現地発、クロアチア・サッカー報告 (番外編)
バルト三国・サッカー探訪の旅 (2)
ラトビア (前編)
〜 サポーターが分裂した港町リエパーヤ 〜
2008/7/21 ヴィルスリーガ「リエパーヤ・メタルルグスvs.ヴィンダヴァ・ベンツピルス」
【かつての軍港には壊れた可動橋が無残に残る】
リトアニアのクライペダを離れ、バスはバルト海を左手に臨みながら北へと向かっていく。一時間もすればラトビアとの国境が現れた。2004年にEUに加盟したバルト三国は昨年12月21日、人の自由移動を認める「シェンゲン協定」を実施。ちょうど7ヶ月前に廃墟となったの二つの国境検問所を"通過"するとラトビア入国だ。更に北へ進むこと一時間、僕はラトビア第三の都市リエパーヤに到着した。
リエパーヤはラトビアの西端にある人口8万5千人の港町。1890年から1906年にかけて帝政ロシアの海軍基地がここリエパーヤに建設され、1904年10月15日、日露戦争に向けてバルチック艦隊がここから出港した。帝政ロシア時代には貿易港としても発展したリエパーヤであるが、ソ連時代には「閉鎖都市」として地元住民以外の立ち入りは許されなくなる。しかし、ラトビアが1991年5月にソ連から独立すると、ここリエパーヤは再び貿易港を持つ商業都市へと転換していったのだ。
リエパーヤの北部にかつて軍港があったカロスタ地区がある。1994年のソ連軍の撤退後、すっかりと廃墟になり、失業や麻薬問題を抱えたエリアになってしまった。とはいえ、僕が訪れた7月下旬は短い夏が満喫できる時期ということもあって、海岸沿いのビーチには海水浴客が訪れていた。ちなみにカロスタ地区の辺りは再開発地域に指定されているようで、それもEUが74.42%出資しているらしい。リエパーヤそのものも1997年以来、市のテリトリーの65%が経済特別区となっている。
【街中にはスポンサーである鉄鋼メーカー、
リエパーヤ・メタルルグス社の看板がある】
バルト海に面した地の利を活かし、経済のテコ入れ真っ最中のリエパーヤだが、ここの主要産業の一つに鉄鋼がある。「JSCリエパーヤ・メタルルグス」は1882年創業と古く、バルト三国でも有数の鉄鋼業者だ。それがメインスポンサーとなっているクラブが今回登場する「SKリエパーヤ・メタルルグス」である。
ラトビア独立後に産声を上げた一部リーグ「ヴィルスリーガ」は一つのクラブに支配されていた。「スコントFC」、一般的には「スコント・リガ」の名称で知られるチームだ。実業家インドリクソンス(のちにラトビア・サッカー協会会長)によって1991年に設立されたスコントは、現代的なチーム経営でわずか設立一年でヴィルスリーガの初代王者となる。それから2004年まで14年連続でリーグ優勝を達成。これは一部リーグにおける連続優勝の世界記録だ。そのスコントの15連覇を2005年に阻止したのがリエパーヤ・メタルルグスだった。28戦22勝5分1敗、2位スコントに13もの勝点差をつけての文句なしの優勝。また2007年にはバルト三国のクラブ王者を決める「バルティック・リーグ」に優勝し、初代王者にもなったのだ。
いきなり桧舞台に出てきた感のあるリエパーヤ・メタルルグスだが、彼らはスコントと違って歴史があり、それもラトビアの歴史と共に歩んだクラブである。本拠地ダウガヴァ・スタジアムの敷地に入ると、建物の入口までの遊歩道にチームの歴史を綴った10枚近いパネルが展示されている。
帝国ロシアに支配された1909年、最初は自転車クラブとして設立された「オリンピヤ・リエパーヤ」は、第一次大戦後のラトビア独立(1919年)から4年経った1923年、サッカー部門が創設。1927年の初優勝以来、国内リーグで7度に渡るリーグ優勝を果たした強豪となった。しかし、1940年8月にラトビアがソ連に併合されるとチームは解散。1941年に独ソ戦が勃発し、ナチス・ドイツはバルト三国へ侵攻すると、解放軍として迎え入れたナチスの下でオリンピヤは一時的に復活。しかしながら、1944年にソ連が再占領したことでチームは消滅してしまった。
【スタジアムの敷地内にある
2005年のリーグ優勝のパネル】
