現地発、クロアチア・サッカー報告 (番外編)

バルト三国・サッカー探訪の旅 (3)

ラトビア (後編)
〜 バルトの隠れた強豪、FKヴェンツピルス 〜

2008/7/22 チャンピオンズリーグ予選一回戦「FKヴェンツピルスvs.ラネリーAFC


【ヴェンツピルスの遊覧船から望むマルタのタンカー】

 「チャンピオンズ・リーグ」の2008/2009シーズンも、いよいよ8チームまで絞られた(2009年4月4日現在)。欧州クラブシーンの最高峰を決める今大会は既に68チームが姿を消したわけだが、その中にはインテルやレアル・マドリッドといった名門もあれば、注目もされず予選一回戦でひっそり消えた小国のチームもある。けれども、今季はBATEボリソフ(ベラルーシ)やアルトノシス・ファマグスタ(キプロス)が予選一回戦から三回戦まで見事に勝ち抜き、グループリーグに進出した。そこでも列強国の強豪を苦しめた現実を見れば、小国の強豪だって捨てたもんじゃない、と思う。

 バルト・サッカー探訪の旅は半分が過ぎようとしていた。バルト海沿岸の港町リエパーヤでラトビア・リーグの取材を終え、当地で一泊した翌7月22日、内陸の古都クルディーガを経て、私は再びバルト海沿岸へとやってきた。ラトビアで6番目に大きな人口43,000人の町、ヴェンツピルス。今は偉そうにレポートを書いているものの、失礼ながら旅をするまでは「ヴェンツピルス」の名前すら耳にしたことがなかった。

 大きな期待を寄せずに訪れたわけだが、リエパーヤと一転、街並みは整然としており、実にカラフル。歩道の至るところを花の植え込みが彩り、公園や海岸にはオブジェが目立つ。ちなみにオブジェの多くが、実物大のカラフルな牛たち。ここヴェンツピルスは世界的なアートイベント「カウ・パレード」の開催地の一つだ。1998年にチューリヒで始まったカウ・パレードは、今やロンドンやパリ、東京などの大都市で行われるようになったが、ヴェンツピルスはそれらより早く、東欧で初めて2002年より開催されているそうだ。

【可愛い牛の背後には資源輸送施設が】
 
 ハンザ同盟時代から商業都市として栄えてきたヴェンツピルスの主産業は海運である。バルト海に面した不凍港として、また欧州でも20本の指に入る自由港として知られ、とりわけロシアから大量のエネルギーが国外へと輸出される。ロシアの原油ならびに石油製品の10%前後はここヴェンツピルスから運ばれるという。私は0.8ラッツ(当時200円)を払い、ヴェンタ川に沿って走る遊覧船「ヘルツォグス・イェカブス号」に乗ってみた。観光客に人気の乗り物らしく、デッキは満員。しかしながら、この遊覧船は決して自然を楽しむものではない。タンクやクレーンを備えたターミナル施設、石油や石炭などを積み込む巨大タンカーを横目に遊覧船が走るのだ。タンカーの国籍に注目すれば、イタリアやマルタ、中国といった国々が並ぶ。小都市ながら、ヴェンツピルスがラトビアで最も裕福な町なのが頷ける。

 町最大の企業であり、最大の納税者であるのが原油輸送会社の「ヴェンツピルス・ナフタ」。1957年、ソ連議会がヴェンツピルスに原油輸送のターミナル施設の建設を決定したことに由来する同社は、ロシアとを結ぶパイプラインを活かし、年間120万トンもの原油と石油製品を出荷する。高騰を続けた原油価格が一転して暴落しようともその影響は少なく、2008年1〜9月の純売上高は7%増。また、ヴェンツピルス・ナフタはグループ企業として印刷や出版、不動産も手がけており、ラトビアきっての大企業といえる。

