現地発、クロアチア・サッカー報告(27)

セレッソでの苦い4ヶ月 〜 アレン・スタネシッチ インタビュー


 2003年が明けて間も無く、セレッソと契約をして日本へ旅立つという一人の若者と出会った。Jリーグの契約規定に関して質問され、レクチャーする僕の話を不安そうな顔をして真剣に聞く彼−アレン・スタネシッチ。まだ10代だったアレンには未知の国へ渡るのは大きなチャレンジだった。"Zemlja Izlazeceg Sunca"−クロアチア語でも「太陽が昇る国」と呼ばれる日本で彼に陽が当ることはなく、ただただ厳しい現実が待ち構えていた。異なる気候・文化・習慣、閉ざされたチーム、そして当初の約束とは違った戦力外通告。あれから一年以上が経過し、再会した彼は初めて会った頃の印象とは違い、幾分と吹っ切れた感があった。早口で喋る合間に、冗談をポンと飛ばす。でも根っから正直な好感の持てる若者だ。セレッソ時代の苦い経験、自らの眼に映った日本サッカー界、セレッソの問題点などアレンの口からズバリと本音で語って貰った。


【写真:インタビューに答えるアレン・スタネシッチ】

−まずは君のキャリアの最初について教えてくれる?
「1995年にサッカーを始め、それから2年後にフルヴァツキ・ドラゴヴォリャッツのユースに入団して、真剣なトレーニングを始めた。直ぐに僕はピオニール(少年部)で最高のストライカーとなり、最初の一年で36ゴールを挙げたよ。カデト(15〜16歳)、ユニオール(17歳〜18歳)を通して100ゴール以上決めた。」

−プレーポジションは?
「左のFW、もしくはトップ下が一番自分には向いているね。左右に限らずサイドバック、ストッパー、ボランチとどのポジションでもプレーは出来るよ。」

−どうしてドラゴヴォリャッツを選んだの?
「偶然にテストを知り、そして合格したのさ。チームとは契約を交わしてしまったから、その後にディナモやNKザグレブなどが関心を持ってくれても移ることは出来なかった。」

−クロアチア・ユース代表にも名を連ねているよね。
「U-15、U-16、U-17、U-18のカテゴリーでプレーした。クラニチャールやリュボイェヴィッチ、トミッチ(いずれもディナモ)、マリッチ(ザグレブ)らと同世代さ。FWのポジションが埋まっていたから、右ストッパーのポジションを任された。公式戦には9試合出場しているよ。」

−ドラゴヴォリャッツというクラブには満足している? 名物会長のスティエパン・スパイッチ氏はどう?
「クラブには満足しているよ。スパイッチも最高の人物だ。今では僕のことを"日本人"と呼んでいるよ(笑)」

−君とドラゴヴォリャッツとの現在の契約は?
「選手契約というよりは両者間合意を持っている。自由選手の身ながら、ドラゴヴォリャッツに登録してプレーが可能。オファーがあればいつでも移籍金無しでチームを離れることが出来るのさ。ドラゴヴォリャッツは僕を考慮に入れてくれているし、きちんと月給も払ってくれる。ユース選手は別にして、チームの多くの選手はそのようにプレーしているよ。僕はプレミア込みでおおよそ1500ユーロの月給、そしてスパイッチ会長から車を貰っているよ。クロアチアの選手にしては多い給料だって? それは選手次第なんだろうけど、僕はそのように合意しているよ。もう7年もプレーしているし、僕を日本に移籍させたことで利益を得たわけだから。チームの平均月給は500ユーロぐらいかな。僕はユース入団時から毎月200ユーロほどの奨学金を得ており、18歳の時にプロ契約を結んだんだ。」

