現地発、クロアチア・サッカー報告(30)
迷走するディナモ・ザグレブ
「ATOMSKI DINAMO」 (原爆級ディナモ)
クロアチア・リーグ2004/05シーズンの開幕が近づくにつれ、大型補強を続けるディナモ・ザグレブを形容する表現として登場した言葉だ。それも暫くすれば、嘲笑を含めた「HAHAHATOMSKI DINAMO」(ハハハ、原爆級ディナモだって)との見出しが新聞を飾った。極度の財政難の時代を乗り越え、ようやくヨーロッパを視野に入れて攻めに出たはずのディナモ・ザグレブ。彼らに一体何が起こったというのか? 今季のディナモを振り返ってみよう。
【写真…暗雲立ち込めるマクシミール・スタジアム】
ニコラ・ユルチェヴィッチ監督に率いられた昨季のディナモ・ザグレフは、プレーオフに入ってからひたすら連勝を続け、第29節での直接対決でハイドゥク・スプリトを3-1で打ち破って首位に踊り出た。しかし、翌節にザダールとよもやの引分けで2位に転落。ライバルのハイドゥクに優勝を譲ってシーズンを終えた。その屈辱を晴らすためディナモは今季の絶対的な目標としてリーグ優勝を掲げ、UEFAカップでの"冬越え"も視野に入れての補強を繰り返した。シーメンスの会長ミルコ・パリシッチ、そして敏腕副会長ズドラヴコ・マミッチらの資金が投入され、ディナモはほぼU-23クロアチア代表へと化した。
オシエクから長身FWゴラン・リュボイェヴィッチ(21)と俊足左MFダニエル・プラニッチ(22)、またユーテリティMFマリャン・ブリャト(23)の3人、チバリアからはDFマリオ・ルチッチ(21)。この4人はレギュラーとして今年のU-21欧州選手権のクロアチア代表として出場している。またマッカビ・ハイファを退団した元クロアチア代表FWゾラン・ゼキッチ(30)を、リエカからも元代表DFダミール・ミリノヴィッチ(31)を獲得。入団記者会見ではバリシッチ会長は語る。
「補強に関してはこれで一区切りがついたと信じている。我々の目標はクロアチアリーグで最強になるだけでなく、ヨーロッパでの戦いでも長く残ることである。クラブ安定化のために、この数年間は多くの努力を費やしてきたが、今こうして尊敬できるようなチームを作りあげるクオリティを持つことが出来たのだ。」
経験ある元代表選手に、将来性ある現ユース代表選手。U-21欧州選手権の全メンバーのうちディナモに9人集まったことになる(のちにイェシェも獲得し10人)。
しかし一方で貴重な選手達を失っている。サポーターから崇拝の域に達していた代表GKトミスラフ・ブティナ(→クラブ・ブルージュ)、昨季21得点を挙げた闘争心溢れるDFゴチェ・セドロスキ(→ベガルタ仙台)、ディナモ最後の生え抜きだったMF/FWミハエル・ミキッチ(→カイザース・ラウテルン)、昨季のリーグ・アシスト王であるMFドゥミトル・ミトゥ(→パナシナイコス)らが移籍。彼らは以前より国外でのプレーを希望していたこともあり、ディナモは放出せざる得ない立場にあった。そして昨季の終盤戦で牽引力となったFWブランコ・ストルパールが引退。彼らリーダーシップも張れる選手達を次々と放出してしまったことは、シーズンが始まってから痛い目を見ることとなる。
【写真…呆然と引き上げるダ・シルヴァ(中央)
シュトロク(左)、ミヤトヴィッチ(右後方)】
ディナモ・ザグレブは6月20日からスロベニアの高地ログラで第1次ベースキャンプを始めた。ユーロ2004のクロアチア代表にも選ばれず、移籍願望だった主将ニコ・クラニチャールも残留を決意。U-23代表での気の知れたメンバーも増え、ユルチェヴィッチ監督のもと好ムードで練習が続けられていた。ここログラでは同時期にバスケットボール日本男子代表もキャンプを張っていたわけだが、日本代表を担当したスポーツトレーニング学の権威ドラガン・ミリノヴィッチ氏(1998年W杯クロアチア代表などを担当)から「ディナモのフィジカルトレーニングを見学したけど、かなり生ぬるかった。あれではこの先ダメだろう」との話を聞いた。身体へのトレーニング負荷を最初の時点でしっかり与えることが大事で、直後はコンデションが落ちるものの、それからコンデションは緩やかな上昇カーブを描いていく。ディナモはこの時点で失敗をしていたのだ。