 そのヴェンツピルス・ナフタがメインスポンサーとなっているクラブが今回のレポートの主役となる「FKヴェンツピルス」だ。FKヴェンタとFKナフタが合併し、FKヴェンツピルス(以下、ヴェンツピルス)が誕生したのが1997年。それだけにクラブの歴史は非常に浅い。しかし、一年目にラトビア一部リーグ「ヴィルスリーガ」で4位につけると、以降も常に上位をキープ。2003年にラトビア・カップを制し、それからカップ三連覇を達成。残る国内タイトルはヴィルスリーガのみとなった。(※ヴィルスリーガは春秋制)

【ウクライナ人監督、ローマン・グリゴルチュク。 
現役時代を含めれば11年間、ラトビアに在住】

 ヴィルスリーガは1991年の創設以来、スコント・リガが世界記録となる14連覇を果たし、2005年シーズンのリエパーヤ・メタルルグスの優勝で新時代が到来したことは前のレポートでも記した。2006年シーズンにはヴェンツピルスがリエパーヤを勝点差2でかわし、リーグ初優勝を達成。2007年シーズンもヴェンツピルスが同じくリエパーヤに勝点差2をつけて二連覇を決めた。この連覇はウクライナ人監督、ローマン・グリゴルチュクの功績が大きい。2005年にラトビアのFKディナブルグから引き抜かれた彼は、昨年3月にヴェンツピルスとの契約を2012年まで延長。クラブと監督は相思相愛の関係といえる。長く黄金時代を築いてきたスコント・リガに代わり、スポンサーに恵まれたクルゼメ地方の両クラブの台頭が、現在のラトビア・サッカーの新たなムーブメントとなっている。そしてヴェンツピルスとリエパーヤのライバル意識は強く、「クルゼメ・ダービー」は同国で数少ない人気カードの一つとなっている。

 欧州カップにおいても、ヴェンツピルスは1999年から常に参戦している。2004年にはデンマークの強豪ブロンビーを予選で下してUEFAカップ一回戦に進み、2006年のUEFAカップ予選ではニューキャッスルに敗れはしたものの「0-1」「0-0」の接戦を演じた。2007年はチャンピオンズ・リーグに初挑戦。予備戦一回戦でウェールズのニューセインツをかわしたが、予備戦二回戦ではオーストリアのレッドブル・ザルツブルクに「0-3」「0-4」の完敗。ちなみにアウェーの第二戦に宮本恒靖がフル出場、三都主アレックスが後半33分から途中出場している。


【ウェールズからの刺客、ラネリーAFC】
 ヴェンツピルスにとって二度目の挑戦となるチャンピオンズ・リーグ2008/09シーズン。予戦一回戦の相手は昨年と同じウェールズのチーム「ラネリーAFC」だ。2007/08シーズン、2位のニューセインツに勝点差7でウェールズ・プレミアリーグの初優勝を決めたラネリーにとって、今回がチャンピオンズ・リーグ初挑戦となる。これも縁なのか、ラネリーは一年前のインタートトカップにて、私が取材したリトアニアのFKヴァトラと対戦した。初戦のアウェーマッチを1-3で落としたリネリーは、第二戦で5-3と追い上げたもののアウェーゴール二倍ルールで敗退の憂き目に遭っている。

 ラネリーの街もウェールズの他の町と同様、サッカーよりもラグビーが盛んだと聞く。渡航前に「ラネリーvs.ヴェンツピルス」第一戦をインターネット放送でチェックしたが、本拠地ステボンヒース・パークは牧歌的な雰囲気に包まれていた。英国を構成する国とはいえ、ウェールズはサッカー後進国だ。そのラネリー・ホームの第一戦は、12分にDFレッグのロングスローにヴェンツピルスの守備陣が不意を打たれ、DFスチュアート・ジョーンズが決めた虎の子のゴールで、ラネリーがモノにした。ちなみにDFレッグは42歳の大ベテラン。バーミンガムやリーディング、カーディフでもプレーし、得意のフリースローは世界記録の41mをマークしたことがある。

「ワンゴールはワンゴールだが、このゴールは次のゲームを非常に面白くさせるものだ。チェスのゲームのようなものだよ。彼らが2点決めれば勝利するが、もしこちらが1点でも決めたならば相手は3点以上取らないと勝利できないのだから」