【写真:ドラゴヴォリャッツの名物会長スパイッチ氏】
−小林功基君(現セレッソ通訳)はドラゴヴォリャッツ時代のチームメートだったよね。
「小林君は良い青年で、大変仲の良い友達だったよ。そして彼は良い選手だった。しかし日本のサッカー界は非常に驚きだ。日本では多くの選手が訳の分からないプレーをしている。あるブラジル人達もそうだし、ある日本人達もそうだ。しかし、監督やディレクターとの関係次第で試合に出させて貰える。それは不透明な仕事ぶりだった。全てが綺麗なわけではない。」

−その日本での経験を聞きたい。まずはセレッソへの移籍に関してだけど。
「あの移籍手続きはちょっと驚きのものだった。実はセレッソとドラゴヴォリャッツとの間のレンタル契約の詳細は僕もよく分からない。"日本に行きたいか?"と聞かれたので僕はOKと答えた、それで終わりだ。レンタル料は発生したと聞いているが、代理人のマルコ・ブカディン氏のところで話は止まっているよ。僕とセレッソの間ではC契約(期間:2月1日〜5月31日)を結んだが、大倉(智)ディレクター(当時)は"何ヶ月後には条件の良い新契約(A契約)を結ぶ"と約束してくれたのに、5月になったら"君は戦力外だ。契約は終了、帰国してくれ"と言って来たのさ。」

−いつ代理人のブカディンと知り合ったのか? セレッソ入団の経緯は?
「ある試合で僕は良いプレーをしたんだけど、その後に彼が僕のところにやってきて"日本に行きたいか?"と聞いてきた。2002年10月のことだよ。それまでは全く彼のことは知らなかった。ブカディンは僕のことを気に入ってくれたのさ。大倉ディレクターがクロアチアにやって来て、トレーニングや試合をチェックした。そして僕の獲得を決め、僕も日本に行くことを決めた。契約を結んだのは12月25日。クリスマス・プレゼントだったよ。ちなみに僕は誰とも代理人契約は結んでいない。ペラックに関しても彼はドイツからの代理人がいて、ブカディンとは契約してなかった。」

−日本行きを決めた時、君は何を考えていた?
「いずれはより良いA契約を結び、日本でキャリアを築くものだと思っていた。2年、いや4年・5年と在籍することでね。日本という国を気に入っていたし、そこでやっていける自信もあった。」

−しかし、日本に行ってからは....。
「契約を結ぶ際に大倉ディレクターは"君がプレーする機会はある。今は3人の外国人枠は埋まっているが、バロンかジョアンは6月になれば移籍することとなる。今は規約上C契約しか結べないが、6月になれば新たなA契約を結ぶ"と言っていた。しかし僕は騙されたのさ。バロンもジョアンも去らなかったし、セレッソも約束を守ろうとしなかった。練習で100%の力を見せればトップチームでプレーするチャンスがあるものと思ったのに機会は与えられず、サテライトに追いやられた。そこで観客もなければモチベーションもない練習試合では自分を示せることは出来なかった。緊張感すらもなかった。公式戦と練習試合は別物だからね。サテライト・リーグも全く意味のないリーグだった。サテライトとトップでは練習時間もコーチも別。西村(昭宏)監督(当時)は僕のことを全く見なかったし、あんまり外国人選手が好きじゃないことも気付いたよ。よって自分を監督に証明することは無理だった。」

−そしてA契約を結ぶことなく、君は去ることになった。
「彼らは100%、いずれは僕とA契約を結ぶと言っていたのだ。思慮の欠片もないよ。騙された。C契約はわずかな月給だし、あのままで続けることは出来なかった。A契約を結ぶと約束してくれてたから、何ヶ月間はそれでも苦しんで来たんだ。」

−セレッソではどれくらい貰っていたのか?
「月に4000ドルぐらい。しかしA契約となれば月給にして2万ドルほどが手に出来た。」

−ならばペラックは?
「月に4〜5万ドルほどかな。完全には把握してないけど移籍金なども含めて総額100万ドルほど掛かっているのではないかと思う。その点については彼らも話さないからね。」

