現地発、クロアチア・サッカー報告(32)

GO EAST! 〜クロアチア移籍事情考察


 今から10年ほど前のクロアチア代表は、選手の所属クラブを聞くだけで興奮したものだった。ACミランのズボニミール・ボバン、バルセロナのロベルト・プロシネツキがゲームを組み立て、レアル・マドリッドのダヴォール・シュケルとユベントスのアレン・ボクシッチのツートップが得点を決める。クロアチアは人口450万人ほどの小国ながら、常に欧州の移籍市場を賑わしていた優良輸出国だった。その後もダリオ・シミッチ、イゴール・ビシュツァン、イゴール・トゥドール、ボシュコ・バラバン、マルコ・バビッチ、ユーリツァ・ヴラニェシュといった将来を嘱望される選手達を、高額な移籍金で西欧のクラブへと送り出すことでクロアチアのクラブは大きな収入を得てきた。しかし移籍バブルが頭打ちとなり、移籍市場が冷え込み始めた2002年頃からその状況は現在一変している。これまでのような西欧のクラブではなく、新たな移籍先として名前が挙がるのはモスクワやウクライナといった旧ソ連のクラブやギリシャ、もしくは日本、韓国といった極東のクラブばかりだ。なぜこのような変化が生じてしまったのだろうか。

下のデータは1998年〜2005年まで、ディナモ・ザクレブとハイドゥク・スプリトの二強が放出した主力選手のリストである。移籍先と移籍金の額を見てもらえれば、その大きな変化に気づいて貰えるだろう。(移籍額は推定のものもあり。クロアチア国籍以外の選手も含む)

年度 ディナモ・ザグレブ ハイドゥク・スプリト
選手名 移籍先(国) 移籍金 選手名 移籍先(国) 移籍金
1998年 イゴール・ツビタノヴィッチ レアル・ソシエダ
(スペイン)
300〜480万ユーロ イゴール・トゥドール ユベントス
(イタリア)
400万ユーロ
      アンソニー・シェーリッチ パルマ
(イタリア)
300万ユーロ
1999年 ダリオ・シミッチ インテル
(イタリア)
550万ユーロ ネナド・プラリヤ レッジーナ
(イタリア)
70万ユーロ
シルビオ・マリッチ ニューキャッスル
(イングランド)
500万ユーロ      
マーク・ビドゥカ セルティック
(スコットランド)
480万ユーロ      
トミスラフ・ルカビナ ベネツィア
(イタリア)
200万ユーロ      
2000年 イゴール・ビシュツァン リヴァプール
(イングランド)
1100万〜
1200万ユーロ
ユーリツァ・ヴチュコ アラベス
(スペイン)
43万5000ユーロ
スティエパン・トマス ビチェンツァ
(イタリア)
200万ユーロ スタンコ・ブバロ ケルンテン
(オーストリア)
75万ユーロ
マリオ・ツビタノヴィッチ ベネツィア
(イタリア)
200万ユーロ      
ダニエル・シャリッチ パナシナイコス
(ギリシャ)
200万ユーロ      
ヨシップ・シミッチ クラブ・ブルージュ
(ベルギー)
無償      
2001年 ボシュコ・バラバン アストン・ビラ
(イタリア)
900万ユーロ イヴァン・レコ マラガ
(スペイン)
50万ユーロ
トミスラフ・ショコタ ベンフィカ
(ポルトガル)
250万ユーロ イゴール・ジュゼロフ シャフタール・ドネツク
(ウクライナ)
無償
エディン・ムイチン ジェフ市原
(日本)
110万ドル      
マリオ・トキッチ グラーツァAK
(オーストリア)
無償      
2002年 イェルコ・レコ ディナモ・キエフ
(ウクライナ)
250万ユーロ マテ・ビリッチ サラゴサ
(スペイン)
125万ユーロ
        イゴール・ムサ ザレズ
(スペイン)
80万ユーロ
        イヴァン・ボシュニャク アル・イティハド
(リビア)
80万ドル
        ゴラン・サブリッチ ディナモ・キエフ
(ウクライナ)
40万ドル
        トミラスフ・エルチェグ サンフレッチェ広島
(日本)
40万ドル
2003年 イヴィツァ・オリッチ CSKAモスクワ
(モスクワ)
500万ユーロ スティペ・プレティコサ シャフタール・ドネツク
(ウクライナ)
85万ユーロ
トミスラフ・ブティナ クラブ・ブルージュ
(ベルギー)
50万ユーロ ダリヨ・スルナ シャフタール・ドネツク
(ウクライナ)
85万ユーロ
シルビオ・マリッチ パナシナイコス
(ギリシャ)
無償 ミラン・ラパイッチ アンコーナ
(イタリア)
無償
2004年 ゴチェ・セドロスキ ベガルタ仙台
(日本)
30万〜50万ユーロ? スルジャン・アンドリッチ パナシナイコス
(ギリシャ)
無償
ドゥミトル・ミトゥ パナシナイコス
(ギリシャ)
無償 ニーノ・ブーレ パスチング
(オーストリア)
無償
ミハエル・ミキッチ カイザースラウテルン
(ドイツ)
無償 ペタール・クルパン レイリャ
(ポルトガル)
無償
      ズボニミール・デラニャ ルマン
(フランス二部)
無償
      フルヴォイエ・ヴコヴィッチ ブルクハウゼン
(ドイツ二部)
無償
      マリオ・ツァレヴィッチ アル・イティハド
(サウジアラビア)
40万ドル
2005年 ニコ・クラニチャール ハイドゥク・スプリト
(クロアチア)
150万ユーロ マト・ネレトリャク 水原三星
(韓国)
25万ユーロ
  ヤスミン・アギッチ 仁川ユナイテッド
(韓国)
80万ユーロ ダルコ・ミラディン シャフハウゼン
(スイス)
無償
  ダニエル・フルマン ハイドゥク・スプリト
(クロアチア)
無償      
  ダミール・ミリノヴィッチ ザルツブルグ
(オーストリア)
無償      