 ラネリーのピーター・ニコラス監督は試合後、そう答えた。それがホーム&アウェー、そしてアウェーゴール二倍ルールの醍醐味である。ラネリーは一年前の雪辱を果たせるのか。

【がらんとしたスタジアム。最終的には400人ほどが訪れた】

 ヴェンツピルスの中心街から南に少し歩くと、ヴェンツピルスのスポーツ施設が集まるオリンピスカイス・センターが現れた。1994年にスポーツセンター設立が決められ、その後は次々と拡張。サッカースタジアムのほか、バスケットコート、アイスリンク、テニスコート、陸上競技場、プールなどが集合するモダンなスポーツセンターだ。ボクシングやレスリング、射撃、BMX、フリークライミングといった種目すら専用競技場を抱えており、この町が如何に産業で潤い、スポーツに投資されているかが分かるだろう。本拠地の名前は「ヴェンツピルス・オリンピスカウス・スタディオン」。客席はメインスタンドのみのキャパシティ3200人のスタジアムだ。

 しかし、このスタジアムが満員になるほどの集客力は期待できないようだ。ピッチからメインスタンドを見上げてもなかなか人が集まる気配はなく、のんびりとした時間が流れる。キックオフは18時。30分前になっても100人を越えることはない。ヨーロッパでも北に位置するラトビアの夏は日が長く、汗ばむこともない絶好の観戦日和というのだが。スタンド中央に昨日インタビューをしたマケドニア人GKアルチノヴを見つけ、大きく挨拶をかわす。右側には6人のラネリーのサポーターがウェールズ国旗と共に陣取る。そして開始15分前になると、ヴェンツピルスのサポーターがぞろぞろやってきた。

 サポータークラブの名は「FKV LADS」。リエパーヤと違うのは、サポーターが民族で分裂していないことだ。ヴェンツピルスの民族比率は47.75%がラトビア人、36.65%がロシア人、以下ウクライナ人(5.21%)、ベラルーシ人(5.11%)と続く。しかし、このヴェンツピルスのサポータークラブ「FKV LADS」は、公式サイトの情報によるとメンバーのうち99%がロシア人だという。

 1999年、首都のリガに学生として移り住んだヴェンツピルスのサポーターたちが、リガにて応援団を組織化。2005年に「FKV LADS」 (FKVは"Futbola Klubs Ventspils"の略称、LADSは"若者たち"の意味)と名乗るようになった。興味深いのは今でもサポーターの多くが、ヴェンツピルスではなく、リガに在住する若者で構成されていることだ。横断幕には「LADS FROM RIGA」と書かれ、その横にはファイティングポーズを取る男の旗に「RUSSIAN STYLE」と書かれている。彼らはラトビア国家、バルト諸国の共同体制に反対の姿勢を取り、ラトビア代表ではなくてロシア代表を応援しているというのだ。彼らが目の敵としているのはスコント・リガのサポーター。ヴェンツピルスとリガは190km離れているのもかかわらず、サポーターは同じ都市の隣人同士というのは実に珍しい話だ(YouTubeにある両サポーター間の喧嘩の動画)。

 「応援は"量"ではなくて"質"だ」をモットーに掲げている今日の彼らの人数はおよそ30人。メインスタンドの左端に陣取った。メンバーの中にはスキンヘッドもいて、こちらがカメラを向けると丁寧に中指を立ててくれた。普段から私は欧州最"凶"サポーターの一つ、ディナモ・ザグレブの「Bad Blue Boys」 (通称:BBB)を相手にしているだけに、腹立つどころか逆に微笑ましさを感じてしまった。危険さは感じることはない。事実、彼らの直ぐ横には10歳前後の女の子が10人ほど座って観戦しているぐらいなのだから。

     

【ヴェンツピルスのサポーター「FKV LADS】 

 