−ペラックとの関係はどうだった?
「日本に行く直前に初めて知り合ったよ。日本に行ってから仲良くなったね。彼にとってもセレッソでは大変だった。西村監督は彼のこともまともに取り扱わなかったから。また彼は日本の生活に上手く順応出来なかったしね。しかし現在でも良い友達同士で、時々連絡を取り合っているよ。彼はBMW社の新車のジープ、そしてザグレブ市内に新居を購入したよ。セレッソから自由契約選手としてペーパーを得たあとは、ディナモ・ザグレブと良い契約を結んでいるね。(昨季はFKサラエヴォにレンタル)

−西村監督とのコミュニケーションはあったのか?
「ほとんどなかった。ただ"やあ"と挨拶するだけだった。僕達に対して彼はフェアじゃなかったからね。監督は日本人選手と常に話はしていたけど、外国人選手とは話そうとしなかった。なぜだかは分からない。バロンが得点をした時だって冷たくあしらった。それはバロンに対しても失礼だ。」

−ならば大倉ディレクターとは?
「彼は良かった。フェアだったし、僕達とは全てについて話し合ったからね。しかしながら、最後に約束を破ったことは間違っている。」

【写真:セレッソ退団後はドラゴヴォリャッツへと戻った】

−セレッソのトレーニングは?
「充分に良かったよ。もしかしたら選手達にとっては余りにハードだったかもしれない。一日に二度、2時間ずつ。ドラゴヴォリャッツでは一日に一度2時間だ。その方が選手達にとっても良いだろう。日本は余りにもトレーニングのやりすぎで、試合となると元気を失っている。日本のコーチはそれを理解していない。」

−トレーニングでの日本人選手は?
「ある選手は100%力を出していたし、ある選手はそうでは無かった。若い選手達は頑張っていたけど、あるベテランはトレーニングで手を抜いていたね。しかし試合となれば西村監督はベテランの彼らにプレーをさせた。監督は日本人選手の方が好きだったけど、彼らは出場に値しなかったと思う。」

−君のコンデションはどうだったの?
「僕はいつも良かったよ。日本の選手は60〜70kgほどで線が細いけど、僕は彼らより20kg重かったからね。時が経つにつれて調子は良くなってきた。しかし機会が与えられないので所属クラブを替えたかった。1部リーグだろうが、2部リーグだろうが関係ない。プレーの場を望む僕に大倉ディレクターはどこかしらJ2のクラブを探してくれると言っていた。時間は充分にあるから全く問題はない、と。」

−しかし大倉ディレクターは....
「5月20日になって"セレッソとの契約は延長しない"と切り出してきた。僕はそうなるとは知らなかった。それでも大倉ディレクターは"J2のクラブとコンタクトを取っている。全て話し合う予定だ"と言っていたはずだ。それから毎日、僕は大倉ディレクターに移籍の件に関して尋ねた。しかし最後に彼は"もう時間がない。他の移籍選手の交渉もあって旅立たなくてならない"と言ってきた。僕は日本語が分からないし、他クラブの電話番号もない。他クラブは僕に直接電話をしてくるわけでなく、大倉ディレクターに連絡するわけだからね。もう何もすることが出来なかった。そして5月25日にサポーターに別れの挨拶をし、翌日には帰国ということになった。遺憾だ。本当に僕には残念でならない。本当に不誠実だ。」

−君が日本から帰国して、代理人のブカディンはどう反応したのか?
「一緒に帰国して再びセレッソに戻るのを拒んだペラックに対しては怒ったけど、僕に対しては"問題はない。成功しなかったけど、国外の新たな所属クラブを見つけてくれる"と語った。話はドイツ、オーストリア、モルドバからあった。僕はドイツ二部のクラブを希望して交渉へと向かったけど、話合いの時間はなくて最後には流れてしまった。本来ならば日本のどこかのクラブに残るつもりだっただけに、他チームからのオファーと残された時間は少なかった。インケル(現インテル)のヨシップ・クジェ監督(元ガンバ大阪監督)も僕を呼んでくれたものの、話がまとまるには時間が足らなかった。またクジェを通してガンバ大阪に打診して貰ったんだけど、ガンバも外国人枠が埋まっていてダメだった。そして僕はドラゴヴォリャッツに戻ることになった。(シーズン前半はボランチでプレー。後半はFWとして15試合8得点を挙げている)