また、ここ2年間のクロアチアリーグ全体から国外への移籍は以下のようになっている(判明分のみ)。

主要5大リーグ(イングランド、イタリア、スペイン、フランス、ドイツ)

【ドイツ】 ミハエル・ミキッチ(ディナモ→カイザースラウテルン)
      ラドミール・ジャロヴィッチ(ザグレブ→アルミニア・ビーレフェルト)
【イタリア】ミラン・ラパイッチ(ハイドゥク→アンコーナ)
3人 5.5%
その他の西欧リーグ (上記の5ヶ国の二部リーグも含む)

【ベルギー】  トミスラフ・ブティナ(ディナモ→クラブ・ブルージュ)
         ボシュコ・バラバン(ディナモ→[アストン・ビラ経由]→クラブ・ブルージュ)
         ミリエンコ・ムムレク(ヴァルテクス→スタンダード・リエージュ)
         トミスラフ・ミクリッチ(オシエク→ヘンク)
         ダリオ・スモイエ(ザグレブ→ヘント)
【オーストリア】ニーノ・ブーレ(ハイドゥク→パスチング)
         ダミール・ミリノヴィッチ(ディナモ→ザルツブルグ)
         マテ・ブライコヴィッチ(ザダール→アドミーラ)
         ボシュコ・ペライッツァ(チバリア→アドミーラ)
【ポルトガル】 ぺタール・クルパン(ハイドゥク→レイリャ)
【スイス】    ダルコ・ミラディン(ハイドゥクシャフハウゼン)
【フランス二部】ズボニミール・デラニャ(ハイドゥク→ルマン)
【ドイツ二部】 フルヴォイエ・ヴコヴィッチ(ハイドゥク→ブルクハウゼン)
         マトコ・カリニッチ(リエカ→オーベルハウゼン)
         ダルコ・ホルヴァト(インテル→ディナモ・ドレスデン)
         クレメン・ラヴリッチ(インテル→ディナモ・ドレスデン)

16人 29.1%
ロシア・ウクライナ

【ロシア】   イヴィツァ・オリッチ(ディナモ→CSKAモスクワ)
        ダニエル・フルマン(ヴァルテクス→スパルタク・モスクワ)
        スティペ・ラリッチ(オシエク→クーバン・クラスノダール)
        マリオ・ユリッチ(ディナモ→クーバン・クラスノダール)
        ヴェドラン・チェリシュチャク(リエカ→トルペド)
【ウクライナ】 ダリオ・スルナ(ハイドゥク→シャフタール・ドネツク)
        スティペ・プレティコサ(ハイドゥク→シャフタール・ドネツク)
        ゴラン・ブライコヴィッチ(リエカ→アーセナル・キエフ)
        イヴィツァ・ピリッチ(ハイドゥク→アーセナル・キエフ)
        スポメンコ・ボシュニャク(ディナモ→メタルルグ)
        ブレディ・シュケンビ(カメン・イングラッド→メタルルグ)
11人 20.0%
ギリシャ・トルコ、中東

