現地発、クロアチア・サッカー報告 (番外編)



欧州最凶サポーター、BBBと行く旅 (中編)
 
〜 謎の国、沿ドニエストル共和国へ 〜

2010/7/28 チャンピオンズ・リーグ予備戦三回戦「シェリフ・ティラスポル vs. ディナモ・ザグレブ」


  
 「21時にサポータークラブへ来い」

 サポータークラブ・バッド・ブルー・ボーイズ(BBB)の受付係の若者から携帯メールが届いたのは、20時を当に過ぎた頃だった。彼は「集合場所と集合時間が決まったら連絡する」と約束してくれたのに当日になっても返事なし。痺れを切らして催促を何度しても「まだ決まってない」の一点張りだ。そして「出発は深夜になるだろう」と言っていたはず。しかし、初っ端から彼らに振り回され、うろたえててはいけない。何が起こるか予想できない遠征の始まりなのだから。これから4日間は使えないだろうシャワーを浴び、着替えと少しの食料を詰めたバックを背にして自宅を飛び出した。

【シェリフ・スタジアムを指差す"オッカツ"ことシュテファン。
旅はこの破天荒な元サッカー選手を中心に展開する】

 15分遅れてサポータークラブに到着すると、集まっていたBBBはまだ10人程度だった。申し込みにここへ訪れた5日前と同様、室内は私が知らない若いBBBばかり。「なんだ、コイツ?」と冷たい視線が突き刺さる。受付係の彼に話を聞くと、今回はバスを出せるほどの人数が集まらず、30人ほどが4台のバンに分乗してモルドバを目指すとのこと。より密室な空間で、こんな若造達と何日も過ごすのは辛すぎるのでは…。

 このサポータークラブには久しく親しい間柄の伝説的人物がいる。最高齢サポーターのフラニョ・クルカンさん(79)。ディナモやクロアチア代表のアウェー遠征となると、必ずや参加する最高齢サポーターだ。幾ら威勢を張るBBBの若造だろうが、小柄で物静かなフラニョさんを「deda」(爺さん)と呼び、敬意を払う。フラニョ爺さんと一緒ならば話題も尽きないし、失礼な若造との間でも問題は起きないだろう。しかし、残念なことにフラニョさんは家族が病気のために遠征を断念。旧知のリーダー、トミスラフ・グルシッチさえも仕事のために行かないという。

 サポータークラブの端っこで一人寂しく立っていると、聞き覚えのあるダミ声が突如飛んできた。
「ユキ! オー、久しぶり。お前も遠征に行くのか? ならば、俺と一緒の車だな!」
ヴィエコスラフ・シュテファン、通称"オッカツ"。私がザグレブに移住して間もない2001年、田舎町で偶然に知り合い、「FWヴィエコスラフ・シュテファン〜NK TOPケレスティネッツ」というサッカーレポートの対象となった元サッカー選手だ。将来を嘱望されたディナモ・ユースだった彼も現役を引退し、今ではサポーターの中心人物に変貌した。突拍子のない発言や想定外の行動は30代になろうと変わりやしない。その昔、アルペンスキーの女王ヤニツァ・コステリッチを応援しようと、二人で隣国スロベニアに行ったことがある。彼の車で行くと思いきや、高速道路の入口で停まり、「この先は二人でヒッチハイクだ」と言い出した(※ちなみに彼の車は、同乗した母親が乗って帰った)。同じく応援に向かう車を拾って会場となるマリボルに着いたものの、泥酔した彼はいつの間にか姿を消し、私一人置いてきぼりにしてしまう。泣く泣く一人で団体専用バスに頼み込み、ザグレブに帰宅できたわけだった。オッカツの誘いを聞くと、あの無鉄砲な旅をフラッシュバックのように想い出す。しかしながら、こうも知らないBBBが多くては、不安を感じようとも彼を頼りにしなくはならない。仕切り屋のオッカツは次々と同乗メンバーをスカウトしていく。8人揃った。残る一席は"トミ"のものだ、と語るオッカツ。トミと名乗るサポーターは何人もいるが、もしやあのトミか?