−日本で思い残すことは?
「日本で全くキャリアを築けなかったことは残念極まりない。プレーしている選手を見る限り、自分はやれると思っていた。僕よりも随分と出来の悪い選手達がJリーグにいたんだから。例えばブラジル人選手だ。ブラジルの代理人が騙し、ナイーブな日本人がばかげた選手を購入しているのさ。」


−ところでチームの日本人選手とは誰と仲が良かったの?
「大久保とトミー(下村)、酒本、多田あたりかな。大久保、トミーとはとりわけ仲が良かった。英語を話せるトミーとはよく喧嘩をしたけどね(笑) 大久保は英語を話せないけどそれでも仲は良かった。」

−日本に来てからの生活は?
「最初の一ヶ月は辛かった。知人は誰もいないし、周囲との関係もクロアチアのようではないからね。クロアチア人はずっと温かいし、よく喋り、常に冗談を飛ばしあい、そして一緒に外へと出掛ける。日本人選手はトレーニングが終わったら家に直行し、誰ともつるむことはない。彼らが直ぐに帰ってしまうので、僕やペラックは退屈で仕方なかった。クロアチアだったら一緒にお茶に出掛けて喋り合うんだけどね。だからペラックと最初は街に出て散歩をしたよ。しかし5日もすれば退屈となった。ならば買い物へと出掛けた。幾つか買ったあとは、また退屈となった。結局は眠るか、ペラックの住むホテル・パラドルへと出掛けたよ。彼は寮に住んでなかったからね。でもそこで何をしたってわけではないよ(苦笑) ほんと寝るだけだった。クロアチアの家族や彼女に毎日電話したし、電話代も月に約2000ドル。給料の半分はそれで飛んだ。」

−日本の環境や食事に慣れるのには苦労した?
「湿気のある気候に適応するのには時間が掛かった。3〜4週間はトレーニングでも気象条件を乗り切ることは辛かった。しかしその後は大丈夫だったよ。
食事に関しても一緒だよ。クロアチア人はパンや肉など日本人よりずっと多くの量を食べる。しかし寮の食事ではスープみたいな軽めのものばかりしか出ない時があり、僕にとっては量が足らなかった。日本料理に全く口に合わなかったしね。だから僕やペラックはジャムを塗ったパンばかり食べていたよ。」

−日本の仲間に慣れることは難しかった?
「それも非常に難しかった。僕達のことをどう考えているか決して解らなかったよ。目の前では良く振る舞い、"最高、最高"なんて言ってくるけど、背後ではいかれていた。それには気がついたよ。挨拶の際に握手をしても目線は別方向を向いているしね。」

−それでも日本という別世界に慣れる能力は持っていたよね?
「そのような性格は持っていると思う。慣れたら楽になったからね。いずれは通訳もいらなくなるかもしれなかった。日本語はかなり覚えやすかったよ。2ヶ月もすれば監督が何を話しているかも大体は理解できた。サッカーは世界中でプレーするスポーツだからね。」

−何か日本語で話してくれる?
「ワタシハ パチンコ ニ イキタイ(笑)」 
(※彼本人は日本でパチンコにはまらなかった)