【ギリシャ】  シルビオ・マリッチ(ディナモ→パナシナイコス)
        ドゥミトル・ミトゥ(ディナモ→パナシナイコス)
        スルジャン・アンドリッチ(ハイドゥク→パナシナイコス)
        マリオ・ガリノヴィッチ(オシエク→パナシナイコス)
        イヴァン・レジッチ(ヴァルテクス→オリンピアコス)
【トルコ】   アントニオ・フラニャ(ザグレブ→ブルサシュポール)
        ヨシップ・ブラト(ザグレブ→ブルサシュポール)
        ゴラン・スタヴレフスキ(ザグレブ→ディヤルバキシュポール)
【キプロス】 ロベルト・シュペハール(オシエク→オモニア・ニコシア)
【イスラエル】ゾラン・ゼキッチ(カメン・イングラッド→マッカビ・ハイファ)
        ミリエンコ・コヴァチッチ(スラヴェン・ベルーポ→ハポエル・ペタフ・テクバ)
        マリオ・オシボフ(ザグレブ→ハポエル・ペタフ・テクバ)
【リビア】   イヴァン・ボシュニャク(ハイドゥク→アル・イティハド)
【サウジアラビア】 マリオ・ツァレヴィッチ(ハイドゥク→アル・イティハド)
14人 25.5%
極東

【日本】 ゴチェ・セドロスキ(ディナモ→ベガルタ仙台)
     クルノ・ロヴレク(ザグレブ→セレッソ大阪)
     イヴァン・ラデリッチ(インテル→セレッソ大阪)
     アレン・スタネシッチ(フルヴァツキ・ドラゴヴォリャッツ→セレッソ大阪)
     マリオ・ガルバ(セゲステ→セレッソ大阪)
     ヨシップ・バリシッチ(カルロヴァッツ→湘南ベルマーレ)
【韓国】 マト・ネレトリャク(ハイドゥク→水原三星)
     ヤスミン・アギッチ(ディナモ→仁川ユナイテッド)
     トミスラフ・スタニッチ(インテル→仁川ユナイテッド)
【中国】 ヴラド・ペトロヴィッチ(ディナモ→Qingdao Yizhong)
10人 20.0%




これらのデータが語るクロアチア移籍事情、クロアチア・サッカーが抱える問題などを項目別に掘り下げてみよう。


《EUから爪弾きされるクロアチア選手》

【写真:EU圏外枠のせいでマラガを 
退団したイヴァン・レコ】

 1995年、ベルギーのジャン・マルク・ボスマンが選手の保有権を巡って起こした裁判に勝訴したことにより、移籍市場に劇的な変化が起こった。一つはEU加盟国の選手はEU圏内では外国人として扱わなくなれること、そしてもう一つは選手は契約終了と共に自由に移籍できるという権利を得たことで移籍金が高騰したことだ。ここにクロアチアはEUに加盟していないことを頭に入れなくてはならない。現在、クロアチア政府はEU加盟交渉をしているものの、戦争犯罪人(アンテ・ゴトビナ氏)の引渡しが第一条件のために、予定よりも遅れて2009年頃まで加盟がずれ込みそうな気配だ。加盟まではクロアチア人選手はEU圏外選手扱いであり、ドイツを除く主要リーグでは3人までしかEU圏外選手はベンチ入り、もしくはプレーできない(ドイツは5人が可能)。それに加え、クロアチアと距離的に近いイタリアのセリエAでは、EU圏外選手は年間一人の獲得しか許されず、それに伴って現在のEU圏外選手を一人放出しなくてはならない。またスペインでは外国人不法労働者を取り締まるため、新たなEU圏外の外国人労働者への労働ビザは最大で一年、その後は国外退去しなくてはならないという新法がこのほど施行された。これがスポーツ選手にまで適用されるため、クロアチア選手のスペインへの移籍は閉ざされたに等しい。南米選手のようにルーツを辿っての怪しいパスポートを作る手立てはなく、移民として育ったクロアチア人(ブンデスリーガによく見られる)を除けば、EU圏外の「クロアチア人」であるだけで厳しい立場に立たされているのだ。

