現地発、クロアチア・サッカー報告(6)
120回目のフルヴァツキ・デルビ
【データ編】
2001/10/14 クロアチア・リーグ第11節
「ディナモ・ザグレブvs.ハイドゥク・スプリト」
「Hrvatski Derbi」
−クロアチアでは、ディナモ・ザグレブとハイドゥク・スプリトとの対決をこう呼んでいる。旧ユーゴスラビア連邦リーグ時代、ディナモとハイドゥクは、ツルヴェナ・ズヴェズタ(レッドスター)、パルチザン・ベオグラードと4強を形成していた。6通りの組合せがあったスペシャルマッチも、残念ながら今となってはディナモvs.ハイドゥク、ズヴェズタvs.パルチザンの2通りのみになってしまった。閑古鳥が常に鳴く両国のリーグの中で、このライバル同士の対決だけは当時のユーゴスラビア・リーグの盛り上がりを甦らせてくれる。ズヴェズタvs.パルチザンの対立背景がクラブ創立時の政治思想であるなら、ディナモvs.ハイドゥクの対立背景は「regionalism」(地域主義)である。日本のプロ野球に例えるなら「巨人(ディナモ)vs.阪神(ハイドゥク)」。付加する条件として、西日本全てが阪神を応援し、かつ西日本と東京の貧富差があって対立感情を助長していると思ってくれればいいだろう。しかし、今の阪神ほどハイドゥクは弱くないことも付け加えなくてはならない(笑) 僕のようなアンチ巨人が読売巨人軍への批判として使う言葉−「ヤツラが強いのは金と政治力があるからだ」−これはトルツィダ(ハイドゥク・サポーター)がディナモに対して使う表現と同じである。
旧ユーゴリーグ時代において両クラブの対戦は90試合行われた。結果はディナモ・ザグレブの33勝26分31敗、123得点・121失点。ハイドゥクがリーグ優勝9回(カップ9回)に対し、ディナモはリーグ優勝4回(カップ7回)と劣っているのだが、直接対決は若干ではあるがディナモがハイドゥクを上回っているのは興味深い戦績だ。クロアチア独立を受けて、1992年にクロアチア・リーグが発足。当初はハイドゥクが地力で上回ったのだが、トゥジマン大統領庇護の下でディナモは着々と力を付けていく。ハイドゥクのリーグ優勝4回(カップ3回)に対して、ディナモのリーグ優勝は6回(カップ5回)。29戦行われたリーグでの対戦結果は、ディナモの13勝7分9敗、41得点・33失点。とりわけディナモは本拠地マクシミールで1992年の初戦以来、ハイドゥクに対して負けていない。それぞれの優勝回数とクロアチアリーグでの直接対決の結果を表にしよう。
両リーグの優勝回数 |
||
![]() |
クロアチアリーグ優勝6回 | 1992/93, 1995/96, 1996/97, 1997/98, 1998/99, 1999/00 |
| クロアチアカップ優勝5回 | 1993/94, 1995/96, 1996/97, 1997/98, 2000/01 | |
| ユーゴスラビアリーグ優勝4回 | 1947/48, 1953/54, 1957/58, 1981/82 | |
| ユーゴスラビアカップ優勝7回 | 1951, 1959/60, 1962/63, 1964/65, 1968/69, 1979/80, 1982/83 | |
![]() |
クロアチアリーグ優勝4回 | 1992,
1993/94, 1994/95, 2000/01 (注)ハイドゥクは第二次世界大戦中の1940/41年、直後の1946年のクロアチア独立リーグ に優勝しているが、この数字はリーグ優勝に換算せず |
| クロアチアカップ優勝3回 | 1992/93, 1994/95, 1999/00 | |
| ユーゴスラビアリーグ優勝9回 | 1927, 1929, 1950, 1952, 1954/55, 1970/71, 1973/74, 1974/75, 1978/79 | |
| ユーゴスラビアカップ優勝9回 | 1966/67, 1971/72, 1972/73, 1974, 1975/76, 1976/77, 1983/84, 1986/87, 1990/91 | |