−日本のサッカー選手としての長所、そして短所は?
「長所はまずスピード、そしてヤル気と走力だ。短所は戦術で、これは破滅的。余りにもプレーが急ぎ過ぎる。ゆっくりと頭を使ってプレーしなくてはならない。ヨーロッパよりプレーが速くても、単なる速すぎでは意味がない。多くの点で意味のないプレーが目立った。また、思うに日本人選手は一対一の競り合いに弱い。もっと筋力トレーニングをして身体を強くする必要がある。日本の選手の平均は60kgから70kgで、ヨーロッパの選手は80kgだ。今のままではヨーロッパの選手のような力を持つことは出来ない。ウルグアイ人のレオンがフィジカルコーチだった時にはジムでの筋力トレーニングがあった。しかし日本人選手達は笑いながらやっていた。それは愚かだ。彼らは筋力トレーニングが大変重要なことを理解していない。日本人はあれだけの人口がありながら良い選手が少ない。ヨーロッパで中位のレベルの選手が日本に行って2年ほどで100万ドルも稼げるわけだから、リーグのレベルも高いものではないだろう。」

−日本選手のモチベーションに関しては?
「若い選手達は稼ぐためにもしっかりやっている。日本サッカー界で大きな金額を稼ぐのは楽だと意識しているからね。日本では大きなお金が選手に支払われている。平均的な選手であれ、悪い選手であれ、充分な額を得ている。モチベーションに関していえば、ある選手は持っていなかった。大学などでプレーして自分が良い選手だと勘違いしているが、全くサッカーを分かっておらず、単なる自惚れ屋に過ぎなかった。
しかし、トミーは一生懸命にトレーニングしていたし、千葉や多田など5,6選手は真剣に取り組んでいた。けれど残りのセレッソの選手達はふざけていた。彼らはパチンコが好きだった。ビールばかり飲んでいた選手もいたけど、名前は明かせないよ(笑)」

−日本サッカー界の印象は?
「日本ではサッカーに大きな投資がされている。セレッソでもヤンマーや日本ハムなど大きなスポンサーを始め、20〜30社などが随分な額を出している。クロアチアでは僅かな額しか投資されていない。だからここでは自分が良い選手になれるよう努力しなければならない。日本で平均的な選手、例えば森島は良い選手だろうけど、クロアチアに来たとしたら何処でもプレーは出来ないだろう。しかし彼は日本で年俸100万ドル稼げる。ミズノとの個人契約もあるし、クラブからの給与もあるからね。例えば西澤。サッカーについては本当に良く知っている。しかし努力していない。僕がストッパーをすれば、一点も彼に与えることはないだろうね。
他のクラブを見ても気付いたことがあるよ。これはクロアチアではないケースだ。ある選手達が何かしらピッチで大きな声で叫ぶだけだ。彼らはただ叫ぶだけで、理由などはさっぱり判らない。ただボールの行方を追うだけで戦術などはあったものではない。ヨーロッパで最高級の監督、例えばイヴィツァ・オシム(市原監督)のようなタイプの人物が来たならば日本人選手達を上手くまとめ、素晴らしい結果を残せるだろう。」

−オシムとは会ったのかい?
「ああ、良い友人関係だったよ。試合で会ってから、僕とペラックを夕食に二度ほど誘ってくれた。そしてホテルにて深夜の2時・3時まで一緒にいたよ。」

−オシムは何か助言してくれた?
「"日本でも自分のサッカーをプレーしなくてはならない。そしたら君達も成功は出来るだろう。日本人は全員が良い選手というわけではない。スピードがあり、テクニックも充分にあるが、賢い国民とはいえ戦術理解度は低い。君達もそれに順応してしっかりと集中力を高められるなら、充分に大きなお金が稼げるだろう"とね。
しかし自分のケースを考えれば、セレッソがフェアでなかった。セレッソ入団を決める前、僕は中国のクラブからも二つほどオファーがあり、額もセレッソの10倍近かった。その一つは中国でも最強クラブの一つ、大連実徳だ。とはいえ日本の方がより現代国家だし、僕は日本を選んだ。誰もが日本人はきちっとしていると言っていたが、しかし結果的にはそうではなかった。」