 今年1月26日、このような事件が起きた。ハイドゥク・スプリトから2001年にマラガへと移籍した代表MFイヴァン・レコはいきなりフロントから解雇を伝えられた。レギュラーとしてプレーしている彼にとっては青天の霹靂。ましてや移籍市場は1月31日で閉じられてしまい、スペインでは一つのクラブでシーズン5試合以上プレーした場合は、他のスペインのクラブへ移籍してプレーする権利は与えられない。マラガのEU圏外選手はレコのほかウルグアイ人のロメロ、コスタリカ人のワンチョペが所属していたのだが、クラブはブラジル人のバイアーノを移籍市場が閉まる5日前に獲得を決定。そのため誰か一人を切らなければならなくなり、残された契約が半年限りだったレコが犠牲となった(他の選手は一年半残っていた)。古巣のハイドゥクが直ぐに手を差し伸べたことで、レコは再びクロアチアリーグでプレーすることになったわけだが、彼がEU圏出身の選手ならばこのような処遇はなかったはずだ。

 もう一つ、EU圏にまつわるデータがある。かつてはユーゴスラビア連邦を共に形成していたスロベニアは2004年にEUに加盟した。この二年間でクロアチアリーグから主要5大国リーグに移籍したクロアチア人が2人しかない一方で、より規模の小さいスロベニアリーグからは5人も移籍している。そのうち4人は19〜21歳の選手の青田買いだ(サンドロ・ブロウデク…マリボル→ミラン、ロキ・シュトラウス…マリボル→インテル、ミショ・ブレチコ…シュマルトノ→HSV、ルカ・ジンコ…ドムジャレ→イストレス。残る一人はサミール・ハンダノヴィッチ…ドムジャレ→ウディネーゼ)

 そのような状況でクロアチア選手はベルギーとオーストリアで多くプレーしている。ボスマンの出身国であるベルギーリーグはEU圏外枠がないのが、その背景の一つだろう。またマリオ・スタニッチ、ロベルト・シュペハールらが活躍し、ヨシップ・ウェーバーやブランコ・ストルパールのようにベルギー国籍を取得して同国代表となった選手がいることも、クロアチア人が高く評価されている理由かもしれない。オーストリアリーグも同様の理由だ。現代表監督のズラトコ・クラニチャールやペタール・グルチッチはラピッド・ウィーンで大きな足跡を残し、トミスラフ・コチヤン、イヴィツァ・ヴァスティッチのようにオーストリア代表になったクロアチア人がいる。またイヴィツァ・オシムやオットー・バリッチといった監督も大きな結果をオーストリアで残している。


《新たな理想郷、ロシアとウクライナ》

【写真:ディナモ・キエフの一員として
古巣と対戦するイヴァン・レコ(左)。
キエフはクラニチャールにもオファー(中央)】

 クロアチア選手の移籍先は「西」から「東」へとシフトしている。きっかけは2002年にイェルコ・レコとゴラン・サブリッチを獲得したディナモ・キエフ。もともとユース育成に定評のあるクラブだが、ここ最近は東欧圏から優秀な選手を集め、南米やアフリカの選手まで含めた外国人化が進んできた。ウクライナリーグも外国人枠がない。豊富な資金力を持つスルキス会長は随分とクロアチア選手がお気に入りのようで、つい最近もニコ・クラニチャールに真っ先にオファーを提示してきている。チャンピオンズリーグの常連であり、条件や設備が完璧なディナモ・キエフの居心地は相当良いと聞く。生活水準の高い国ではないが、サッカー選手には高額の年俸が約束され、毎試合に5000ドル〜15000ドルという勝利給までが手にできる。またウクライナの所得税が13%と少ないのも魅力の一つだ(他国は40%ほど)。