その後はスイスにキャンプ地を移しての練習試合。最後のオーゼール戦ではリュボイェヴィッチ、シュトロク、ザホラのゴールで3-2と勝利。オーゼールの名物監督ギ・ルーも「ディナモはテクニック的にとりわけ素晴らしくプレーし、二つ三つのアクションで我々の守備陣を崩した。結果は現実的なものだ」とお手上げ。軒並み国内リーグのライバル達が財政難で戦力を削減している中、オーゼール戦の勝利もあって、前評判ではディナモがリーグで一人勝ちするものと思われていた。
国内での最初のテストは7月17日、ハイドゥク・スプリトとのスーパーカップ。昨季のクロアチア・カップを制したディナモ・ザグレブは敵地スプリトへ赴いての対決。イヴァン・カタリニッチ新監督率いるハイドゥクは、財政難のせいで厳しいチーム作りをしていた。ニーノ・ブーレ(→パスチング)とイゴール・クルパン(→レイリャ)のツートップ、主将のスルジャン・アンドリッチ(→パナシナイコス)、FWデラニャ(→ルマン)らが移籍した一方で、獲得する選手は無名選手もしくはユース昇格組のみ。しかしサポーターのトルツィダに支えられたハイドゥクは闘争心剥き出しで戦った。ディナモでの公式戦初先発となったプラニッチ、ルチッチ、リュボイェヴィッチは場の雰囲気に呑まれて本来の力を発揮出来ない。"常勝"を義務付けられたディナモでプレーすることは慣れが必要だ。49分、ルチッチの甘いマークを外したブラトニャクが右クロスボールをボレーで合わせ、ハイドゥクがこの1点で勝利。選手のネームバリューでは一枚も二枚も上であるはずのディナモは成す術なく、ハイドゥクの前に敗れ去った。マミッチ副会長は「胸糞悪い。偉大なるハイドゥクの精神が"ホモ"の集まりを打ち破ったことにフラストレーションを感じている」と、覇気を見せない選手達を槍玉に挙げると、翌日にはディナモサポーターのBBBがユルチェヴィッチ監督の選手に出向いての抗議に行った。公式戦一戦を終えただけで既にキナ臭さがした。
【写真…クラニチャールと対立し
辞任したユルチェヴィッチ監督】
7月24日、クロアチアリーグ2004/04シーズンが開幕。第1節の対戦相手はアウェーでのザダール。ハイドゥクへの支持が強く、昨季の優勝を逃がすきっかけとなったここスタノヴィ・スタディオンで、ディナモは雪辱を果たす。最初の10分でクラニチャールととダ・シルヴァが得点。1点返されるものの、客席からの投石で頭から出欠したボシュニャクが意地の一発を決めて3-1。後半も点の取り合いの末、何とか4-3とザダールを沈めることができた。しかしこれ以降、ディナモはアウェーで全く勝てなくなる。17節を終えた現時点でアウェーの成績が1勝4分3敗。失点16は一部リーグでは下から数えて三番目。昨季は苦境でも他のチームメートを奮い立たせるDFセドロスキがいた。そしてセドロスキは何度もピンチを救うゴールを決め続けていた。マミッチ副会長は語る。
「セドロスキを行かせたことは失敗だった。もしディナモに戻ってきたならば、5倍の金を積まれても放出することはしないだろう。セドロスキはディナモの魂であった。今のディナモの最大の問題は、個性ある選手が充分にいないことだ。今の選手達が腐っているとか罪人などとは思わないが、ピッチに魂と心を残す準備が出来てはいない。闘争心がないのだ。」