| シーズン | クロアチアリーグでのディナモvs.ハイドゥク全試合結果 (右がホームチーム、左がアウェーチーム。太字が勝利) |
| 1992 | DINAMO 1-2 HAJDUK, HAJDUK 0-0 DINAMO |
| 1992/1993 | DINAMO 1-1 HAJDUK, HAJDUK 2-1 DINAMO |
| 1993/1994 | HAJDUK 4-2 DINAMO, DINAMO 4-0 HAJDUK |
| 1994/1995 | DINAMO 1-0 HAJDUK, HAJDUK 3-1 DINAMO |
| 1995/1996 | DINAMO 1-0 HAJDUK, HAJDUK 2-1 DINAMO, DINAMO 4-1 HAJDUK, HAJDUK 3-2 DINAMO |
| 1996/1997 | DINAMO 2-1 HAJDUK, HAJDUK 1-2 DINAMO |
| 1997/1998 | HAJDUK 1-0 DINAMO, DINAMO 2-0 HAJDUK, HAJDUK 1-2 DINAMO, DINAMO 1-1 HAJDUK |
| 1998/1999 | HAJDUK 1-1 DINAMO, DINAMO 1-0 HAJDUK, HAJDUK 1-0 DINAMO, DINAMO 1-1 HAJDUK |
| 1999/2000 | HAJDUK 1-1 DINAMO, DINAMO 0-0 HAJDUK, DINAMO 3-1 HAJDUK |
| 2000/2001 | HAJDUK 0-1 DINAMO, DINAMO 3-2 HAJDUK, HAJDUK 3-1 DINAMO, DINAMO 1-0 HAJDUK |
続いて今季の両チームの戦力状況、並びに今季の戦い振りを紹介する。
【ハイドゥク・スプリト 2001/2002】
【写真:ポモラッツ戦を前にW杯出場の祝福をされる
極悪人シュティマッツ(左)とGKプレティコサ(右)】
昨季に6シーズンぶりのリーグ優勝を果たしたハイドゥク・スプリトではあるが、好成績が故にチームの解体が始まっていく。昨季途中で始めてハイドゥクを託され、優勝へと導いた若き指揮官ゾラン・ヴリッチ(40歳)は早々と勇退を発表。後任監督はネナド・グラツァン。リエカを率いて98/99シーズンに優勝寸前までいき、その手腕を高く買われている人物である。また、ハイドゥク出身のイゴール・シュティマッツ、アリョーシャ・アサノヴィッチ、スラヴェン・ビリッチ、アレン・ボクシッチが資金提供する上に経営に参加することが決定。しかしトルツィダの中には、右翼のシュティマッツが経営に参加することに反発し、ボイコットを始めたサポーターが増えてると聞く。自らの誕生日パーティで音楽が悪いとグラスをウェイターに投げつけた、なんてニュースは可愛いもので、1992年にスプリト・ローラ軍事刑務所でセルビア人、モンテネグロ人捕虜・住民が虐待された事件において、シュティマッツが経営するディスコ店員2人が虐待に加わり逮捕されている。本人も親ウスタシャ・民族主義言動で知られるだけに、彼の復帰は危険過ぎるかもしれない。それはさておき、選手の出入りとしては、主将で司令塔のMFイヴァン・レコがマラガ(スペイン)へ、14得点でチーム得点王のFWスタンコ・ブバロがカルンテン(オーストリア)へ、DFイゴール・ジュゼロフがシャクタール・ドネツク(ウクライナ)へ移籍。またGKスティペ・プレティコサとFWイヴァン・ボシュニャクまでもマルセイユへの移籍が発表され、仮契約まで結んでいたが、本契約の段階で交渉決裂。再びハイドゥクに復帰したことは、チャンピオンズリーグを控えていたクラブにとって非常に救われたことだろう。新加入としては、シュティマッツが「娘の病気」を建前にウェストハムと契約破棄、自由移籍でフロントとしてだけでなく選手としてもハイドゥクへ戻ってきた。