 ディナモ・キエフのライバル、シャフタール・ドネツクも大富豪のアーメトフ会長の資金力で次々と外国人選手を買い占めている。2003年にはクロアチア代表のMFダリヨ・スルナとGKスティペ・プレティコサを、セットでたったの170万ユーロでハイドゥクから買い叩いた。ハイドゥクが極度の資金難に陥っていたとはいえ、この金額は余りに安すぎだ。スルナはカイザースラウテルンからオファーがあったものの、出場や得点などで細かく給与を規定してきたカイザースラウテルンより、年俸50万ドル+勝利給という単純明快なシャフタールの条件に惹かれた。一方でプレティコサは西側諸国への移籍のステップアップだと捉えていたが、そのことを余りにも早く言いすぎたためクラブから好まれてないという。しかし代表でもプレーするウクライナの彼らが最終的に目指すのは、よりレベルの高い西側の主要リーグであるのは間違いない。

【写真:イヴィツァ・オリッチには
ラコルーニャやユベントスも
関心を抱いていたという】

 ロシアのクラブも事情が似ている。大富豪ギネールが会長のCSKAモスクワは2003年にディナモ・ザグレブの代表FWイヴィツァ・オリッチを獲得した。移籍金500万ユーロは当時のロシアリーグで最高額で、年俸80万ユーロの4年契約も最高水準。オリッチの代理人であるドラガン・マリッチ氏は、オリッチの育ったクラブ「マルソニア」の会長でもあったのだが、彼はなるべく高く買ってくれるクラブを一年余りかけて探し回った。主要リーグからのオファーもあったものの、マリッチ氏の余りのがめつさで撤退。最後に残ったのがCSKAモスクワだった。オリッチはCSKAに決めた時にこう語っている。
「以前は主要5ヶ国のリーグに移籍したいと願っていた。私の素質ならばそれらのリーグでも満足なレベルだと思っている。しかし今回のケースではCSKAモスクワは理想的なクラブだ。クラブには野心があるし、モスクワは首都で巨大都市だ。クラブの共同経営者がチェルシー会長のローマン・アブラモヴィッチ氏であるということを考慮に入れれば、いずれはイングランドに移れるかもしれない。」

 
最後にディナモが移籍金の取り分を巡ってごねたものの(経緯はこちら)、CSKAに移籍した2003年シーズンの優勝に貢献。昨年途中から足の怪我のために戦列を離れているが、そのプレースタイルにギネール会長は随分と気に入っているようだ(これまで46試合19得点22アシスト)。かつてはマウリーニョ監督の率いるポルトがオリッチの獲得を考えていたこともあり、ギネールとアブラモヴィッチの関係も考えると、彼のチェルシーの移籍の線も低いわけではない。その際の移籍金は600万ユーロと言われている。

 閉ざされた「西」に直接ではなく、まずは「東」で保障された給料を貰いながら、いずれは「西」へと迂回する、これがクロアチア選手の新たな生き方のようだ。


《流浪する選手達》

【写真:代表候補であるイヴァン・ボシュニャクは
     リビアを経てディナモ・ザグレブに入った】


 クロアチア人選手の行き先は西欧諸国や旧ソ連に限らない。クロアチア人を好んで獲得している国の一つにギリシャがある。ヴェリミール・ザイエッツは「旧ユーゴのベッケンバウアー」と呼ばれた80年代の名選手で、ディナモからパナシナイコスに移籍して活躍した。その経緯もあってアリョーシャ・アサノヴィッチやロベルト・ヤルニ、ゴラン・ヴラオヴィッチ、ダリエル・シャリッチといった1998年ワールドカップ3位の"ヴァトレニ"達もパナシナイコスに在籍した。2002年にはザイエッツがスポーツディレクターに就任して8年ぶりの優勝。彼のコネクションでシルビオ・マリッチを獲得し、2004年にはスルジャン・アンドリッチ、マリオ・ガリノヴィッチ、ドゥミトル・ミトゥ(ルーマニア人だがクロアチア国籍あり)も移籍金なしで引き連れてきた。しかしザイエッツがプレミアシップのポーツマス監督として引き抜かれたため、彼の後ろ盾の無くなった選手達はこれからが大変となるだろう。