現在の守備陣を構成するミヤトヴィッチとミリノヴィッチは国内有数のDFとはいえ、性格的におとなしく、リーダーとはなり得ないタイプ。また両サイドバックのプラニッチとルチッチはまだディナモの水に慣れていない。GKトゥリーナはポテンシャルを秘めているとはいえ、スランプに入るとなかなか抜け出せないタイプ。第2節のプーラ1856とのアウェー戦で再びディナモ守備陣が破綻する。リュボイェヴィッチのゴールで先制するも、俊足FWからのカウンターを得意とするプーラは、デラニャの2ゴールとシェヒッチのゴールで逆転。ディナモはか2点返して同点に追いつくも、一部に昇格したばかりの相手の結果としてはドローは誇れるものではなかった。BBBは帰途に向かうディナモの最新鋭バスに石を投げつけ、運転手側のガラスが破損。翌日には"バスに爆弾を仕掛けた"との脅迫電話が掛けられた。今季から使用された約5000万円もした選手専用バスは格好の攻撃対象となったのだ。
【写真…ディナモでのクラニチャールは精細に欠ける】
ディナモ不振の理由の一つに、主将ニコ・クラニチャールも挙げられる。創造性は素晴らしいとはいえ、太りがちで走力の低い選手。今季はベースキャンプでの生ぬるいフィジカル準備のためにクラニチャールは絶不調。簡単にボールを奪われてのカウンターで失点というケースが目立った。しかし代表監督に父のズラトコ・クラニチャールが就任したことで、ニコの代表のポジションは安泰。ディナモでのモチベーションは決して高いものではない。ユルチェヴィッチ監督が「ニコは代表でプレー出来るフォームにない」とメディアを通して批判をしたところ、クラニチャールも「チームとしてのプレーが出来ていないのは監督に責任がある。練習を見に来たら全てが分かる」と逆に批判をマスコミにぶちまけた。これにより、クラニチャールは1万クーナ(約18万円)の罰金と一試合のサスペンションが与えられた。クラニチャールはチーム不振の責任を選手側に向けられるのは許せなかったわけだが、瞬間的に世論を味方につけたとはいえ、その後もピッチで結果を残せないクラニチャールには四方からのバッシングが浴びせられている。
第3節のオシエク戦は今季初のホーム試合。瀬戸際に立たされたユルチェヴィッチ監督はこれまでの4バックから3バックに変更し、出場停止のクラニチャールの代わりにシュトロクを起用するも、攻撃に一貫性の見られないディナモはスコアレスドロー。続く8月12日のUEFAカップ予備戦2回戦第1戦でスロヴェニアのプリモリエを4-0と一蹴したが、第4節のヴァルテクス戦ではロスタイムにGKトゥリーナの取り損ねをハリロヴィッチに押し込まれて2-2のドロー。その翌日、とうとうユルチェヴィッチ監督は辞任を表明する。4年契約を結び、長期政権を任されていたユルチェヴィッチであったが、内部からも崩壊しているディナモを立ち直すことは無理と判断。「進歩する可能性がみられなかったので、この辞任を決断した」と残し、ディナモから去った。ユルチェヴィッチを連れてきたマミッチ副会長は、キャンプでの調整に失敗してきたコーチスタッフに問題があるとして、三度に渡ってスタッフ陣の変革を申し入れていたがユルチェヴィッチが拒否。辞任を予想してなかったマミッチ副会長は後任探しに走ることとなる。国内には候補が見当たらないとして、彼はイヴィツァ・オシムにアタック。オシムは「ディナモの監督になるのは名誉なこと」を前置きしたものの、ジェフ市原との契約の残る状況では無理であった。
【写真…暫定監督となったバゴ氏
現在もアシスタントコーチ】