アサノヴィッチもシドニー・ユナイテッドからレンタルという形で復帰(しかし戦力にならず、既に引退)。アラベスから借用中のDFヴラトコ・ジョロンガもレンタル契約を延長することが出来た。チャンピオンズリーグを前にして右ウィンガーのタレント、ダルコ・ミラディンが重い膝の怪我で長期離脱となり、代表歴のある元ハイドゥクの右MFダルコ・ブトロビッチをトログラフから獲得。また前U-21代表であり、ユーティリティなDFフルヴォイエ・ヴェイッチも獲得。ウィンブルドン男子シングルスで優勝したゴラン・イヴァニシェヴィッチも特別にハイドゥクと選手契約をした、なんて話題もあったが、結局は昨季から大きく戦力ダウンしたまま、7月25日のチャンピオンズ・リーグ予備選2回戦に挑んだ。
対戦相手はフェレンツバロシュ。初戦のアウェー戦は0-0、8月1日のホーム戦も0-0。延長へと突入するが決着付かず、PK戦で辛うじてハンガリー・チャンピオンを退けた。予備選3回戦の対戦相手はレアル・マジョルカ。8月8日のホームでの初戦は、FWマテ・ビリッチの直接フリーキックで1-0の勝利。チャンピオンズリーグ出場も手に届き始めた。しかし、この試合終了後、選手通路でシュティマッツが挨拶をしなかったことを理由にマジョルカのドミンゲスに対して暴力行為を働き、出場停止処分と罰金処分を受ける。これによる士気の低下は否めず、また第2戦を直前にした国内リーグ・対ヴァルテクス戦で1-5と完敗。そして8月21日のマジョルカとの第2戦、グラツァンは守備的に挑んだのが裏目に出た。前半にエトーの得点で追い付かれ、トータルスコア1-1で延長へと突入。ルケのヘディングで沈められ、予備選での敗退が決まる。1994/95シーズン、チャンピオンズリーグでベスト8まで勝ち進んだハイドゥク・スプリトではあるが、今回は夢半ばで断たれてしまった。
今季のクロアチア・リーグは7月29日に開幕、ハイドゥクはここでも出遅れた。第3節にNKザグレブに0-1と敗れ、第4節は前述の通りヴァルクテスに1-5とホームで完敗。マジョルカ戦の敗戦でグラツァンの解任が噂され、マテ・ビリッチまでもがサラゴサへと移籍してしまうが、それ以後チームは踏み止まる。手薄なFWの補強として元ハイドゥクのトミスラフ・エルチェグをコジャエリシュポールから、元ロシア代表のドミトリー・ラドチェンコをジュビロ磐田から獲得。そしてユース出身の3人が新たなレギュラーとして完全定着した。ミラディンのいない右ウィングの穴は19歳MFダリオ・スルナが、レコの穴は同じく19歳MFマリオ・ツァレヴィッチが、そして中盤のバランサーとして21歳のMFスルジャン・アンドリッチがイゴール・ムサのポジションを奪うまでに至った。NKザグレブとNKヴァルテクスに敗れた以外は全て勝利を収め、ディナモ戦までを迎えるまでの成績は7勝2敗の4位(-1試合)。ただし、UEFAカップに関しては一回戦でヴィスラ・クラクフにホームで2-2(9/20)、アウェーで0-1(9/27)で敗れ、早々と敗退が決まっている。
【写真:ポモラッツ戦でツァレヴィッチが決めた直接FK】
ディナモとの一戦を控えた10月10日、ハイドゥクはポモラッツをホームのポリュウド・スタディオンに迎えた。僕はスプリトまで足を運び、今季初めてハイドゥクを観戦。メインスタンドの特別席には、シュティマッツ、アサノヴィッチ、ビリッチが固まって座り、また筋肉に軽い痛みを感じるFWズボニミール・デラニャや同じく怪我のDFアンテ・ミシェ、累積警告でサスペンションだったスルナの顔も見られる。本物のトルツィダと呼べる存在は皆無に等しく、ゴール裏席のサポーターもコンクリートに座り込んでおり、まるで応援を拒否しているかのようだ。ハイドゥクのシステムは昨年と同じ3-4-1-2。GKプレティコサ。3バックが右からヴコヴィッチ、ヴェイッチ、ジョロンガ。ミッドフィルダーは中央にツァレヴィッチとアンドリッチ、左にレンデュリッチ、右にブトロヴィッチ。