【やたらと目立つマスコットの背番号は12】

 試合前のマスゲームとして2チームに分かれた22人の子供がピッチに広がると、今度はピッチ中央に立つ着ぐるみのマスコットにわらわらと集まった。そして一列に整列させた子供の一人一人にマスコットがちょっかいを掛けていく。モデルの動物はネコなのか、ヤマネコなのか、ヒョウなのか…。見た目は「ゆるキャラ」と掛け離れた存在だ。両チームの選手が入場し、子供達の後ろに選手が整列しても、マスコットは列の一番右端で一人ポーズを取り始める。ピッチ上の「非ゆるキャラ」が作った緩い雰囲気、スタンド一角から聞こえるロシア風の熱い応援に挟まれ、主審はキックオフの笛を吹いた。


FKヴェンツピルス(3-5-2)
GK パヴロブ
(右から)DF カチャノフス、サフェンコスス、ソレイツクス−MF ドゥベンスキー、コスマチョフス−ザンガレーエフ、メンタシャシュビリ、ツィギルラシュ−FW ブトリクス、リムクス

ラネリーA.F.C.(4-4-2)
GK ロバーツ
(右から)DF M.ジョーンズ、S.ジョーンズ、トーマス、レッグ−MF ボーウェン、マンフォード、ホロウェイ、エヴァンズ−FW グリフィス、コルビシエロ

【テクニシャンのグルジア代表、メンテシャシュヴィリ】

 ヴェンツピルスの選手達はアドバンテージを取り返そうと開始から仕掛けていく。初戦は4バックだったが、この試合は両サイドを高く上げた3-5-2システムにチェンジ。チームの攻撃にテンポを与えるのは司令塔のグルジア代表のMFメンテシャシュヴィリ。フィジカルやスピードが売りのラトビア選手には見られないテクニシャンだ。サッカージャーナリスト界の重鎮、後藤健生氏から聞いた話だが、かつてのソ連代表ではコーカサス出身の選手にテクニシャンが多く、代表チームのアクセントになっていたという。メンテシャシュヴィリはその系譜をしっかりと受け継いでいた。

 しかし14分、ラネリーが反撃。DFレッグの左クロスに対してファーポストに詰めたMFホロウェイがヘディングシュート。ラトビア代表GKヴァニンスに代わり、この試合で先発起用された控えGKパヴロフの好セーブもあって、辛うじてピンチを逃れる。

 主導権を握りながらも先制点が生み出せないヴェンツピルスだったが、28分に先制点が転がり込む。MFコスマチョフスが右サイドからロングシュートを放つと、ゴール前のFWリムクスが上手く壁となってGKロバーツを惑わし、ボールはそのままネット左下に吸い込まれた。これでトータルスコアで並んだ。

 一度均衡が破れれば、底力で上回るヴェンツピルスが勝ち越すのは時間の問題だった。先制点から2分後、右MFのザンガレーエフがサイドで一人かわし、ゴール前にグラウンダーのクロスが通すと、そこにはリムクスが。35歳のベテランはクロスにピタリと合わせた。ビーツ・リムクスは2001年にヴェンツピルスに加入して以来、90ゴール近くを決めてきた「レジェンド」(伝説的選手)だ。2007年には20ゴールで得点王に輝いた。ラトビアが唯一出場した国際舞台「ユーロ2004」でも代表メンバーに名を連ね、2005年10月にはリガで行われた日本代表との親善試合で後半出場。67分、混戦の中で追撃のゴールを決めたことで覚えている方もいらっしゃるかもしれない(結果は2-2)。

    

【勝ち越しゴールを決めて喜ぶFWリムクス】 

 

 【リムクスはペナルティエリアの仕事人だ】

【3点目を決めたラトビア代表FWブトリクス】

 ラネリーも一点返せばアドバンテージを取り戻せる。しかしながら、その夢はミスから打ち砕かれた。69分、ラネリーのGKロバーツが味方DFへ送るべきパスをキックミス。ヴェンツピルスのFWブトリクスがカットすると、ワンツーを加えてフリーとなりシュート。ラトビア代表でもあるブトリクスの3点目は、ラネリーにとって心理的にも、モチベーション的にも重く圧し掛かり、勝負は決まってしまったのだ。