 同名の「アル・イティハド」というクラブに移籍した2人のハイドゥクの選手がいる。2002年にリビアのアル・イティハドに2年契約で移籍したのはFW/MFイヴァン・ボシュニャク。俊足を武器として2001/2002シーズンのハイドゥク優勝に貢献した彼だが、ハイドゥクがオイルマネーに目が眩んで売却した先は、リビアの国家元首カダフィの息子サーディが選手であり、サーディ自身が会長をするアラブのクラブであった。環境に馴染めないボシュニャクは半年で退団するも、契約が解除出来ないために丸一年どこもプレーしない状況に陥ってしまった。リビア代表監督でもあったイリヤ・ロンチャレヴィッチ氏(現ディナモ監督)が仲裁に入った上で2004年1月からはディナモに移籍、今は本来の力を発揮している。また2004年にはU-21代表の主力であったMFマリオ・ツァレヴィッチがサウジアラビアのアル・イティハドに移籍した。クロアチアの名将トミスラフ・イヴィッチとスタンコ・パクレポヴィッチの2人が、アジアカップ優勝を目指すアル・イティハドの指揮を任せられた際、将来を期待されながら伸び悩みの感があったツァレヴィッチをサウジアラビアへと連れて行った。しかしながらアジアカップ決勝の第一戦のホームの試合で敗れたことでイヴィッチとパクレポヴィッチが解任。第二戦のアウェーでの圧勝でアル・イティハドはアジアカップは制したものの、ツァレヴィッチは一人寂しくサウジアラビアに残されている。


《さらに東へ》

【写真:名古屋グランパスに所属していた 
ヴァスティッチ(左)とパナディッチ(右)】

 日本を「極東」というのはヨーロッパを中心に地図を描いた際、日本が地図の右端(東端)に位置するためだ。クロアチアの選手達にとって最果ての地であるが、クロアチアにおいてJリーグの知名度は随分と高い。クロアチア人男性にとって最大の娯楽「クラディオニッツァ」(スポーツくじ)ではアジアのリーグで唯一、Jリーグを賭けることが可能。よって日本のクラブの名前を幾つも挙げられる人達は案外と多い。ジェフ市原・千葉監督のオシムや、元ガンバ大阪監督のヨシップ・クジェは日本のサッカー事情をインタビューで語っているし、これまでムラデン・ムラデノヴィッチ(ガンバ大阪)、イヴィツァ・ヴァスティッチ(名古屋)、アンドレイ・パナディッチ(名古屋)、エディン・ムイチン(市原)、ニーノ・ブーレ(ガンバ大阪)、ゴチェ・セドロスキ(仙台)など日本でプレーしてきた実力選手もいる。待遇や報酬が確約された土地であることで、クロアチアの選手もいつかはJリーグでプレーする希望が強い。しかしながら、ここ最近は日本の生活環境に慣れないという理由で帰ってくることが随分と多くなってきたように思う。この傾向にクジェが釘を刺している。
「アジアはヨーロッパと給与面だけで争うことができる。人生に何が必要が決めた上で、どちらが良いか選んでくれ。クロアチアの選手達は日本で成功しなかったわけだが、"生活環境に慣れるのが辛かった"という彼らの言い訳は全くもって馬鹿げている。日本ほど生活に関して組織された国などどこにもないんだから。」

 セレッソ大阪に所属したアレン・スタネシッチもインタビューで語ったが、外国人選手と日本人選手の間には多少なりとも距離感がある。日本にコロニーがあるブラジル人と違って、クロアチア人にとってはコロニーがないのと等しい環境だけに、ノスタルジーに溺れてしまう彼らに対してクラブのケアが必要だ。しかしプロとして生活を約束をされた給料を貰うのならば、その責任を果たせるような自覚と実力を持った選手達だけがJリーグでプレーすべき。中途半端な考えを持った選手達、中途半端な実力の選手達が日本に渡るのは、彼らを「助っ人」として期待する側にとって失礼だ。セレッソ大阪のクロアチア路線の失敗により、日本でのクロアチア・サッカーへの評価が転落してしまったことが本当に残念でならない。