トップ下にボシュニャクを置き、エルチェグとラドチェンコの2トップで挑んだ。しかし、決定機はことごとく枠外へ。18分、ツァレヴィッチの左足から放たれた25mのFKがネットに突き刺さり先制はするも、以後はポモラッツのカウンターを散々食らい、プレティコサの手を煩わせた。後半も決定機を逃しまくり。84分、ペナルティエリア右からのチェリシュチャクのFKからヴコヴィッチのヘディングでようやく2点目を上げ、88分にはレンデュリッチのスルーパスを受けたラドチェンコがGKをかわして決めて3-0。しかしながらハイドゥクは昨季の絶好時に見せたような華麗なアタッキングが陰をひそめていた。活躍した選手が交替される時でさえ、ブーイングが発せられるということはグラツァン監督、並びにフロントに対しての批判が強いのであろう。試合後にグラツァン監督は「3日後に誰もが期待している試合を控えているだけに、今日は勝利こそが最も大事なことだった。今日あったことは全て忘れて、日曜日のディナモとのダービーマッチの準備をせねばならない」と語る。ディナモ戦では怪我を持つデラニャ、シュティマッツ、ミシェの3人が揃って復帰の見込みと報じられており、ミラディンさえ除けばベストメンバーが組めそうだ。
【ディナモ・ザグレブ 2001/2002】
ディナモは現在、若手中心のチームへと急スピードで変革を進めている。理由は困難な財政状況を抱えているからに他ならない。前に三浦知良に関してのレポートにおいてディナモの逼迫した財政は紹介した。トゥジマンが死んでから優遇措置が無くなり、過去に遡って十億単位の未払い税金を支払うよう新政権に命ぜられたりしているほどだ。1999年に工期を終えるはずだったマクシミール・スタディオンの改修工事も、資金難でストップして久しい。ディナモはわずか1,2年で、年俸の高いベテラン、そして高額の移籍金が得られる有望株の殆ど全てを放出した。今年のオフだけでも、FWトミスラフ・ショコタ(→ベンフィカ)、MFムリエンコ・ムムレク(→ヴァルテクス)、FWイゴール・ツビタノヴィッチ(→無所属)、マリオ・トキッチ&マリオ・バジーナ(→グラーツァAK)、エディ・ボスナー(→シュトゥルム・グラーツ)、ゾラン・パブロヴィッチ(→オーストリア・ウィーン)、ヨシュコ・イェリチッチ(→無所属)。また8月にはボシュコ・バラバンがアストン・ヴィラへと移籍。昨季途中にチームを離れたイゴール・ビシュツァン(→リヴァプール)やエディン・ムイチン(→ジェフ市原)、ネルマン・シャビッチ(→現NKザグレブ)までも含めたら、ごそっと戦力が入れ替わってしまった。Jリーグで馴染みの深いムイチンを例に挙げたとしたら、彼は40万マルクの未払い給与を棒引きにする代りに移籍を容認。移籍金の100万マルクは半々に割る契約だったはずが、ムイチンのもとには未だに一銭も手渡されないという。そんな劣悪な財政状況の中とあって、今は自前のユースで育ててきた選手を次々にトップチームへと引き上げている。新加入の一人、FWヴラディミール・ペトロヴィッチは4年ぶりにディナモに復帰したのだが、その時と変わらぬチームメイトであるのはGKトミスラフ・ブティナのみ。如何に変革のスピードが早まっているか判って貰えるだろう。
しかしながら、この変革を僕自身は好ましく思っている。1999年8月、静岡で開催されたユース大会「SBSカップ」にディナモ・ザグレブが参加。その時のメンバーにFWドマゴイ・アブラモヴィッチ、FWダリオ・ザホーラ、DFボシュトヤン・チェサール、MFトミスラフ・ゴンジッチ、MFイェルコ・レコ、GKイヴァン・トゥリーナ、DFディノ・ドルピッチといった面々が揃っていたのだった。若手の登用はリスクを伴うとは言えど、来日時に知り合った彼等が今トップチームでプレーしていることに感慨を覚える。来日時にユースチームの監督を務めたのが、現在のディナモの監督イリヤ・ロンチャレヴィッチ。マンチェスター・ユナイテッドの主力が「ファーガソン・ベイブ」と呼ばれるならば、今のディナモは「ロンチャレヴィッチ・ベイブ」によって固め始めてきている。ちなみに今季新たに獲得した選手としてDFダリオ・スモイエ(←ACミラン)、FWヴラディミール・ペトロヴィッチ(←ツールーズ)、イヴァン・ランデカ(←マルソニア)などが挙げられる。しかし三浦知良の未払い給与問題の解決が遅れたためにFIFAから移籍凍結の制裁を受けてしまい、彼等の登録が認められたのは8月22日と、かなりずれ込んでしまったのだが。
