイキング
ビッケ」というアニメがあったことをつい思い出させた。
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【思わぬ展開にヴァイキングのサポーターも切れ気味】 |
【オーソドックスな応援に徹するトルナドス】 |
18時のキックオフで蓋を開けると同時、ヴァイキングの速いパス回しとサイドアタックにヴァトラは防戦一方となる。トーレ・アンドレ・フロやヨンセンといった上背のある選手のおかげで「ノルウェー=巨人」とのイメージが刷り込まれていたが、ヴァイキングのサッカーは実にシンプルだ。しかし、左ウィンガーの195cm、ガールデの頭に合わせるわけではなく、綺麗に崩そうとするが余り、ゴール前でヴァトラの守備網に捕まってしまう。
【オスタプ(27番)に詰め寄るヴァイキングの選手たち】
チャンスらしいチャンスを見出せなかったヴァトラだが、14分に"ラッキーな事故"が発生する。ヴァトラのシェルナスが倒れているのを見たバイキングのGKミューレは、ラインの外へボールを出して試合をストップ。審判に起こされたシェルナスは立ち上がるや、スローインでハーフライン際のオスタプにボールを預けると、オスタプはGKに目掛けて大きく蹴り込んだ。するとボールは前方に出すぎていたGKミューレの頭上を越えて、ゴールへと吸い込まれてしまったのだ(動画)。
相手へ返すボールがたまたま大きくなりすぎたのか、それとも意図的に狙ったのか? 呆然と立ち尽くすGKミューレ。そしてゴール裏で大喜びするヴァトラ・サポーターの「トルナドス」。フェアプレーに反するとしてヴァイキングの選手たちは猛烈に抗議をしたものの、ロシアのグヴァルディス主審はルールに則ったとしてゴールを認めた。前半を終えてドレッシングルームに向かうGKミューレはこう何度もヴァトラのベンチに叫んだ。
「あれは恥だぞ!」
後半が始まると同時にヴァトラ・サポーター「トルナードス」がせっせと何かしらを準備しており、
カメラを構えて待っていると、何てこともない、ただゲート旗を三本立てて紙吹雪を巻くだけであった。しかし、その素朴さがリトアニアらしさではなかろうか。
後半の序盤はヴァトラが主導権を握りかけたが、またしてヴァイキングが攻める展開に。決定機は65分、ベルテルセンのCKから19歳のアンデルセンがファーポストでヘディングシュートするも、ゴール前で壁を築いたヴァトラの選手たちに掻き出されてしまった。試合前に何度も左からクロスボールを入れる練習をしていた背番号10のMFエドゴーが70分に投入。ようやくガールデの高さを活かすサッカーを始めるものの、ゴール前をしっかりと固めるヴァトラを崩せない。
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【チェコ期待のFWフィロ(16)もヴァトラの |
【途中交代で入ったヴタヴィチウス(左)のミドルシュート】 |
ヴァトラも反撃とばかり71分に途中交代のMFヴタヴィチウスがミドルシュートするも追加点は奪えず。結局はあの一点て1-0でヴァトラが勝利。20時近くとなり太陽がすっかり西へ傾いても、まだまだ夕陽がまぶしい中、ビリニュス市民はまったりと帰っていくのであった。それとは対照的にGKミューレは試合が終わっても怒りが収まらず、ヴァトラの選手たちやベンチに怒鳴り込み、試合後にこう嘆いたのだった。
「このような反スポーツ行為は経験したことがない。この先、似たような事件を二度と見ることがないのを願うだけだ。まったくもって最低だ」
キャプテンのストックホルムも続いた。
「このようなハイレベルの大会でこんな事件が起こるとはスキャンダルだ。もし逆の立場ならば当然のこととしてボールを返すのに、彼らはプレーを続けてしまった。私がいるチームではこんなことは絶対に起こらないさ。ここへと来る際、ある偏見を持っていたんだけど、事件の後となってはその偏見は正しかったようだ」
【記者会見場のリウブシス監督】
記者会見では神妙な面持ちでヴァトラのリウブシス監督は語った。
「オスタプがボールを蹴った際、彼は何も見てはいなかった。リプレイで検証すれば、彼が下を向きながらボールを蹴っていたのを見られるはずだ。どこに相手のGKが経っているなど彼は知らなかった。わざとやったわけじゃないんだ」
歴史的にみればリトアニア人は大公国を築いた13〜15世紀以降、ポーランドやロシア、ドイツといった国々に振り回され、不器用ながらも誇りを持って生きてきた人々だ。彼らには「シャイで無関心」というイメージがあったが、旅の中でも決して人を騙そうとする人たちではなかった。蹴ったのはリトアニア人ではなくモルドバ人とはいえ(モルドバも歴史的に大変な国たが)、今回の事件で「ヴァトラ」は意図的にやったのではないものと信じたい。