−日本のチームで練習して、クロアチアよりも優れている面は? また劣っている面は?
「クロアチアの3倍は条件が良かった。良いフィールドがあり、きちっとスポーツ飲料が準備されているからね。クロアチアじゃ水を飲むしかないからね(笑)
逆に劣っていることは、常に多くの練習をしなくてはならないことだ。それはサッカーには余りにも多過ぎる。最初の一ヶ月は非常にきついトレーニングをこなし、それから徐々に楽にしていくことで、本番でサッカーという競技をもっとプレーしなくてはならない。愚かな考えで単に走りまわるよりも、サッカーをすべきだ。」


−もう少しセレッソに関して詳しく聞きたい。セレッソの選手の中で良い選手だと思ったのは?
「僕が思うには3人の選手が最高だった。徳重、大久保、そして強い時の西澤だ。大久保と徳重に関しては本当に良い選手だ。しかし西澤は怠け者すぎる。でもベテラン選手と僕との関係も良かったよ。エスパニョールやボルトンでプレーしたこともある西澤選手は英語をよく知っていたしね。また森島選手はチームの中でも最高の人格者だったよ。」

−逆に、これは…と思った選手は?
「チームを去ってしまったけどストッパーの松岡かな。もっと名前を挙げれば10人はいるよ。彼らは悪い選手というよりも戦術を全く理解していなかった。廣長は良い選手だったな。」

−セレッソのサポーターに関しては?
「彼らは世界最高のサポーターだ。本当に素晴らしい。多くのサインを求めてくれたしね。監督やディレクターもサポーターのように素晴らしかったら良かったんだけど(笑) 梶野さんと勝矢さんの二人はセレッソのフロントでも最高の人物だった。」

−セレッソは今季もクロアチア路線を継続して失敗した。新獲得選手も活躍出来ず。何が問題だったと思う?
「僕と同じような世代の若い選手を2,3人獲得する必要があったと思う。もしくは僕を残して、2人の若い選手が加わるとかね。自分を擁護するために言っているわけではなく、むしろ若い選手達のために言っている。そうすればセレッソにとってもずっと良かっただろうし、僕達もサポーターから愛されることだろう。セレッソが選んだクロアチアの歳のいった選手達は特別なクオリティが全くない。ただ彼らはやってきて、騙してお金を懐に入れ、そして帰っただけだ。そう僕は思っている。それは多くのブラジル人選手にしても言えるし、ある日本人選手にしても言える。」

−しかし、ロヴレク、カブラル、ラデリッチはベテランの域ではないのだが。
「25歳前後で確かにベテランではないのだが、もう6,7年はプロでプレーしてきており、彼らにとって最も重要なのはお金だけだ。それ以外はない。もしチームが成功したいのならば、最も弱い部分、例えばディフェンスに同じ国の選手を3人揃えることだ。セレッソはその点で失敗した。カブラルはストッパーというよりサイドバック、もしくはサイドのMFだ。ラデリッチは跳躍力だけはあるが、テクニックは破滅的でスピードもない。ロヴレクはテクニックをはじめ、総合的にはとても良い選手だと思う。ただ日本を舐めていたところがあったのだろう。セレッソがどう悩もうか関心は無かった。向こうに何ヶ月か滞在し、お金を手にして帰国し、カフェでも開き、最高の人生を送る。新車を運転して、遊びほうけて、酒を飲んで…」

−彼らでどれぐらい貰えたのだろう?
「この情報に関して確信はないが、耳にした話ではロヴレクの年俸が2年で合わせて100万ドル。ザグレブに払った移籍金は20万ドルほど。ラデリッチにもわずかな移籍金が発生したらしい。カブラルとラデリッチは2年契約で1年目の年俸が30万ドル、2年目が40万ドル、それにプレミアが加わる。しかしそれはあくまで聞いた話だ。」