【写真:ビジュアル的にも優れた(?)
ニコ・クラニチャール】
厳しくもある新たな船出の中で、二人のユース出身の新星が序盤戦の牽引役となった。まず一人目はFWダリオ・ザホーラ。小さな頃はドラガン・ストイコヴィッチに憧れていたというブコバル出身の19歳。昨季は二部のクロアチア・セスベッテにレンタルされて16ゴールをマーク。今年5月にトップチームに引き上げられ、ディナモと正式契約を結んだ若者だ。クロアチアリーグの開幕戦・対トシュク戦では自身初得点を含む2ゴール。3節のチバリア戦で1ゴール、4節のシベニク戦でも2ゴール。バラバンがアストン・ヴィラに移籍したあとも、ライバルであり親友でもあるアブラモヴィッチをベンチへと追いやった。最近は怪我のために出場機会は減ってはいるが、ロンチャレヴィッチ監督から強い信頼を得ている。そしてもう一人は若きサラブレッド、ニコ・クラニチャール。父はディナモの「レゲンダ(legenda)」(伝説的選手)であり、現NKザグレブ監督を務めるズラトコ・クラニチャールである。ニコ・クラニチャールは今年4月のクロアチアカップ・対NKザグレブ戦において、16歳にしてトップチームでデビュー。U-16欧州選手権では主将として、そしてトップ下のポジションにてクロアチアを3位に導き、9月にはトリニダート・トバコでのU-17世界選手権にも出場している。開幕戦で彼も初ゴール。以後はレギュラーとして定着している。
【写真:H.ドラゴヴォリャッツ戦を前に整列するイレブン】
ディナモの今季はそんな2人の活躍と、安定した守備を売りにスタートダッシュに成功。昨シーズンにロンチェレヴィッチ監督が導入した4バックも板に付き、センターバックとサイドバックの駒数は充分に揃っている。しかしUEFAカップではマッカビ・テル・アビブを相手に初戦(9/20)のホームを2-2、第2戦(9/25)のアウェーはドルピッチの退場+PK進呈で1-1と引分け、アウェーゴール2倍ルールで敗退決定。ディナモの雲行きは怪しくなり始めた。直後の9月29日、僕はマクシミールにて「ディナモ・ザグレブvs.フルヴァツキ・ドラゴヴォリャッツ」を観戦。クラニチャール、ザホーラ、ペトロヴィッチを3トップ気味に配置した4-3-3システムであったが、全く噛合わない攻撃陣に酷く退屈したものである。流れからの得点は無かったものの、やっとこさ、ペトロヴィッチのPKとスモイエのCKからのヘディングシュートで2-1と勝利した。7勝1分勝点22でNKザグレブと並ぶディナモは、次節(10/11)にスラベン・ベルーポ戦のアウェー戦を迎えた。この試合で怪我のザホーラに代わってアブラモヴィッチが初先発。再三、アブラモヴィッチがミキッチにシュートのお膳立てをしたもののミキッチはどれも決められずに終わる。ロンチェレヴィッチ監督は後半にクラニチャール、ドゥイモヴィッチ、ゴンジッチの3人のアタッカーを投入するも不発。結局はスコアレスドロー。ロンチャレヴィッチ監督が試合後に「現時点での我々の問題はイマジネーションとクリエイティビティが無いことだ」とコメントしている通り、ディナモの最大課題は攻撃面だ。9試合で得点「16」は、同時点でのNKザグレブの得点「26」と比較するとかなり淋しい数字である。しかし、失点「5」は誇るべき数字。守備面における立役者の一人、スモイエは脚の筋肉を痛めてスラベン・ベルーポ戦は欠場したものの、ハイドゥク戦には間に合うことになった。同じく怪我で欠場していたヤスミン・アギッチ、ダリオ・ザホーラも日曜日に向けて調整。