ユルチェヴィッチが去り、タクトはアシスタント・コーチのジュロ・バゴ氏に預けられた。第5節のリエカとのホームの試合ではシステムをシーズン開幕時への4バックへと戻す。29分にザホラがヘディングシュートを決めてディナモが先制するも、ぬかるんだピッチで選手の足が次第に止まり始めた。これもフィジカル準備の失敗からだ。70分にノーマークのMFブティッチがセンタリングをヘディングで合わせて1-1。またして結果はドロー。続くUEFAカップ予備選2回戦第2戦のプリモリエ戦では、1000人のBBBがスロヴェニアまで駆けつけ、ホーム環境を作ったにもかかわらず後半残り20分の2失点で敗北。第1戦とのトータルスコア4-2で次のラウンドへコマを進めたとはいえ、惨めな敗北にマミッチ副会長の怒りが静まることはなかった。「我々はどん底だ!」と吐き捨て、全選手に一律1万ユーロの罰金を与えた。却下されたものの、マミッチは"ディナモの選手をA代表とU-21代表から削除する"ようヴラトコ・マルコヴィッチ協会長に電話を入れた。続く第6節の相手はインテル・ザプレシッチ。インテルはザグレブ郊外の小クラブながら開幕5連勝無失点。ディナモはあっさりと0-1で敗北。BBBからは「ニコ、出て行け!」とチームのアイドル的存在のクラニチャールにまで矛先を向けた。またBBBの過激派は自宅前でザホラを襲撃し、またゼキッチやルチッチの車を破壊するなど暴力行為を働いた。
どん底の中からマミッチ副会長は更に動く。移籍期限の最終日である8月31日、代表歴のあるGKヴラジミール・ヴァシーリ(29)とFWヴェルディン・カーリッチ(30)の両ベテラン、またU-23代表であったDFヴェドラン・イェシェ(23)の3選手の獲得を発表。更にカメン・イングラッド監督であったネナド・グラツァンを引き抜くことに成功した。グラツァンは1998/99シーズンにリエカを優勝一歩まで近づけ、その後はハイドゥクやオシエクで指揮。カメン・イングラッドでもまずまずの成績を残し、クロアチア国内では有終な若手監督の一人だ。
「ディナモを監督することはまさしくキャリアの絶頂であり、拒否することは決して出来ない。ディナモの危機を救うアイデアはある。チーム内には無気力が蔓延していることは明らかだし、精神面の問題をまず解消するつもりだ。ディナモはクオリティある選手が揃っていることは疑いない。おおよそ70%の選手は既に私が監督したことがある。重要なのは選手達が自分に価値があることを理解することだ。」
スロヴェニアでのミニキャンプのあと、9月11日の第7節、ディナモ・ザグレブはライバルのハイドゥク・スプリトをマクシミールに迎え撃った。ハイドゥクもチャンピオンズリーグ予備選二回戦でアイルランドのシェルボーンによもやの敗北。カタリニッチ監督は更迭され、ボスニア・ヘルツェゴビナ現代表監督であるボリス・スリシュコヴィッチを引き連れてきた(職は兼任)。早速、グラツァンは新加入の3選手を起用。堅い試合運びをするのが信条のグラツァンは3-4-3の攻撃的システムで挑み、開始早々のダ・シルヴァのゴールで先制。8分にザホラのゴールで追加点を挙げると、後半にもカーリッチのループシュートで3-0。130回目のダービーマッチはディナモの圧勝と終わる。続く9月16日、UEFAカップ一回戦でスウェーデンのエルフスボリをホームで2-0と勝利。これでグラツァン監督のもとでディナモは軌道に乗る、はずであった。
【写真…バリッチはディナモでも
浮いた存在だった】
アウェーの地獄ロードはザグレブでも起こった。9月19日の第9節、NKザグレブとのアウェーマッチ。ここで低迷する相手に1-2と敗北を喫する。第10節の最下位メジュムリエ戦は4-1でホームで下すも、第11節のアウェーでのカメン・イングラッド戦はスコアレスドロー。浮上する気配のないディナモのために10月10日、マミッチ副会長はスポーツ・ディレクターとして前クロアチア代表監督のオットー・バリッチを雇うことを発表した。ユーロ予選プレーオフ、対スロヴェニア初戦の引分け直後に、当時クロアチア・サッカー協会の役員であったマミッチはバリッチ更迭に動いたことがある。天敵と思われていた二人であったのだが、1996/97シーズンにディナモを優勝に導いたバリッチの手腕を信じての起用となった。グラツァンはマミッチが希望して連れてきた監督ではなく、彼の手腕に信用してないマミッチはバリッチをお目付け役に就けたのだ。バリッチ節は相変わらずだった。