主力選手たちは戦後設立の「ダウガヴァ・リエパーヤ」へと活躍の舞台を移していく(ダウガヴァとはラトビアを流れる川の名称)。1946年、1947年とラトビアでリーグとカップの二連覇を果たしたダウガヴァは、1948年にカップを制した「ディナモ・リエパーヤ」と1949年に合併、「サルカナイス・メタルルグス」を結成する。サルカナイス・メタルルグスは1954年にダウガヴァ・リガと共同チームを結成し、ソ連二部リーグに参戦。その後はダウガヴァのセカンドチームの役割を務めながら、「LMRリエパーヤ」(1961年)「ズヴェイニエクス・リエパーヤ」(1962〜1989年)と名乗り、1990年に「オリンピヤ・リエパーヤ」の名称が復活。ラトビア独立後の初年度のヴィルスリーガで3位となるものの経営難から低迷してしまう。「FKリエパーヤ」(1994年)「DAGリエパーヤ」(1995〜1996年)「バルティカ・リエパーヤ」(1996〜1997年)と頻繁に名前を変えていく中、前述の鉄鋼メーカー、JSCリエパーヤ・メタルルグス社がメインスポンサーとして支援に乗り出した。1998年以降は2位・2位・3位・3位・3位・2位・2位と安定した成績を残し、2005年にはスコントの牙城を崩すまでに繋がったのだ。
この町のスポーツ界はJSCリエパーヤ・メタルルグス社の恩恵を十分に受けている。カロスタ地区に取った宿の近くにはバスケットボールクラブ「リエパーヤ・ラウヴァス」(男子)と「リエパーヤ・メタルルグス」(女子)の本拠地となる体育館がある。更に旧市街に向かって南に歩くと、運河沿いに3000人収容のリエパーヤ・メダルルグスのアイスホッケー場「オリンピスカ・レドゥス・ホール」に辿り着く。この町でサッカーと並び人気があるスポーツがアイスホッケーだ。1998年設立ながらラトビア・リーグ優勝4回。今季からはレベルのより高いベラルーシ・リーグへと参入することになった(代わりにセカンドチームが国内リーグでプレー)。ホールの入口にはラトビア代表と並んでソ連代表のユニフォームが天井に吊るされ、またアリーナでは子供たちが懸命に練習をしていた。また客席の壁にはチームの写真と共に鉄鋼工場の写真が並ぶ。この建物内こは総合スポーツクラブとしてのリエパーヤ・メタルルグスの事務所があるということで、バルティック・リーグの優勝トロフィーを見させて貰えないかと受付の女性に問い合わせたものの、彼女はバルティック・リーグの存在すら知らないようだった。
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【アイスホッケー場で練習する少年たち】 |
【海岸でビーチサッカーに戯れる若者たち】 |
運河を越えて旧市街へと入り、西へと折れた公園地区に収容人数5,083人の「ダウガヴァ・スタジアム」がある。スタジアムの西側は海岸ということもあり、ここもまた海水浴客で賑わっていた。リトアニアの海岸では見ることのなかったビーチサッカーに戯れる若者を見ると、ここはバルト三国で最もサッカーが根付いていることを実感する。先ほど覗いたアイスホッケー場のリンクとは余りに対照的な光景ではあった。
そしてスタジアムへ。月曜日ということもあって2ラッツ(約480円)のチケットを買い求める客はまばら。リトアニアのサッカー事情を目の当たりにしただけに、ラトビアのインフラに関しても侮っていたが、ここではその新しい施設に驚かされた。さすが鉄鋼メーカー、2005年に修復されたばかりで、メインスタンドは全席が鉄骨の屋根で覆われ、中央の貴賓席はガラス張り。ピッチのコンディションも素晴らしく、クロアチア国内でもここまでの施設は見当たらない。唯一挙げるとしたら、土建屋がメインスポンサーとなって建設されたカメン・イングラッドのスタジアムぐらいだろう。しかしながら、カメン・イングラッドは経営難に陥り、クロアチア・サッカー協会副会長も務めていたヴラド・ゼッツ社長は書類偽造で逮捕。今年になってトップチームすら消滅してしまっている。
【ダウガヴァ・スタジアムをバックにボールボーイたち】
僕が選んだ取材カードはヴィルスリーガ第15節「リエパーヤ・メタルルグスvs.ヴィンダヴァ・ベンツピルス」(2008年7月21日)だ。