復讐の念に燃えるヴァイキングは2週間後、ホームにヴァトラを迎え、しっかりと憂さを晴らした。3分にストックホルムがFKを叩き込むと、33分、エドゴーが倒されて得たPKを再びストックホルムが決めて2-0。ヴァトラも後半にチャンスを何度か迎えたものの、名誉挽回とばかりGKミューレが彼らに立ちはだかったのだ。
【ビリニュス、ジャルギリス・スタジアムの正門】
リトアニアで見た試合はこれのみ。悔やまれるのはリトアニア・サッカー界の頂点に立つFBKカウナスを見られなかったこと。7月22日にチャンピオンズ・リーグ予備戦「カウナスvs.サンタ・コロマ(アンドラ)」があったものの、ラトビアでの試合(「ベンツピルスvs.ラネリー」)を選択したこともあり、見られず終いに終わったのだ。
ビリニュスの町ではサッカーの匂いはなく、旧市街の北に位置するかつてのナショナルスタジアム「ジャルギリス・スタジアム」(収容15,030人)を訪れた時、その酷く落ちぶれた建造物に驚きを得たものだった。
(1950年にドイツ人捕虜が建設し、1410年のポーランド・リトアニア連合軍とドイツ騎士団との戦争名にちなんだリトアニア最大のスタジアム。一部リーグのジャルギリス・ビリニュスが本拠地を置く)
ビリニュスでの試合の翌日、カウナスへと移動し、町を散策すると至るところにサッカーにまつわるポスターがある。観光案内所に入ればFBKカウナスのファンショップが併設されていた。
「カウナスで試合を見られないとは残念だね。スタジアムには行ってみたのかい?」
【二人の英雄の逝去75周年イベントのポスターの下には
カウナスとエクラナスの両雄対決のポスターが】
ファンショップの男性はそう薦めてきた。リトアニア人としては珍しくフレンドリーで、そこでTシャツを購入した際にはFCカウナスのピンバッヂをプレゼントしてくれたのだ。ファンショップから西へと向かい、丘を登るとそこに「S.ダリウス&S.ギラナス・スタジアム」(収容8,500人)があった。
その名前は二人のパイロット、ステポナス・ダリウスとスタシス・ギラナスにちなむ。米軍パイロットとして活躍し、またスポーツ愛好家であったダリウスは1923年にカウナスでスタジアム建設を提唱。その2年後に完成した。1933年、祖国にちなみ「リトアニア」と命名したプロペラ機で、ダリウスとギラナスはニューヨークからカウナスまでの無着陸飛行を試みた。しかしながら、大西洋横断に成功したあと、悪天候に見舞われてドイツとポーランドの国境で墜落死してしまう。今では国家的英雄とされ、10リタ札の肖像にもなっている二人だが、昨日(7/17)が亡くなってちょうど75年ということもあって、カウナスでは様々なイベントが行われているようだった。
1998年に修復したとというS.ダリウス&S.ギラナス・スタジアムだが、ここもまた老朽化していた。イタリアのバーリにあるサン・ニコラ・スタジアムを彷彿とさせるスタンドながら、もちろんのこと屋根はなく、二階席からは金属部分がむき出し。2005年に設置されたというバルト三国最大の電光掲示板も何か不釣合いに思える。
【クライペダ、ジャルギリス・スタジアムの犬】
カウナスの後はバルト沿岸の町、クライペダを訪れた。13世紀にドイツ騎士団によって作られ、今でもドイツ人観光客で賑わうヘライペダには一部リーグ「FKアトランタス」があり、リトアニア独立後は2001年と2003年にカップ戦にも優勝した中堅クラブだ。現在、FC町田ゼルビアで選手兼指導者をしている竹中穣さんが2000年から2003年まで所属していたことで耳にした方もいることだろう。本拠地の「ジャルギリス・スタジアム」(収容5,000人)は中心部と逆方向にあり、周辺には工場と空地が広がる。1960年建設だけに正門は共産主義チックな作り。クラブハウスは新しく作られたようだが、地区が地区だけに何とも物寂しげなスタジアムだった。スタジアムへの鉄柵の向こうには、なぜだか犬が一匹、僕を待ち構えてくれた。
リトアニア・サッカー界の問題はインフラにあるようだ。前述のリトアニアの名選手イヴァナウスカスもインフラの未熟度をこうこぼす。
「不幸なことにリトアニアにはサッカーのピッチが足らないんだ。ぞっとするような環境で子供がプレーしなければならないのを親が見たならば、親は子供にサッカーをさせたがらないんだよ。ラトビアはユースに投資したこともあって、しばらくしてその結果を君たちを今、目にしているだろう。しかしながら、リトアニア・サッカー界に関わる人たちはこの状況を変えようとチャレンジしているところなんだ」