「ディナモでは本当に多くの仕事がある。私の最初の課題はクラブに完璧な仕事を植付け、結果をもたらすことだ。チームの不振の理由は、一年に多くの選手がやって来たことにある。このようなチームを理想的な遣り方で機能させるには時間が必要だ。私はディナモに出来るだけ長く留まりたい。そのことで会長や副会長も長く留まれることになるだろう。もしディナモに私が一年、二年いたならば、彼らはポジティブな意識を持てるようになる。誠実な人間ならば、私がクロアチア代表監督であった2年間もそう感じ取ってくれたはずだ。意地の悪い人間だけが、バリッチはクロアチアのために良いことをしなかったと言う。結局、現在の代表の骨格を作ったのは私。実質90%は私が選んだ選手だ。」
【写真…期待されていた新戦力の一人
FWゼキッチも無力感に浸る】
このナルシストの招聘は明らかな失敗だった。主将クラニチャールはユーロ本大会の代表落選劇があるし、ジャーナリストをゴミ扱いするバリッチはディナモでも非公開練習を敷いた。口を開けば自己陶酔の言葉ばかり。マクシミールでの第12節のスラヴェン・ベルーポ戦は惨劇だった。26分のムサのCKからカラバティッチがヘディングシュートを決めて先制されると、44分にダ・シルヴァがファウルに怒ってキックをかまし一発退場。BBBは後半を通して「ディナモを返せ」「マミッチ、出て行け」とシュプレヒコールを繰り返した。試合は1-2で敗北。この試合を終えて、マミッチ氏までもが涙ぐみながら辞任を発表する。
「起こりえることは全て考えていたが、まさかこうなるとは....。私、ズドラヴコ・マミッチは辞表を提出する。このミッションに成功しなかったことは残念だ。人生ではまず何よりディナモが成功することを望んでいた。46年間の人生のうち33年間はそれに費やした。残念ながら成功しなかった。ディナモから、そしてサッカーから足を洗う。単にもう耐えることが出来ないからだ。BBBが私にチームから去るよう叫ばなかったならば、もっと楽だったろう。なぜならBBBと私はいつも同じことを望んでいたからだ。それは"偉大なるディナモ"。ディナモは我々にとってパンであり、塩である。残念ながらもう私には耐えられない。」
マミッチ副会長の辞任の申し出はバリシッチ会長によって説得され、経営委員会でも受理を拒否。バリシッチは運命共同体であるとしてこう語る。
「マミッチの辞任に関しての話し合いは最も短いものだった。我々全員が"ヨーロッパのディナモ"計画の一部であるし、誰か一人が欠けたならば計画そのものが疑問になってしまう。マミッチはこの計画全体において非常に重要な人物である。だから辞表を受け取れない。この先も続けて貰う。」
代理人企業を経営しながらのチーム参画という非倫理、また過激な行動や発言はあるはいえ、敏腕マミッチに代わる権力遂行者はいないのが事実。BBBも彼の存在を批判しつつも、認めざるえない状況にある。彼らはターゲットを再び選手へと向け、練習に乱入。選手達からウェアを剥ぎ取った。「お前達はこの聖なるディナモのウェアを着る資格などない。クラブの恥だ。もし良いプレーをして勝利した時に返してやる」と叫び、約40人のBBBは抵抗しない選手達から奪えるだけモノを奪って逃げていった。これら過激派の行動に怒ったリーダーのトミスラフ・グルシッチが辞表を提出。とうとう辞表ラッシュはBBBにまで至る。そして直後のクロアチア・カップでは二部のベリシチェ相手に覇気のない試合を続けて1-2とリードされ、相手に退場者が出てから勝ち越すという惨めな試合を見せた。
【写真…終了間際の失点に沈む選手達
左からポルドルガチュ、ミリノヴィッチ
ブリャト、前のめりがボシュニャク】
