現地発、クロアチア・サッカー報告(15)
愛する日本へ
〜 ニーノ・ブーレ特別インタビュー
昨今のJリーグにおいて優良外国人を挙げれば、間違いなく彼の名前が挙がるだろう。1999/2000シーズンまでNKザグレブでプレーし、2000年7月にガンバ大阪へと移籍。2000年シーズンは13試合6ゴール、翌2001シーズンは27試合18ゴールを決めたクロアチア人フォワード、ニーノ・ブーレ(26)。今季から西野新体制となって彼はガンバを追われ、今は故郷に程近いクロアチア・リーグの強豪ハイドゥク・スプリトにてプレーしている。
4月6日のハイドゥクvs.ディナモ戦の練習前に彼と知合うことが出来た。ガンバ時代には黙々とプレーしている感があった彼だが、次々と日本語を連発する非常に明るい青年だ。その後も二度ほど偶然ザグレブ市内にて彼と出会い、これを機にインタビューを申し入れたところ快く引き受けてくれた。メールにて30問の質問を送り、全ての質問に丁寧に答えてくれたブーレ。その文面からは彼の実直な人間性と、日本への愛情が素晴らしく滲み出ていた。(返答は2001年6月5日)
【写真:ニーノ・ブーレ。NKザグレブ・スタディオンにて】
−今の生活はどう? この休暇は何をしている?
「シーズンが終了して、6月15日まではオフだ。今は生まれ故郷のチャプリナ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)の実家でオフを過ごしている。自由時間は彼女と過ごし、時々はここから近い海へと出掛けているよ。それ以外は弟と一緒にトレーニングしたり、家族と川辺でバーベキューをしたりしてるね。」
−まずは一年半を過ごしたガンバ大阪時代の話を。どういう経緯でガンバ大阪に移籍したのか? そして移籍が決まった時はどう思った?
「ヨシップ・クジェ(元ガンバ:NKザグレブ監督)の仲介でガンバ大阪からのオファーを受け取った。日本に渡る前には、食べ物や習慣、人々、そして生活手段に不安を感じていた。しかし日本に来てからはすぐに日本という国を愛し、困るということは無かったよ。皆が素晴らしく私のことを受け入れてくれ、そして私のプレーを好んでくれたからね。」
−日本での生活は?
「本当に如何なる不満も無かったよ。私にとっては非常に素晴らしいところだった。ただ日本の気候に慣れることは少し辛かったかな。」
−日本で最も困難だったことは?
「恋人がビザを得ることが出来なかったために毎回3ヶ月の滞在で帰ってしまい、時々は一人で居なくてはならないことが最も辛かった。そして故郷から遠いことも。私の家族全員が日本で一緒に生活出来たなら、最も幸せだったんだけどね。」
−チームメイトや早野宏史監督(当時)との関係はどうだった?
「チームメイトや監督とは大変良い関係にあった。この場で彼らに挨拶するよ。ガンバ大阪は非常に良いチームであったと思う。」
−Jリーグでの試合で最も印象的だった試合は?
「2ゴールを決めた浦和レッズとの試合(2001.5.19、2対1)だ。雰囲気が素晴らしく、試合を通してサポーターが我々を支えてくれた。試合前に宮本恒靖が"君が3ゴールを決めるだろう"と言ってくれたのだが、残念なことにそれは達成出来なかった。しかし彼等は満足してくれたよ。」
−ではJリーグにおいて最も印象的なゴールは?
「名古屋グランパス戦(2000.11.18、2対1)でのVゴールだ。このゴールでガンバは優勝争いに留まれたのさ。」
−Jリーグで対戦したディフェンダーはどうだった?
「私をマークしたディフェンダーは良い選手が多かった。彼等のマークを切り外すのは難しかったね。」
−クロアチアリーグとJリーグを比較すると?
「クロアチアリーグの方が選手一人一人の質は高いものの、リーグとしてはJリーグの方がレベルと質において上だと思う。」
−日本人選手に欠けているものは何だと思う? また逆に日本人選手の特徴は?
「日本のチームは多少戦術面が欠けているが、全ての選手はテクニック、スピードを持ち、またプレーと勝利に向けて大きな望みと意思を持っていたね。その点が非常に好きだった。」
−ガンバ大阪のサポーターについてはどう思った? 以前にサポーター内に対立があることを嘆いていたが....。
「私はサポーターとも良い関係を持っていたと思う。二つのグループに分かれていることに関わらず、彼等は私を愛してくれ、私も彼等を愛していた。サポーターは私に対して非常に正直だったね。」
−日本での最後の試合において、ガンバ・サポーターが「我々はニーノを愛している! 来季も一緒に戦いたい!」との垂れ幕を準備して、貴方もそれに深く頭を下げたと聞いているが。
「愛するクラブであったガンバ大阪から去ることは本当に辛かった。サポーターのメッセージに深く感動したし、私の恋人ですら最後の試合は泣いていた。」
−ガンバの中では誰が最も仲が良かった?
「全てのチームメイトと親しかったが、特に宮本恒靖と仲が良く、彼が色々と日本のことを教えてくれた。あとクロード・ダンブリーと新井場徹とも仲が良かったよ。」
−今でもコンタクトを取っているガンバの選手は誰?
「宮本恒靖とは頻繁にeメールの遣り取りをしているよ。素晴らしくプレーしている稲本潤一のように、宮本が今回のワールドカップで良い活躍が出来ることを願っている。電話ではいつもダンブリーと連絡を取り合っているよ。いずれフランスにいる彼を訪ねるつもりさ。」
−なぜガンバ大阪を離れることになったのか?