【友人トミと一緒に。ずらっと並ぶバンがBBB一行のもの】

 「おー、ヤスユキ! 元気だったか!」
妻の運転する車で遅れてやってきた"トミ"ことトミスラフ・ユリッチは、私の友人であり、古くから知るBBBのメンバーだ(※「検証−1990.5.13」の最後に登場)。2000年にスロバキアで開催されたU-21欧州選手権で知り合い、2年後にばったり再会したのがきっかけで私もBBBに入会。トミを含む当時のメンバーと深い交流を重ねたものだ。トミは友人思いの優しい性格ながら、人一倍感情的なため、過去に何度も警官隊や相手サポーターに暴力事件を引き起こした。スタジアム入場を2年禁止とされ、日韓ワールドカップではブラックリストに掲載されたことで、日本に入国拒否の扱いを受けてしまっている(※日本では報道されなかったが、5人のクロアチア人が関西空港で入国拒否を受け、さらに1人も友情から帰国を決意。いずれもが私と親しいBBBだった)。そんなトミも今や二児のパパ。仕事を始め、結婚をし、子供が産まれ、家族を養うようになると、スタジアムから次第に足が遠のき、BBBを卒業していく。そんな彼らを"年金生活者"と揶揄し、私が親しかった世代の多くが"年金生活"を送っているわけだが、熱血サポーターのトミはそんな考えが更々ない。夏のバカンスシーズンを青く美しいアドリア海で家族と過ごすのではなく、貴重な有給休暇をこのモルドバ遠征に当ててきたのだ。そんな彼がいるならば、私も寂しくはならないだろう。元BBBのメンバーだった妻マリーナは心配そうにトミを見つめ、別れ際にキスしてこう約束する。
「お願いだから、向こうでは冷静に振る舞ってね」

 22時半を過ぎた頃、一番早くにパーティが揃った我々の車両が最初に出発。車種はフォルクスワーゲン社のバン「T5」。350ユーロほどで借りたレンタカーで、定員いっぱいの9人で乗車する。私は最前列の中央、運転手のマリオとオッカツに挟まれながら窮屈に座った。オッカツはタバコを吸いながらハイテンションに喋りかける。
「ユキ、モルドバの売春事情を知っているか? 可愛い娘がうじゃうじゃしているらしいぜ。お前も女を探しに行くか?」
"僕は既婚者だぜ。ましてや近々、結婚一周年だ。とてもじゃないけど遠慮するよ"と、やんわり断るも、オッカツはこう畳み掛ける。
「おうおう、ならばバチェラー・パーティー(※"独身最後の夜"として同性だけで騒ぐ儀式)の再現と行こうじゃないか。キシナウの夜は派手にやろうぜ!」

【ザグレブ→キシナウのルート】



 てっきり私は、二日後の試合日に合わせてティラスポル到着を目指すものと思っていたら、明日の夜はモルドバの首都キシナウで一泊。そして試合当日、最難関になるだろう沿ドニエストル共和国との国境を越え、ティラスポルを目指すことが判明した。行き当たりばったりの彼らだ。当然のようにキシナウの宿は予約していない。また、ザグレブからキシナウまでの距離は1400km近くもある。クロアチアを発ち、ハンガリー、ルーマニアを越えてモルドバに入る長旅だが、彼らは携帯カーナビなど使用せず、パソコンでルート検索した地図をプリントした紙だけを頼りにする。最後の最後には本能に頼るところも出てくるだろう。高速道路に入り、1時間半もすればクロアチアとハンガリーの国境到着。オッカツはどこの国の警察が相手だろうと
「俺たちゃディナモのサポーターだ。今から応援でモルドバに行くんだぜ」
とアピールを繰り返す。BBBが危険な存在だと承知しているはずのクロアチア警察も、すんなりと出国を認可した。ここからが"ヨーロッパ"だ。中東欧の国々の中では発展したほうのクロアチアは、戦犯引渡しの遅れやスロベニアの妨害によってEU加盟が遅れており、既にEUに加盟した国々を皮肉って"ヨーロッパ"と表現することがある。その一方で、粗野なイメージが付きまとう"バルカン"という言葉を嫌い、自分達がバルカン国家のカテゴリーと入れられることにコンプレックスを抱いている。しかしながら、BBBの粗野っぷりは既にバルカン云々のイメージを超越した存在だ。車内では運転手を除くBBBの連中がビールをあおり、ディナモのサポーターソングを歌い始める。そして過去のアウェー遠征の想い出を語り合うのだ。