ここまでディナモが混乱しているのは何故か。一つの理由として、チームメート間でのあらゆる不協和音だ。今季加入した選手は最低でも年俸8万ユーロといわれ(これまでの選手はおおよそ3万〜5万ユーロ)、リュボイェヴィッチやプラニッチはチーム最高給のクラニチャールと同じ年俸10万ユーロを貰っているという。新加入選手が一向に活躍してない現状で、これまで安年俸でやってきた選手達から不満が出るのは当然のこと。ある日、レストランでディナモの一選手が料理を持ってきたウェイターに「代金はリュボイェヴィッチにつけといてくれ」と頼んだという話がある。リュボイェヴィッチは今季わずかに3得点。チームメートに馴染めるタイプではなく、口を開くと"自分にボールが来ない"とか"起用時間が少ない"と批判。このままでは浮いた存在になるだろう。またリュボイェヴィッチとクラニチャール、もう一人の若手選手の間でグラビア系の女優を巡って喧嘩になっているという噂もあり、マミッチ副会長も女性問題をチームに持ち込まないよう言明している。ベリシチェ戦ののち、バリシッチ会長、マミッチ副会長、グラツァン監督、クラニチャール、BBBが同じテーブルにつき、今後のディナモについて話し合った。現在は8位。このままいけば後半は降格リーグでのプレーとなる。一同が手を取って戦うことを確認しあった。
10月23日、第12節の対ザダール戦。BBBは約束通り90分間、大きな声援で選手を支持し続けた。どれだけ攻め込んでも得点が奪えなかったディナモだが、後半に相手選手が退場してからダ・シルヴァのヘディングシュート2発で2-1と勝利。第13節のプーラ1856戦もダ・シルヴァが再び2得点を挙げて3-0とホーム二連勝。続くUEFAカップ第2ラウンドの対ベフェーヘン(ベルギー)では6-1と大勝。トップ下のクラニチャールもまずまず、また新加入のMFブリャトがレギュラーとして計算できるようになった。そしてダ・シルヴァがここに来て覚醒し、A代表まで呼ばれるまでの活躍を見せる。第14節のアウェーでの対オシエク戦では、35分に先制されるものの74分にダ・シルヴァの同点ゴールで追いつきドロー。第15節のホームでのヴァルテクス戦は難しい試合であった。ミロスラフ・ブラジェヴィッチ監督がリーグ随一の攻撃力あるチームを作り上げ、前節まで無失点で6連勝。マミッチ副会長と絶縁しているブラジェヴィッチはメディアを通して挑発を繰り返した。絶好調のダ・シルヴァは累積警告で欠場。しかしながら8分にクラニチャールの絶妙のスルーパスからザホラが得点すると、ヴァルテクスの攻撃をかわし続け、84分には再びクラニチャールのアシストからシュトロクが得点。ホームタウン・デシジョンがあったとはいえ、2-1で勝利。しかし次節、新たな爆弾が破裂することとなる。
【写真…グラツァン監督も危機を
救うことが出来ず】
11月22日、敵地カントリーダ・スタジアムに赴いての第16節・対リエカ戦。リエカは33歳のエルヴィス・スコーリア監督が国内で唯一4-4-2を機能させているチーム。ホームでは6勝1分との強さを誇る。鋭いリエカの攻撃をかわすようにとバリッチ・スポーツディレクターはプラニッチを左SBにした4バックを提案。これをグラツァン監督が受け入れたことが仇となった。次々と押し寄せるリエカの攻撃に振り回され、7分にドゥンコヴィッチのFKを決められると、26分にはリニッチがヘディングシュートで0-2。また得点王のエルチェグ後半54分に見事なボレーシュートを決めると、65分にはエルチェグが自ら得たPKを決めて0-4。ディナモは2点を返すも2-4で敗北を喫する。試合の翌日、グラツァン監督は辞表を提出した。
「もう無理だ。私は去る。敗戦した直後に辞表を決意していたが、一晩考えた上でもこの先はやって行けないと結論づけた。期待した結果を実現できなかったから、私が手でいくことは当然のこと。私の辞任がディナモにとって最も良い行動だと考えている。