「ガンバ大阪とは契約が残っていたにも関わらず、自分の望みでチームを去ったわけでは無かった。単に山本浩靖強化部長が私をガンバ大阪から追いやったということだ。ガンバ大阪から去ったことは私のキャリアにおいて最も辛いことの一つだよ。」
【写真:ディナモ戦では怪我をおして交替出場、
決勝ゴールと繋がるセンタリングを挙げた瞬間】
−今年になって貴方は子供の時から憧れていたハイドゥク・スプリトへと移籍した。移籍に際して10万ドルの移籍金を自分で払ったというのは本当か? しかも、なぜ?
「ハイドゥク・スプリト移籍のため、自腹でガンバ大阪へ移籍金を払ったということは本当の話だ。なぜなら別の選択肢は無かったからだ。」
−ハイドゥク・スプリトではフォワードではなくて右ウィンガーとしてプレーすることの方が多かったと思うが。
「正確に言うと私は右ウィンガーでプレーしていない。なぜならハイドゥクは3トップを取っており、右FWでプレーしていたのさ。」
−ディナモ戦(4月7日、2対1で勝利)でのホイッスルの直後、貴方は得点掲示板の下で観戦する車椅子の観客へと走り、自分のユニフォームをプレゼントした。その行動に私は大変感動したが、経緯を教えてくれないか?
「ユニフォームはクロアチア独立戦争の時に怪我を負った一人の友人にプレゼントした。この友人は熱烈なハイドゥクのサポーターで、このように私はいつも大事な友人や人々にユニフォームをプレゼントしているよ。」
−昨季のハイドゥク・スプリトにおいてのプレーには満足しているか?
「関節の怪我をしてしまったことを考慮に入れても、自分のプレーにはたいそう満足している。クラブ関係者も同様に満足してくれているよ。」
−昨季はかつての所属クラブであるNKザグレブが初優勝したが、これについてはどう思っている?
「昨季はNKザグレブがリーグ前半で良いプレーをしたゆえに幸運を掴めたと考えている。しかしこの成功は来季に繰り返されることは無いと思うね。」
【写真:ディナモ戦にて。左はイヴァン・ボシュニャク】
−続いて代表関連の話題を。二年前に貴方はボスニア・ヘルツェゴビナ代表に召集され、試合前の合宿にも参加したにも関わらず、クロアチア代表でプレー経験(1999.6.13、対エジプト戦)を問われてFIFAがプレーを許されなかった。この決定についてはどう思った?
「以前にクロアチア代表でプレーしたのは事実だから、FIFAの決定は誤りの無いものだと思っている。」
−今はクロアチア代表選出への意欲を持っているが、今回のワールドカップのメンバーに選ばれなかったことについてはどう思っている? 多くの日本人が貴方を見たがっていたのだが....。
「ミルコ・ヨジッチ監督が親善試合で私にチャンスを与えなかったことで、多くを証明することが出来なかったことは誤りだと思っている。しかし多くの日本のファンがポルトガル(EURO2004)での私を見に来てくれることを望んでいるよ。」
−今は日韓ワールドカップが開催されているが、どこで見ている? 日本で観戦する可能性は?
「全ての試合は家か、もしくはハイドゥクでの合宿先で見るつもりだよ。」
−日韓ワールドカップでのクロアチアの結果はどう予想している?
「前回のワールドカップとは反対に、クロアチアは非常に悪い結果を迎えるだろう。なぜならあのような成功を繰り返すことは難しいからだ。しかも今の代表は古い。若い選手達に自分を証明させる機会を与えるべきだと思っている。」
−では日本の結果はどうなると予想している?
「日本はグループリーグから先と進むと思うし、それを心の奥から望んでいる。とりわけ次のロシア戦に勝利すれば尚更だ。チームは若いが、熱狂的なサポーターの支持を得ているし、勝利への意欲も強い。先へ先へと勝ち進むことを望んでいるよ。」
−将来についての話を。ハイドゥクの後ではどこでのプレーを希望している?
「ハイドゥクの後は、ある欧州のビッグクラブでプレーしたい。それから日本へと戻りたいね。」
−ということは、もう一度Jリーグでプレーを考えているの?
「日本で再びプレーすることを強く望んでいるし、日本でプレー出来るよう貴方達が私を助けてくれることを願っているよ。」
−Jリーグの将来についてはどう考えている?
「ワールドカップの後にJリーグは更に強く、戦術の質も高くなると思っている。」
−多くの日本人が貴方と貴方のプレーを愛していた。日本のファンとガンバ・サポーターにメッセージを。
「私は本当に日本の全てを愛してる。もし貴方達に私が欠けているのなら、再び日本で一緒にプレーすることを希望している。またワールドカップでの成功と多くの良い試合を強く望んでいる。そしてガンバ大阪のリーグ制覇も。」
−では最後の質問を。今の貴方にとって日本とは?
「日本は私にとっては"一つの大きな経験であり、一つの素晴らしい記念であって、また戻りたいという希望の場所"だ!!!」

Puno pozdrava igracima Gambe i ljudima u klubu, te
navijacima. Sayonara do sljedeceg nadam se videnja u Japanu.
(ごきげんよう、ガンバの選手達、クラブ関係者、そしてサポーター達。また日本で会えることを希望しています。それまではサヨナラ。)
Nino Bule
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