−それは代理人のブカディンがまとめあげたのか?
「そう。しかし思うにブカディンは良い代理人だ。失敗は誤った外国人を推薦してしまったことだ。彼らはクロアチアでは良いプレーをしたが、性格的に難がある選手達だ。日本に渡り、100%の力を出して戦おうとしなかった。ペラックに関しても似たようなことは言えるかもしれない。僕達も日本では順応出来なかったと思うが、彼らよりもっと難しい状況だった。僕達がやってきた時の監督は外国人、つまり日本人だったから大変なのは当たり前だ。もし同国人が監督だったら、もっと楽なはずだよ。」

−今季だけでもナドベザ、ムズロヴィッチ、ポボルと3人の監督が去ったわけだが。
「なぜ失敗したかはよく分からない。間違いなくお金は得ただろうけどね(笑) 監督に関してはブカディンが推薦し、大倉ディレクターが決定していた。」

−サポーターからはポボルの手腕に大きな批判が集まったが、彼はどんな人物?
「彼は石頭だが良い監督だとは思う。けれど日本人選手を使う代りにクロアチア人選手を起用した。だからチームも悪かったんだ。悪い選手を獲得してしまってたからね。大倉ディレクターが悪いんだよ。ポボルも何かやらかしたんだろうが、自分の目で見てないから何とも言えない。ただ選手やスタメンなどに関しては彼が決めたものではなく、彼は単にそれを率いるだけだったのでは。」

【写真:観客席で選手視察する大倉・前ディレクター】

−選手決定に関しては?
「大倉ディレクターはその点ではプロフェッショナルで、こちらに来て多くの選手視察はしていた。しかし選手選びに失敗した。代理人のブカディンに多くの罪はない。大倉ディレクターが"良い選手はいるか?"とブカディンに聞き、ブカディンが"ああ、いるよ。あの選手は良いから見てくれ"と答える。そして大倉ディレクターが見て気に入れば決まり。そして金銭面で交渉して契約だ。ブカディンは選手を紹介しているだけで、"100%この選手を取ってくれ"ではなく"見てくれ"と言っているのみだ。
セレッソにはもっと若い選手が必要だっただろう。僕はある一人の質の高いストッパーを紹介した。ドラゴヴォリャッツでプレーするイゴール・チャガリだ。スピードもある非常に優れた22歳の選手だ。しかしセレッソは二倍のペイが必要な上に移籍金が発生するようなラデリッチを選び、彼のため意味なく100万ドルを浪費した。チャガリなら年俸15万ドルで済み、ラデリッチよりも良い選手だ。しかし大倉ディレクターはチャガリの身長が低いことから拒んだ。身長なんて関係ない。彼は跳躍力があり、強固でスピードがあるんだから。ユースの世界選手権でもプレーしている。若い選手をもっとチームに引き入れ、ノーマルな額、例えば15万ドルほどの年俸を与えても充分な力を発揮するだろう。」

−つまり選手獲得にはナドベザやポボルの意向は汲まれなかったのか?
「もしかしたら彼らは選手獲得の際に同意はしただろうが、彼らに多くの選択権があったわけではない。ブカディンと大倉ディレクターの共同作業だけだ。コーチ達に聞いたわけではない。例えば、ポボルは来日前に僕を日本に連れ戻すことを望んでいた。その件で僕はポボルと話し合い、チャガリと共に連れて行くことをポボルは大倉ディレクターに主張した。僕ら二人をストッパーとして起用する構想があったのさ。しかし新たな選手を連れて来たかった大倉ディレクターがこれを拒んだ。サポーターは改めて僕のことを受け入れてくれると思っていたし、カブラルとラデリッチが来るよりも僕が来た方がサポーター達にとっては幸せで満足すると信じていた。復帰への願望を懸命に主張したんだけどね…。」

−クロアチアの相場を考えれば、セレッソがクロアチア人選手に払っている額は余りに大きすぎやしないか? 代理人が騙しているのか?
「確かに払いすぎている。しかしブカディンは大倉ディレクターを騙していない。大倉ディレクターとブカディンが話し合ってそう決めていると思う。そして他の日本人達がそれを承諾している。なぜなら多くのお金を持っているから。しかし僕もなぜだか分からない。余りに大きすぎる額だけに、このような取引は驚きに値する。」