今季のリエパーヤは序盤に出遅れたこともあり、10チームから形成されるヴィルスリーガで5勝7分2敗の5位。ディフェンディング・チャンピオンとして臨んだバルティック・リーグも、リトアニアの強豪カウナスが同居したグループリーグは抜けたものの、6月4日と7月2日に行われたFCリガとの準々決勝で敗退が決定した(2-3、1-2)。
今季のチーム不調の原因として挙げられるのは、14試合で16得点しか取れない得点力不足だ。生え抜きのエースとしてゴールを量産したFWギルツ・カルルソンス(27)の半年間の離脱が大きかった。カルルソンスは昨年のバルティック・リーグで10ゴールを決めて初代得点王となり、ヴィルスリーガで通算168試合で74ゴール、ラトビア代表では28試合7ゴールの成績を残すフォワードだ。リエパーヤとの契約更新を拒み、今年初めから国外挑戦を決めた彼は、イングランドで幾つかトライアルに落ちたあと、オランダに渡ってブラーフスハップに合格。2008年2月に契約を結んだものの、5試合のみの出場に終わってしまう。カルルソンスは7月初めに古巣に戻ることを決意。今のところは2試合にフル出場して1ゴール。この日が復帰3試合目となる
リエパーヤはカルルソンスをはじめ、地元出身の選手が多いチームだ。この日だけでも、主将の右MFゲナディイス・ソロニチンス(28)、左MFパヴェルス・スルニンス(23)、FWクリスタプス・グレビス(27)、左SBアントンス・イェメリンス(24)がリエパーヤ生まれ。イェメリンスを除けば全員がラトビア現代表だ。この日は欠場したがDFデニス・イヴァノブス(24)もリエパーヤ出身のラトビア現代表。リエパーヤ出身以外ではDFオスカルス・クラヴァ(25)、右SBドズンタルス・ジルニス(31)もまたラトビア現代表。つまり、リエパーヤには代表選手もゴロゴロといるのだ。
スタメンには9人のラトビア国籍の選手に加え、2人のリトアニア国籍の選手がセントラルMFを務める。出場機会に恵まれなかったとはいえ、トマス・ダモシャウスカス(25)は2003〜2004年にディナモ・モスクワ、ダリウス・ミツェイカ(25)は2002〜2004年にゼニト・サンクトペテルブルグに所属。それぞれがリトアニア代表歴のあるプレイヤーだ。またブラジル人DFアントニオ(23)と正GKヴィクトルス・スポーレは、4日前のUEFAカップ予備戦一回戦・対グレントラン(北アイルランド)の疲れもあってベンチに温存した。以下がスタメン、システムは4-4-2となる。
GK クルツス
−(右から)DF
ジルニス
、ミハイロヴス
、クラヴァ
、イェメリンス
−MF
ソロニチンス
、タモシャウスカス
、ミツェイカ
、スルニンス
−FW
グレビス
、カルルソンス
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【チームに復帰したFWカルルソンス(左)】 |
【主将でラトビア代表MFソロニチンス(右)】 |
今日のリエパーヤの相手はリーグ8位のヴィンダヴァ・ヴェンツピルス。ヴェンツピルスにはFKヴェンツピルスというラトビアの強豪があるが、その陰に隠れたチームである。日本のホンダと関係あるかは知らないが、FKホンダという二部のクラブをベースに2007年に設立され、今季に一部へ昇格。スタメンの多くが20代前半の若いチームであり、スタメンは以下のよう(システムは4-2-3-1)。
GK アルチノヴ
−DF
ミティンス
、グラジウナス
、ルカシェヴィチス
、フィルソヴス
−MF
ロマンチュク
、コロコレンキンス
−クブシノヴス
、コザチュクス
、ベスパロヴス
−FW
ロズガルス
【手荒い祝福を受けるリトアニア人MFミツェイカ(中央)】
開始5分、MFスルニンスの左クロスがエリア内に入ると、FWグレブスが倒れこみながら放ったボレーシュートは左ポストに叩かれた。グレブスは再びボールに食らいついてシュートするもGKアルチノヴがセーブ。しかし、ヴィンダヴァDFのルカシェヴィチスのクリアは中途半端で、MFタモシャウスカスがカットすると背後にいる同胞のMFミツェイカへ。ペナルティエリアの外からミツェイカが放ったミドルシュートはネットへと突き刺さり、リエパーヤが先制点を挙げる。公表1350人の観客はわんやわんやと盛り上がった。ヴェンツピルスとリエパーヤは街としてもライバル関係にある。ちなみにFKヴェンツピルスとの試合は両都市が含まれるクルゼメ地方の名を取って「クルゼメ・ダービー」と呼ばれている。