もしかしたらディナモの野心というのは、実現可能なことより大きすぎるかもしれない。ディナモには才能ある選手達が集まっているし、かつての所属クラブでも証明してきた選手達ばかりだ。もしかしたら、問題は突然に多くの新しい選手がやってきたからかもしれない。ディナモでの要求を理解し、新たな環境に慣れるには時間が必要だ。ディナモのユニフォームを着ることだけでは充分ではない。まず何よりそれを理解したら、直ぐに危機は脱出できるだろう。」
【写真…4代目監督のロンチャレヴィッチ】
マミッチ副会長はスポーツ・ディレクターのバリッチに要請したが、バリッチはこれを拒否。さっさと相手チーム視察と称し、妻を連れてリスボンへと向かってしまった。仕方なくこれまで二度ディナモの監督を経験しているイリヤ・ロンチャレヴィッチに依頼し、2年契約を取り付けた。最初の試合は11月26日のUEFAカップ・ベンフィカ戦。ダ・シルヴァを1トップにした3-3-3-1で挑むも、ディナモ出身のFWショコタに先制点を決められ、その後もシモンにPKを決められて0-2と敗北。マミッチの信用を失い、ロンチャレヴィッチ監督にとっても邪魔な存在であるバリッチ監督は辞表を提出した。
「私が嫌われているのは目に見えているからね。この何日間は余りにマスコミが私について書きすぎだ。そして私の仕事について全く誤って記述している。その全てを否定する理由を持っているが、現時点ではそれを言いたくない。多くの人にとって私は邪魔だろうから身を引くことを決めた。」
第17節、ディナモはホームに首位インテルを迎えた。過密日程からクラニチャールは温存したが、8ヶ月ぶりに復帰したMFトミッチが先制点を挙げると、後半にはダ・シルヴァの得点で2-0と勝利。インテルを下したことでハイドゥクが首位になるという皮肉な結果となったが、12月5日、ハイドゥクとは勝点差5の現在5位で敵地ポリュウド・スタディオンでの直接対決を迎えることとなった。その前にはUEFAカップのヘーレンフェーン(オランダ)戦がホームで待っている。念願の34年ぶりのヨーロッパ・カップ冬越えのためにはまずヘーレンフェーンを倒して、そしてその勢いでハイドゥクに挑むこととなる。そして12月15日のシュツットガルト戦でディナモの2004年は終わり、国内リーグも2ヶ月半のウィンターブレークに入る。
【写真…ディナモの舵取り役
のマミッチ副会長】
辞表提出以来、口を閉じていたマミッチ副会長はロンチャレヴィッチ監督就任会見の際にこうブチ撒けている。
「私はディナモに自分の持っているもの全て、実現できるもの全て、貢献できる全てのものを与えるつもりだ。今より良い時代の時でさえ、多くの人物がやってこなかったことだ。ディナモのような組織に対してウサ晴らししようとする奴らは許さない。20日前には愚かにも辞表を提出してしまったが、そのあと私は新たな120万ユーロをクラブの金庫に持ってきた。それはクラブを通常に機能させるためだけの金だ。私を挑発するブラジェヴィッチに言おう。もし自分の口座から100万ユーロをディナモに投資しようなら、私がこれまで投資した400万ユーロをくれてやる。つまり300万ユーロの儲けだ。しかし、彼にはこの先のディナモの将来を保証するよう要求するぞ。もしやれるというなら、私とバシリッチ会長は赤絨毯をブラジェヴィッチに広げてやる。」
ディナモの野望はマミッチの野望である。マミッチは金にモノを言わせ、ディナモを私物化して思うがままやってきたが、自らの補強計画でクラブを混沌とさせてしまった。11月26日、ベンフィカとの試合のため、ディナモ一向とマスコミ、サポーターを乗せたチャーター機はトラブルのため、離陸10分後にプーラに緊急着陸。ディナモ・ザグレブの今季の航海の困難さを象徴する出来事であった。針路の定まらぬディナモ・ザグレブ2004/05の終着地はどこだろうか。
ホームページ掲載の記事・写真などの無断転載を禁じます。全ての著作権は長束恭行に属します。