事実、この7月、昨季2位のFKスードゥヴァ・マリヤンポーレは900万ユーロをかけてリトアニア初のサッカー複合施設をオープン。4200人収容(うち2500席が屋根付き)のスタジアムに加え、練習用のピッチ2面を併せ持つ。またストゥーヴァは子供向けのフットボール・アカデミー開校も準備中だ。
最後に旅と話は逸れてしまうが、一人の人物を触れずしてリトアニア・サッカー界を語るのは許されないだろう。ロシア系リトアニア人の実業家ヴラジミール・ロマノフだ。彼はリトアニア初の民間銀行「ウーキオ・バンカス」の筆頭株主でもあり、UBIG投資グループの会長として鉄鋼・繊維・不動産・放送業界に進出する大富豪。FBKカウナスのメインスポンサーはウーキオ・バンカス、つまりロマノフが事実上のオーナーだ。
【カウナスの観光案内所に掲げられる写真】
2004年シーズン、カウナスとエクラナスの両チームが最終節の直接対決までもつれる優勝争いを演じた。勝点差が並んで迎えたエクラナス・ホームの対決前夜、リーグを運営するNFCA(国立サッカークラブ協会)が「エクラナスの役員がカウナスの選手に対して、試合に負けるよう賄賂を送ろうとした」と容疑をかけ、3-0でカウナスの勝利とすると発表した。ちなみにNFCAの会長はウーキオ・バンカスの副CEO(最高経営責任者)ウビンフスキスだった。続いてリトアニア・サッカー協会は、いかなることがあっても試合は行うべきという主張をくつがえした。リトアニア・サッカー協会の会長ヴァラナヴィチウスはウーキオ・バンカスのCEO。つまり、ロマノフの息が掛かった二人なのである。最終的には試合が行われ、カウナスが2-0で勝利してシーズン6連覇を達成したものの、観客は怒り狂って瓶を投げつけるなど物々しい雰囲気の中、審判団とカウナスの選手たちはピッチから逃げるしかなかったという。
ちなみにこのシーズンは、ヴァトラがイヴァナウスカスを監督の下、インタートトカップ二回戦ではスコットランドのハイバーニアンに金星を収めた年だ。イヴァナウスカス監督はリトアニア代表のアシスタントコーチを兼任しており、インタートトカップ三回戦でブラックバーンに敗れるや、代表仕事の忙しさを理由にヴァトラの監督を辞任。しかし二週間もすれば、イヴァナウスカスはカウナスの監督として迎えられた。これも水面下でロマノフが進めたに違いない。そして彼は二冠を達成した。
ロマノフの野望はリトアニア国内に留まらず、ベラルーシのFC MTZ-RIPOを買収すると、続いてスコットランドへと進出。2005年に名門ハーツを買収に成功し、イヴァナウスカスをアシスタントコーチとして送り込むだけでなく、カウナスの選手をローンでハーツに送り込んだ。レアル・ソシエダやベンフィカ、ポルトの活躍が記憶に新しいリトアニア人FWエドガラス・ヤンカウスカス(現スコント・リガ)もその一人だ。2005/06シーズンはジョージ・バーリー監督の下、レンジャース戦の勝利を含む開幕8連勝を含む負けなしで首位を走っていたのにもかかわらず、バーリーはロマノフとの対立から10節を終えて辞表を提出。またハイバーニアンにシーズン最初の敗北を喫すると、チーフエグゼクティブのフィル・アンダートンを解雇。それに反発したチェアマンのジョージ・フォークスが辞任すると、直ぐにロマノフは自分の息子、ローマン・ロマノフを会長に据えた。これぞ「ロマノフ王朝」。その後、監督として迎えたグラハム・リックスも4ヶ月余りで解雇し、腹心のイヴァナウスカスを監督に起用。最後はプレミアリーグ2位とスコテッシュカップのタイトルを手中に入れたのだった。
【カウナスとハーツのメインスポンサー
「ウーキオ・バンカ」の広告にもサッカーが】
翌シーズン以降もロマノフは更に独裁色を強めていく。カウナスからリトアニア人選手を次々と送り込み、ロマノフと同調できないキャプテンのDFスティーブン・プレスリー、GKクレイグ・ゴードン、MFポール・ハートリーの3人のスコットランド代表が次々と退団。2006/07シーズンは4位で欧州カップ出場権を得られず、2007/08シーズンは8位と地盤沈下中だ。
しかし、2008/09シーズン、ロマノフは予想外の形で宿敵を倒すことになる。チャンピオンズ・リーグ予備戦一回戦でサンタ・コロマを一蹴したカウナスは二回戦でグラスゴー・レンジャースと対戦したのだ。カウナスのキャプテン、DFネリユス・ラジウスは試合前にこう語る。