その後もリエパーヤのペースで試合は進んでいく。とりわけ左サイドのMFスルニンスとSBイェメリンスからの仕掛けが活発。しかしながら、追加点は逆の右サイドからだった。17分、カルルソンスが右からロングパスを相棒のグレビスに通すと、グレビスは2人のDFを背にしながらシュートを流し込んで2-0。カルルソンスとグレビスは似た背格好ながら(共に188cm)、グレビスは左右によく動き、かつスピードもあるアタッカーだ。
その後もリエパーヤが相手ゴールを襲うが、マケドニア人GKアレクサンダル・アルチノヴの好セーブもあってヴィンダヴァが持ちこたえていった。
「Desno! (右)」 「Iza! (後ろ)」
アルチノヴがディフェンダーに指示する言葉はマケドニア語だ。マケドニア語はクロアチア語と近い親戚関係とあって、彼の指示を耳にするたびラトビアにいることを忘れ、クロアチアで撮影取材をしているような錯覚となる。すると、僕は彼に俄然関心が湧いてきたのだった。
【リエパーヤ時代のヴェルパコヴスキス
〜スタジアムのパネルより】
ハーフタイム、リエパーヤのユースに所属しているボールボーイの子たちが近寄ってきて片言の英語で会話をすることとなった。異邦人に遠慮がちなリトアニアとは違い、ラトビアの子たちは至って気さくだ。
「どこから来たのか?」
「なぜこの試合に来たのか?」
「ラトビアは気に入ったか?」
「リエパーヤはどうだ?」
住んでいるクロアチアの話題となると、一人の少年が
「ハイドゥク・スプリト!」
と、思いがけない言葉を発してくれた。そう、ここリエパーヤはラトビアを代表するスタープレイヤー、FWマリス・ヴェルパコヴスキスの出身地なのだ。ヴェルパコヴスキスは1979年にリエパーヤで生まれ、そこのユースチームで成長すると、1997年にトップチームでデビュー。2001年にスコントへ移籍するまで、リエパーヤで59試合10得点とアピールした。スコントやユーロ予選で国際的にも知られる存在となった彼は2003年に名門ディナモ・キエフに移籍。ラトビアが初出場したユーロ2004ではチーム唯一の得点をチェコ戦でマークした。しかし、ディナモ・キエフでベンチを温めることが多くなった彼は2007/08シーズンにレンタル移籍でハイドゥク・スプリトへとやって来た。だから、リエパーヤの子供もハイドゥクの名前を知っていたのである。
ハイドゥクでのヴェルパコヴスキスは度重なる怪我や誤ったMF起用で18試合5得点に終わったが、その突破力は見ている者を十分に唸らせるものだった。ヴェルパコヴスキスもそうだったが、ここでもラトビアの選手たちを観察すると、テクニックが他よりも劣る反面、パワー、そしてスピードを全面に出す無骨なサッカーをやっている。ただし、そこに汚さはなく、むしろ清々しさを感じるのだ。
後半に向けて選手たちがピッチへと現れた。ゴールを確認するGKアルチノヴにクロアチア語「Dobar dan!(こんにちは)」と挨拶をすると、嫌な顔一つせず「Dobar den!」と返事が返ってきた。
「マケドニアからですよね?」
「そうだよ。君は?」
「日本人だけど、クロアチアからやってきました」
「おー、そうかい!」
【後半はアルチノヴ(右)の好セーブが目立った】
同じ旧ユーゴ圏ということで、ほとんど違和感なく会話が通じる。バルト三国ではロシア語を話す人が多いとはいえ、クロアチア語とロシア語はスラブ語でも遠い親戚のためにここまではいかない。横のボールボーイも「何で言葉が通じるの?」とキョトンとしていたのだった。
後半はお互いのGKがアピールする時間帯となった。直ぐにヴィンダヴァがチャンスを作り、近距離でMFクヴシノヴスがシュートを放つものの、GKクルツスが好反応でシュートをセーブ。同じくアルチノヴも52分にMFタモシャウスカスのシュートをパンチングする。アルチノヴはついつい熱くなるタイプらしく、ディフェンダーのみならず審判にも檄を飛ばす。そのために審判から注意を浴びるハメとなってしまった。