「去年のティミショアラの暴動は俺たちゃ悪くないぜ。ルーマニア人の奴らがセルビアをネタにうちらを挑発してきたんだ。ちょっと派手にやっちゃったけどな」
「エストニア遠征の時はな、岐路に国境でエストニア警察と喧嘩した馬鹿がいて、警察が俺達全員を南のラトビアに出国させないと言うんだよ。ロシア経由で帰るなんて勘弁だから、俺がそいつの代わりに謝り込んだものさ」
「キエフでは試合前日にあるサポーターがカフェで騒動を起こし、強制出国となったんだけど、団体ビザだったから全員が強制出国する羽目になって。でも手ぶらで帰るのは馬鹿馬鹿しいからブダペストに寄って、MTKブダペストと戦うセルティックを応援した(※クロアチア人は同じカトリックのアイルランド系に強いシンパシーを抱いているため。セルティックはスコットランドのクラブだが、アイルランド系が創設)。セルティックのサポーターにはビールを奢ってもらったし、スタジアムはチケットなしで塀を乗り越えたさ」

 ディナモのサポーターソングの一つに「DINAMO JA VOLIM」(好きだぜ、ディナモ)というものがある。初代大統領トゥジマンが、"ディナモ"という言葉は共産主義を思わせるということで使用を禁じた際、"ディナモ"に対する愛情を込めて作られたサポーターソングだ。「歌も作った。バラの花も積んだ。オレの青春は全部捧げた〜」で始まるロック調の歌詞は、こうサビを繰り返す。

「そうさ、神様だってご存知の聖なる名、聖なる名ディナモ。一緒に天国、一緒に地獄、バッド・ブルー・ボーイズとディナモ!」

 北はノルウェーから南はギリシャまで。西はポルトガルから東はアゼルバイジャンまで。イスラエルも含めたヨーロッパの津々浦々をBBBは渡り歩いてきた。飛行機も利用するが、基本は陸路。決して裕福じゃない彼らは、なけなしの財産を使い込み、人から借金してまでアウェー遠征に情熱を注ぎ込む。冬だろうとディナモの刺青を入れた肉体をさらけ出し、冷たいビールを浴びるように飲みながらディナモへの愛を表現する。彼らの想い出を聞くと、遠征こそがディナモへの愛情を最も具体化させた青春であり、そこで誕生する"武勇伝"が生涯に刻まれたサポーター人生の証しなのかな、と思ったりもする。しかしながら、彼らのあらゆる悪行でクラブは何度もUEFA制裁を受けるはめになった。多額の罰金を強いられたところでも、自分の財布が痛むわけでもないので反省の心は無い。歌詞の通り、ディナモも一緒に地獄に誘い込むのだ。