 駄目押しは78分、MFメンテシャシュヴィリが左サイドでフリーで持つと、DFラインとGKの間に絶妙のボールを通し、ファーポストに走り込んだFWリムクスは無人のゴールにボールを押し込んだ。「4-0」。このゴールでベテランのリムクスはお疲れ様ということで、モルドバ人の若手FWデドフと交代となった。

 タイムアップ。総勢400人ほどの観客はスタンディングオベーションし、ヴェンツピルスの選手達も拍手で応えていく。ラトビア代表では右SBを務めるカチャノフスはコールを繰り返すサポーター「FKV RADS」にガッツポーズで応えた。ここの選手とサポーターの関係は極めて良好のようだ。さらに「FKV RADS」はドレッシングルームに去るラネリーの選手達にも拍手を送り、BBBには見られないその礼儀正しさに正直関心した。数は少ないながら花火も上がり、ヴェンツピルスがチャンピオンズリーグ予選二回戦にコマを進めた喜びがスタジアム内に満ち溢れていた。

 ホームの勝利という心地良さに浸りながら、カメラ機材を撤収してピッチサイドから去ろうとすると、既に帰りに着く動物、いや人物を発見した。あの着ぐるみマスコットの「中の人」が頭を半分外し、手袋を外しながらクラブハウスに向かっていたのだ。これは決定的瞬間、とカメラ片手に駆けていったものの、時、既に遅し。その後も彼の正体が気になって仕方なかった。

    

【予選二回戦進出に喜ぶヴェンツピルスの選手たち】 

 

 【一仕事終えたマスコット】

 もちろんマスコットだけでなく、ヴェンツピルスのその後も気になっていた。チャンピオンズ・リーグ予選二回戦の相手はノルウェーのSKブラン。私が贔屓とするディナモ・ザグレブも2007/08シーズンのUEFAカップ・リーグラウンドでブランと一試合(アウェー)を戦い、予想に反して「1-2」で敗れたことがある。それから彼らは同大会で決勝トーナメントまで進んだ。ヴェンツピルスにとってブランは高い壁となるのか。初戦のアウェーマッチは良く持ち堪えたものの、87分に失点してしまい「0-1」で終える。

【ヴェンツピルスのチーム・エンブレム】

 ラネリー戦と同じ状況で迎えた第二戦のホームゲーム。開始6分、FWブトリクスが右サイドを抜け、折り返しにMFメンテシャシュヴィリがシュートを決めて先制。しかしながら、その9分後、そのメンテシャシュヴィリがイエローカードを出した審判に抗議したがため、レッドカードで退場してしまったのだ。数的不利に陥ったヴェンツピルス。それでも44分、FWリムクスがブトリクスのアシストからゴールを叩き込み、トータルスコアで引っくり返すことに成功した。

 このカードの勝者は、予選三回戦で名門オリンピック・マルセイユと戦うことが事前に知らされていた。例え、そこで負けたとしてもUEFAカップに進める。しかしながら、ヴェンツピルスのヨーロッパの道は49分に断ち切られた。ブランは後半から二枚の攻撃カードを切り、そのうち一人のアイスランド代表FWビョルンセンに致命的なゴールを決められ、2-1。今度は彼らにアウェーゴール二倍ルールが重く圧し掛かったのだ。69分にMFザンガレーエフの左クロスにリムクスがシュートするも、ボールはわずかに枠を外れてしまいジ・エンド。ホームで勝利しながらも、二度目のチャンピオンズ・リーグ挑戦も二回戦敗退の憂き目に遭ってしまった。試合終了時には空からも涙雨が降っていたという。

 ヨーロッパの道を絶たれたヴェンツピルスだったが、国内では無敵。10月19日、ライバルのスコント・リガのアウェーゲームで「2-2」と引き分け、3試合を残して「ヴィルスリーガ」三連覇を果たした。2位リエパーヤ・メタルルグスとは勝点差10、3位スコント・リガとは勝点差11を引き離しての優勝。特筆すべきは一試合当たり「0.5点」という失点率だ。

「三度目のリーグタイトルは前の二つと比べれば簡単だった。しかし、喜びや価値において今回の優勝が劣ることなんてない。またしてタイトルが取れたことで我々はとてもハッピーだよ」