しかし、アルチノヴの最大の見せ場が67分にやってくる。右サイドでSBジルニスが突破し、ペナルティエリアのカルルソンにパスを通すと、カールソンは左でフリーのグレビスに。アルチノヴはグレビスの近距離シュートを右手一本で封じてみせた。その後もリエパーヤの猛攻を防ぎきったものの、ヴィンダヴァの攻撃陣は何もできないまま、試合は2-0でタイムアップ。妥当なリエパーヤの勝利と終わったわけだが、後半にゴールを奪えなかった後味の悪さは試合後のヴラディミール・オシポヴ監督の言葉から読み取れる。
「今日は前後半で全く違う45分間だった。文学的に言えば昼と夜のような。北アイルランドでのハードなゲーム(UEFAカップ予備戦)が跡を引いてしまったね。選手たちには重荷になって欲しくないので、まあ落ち着けと言っておいたよ」
【分裂したサポーターたち。奥がメタル・ファンズ
手前がレッド・ブルー・サポート】
後半はリエパーヤのサポーターに近いサイドで試合を撮影していたのだが、気になることが一つあった。サポーターが二つに分かれて全く違う応援をしていたのだ。それぞれのグループが小規模であるにもかかわらず。メインスタンドの左奥に構えるのが「メタル・ファンズ(Metalfans…別称ウルトラス)」。15人ほどの若者から構成され、首にはラトビア・カラーであるエンジと白のマフラーを巻いている。彼らから離れることわずか数mのところで、10人ほどのサポータークラブ「レッド・ブルー・サポート(Red Brue
Support…略称RBS)」が応援を繰り返していた。彼らはメタルルグス・リエパーヤのチームマフラーを巻いていた。スキンヘッドがいて、かつナチ敬礼をするあたり、ガラが悪い方が前者のメタル・ファンズ。また真面目な感じの若者が多いのが後者のレッド・ブルー・サポートだ。レッド・ブルー・サポートの一人に
「なぜサポーターが分裂しているのか?」
と尋ねると、バツの悪そうな顔で「仲が悪いからさ」と返ってきた。両グループは近い距離にいながらそそくさと自分たちの横断幕を撤収する。そんな状況でも、ユーロ2004にも出場メンバーでもあるチームの重鎮ジルニスがそれぞれのグループ一人一人に握手をしながら挨拶をするシーンが印象的だった。
後から調べてみると、リエパーヤに二つのサポーターが存在することはラトビアの国情に関係することが分かった。メタル・ファンズはラトビア愛国主義者の集まりでラトビア語にて応援をし、レッド・ブルー・サポートはロシア語にて応援をしているという。ラトビアという国はリトアニアと違い、帝政ロシアやソ連の支配下にロシア人移民が大量に移住したことで、ロシア系住民が30%近くを占める国だ。ラトビア語ではなく、ロシア語が一般に話されている都市や地域も多い(首都リガなどは50%がロシア人と言われる)。テレビをつければロシア語の番組があり、キオスクにはロシア語の新聞が売られている。リエパーヤ・メダルルグスの公式サイトだってラトビア語とロシア語それぞれがある。
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【どちらかという熱い方のメタル・ファンズ】 |
【DFジルニスがレッド・ブルー・サポートに挨拶】 |
しかしながら、独立後は過度なラトビア愛国主義のためか、ロシア人の流入・定住を制限した国籍法やラトビア語を義務付ける国語法を施行。ロシア系住民に対する人権侵害だとして、ラトビアとロシア本国の両国関係は悪化しているという。ここリエパーヤも歴史的背景からロシア系住民の多い港町だ。この町に初めてサポーターグループが生まれたのは1998年、鉄鋼メーカーがメインスポンサーとなった年。15〜16歳の少年たちで結成されたサポーターグループは、翌年に赤青のチームカラーにちなんで「レッド・ブルー・メタル」と命名された。しかし、このグループは次第に暴徒化したことでクラブ側と対立。事実上の解散へと追い込まれる。2004年初めにインターネットを通して結成されたのがメタル・ファンズだった。結成当初のメンバー6人いずれもがラトビア人だったが、地元クラブを熱狂的に愛する若者たちが再び集結していった。そし皮肉にもリエパーヤが独立後のリーグ初優勝を決めた2005年シーズンの終わり、メタル・ファンズはラトビア語だけで活動することを決め、それに反発したロシア系のサポーターが2006年初めにレッド・ブルー・サポートを設立したという。一サッカークラブのサポーターに焦点を合わせるだけで、ラトビアの国そのものが抱える民族問題が浮き彫りになってくる。