【旅におけるBBBのビール消費量は桁外れだ。
 ルーマニアの缶ビール、ウルススを飲むダミール】

 「ユキ、お前もビールを飲め!」
クロアチアで買い込んだビールは底をつき、ハンガリーのガソリンスタンドで購入したビールが手渡される。車が走るごとにガソリンを消費するように、BBBもビールを消費していく。ブダペスト近くで運転手はイヴォに代わり、バンは深夜のハンガリーを東に向かっていった。遠回りにもかかわらず、ハンガリー東部のデブレチェンに到着。地名が入った看板にディナモのマフラーを掲げ、彼らは記念写真を撮り始めた。ディナモの宿命のライバル、ハイドゥク・スプリトが2005年、チャンピオンズ・リーグ予備戦二回戦でデブレチェンと対戦。トータルスコア8-0でハイドゥクをぶっ倒してくれたことで、デブレチェンに特別なシンパシーを抱いているためだ。よりによって、ハイドゥクは「シェリフvs.ディナモ」の翌日にルーマニアでディナモ・ブカレストと相対する。アウェー観戦がUEFA制裁で禁止されているハイドゥク・サポーターの"トルツィダ"も500人遠征する、との情報が入ってきた。
「モルドバからの帰りにブカレストに寄って、トルツィダを征伐してやろうぜ!」
あるBBBからはそんな激しい意見も飛び出した。キシナウからブカレストまでは南に470km。トルツィダが取ったルートは、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビアを抜けてのルーマニア入国だったため、幸運にもニアミスすら実現しなかったわけだが…。

 朝6時前に我々はルーマニアに入国。最初のガソリンスタンドに飛び込むと、BBBはまたしてビールを買い込んだ。ルーマニア産ビール"ウルスス"の缶ラベルには、ルーマニアが活躍した1994年ワールドカップでの勝利を喜ぶサポーター達が描かれる。それをグビクビと飲みながらルーマニアを西へと突き抜ける。ルーマニアの道路舗装は悪く、天気も雨。今でも農村では馬車が一般的に使われているため、追い越し運転も楽じゃない。オラデア、クルージ・ナポカといった都市を抜けたところで、ビールを補給しようと彼らは小さな町の商店になだれ込んだ。大量にビールを持ち帰ってきた一人がこう語る。
「女性の店員は英語が通じないし、ルーマニアの通貨(レウ)しか受け付けないと言う。でも現地通貨なんかないから、ユーロやドルの小額紙幣を押し付けてきたよ。レートが分からない店員も混乱していたようだし、実際に払った以上にビールを手にしたんだじゃないかな」
単純に計算しても、払った額の倍近いビールが持ち込まれた。鬼畜…。お前も飲め、とビール瓶を手渡されたものの、ルーマニア人の店員を思うと私は気が進まなかった。飲み干した瓶や缶が床に散乱するため、車内はやたらとビール臭い。どこまで彼らは飲むというのか?


【ルーマニアのドライブインでウォッカを飲むオッカツとダミール】

 ルーマニア国内を走り続けて6時間半、休憩がでらカルパチア山中のドライブインに入る。昼食タイムということで周囲は食事をしているというのに、我々の注文はアルコールだ。食事に関して言えばBBB(概してクロアチア人)は実にドメスティックで、道中にクロアチアから持ち込んだサンドイッチばかりパクついている。私はルーマニア料理を食したかったものの、注文の音頭を取るオッカツが許さない。ブロークンな英語で彼は若いウェイトレスに注文する。
「ウォッカをくれ! あとスプライトとファンタ!」
ウォッカの入ったグラスが何杯も持ち込まれるが、一口飲むだけで酷い酒だと分かった。これに彼らはスプライトかファンタを混ぜて飲むのだ。オッカツはまったく財布を痛めることなく、若いダミールとボリスから金を出させる。余った5ドルは、我が物顔のオッカツがチップとしてウェイトレスのポケットに押し込むのだ。
「ほらユキ、飲め!」
メンバーの半分が手をつけないようなアルコールを飲んだのが運の尽き。私とダミール、ボリスはバンの後部座席でぐったり。そしてペットボトルに移した残りのウォッカ&スプライトは、ルーマニアの農道にボトルごと捨てられることになった。