「僕たちにはレンジャースを倒す必要があるとロマノフは言っている。彼はカウナスに頑張ってもらいたがっていると僕は思うんだ。彼のためにもトライするよ」
リトアニアとスコットランドを股にかけた「ロマノフ王朝」の中で、一人複雑な心境で迎えた選手がいる。そう、ヴァトラとの試合直前にヴァイキングからグラスゴー・レンジャースに移籍したリトアニア人FWヴェリチュカだ。彼はカウナスで生まれ育ち、2006年夏にロマノフの手でカウナスからハーツにローン移籍。ハーツでは47試合19ゴールを挙げる活躍をし、プレミアリーグにおけるハーツの記念すべき500ゴール目をレンジャース相手に決めたのもヴェリチュカだった。2008年2月、移籍金100万ポンドの4年契約でヴァイキングに完全移籍したものの、ハーツでの活躍を覚えていたレンジャースが7月になって正式獲得。「レンジャースが僕を望んでいたとは驚きだった」−そう語るヴェリチュカは、古巣に触れられるとこう述べた。
「現在のカウナスがどんなチームか多くのことは知らないけど、きっとタフなゲームになるだろう。カウナスのイレブンはアイブロックスという舞台で自分をアピールするチャンスとなるんだ。もっと良いチームと契約を結べる大事な機会だってね」
カウナスはレンジャースは2000/2001シーズンのチャンピオンズ・リーグ予備戦で対決しており、アイブロックスでは1-4の完敗。いわば今回は8年越しのリターンマッチだった。当時はカウナスの一員だったヴェリチュカは運命に操られるがごとく、ヴァイキングの一員としてヴェトラと戦うのではなく、レンジャースの一員でカウナスと戦ったのだ。
「UEFAカップ準優勝のグラスゴー・レンジャース、チャンピオンズ・リーグ敗退が決定!」
【会場となったS.ダリウス&S.ギラナス・スタジアム】
このニュースは様々なストーリーが入り組む中で起きたアップセットだった。7月30日、カウナスは初戦のアイブロックスで0-0のドローに持ち込むと、8月5日、S.ダリウス&S.ギラナス・スタジアムで第二戦を迎えた。
33分に右サイドを崩したFWナチョ・ノヴォのアシストからMFトムソンに先制されるも、その10分後、ロマノフへの公約通り、キャプテンのDFラジウスが正面やや左30mの距離から強烈な直接FKを叩き込んで同点。しかし、このままではレンジャースがアウェーゴール2倍ルールで突破してしまう。後半のカウナスは攻めまくる。レンジャースのウォルター・スミス監督は66分、MFアダムを下げてFWヴェリチュカを投入。試合の運命を分ける瞬間が79分に訪れた。DFパパッツが左サイドからペナルティエリアに侵入し、ゴール前のヴェリチュカへラストパス。しかし、このビッグチャンスにヴェリチュカはシュートを吹かしてしまったのだ。それを罰するかのごとく、85分、カウナスはMFレデスマの左CKにMFピリバイティスがニアに飛び込み、誰もケアできないままヘディングシュートはゴールへと吸い込まれた。ピリバイティスもまた昨年にロマノフによってハーツにレンタルされていたリトアニア人だった。
ロマノフは試合後、プレミアとして出場選手に1万ユーロずつ、出場しなかった選手には5000ユーロずつ与えたという。チームには一人、クロアチア人がいる。FWルカ・アニチッチ。彼は一年半前、クロアチア三部のトロギルからFKアタランタス・クライペダに移籍。昨季は18ゴールを決め、リーグ得点ランク2位につけると、今年4月には50万ユーロの移籍金でカウナスへと移籍。彼はクロアチア紙のインタビューで試合後にこう語った。
「リトアニアではいつもロシア風に祝うのさ。試合後は朝の8時までウォッカを飲みまくったよ。カウナスはバスケットクラブ"ジャルギリス"で知られたバスケットの町だけに、これは予想だにしなかった成功なんだ。今のスタジアムは1万人も入らないけど、このような戦いを続けたら、オーナーのロマノフもなるべく早く新たなサッカースタジアムを作らなきゃいけないだろうね」
カウナスといえば、かつて在リトアニア日本領事館で外交官の杉原千畝がユダヤ人に「命のビザ」を発給したことで日本人にも知られる町だ。このカウナスから始まったロマノフによるリトアニア・サッカー独裁政治。スコットランドを巻き添えにし、またそれに翻弄されるサッカー選手たちのドラマ。いつもキナ臭い話でクロアチアのサッカー界を楽しんでいるだけに、俄然、リトアニアのサッカー界が気になる存在になってきた。
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