【マケドニア人GKアレクサンドル・アルチノヴ】
観客が去ったスタジアムで僕は一人の人物がクラブハウスから現れるのを待った。そう、ヴィンダヴァのマケドニア人GKアルチノヴだ。ポマードでばっちりと髪の毛を固めたアルチノヴは試合の時の険しい表情から一転、柔和な顔でやってきた。
「ちょっとインタビューさせてくれませんか?」
「もちろん」
僕の肩を抱きながら、バスの方へと向かいつつ話を進める。アルチノヴは1977年生まれの31歳。ツェメンタルニッツァ・スコピエ、ラボトニチュキ・スコピエ、ブレガルニツァ・クラウンといったマケドニア一部でプレーしたのち、アイスランドのクラブに一年所属。代理人の紹介で今年になってラトビアのヴィンダヴァへとやって来たという。まだラトビアでの生活は短いとはいえ、彼は選手間とのコミュニケーションに問題はないそうだ。
「言葉の壁はないよ。もう4ヶ月も一緒にプレーしているから、選手たちは俺が出すマケドニア語の指示が何かを理解しているからね。いずれはここでロシア語をマスターして、ロシアやウクライナ、アゼルバイジャンといった条件の良いリーグのクラブでプレーしたいよ」
マケドニアとラトビアのそれぞれのリーグのレベルを比較したら?
「サッカーの質においてラトビア・リーグは決して悪くはない。スピードある良いサッカーをする。ただし、経験といった面で問題があるのかな。今日の試合だって俺たちは引分けで十分だった。うちの選手たちはまだ若くて経験が足らない。下手に勝ちにいこうとして失敗してしまったんだ。あとは旧ユーゴならではの"図々しさ"というのも無いかもしれないね。
ただし、ラトビアはマケドニアよりもインフラは優れているし、給与面においては比較にならないよ。なにせ、ここはヨーロッパ(=EU)だから(笑) アイスランドも給与は良かったけど、何せあそこは物価が高いからね」
今度はアルチノヴに「なぜザグレブに?」と逆質問を受ける立場になる。ディナモ・ザグレブが贔屓のチームだと話すと、
「おお、ディナモにはゴツェ(・セドロスキ)がいたじゃないか。彼とは知り合いだよ。ゴツェが日本(ベガルタ仙台)でプレーしていたことはもちろん知っているよ」
ヴィンダヴァのチーム関係者全てが乗り込んだバスはもう出発直前だった。
「ラトビアでプレーするマケドニア人は俺一人、アレクサンドル・アルチノヴだって覚えておいてくれ」
そんな粋(いき)なマケドニア人アルチノヴにこれからのキャリアの成功を願う言葉と御礼を述べて別れたのだった。
旧ユーゴスラビアの人々は国外で一緒になると、民族間の憎しみなど関係なく親交を結ぶことがある。ACミランのズボニミール・ボバンとデヤン・サヴィチェヴィッチ、レアル・マドリッドでのダヴォール・シュケルとプレドラグ・ミヤトヴィッチも親友なのが良い例だ。ベルリンにあるクロアチア人カフェを取材で訪れた際、セルビア代表のマルコ・パンテリッチ(ヘルタ・ベルリン所属)が客として訪れていた。もちろん国外に住む旧ユーゴの民族同士が対立する話は幾らでもあるが、基本的には言葉が通じる同胞として親しくなることが多いものだ。ほんの短い時間だったとはいえ、アルチノヴとは異国で言葉が通じる分、旧ユーゴの同胞という感覚があった。これまで国外で旧ユーゴの選手にインタビューしたり、旧ユーゴの人々に会ったりすると、どこの民族かは関係なく、必ずといっていいほど初対面から親友であるかのように振舞ってくれる。これは旧ユーゴ諸国内で地元の人々と初めて会ったところでもなかなか起きない感覚だ。
その一方で、リエパーヤのサポーターのことを振り返れば、民族とは何か、アイデンディティとは何か、と考えさせられる。クラブは近年、地元の鉄鋼メーカーの資金によって強化されたわけだが、いずれラトビア人とロシア人のサポーター間の絆が「鋼」のような堅さで結ばれるなんて時代はやってくるのだろうか。
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