 ルーマニアとモルドバの国境、スクレニに到着したのは19時頃。オッカツはルーマニア側の国境警備員にディナモの応援でここまで来たことをアピールすると、ついさっきに後発のBBBの車両が通過したことを知らされる。
「シェリフとの試合では貴方達の幸運を祈るわ!」
沿ドニエストル共和国の存在を好ましく思ってないかどうかは不明だが、ルーマニア婦警にはそう優しく送り出され、ボーダー上の橋を越えるといよいよモルドバの国境検問所。しかし、ここからが長かった。レンタカー証明の提示を含めて警察の手続がやたらと遅い。おまけに川沿いの森に囲まれた検問所のため、ドアを開ければヤブ蚊が襲ってくる当に1時間は待たされ、全員の入国手続が完了した頃はすっかり陽も暮れてしまった。最初に目指すはガソリンスタンド。目的はもちろんモルドバ産のビールだ。オッカツは
「モルドバのビールは一本2〜3クーナ(約32円〜48円)と格安らしいぜ」
と豪語していたが、実勢価格はその倍だった。それでも充分安いのだが(※ちなみにクロアチアは500ml缶で120円ほど)、ビールを浴びるほど飲みたいBBBには不満だったようだ。

【翌日、ホテル・キシナウの前でたむろするBBB】
 ルーマニア以上に舗装状態の悪いモルドバの山道をヘッドライトを頼りに走っていく。国境のスクレニからキシナウまでは距離にして160km。運転手を務めたイヴォはブダペストからノンストップで運転し続けている。誰もが疲れもピークに達しており、言葉数は少なくなっていった。3時間近く掛けて、ようやくキシナウの中心街に到着。サポータークラブがあらかじめ調べていた一泊8ユーロほどのユースホステルの住所をタクシー運転手に見せ、そのタクシーを先導させて直行する。しかし、その住所にはホステルなど存在しなかった。ブチ切れたBBBはタクシー運転手に「どこか手頃なホテルに連れてってくれ」と依頼。着いた先がホテル・キシナウだった。ツインで1泊600レイ、つまり一人につき300レイ(約2150円)。予想を越える出費となるが、時計は既に0時近い。
「もう俺はここに泊るぜ。ユキ、同じ部屋にするか?」
そう私に尋ねるオッカツを前に悩んだ顔を見せると、もういいさ、と他のメンバーを当たってしまった。選択肢はここしかないわけだし、と私も宿泊を決めると、同じパーティのディノが一緒に泊ろうと声を掛けてくれた。穏健な彼なら安心だ。近くのスーパーマーケットで両替を済ませ、先払いの宿代を払って部屋へ。ホテルの外観はクラシックだが、部屋の内部はかなり酷いものだった。温かいシャワーが浴びられる時間も朝と夜の2時間のみ。ベッドは堅くて小さく、枕は重くて大きかったが、アルコール漬けのドライブから逃れ、横になれるだけで嬉しかった。

 ほとんどのBBBがこのホテル・キシナウに泊っているらしく、深夜にもかかわらずホテルの外では一部のサポーターが酒盛りを続けていた。一つの部屋を借りて何人も潜り込むのが彼らの常套手段だが、このホテルは各階に受付係を常駐させており、そんな不正を許さない。よって宿代を節約する若いサポーターは徹夜で酒盛りをするか、車中で仮眠を取る。スーパーマーケットが24時間経営だったのも助けとなった。ベッドでうつろうつろしていた3時頃、廊下で不機嫌そうなオッカツの声が聞こえる。チェックイン後、女を探しにクラブへ直行したが、失敗したようだな…。翌日になってダミールから聞いた話だが、スーパーマーケット前でモルドバ警官に「女を紹介するぞ」と声を掛けられ、携帯電話に保存した売春婦の写真を何枚も見せてくれたらしい。その警官は続けて、
「コカインは無理だが、マリファナだって手に入れることは可能だぞ」
と薦めてきたそうだ。旧ソ連の警察はどこも腐敗していると聞くが、ヨーロッパ最貧国のモルドバもその例に漏れることはない。しかし、そんな魔の手とは無縁の私は、ルーマニアで飲んだウォッカによる頭痛と戦いながら、不快なベッドの中で眠り続けるのであった。

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(後編に続く)


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