保有戦力でのベストメンバーは組めることになった。ハイドゥクと一戦の3日前、最年少のクラニチャールは電話でのサポーターの質問に対し、「日曜日は我々の勝利だろう。多分、1-0。それで充分に満足さ。このような若い選手かずらりと揃うチームには、退屈という言葉は決して似合わない。ヨーロッパにおいてもスペクタクルなチームを作ることを我々は望んでいる。そのため、少なくとも4〜5年はマクシミールに残るつもりだ」と語る。自らの課題を「若さと経験の少なさ」と分析しつつ、ハイドゥクとの試合についてはフィールドで結果を出すよと語る強気の17歳。FW陣の構成がどうなるか様々な憶測が飛ぶ中、試合2日前にロンチェレヴィッチ監督は彼の先発出場をメディアに発表した。伝統という名のプレッシャーに押し潰されるような少年ではないと判断したのであろう。
事情や背景は違えど、ディナモとハイドゥクは今季の新たなチームを形成してきている。両チームそれぞれの試合を見たところ、どちらも完成の域には達してないし、NKザグレブやヴァルテクスほどの魅力あるサッカーを展開していない。もしや、10月14日は大凡戦になるのでは.......そんな不安を僕は抱く。しかし、120回目を迎えるフルヴァツキ・デルビは思いも寄らぬ結末を用意していたのだった。
2000/2001シーズンの両チームの戦力 |
||||
| クラブ名 | ![]() ディナモ・ザグレブ |
![]() ハイドゥク・スプリト |
||
監督 |
Ilija LONCAREVIC | Nenad GRACAN | ||
| 選手 (★は新加入) |
1 GK Tomislav
BUTINA 2 DF Dario SMOJE★ 3 DF Ivan LANDEKA★ 4 DF Goce SEDLOSKI(Mac) 5 DF Kristijan POLOVANEC 6 DF Bostjan CESAR(Slo) 7 MF Mihael MIKIC 8 MF Jasmin AGIC 9 FW Domagoj ABRAMOVIC 10 MF Ante TOMIC 11 FW Dario ZAHORA 12 GK Ivan TURINA 13 DF Boris LEUTAR 14 DF Mario JURIC 16 MF Jerko LEKO 17 MF Mislav BRADVIC★ 18 FW Vladimir PETROVIC★ 19 FW Niko KRANJCAR 21 DF Mario CUTURA 22 DF Dinko MILJKOVIC★ 23 GK Marko SARLIJA 24 MF Mirslav DUJMOVIC(BiH)★ 25 MF Tomislav GONDZIC 26 DF Dino DRPIC 27 MF Renato PILIPOVIC 30 MF Damir KRZNAR |
1974.3.30 1978.9.19 1979.8.5 1974.4.10 1979.10.10 1982.7.9 1980.1.6 1974.12.26 1981.4.1 1983.5.23 1982.3.21 1980.10.3 1978.8.20 1976.8.7 1980.4.9 1975.7.15 1972.5.5 1984.8.13 1978.4.24 1977.1.11 1982.1.31 1978.10.19 1980.4.30 1981.5.26 1977.1.14 1972.7.10 |
1 GK Stipe