グリゴルチュク監督はそう満足する。また、バルト諸国一のクラブを決める「バルティック・リーグ」は、2007年の第一回大会はリエパーヤ・メタルルグスに決勝で敗れたが、第二回大会の2008年は準決勝ではリトアニアの強豪、FBKカウナスに敗退(1-1, 0-1)。第三回大会の今年はグループリーグが撤廃され、いきなりノックアウト方式のトーナメントとなる。こちらの初優勝も待たれるところだ。

【2009年もまた、スタジアムの電光掲示板に
 チャンピオンズリーグのロゴが登場する】

 2009年はヴェンツピルスにとって三度目のチャンピオンズ・リーグ挑戦となる。2008年も14ゴールで連続してリーグ得点王に輝いたFWリムクスは、同年8月にラトビア代表の引退を表明。36歳の今シーズンはヴェンツピルスだけに専念する。またスコント・リガからラトビア代表MFアレクセイス・ヴィシュナコフスを獲得。主力は全くといって良いほど放出せず、20代前後の選手も次々と育ってきている。 ヴェンツピルスのグリゴルチュク監督も44歳。指導者としてまだ伸びしろがある。ラトビア次期代表監督の呼び声も高い彼は、UEFAの公式サイトで2009年に向けて慎重に語る。

「チャンピオンズ・リーグは特別な大会だ。我々にとっては新たなテストになるが、持っている力の全て、いやそれ以上の力を出さなければならないんだよ。でも、私はここで砂上の楼閣を造っているわけではないし、チャンピオンズリーグだけを目的にチーム作りを意図しているわけでもない。チーム作りは計画に沿っているのだよ。体系的なアプローチをしながら学び、分析をしている。そうしてチャンピオンズ・リーグという非常に難しいタスクにおいても我々は戦っていくつもりだ」

 小国の票を集めることでUEFA会長に就任したミシェル・プラティニは、公約通りチャンピオンズ・リーグの構造改革に着手した。来季からは下位国が中心となるリーグ王者だけの予選と、上位国が中心となる二位以下のクラブの予選を分け、これまで以上に小国からのグループリーグ進出を促すことになる。大国やビッグクラブに迎合し、優勝クラブ以外にも門戸を開いたのが今のチャンピオンズ・リーグの姿だ。しかし、そんなビッグクラブの陰に隠れ、世間に名も知られぬ小国の王者たちが、明日のBATEボリソフやアルトノシス・ファマグスタを目指して戦っていることを知って頂ければ幸いだ。

【こぼれ話】

 
試合の翌日、ラトビアの首都リガへと移った。世界遺産にも指定される美しい旧市街を散策していると、広場のカフェでビールを飲んでいる男性グループに声を掛けられた。最初はなぜ自分に声が掛かったのかさっぱり分からなかったが、胸のエンブレムを見て直ぐに彼らがラネリーの選手達だと気づいた。彼らもまた昨日の試合で東洋人のカメラマンがいたことを覚えていたのだった。夜の便でウェールズに帰国する前に、ビールをひっかけていたところだった。

「一緒にビールを飲もうぜ!」と誘われたのだが、すっかり出来上がっていた彼らは幾分と危なっかしい兄ちゃん達になっていたのと、観光がてらスコント・リガのスタジアムに足を運びたかったので丁重に断らせて頂いた。上半身裸のMFジェイソン・ボーウェンをチームメイト皆で「ブルース・リーに似ている」とからかい、初戦で点を取ったDFスチュワート・ジョーンズ(写真)とパスポートの顔写真を見せ合いしたり、写真を撮り合ったりとしばしのコミュニケーションを楽しませてもらった。ラネリーは現在、今季(2008/09シーズン)のウェールズ・プレミアリーグで優勝争いをしている。彼らもまた来季のチャンピオンズ・リーグにチャレンジしてくるかもしれない。

 そして気になっていたヴェンツピルスのマスコット。公式サイトで2008年のリーグ優勝の記事を目にしたら、選手達との記念写真に中の人が写っていた。それも監督の後ろにばっちりと。

 


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