−結局は大倉ディレクターに問題があるということか?
「彼はメキシコやバルセロナなど海外で長く生活していた。他の日本人とは考え方が少し違うのだろう。海外では金銭は早く動くんだけど、日本人はよく働くがその点ではナイーブだ。例えばクロアチアは人を騙そうとする輩ばかりだが、日本にいればそんな輩を目にすることはないだろう。大倉ディレクターも自らの滞在国でそんな輩達を目にし、金銭が早く動く世界を日本に適合させようとした。日本人でも狡猾になれるようにとね。彼の考え方はずっとヨーロッパ風だったけど、日本では失敗してしまった。良い人間だっただけに僕には残念だ。確実には言えないけど、彼は自分の仕事をまだ理解していなかったのかもしれないね。才能はあるんだろうが、運も無かったし、考える時間もあまり無かったのだろう。選手を連れて来ても4ヶ月後には去ってしまう。トゥルコヴィッチ以外に長期に渡って在籍したクロアチア人選手はいなかった。世界を見渡しても4ヶ月で日本に適応する選手なんていないよ。適応するには一年間は在籍する必要がある。僕もペラックもそうだ。僕は練習で100%力を出していたけど、自分に秘められたサッカーの知識と成長が引き出されて日本で適応するのにチームは辛抱強く待つ必要があった。一年後になれば真の選手となり、いずれはチームも他に売却して利益を得ることが出来たはずだ。」

【写真:セレッソ移籍前から付き合う彼女アナルチアと】

−日本で得た経験はどう活かしていくつもり?
「別の国の生活に適応したということは良い経験になったと思う。しかし選手としては何一つ進歩しなかったということで苦い経験だ。自分には値するはずのチャンスが与えられかった。プレーをし、努力し、戦い、そして誠実にお金を稼いだとしたら良かったのだろう。しかしながらチームの仕事ぶりには不透明さが残ったし、僕は去ることになった。そういうことさ。」

−現在の君、そして将来は?
「このオフに胆石が出来てしまって手術でそれを除去し、練習復帰までにはあと一ヶ月は掛かる。ピッチに戻るのは長くてあと二ヶ月は必要だが、9月1日には試合に出られることとなるだろう。フルヴァツキ・ドラゴヴォリャッツでプレーするが、現在はスイスやドイツ、ボスニア・ヘルツェゴビナのクラブなどから話がある。セレッソのような意味のない約束のもとの契約ではなく、チャンスがきちんと与えられ、しっかりとした契約があるならば国外と出るつもりだ。しかし12月には日本に戻りたい希望がある。もし監督、ディレクターと外国人選手間の巡り合わせが良いクラブならば、一部でも二部でも構わない。日本という国、そして日本人は大変評価している。ただ僕にとって気に食わなかったのはセレッソにおいて、ピッチの上で自分を証明するチャンスを全く与えなかったことだ。彼らは僕が選手であると理解していなかった。僕はクロアチアの最優秀若手選手の一人であるわけだし、日本でやれないことはない。ストッパーが必要というならばストッパーでプレーするよ。」

−最後にセレッソ・サポーターへのメッセージはあるかい?
「ダレヨリモ アイシテル!  ナンデヤネン(笑)」


アレン・スタネシッチ (Alen Stanesic)

生年月日 1983年3月25日
出身地 ザグレブ
身長・体重 181cm, 84kg
ポジション FW/トップ下。
DFや守備的MFも可能なユーティリティプレーヤー。
所属クラブ 1997-2002年 フルヴァツキ・ドラゴヴォリャッツ
2003年     セレッソ大阪 
2003年-現在 フルヴァツキ・ドラゴヴォリャッツ 
ユース代表 U-15, U-16, U-17, U-18クロアチア代表 公式戦9試合2得点

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