PLETIKOSA 2 MF Darko BUTOROVIC★ 3 MF Krunoslav RENDULIC 4 DF Igor STIMAC★ 5 DF Goran SABLIC 6 DF Vlatko DJOLONGA 7 DF Hrvoje VEJIC★ 8 MF Igor MUSA 9 FW Tomislav ERCEG★ 11 FW Zvonimir DERANJA 12 FW Ivan BOSNJAK 14 MF Srdjan ANDRIC 15 MF Tonci PIRIJA★ 16 FW Dmitrij RADCENKO(Rus)★ 17 DF Hrvoje VUKOVIC 18 MF Dario SRNA 19 GK Hrvoje SUNARA 21 MF Darko MILADIN 22 DF Ante MISE 23 FW Vederan CELISCAK★ 24 DF Jurica PULJIZ 26 MF Mario CAREVIC 31 MF Duje SPALJ DF Danijel VUSKOVIC ?? Goran IVANISEVIC★ |
1979.1.8 1970.8.12 1973.10.19 1967.9.6 1979.8.4 1976.9.30 1977.6.8 1973.10.18 1971.10.22 1979.9.22 1979.2.6 1980.1.5 1980.3.13 1970.12.2 1979.7.25 1982.5.1 1979.5.4 1979.4.1 1967.6.14 1982.7.16 1979.12.13 1982.3.29 1982.1.3 1981.1.5 1971.9.13 |
公式サイト |
http://www.nk-dinamo.hr/ | http://www.hnkhajduk.hr/ | ||
【おまけデータ】
10月10日付のSportske Novosti紙に両チームの予想スタメンの選手達の市場価格を比較。ディナモの2575万マルクに対して、ハイドゥクは3190万マルクと試算し、ハイドゥクの勝ちと判定。興味深いデータなので、表にしてみよう。
| ディナモ・ザグレブ | ハイドゥク・スプリト | ||||||
| P | 名前 | 年齢 | 推定移籍金 | P | 名前 | 年齢 | 推定移籍金 |
| GK | トミスラフ・ブティナ | 27歳 | 130万マルク | GK | スティペ・プレティコサ | 22歳 | 800万マルク |
| DF | ゴツェ・セドロスキ | 27歳 | 150万マルク | DF | イゴール・シュティマッツ | 34歳 | 0 |
| DF | ダリオ・スモイエ | 23歳 | 120万マルク | DF | フルヴォイエ・ヴェイッチ | 24歳 | 120万マルク |
| DF | ボシュトヤン・ツェサール | 19歳 | 100万マルク | DF | フルヴォイエ・ヴコヴィッチ | 22歳 | 180万マルク |
| DF | クリスティヤン・ポロヴァネツ | 21歳 | 150万マルク | MF | ダリオ・スルナ | 19歳 | 350万マルク |
| MF | ヤスミン・アギッチ | 27歳 | 150万マルク | MF | スルジャン・アンドリッチ | 21歳 | 700万マルク |
| MF | レナト・ピリポヴィッチ | 24歳 | 150万マルク | MF | マリオ・ツァレヴィッチ | 19歳 | 400万マルク |
| MF | ミハエル・ミキッチ | 21歳 | 200万マルク | MF | クルノスラフ・レンデュリッチ | 28歳 | 40万マルク |
| MF | ヴラディミール・ペトロヴィッチ | 29歳 | 125万マルク | FW | イヴァン・ボシュニャク | 22歳 | 200万マルク |
| FW | ニコ・クラニチャール | 17歳 | 1000万マルク | FW | ズボニミール・デラニャ | 22歳 | 350万マルク |
| FW | ダリオ・ザホーラ | 19歳 | 300万マルク | FW | トミスラフ・エルチェグ | 30歳 | 50万マルク |
計 |
2575万マルク | 計 |
3190万マルク | ||||
ホームページ掲載の記事・写真などの無断転載を禁じます。全ての著作権は長束恭行に属します。