 今では日本市場に食い込めなくなったクロアチア選手だが、代わりとして韓国が新たな市場として注目を浴びている。浦項スティーラーズや蔚山現代がかつてクロアチア人を獲得したことがあるが、今年は仁川ユナイテッドがクロアチア選手の獲得に積極的だった。昨季はセルビア人を中心とした補強をしていた仁川ではあるが、政治家でビジネスマンでもあるアン・ジョンボク団長も自らスプリトの試合や合宿地のトルコに足を運んだ。これまでMFヤスミン・アギッチ、MFフルヴォイエ・シュトロク (共にディナモ) 、MFマリオ・グルグロヴィッチ(ハイドゥク)、DFヴァレンティン・バリッチ(オシエク)といった選手達に関心を示し、トルコ合宿ではハイドゥクと仁川が二度対戦した上で、FWマテ・ドラギチェヴィッチとDFヴラトコ・ジョロンガの獲得を進めていた。しかし、交渉の遅れや選手の拒否により実現せず、一度は破談したディナモのヤスミン・アギッチと再接触。移籍金80万ユーロ、年俸50万ドルの条件で移籍が決まった。同時にハイドゥク、インテルに所属していた202cmのFWトミスラフ・スタニッチも獲得した。また、ハイドゥクの代表DFマト・ネレトリャクは水原三星から一年間に渡ってオファーがあり、ヨーロッパでプレーしたい彼は交渉の度に条件を吊り上げ、「最後には拒否できない額にまでなった」(本人談)という金銭条件で3年契約で移籍することが決まった。ドイツのクラブのオファーと比べて、年俸が5倍以上の金額(推定60万ユーロ)だったという。


《移籍で儲けられないクラブ》

【写真:現役をハイドゥクで終えたシュティマッツ(4番)は
かつてのチームメイトの売却を上手く進められない。
一方で代理人を務めるスルナ(18番)の移籍で私腹を肥やした】

 
 ハイドゥク・ユースで育った1978〜79年生まれの選手達は「黄金世代」と言われ、いずれはビッグクラブへの移籍でハイドゥクの金庫を潤すものと考えられていた。彼らは今では散り散りとなったが、クラブにきちんと移籍金をもたらしたのはわずか5人の選手である。98年ワールドカップの代表メンバーに選出され、高額な移籍金でイタリアに渡ったイゴール・トゥドール、アンソニー・シェーリッチの2人は特別。まだ移籍バブルの頃であった。現在の代表選手であるスティペ・プレティコサ、イヴァン・レコ、ゴラン・サブリッチは、ハイドゥクの足元を見られて随分と安く買い叩かれた。また有望視された同世代の選手達、例えばズボミール・デラニャ、ダルコ・ミラディン、フルヴォイエ・ヴコヴィッチ、スルジャン・アンドリッチ(彼は1980年1月生)は契約切れか、自ら契約を切ってチームを去っていった。彼らはお金をもたらすどころか、在籍時の未払給与で逆にクラブを訴えている。ハイドゥクの現在の平均年俸は4万ユーロほどだが、給料の遅配は頻繁に起こっている。選手達はいつ支払われるか判らない給料を待つよりも、将来の生活のために国外へ逃げ出すことを希望している。

【写真:マミッチはボシュコ・バラバンの移籍で大儲けした。
国内の若手の多くが彼の代理人企業と契約している】

 その一方でディナモ・ザグレブは、クロアチア・シーメンス会長のミルコ・バシリッチ会長と代理人ビジネスに手を染めるズドラヴコ・マミッチの資金力でチーム強化に努めている。ディナモ(当時はクロアチア・ザグレブ)に特別な肩入れをしたトゥジマン大統領の保護のもとでチームは拡大路線に走り、1998年と1999年にチャンピオンズリーグ本大会に駒を進めたが、1999年12月にトゥジマンが亡くなるとチームは傾き始める。当時はプロシネツキがリーグ最高級の75万ユーロを貰っており、その他の選手もそれなりの高収入を得ていた。しかし過去に遡って未納税金を追求され、いくら選手を売っても借金は減ることがなかった。更にプロシネツキやイゴール・ツビタノヴィッチなど、高級取りだった選手達が未払給与に関して裁判を起こした(多くが未解決)。豪腕マミッチが2001/02シーズン途中から副会長に就任するとスリム化を推し進め、今季はタイトル奪取のために国内の有望若手選手を一同に集めたが、目論見は失敗に終わっている。ちなみにディナモの平均年俸は10万ユーロとされているが、シーズン前半の不振の責任として選手に20%給与削減を求めた。それに同意しないダニエル・フルマン、ダミール・ミリノヴィッチが契約を解除してディナモを去り、フロント批判したニコ・クラニチャールは移籍リストに載せられた。
 クラニチャールに関してはあくまで特殊なケースだ。前レポートにも詳しく書いたが、彼は育った先のオーストリアのパスポートを持っていて、西側のクラブへも問題なく移籍できた。しかしクラニチャールのもとに届いたオファーは、ディナモ・キエフ、CSKAモスクワ、スパルタク・モスクワなど旧ソ連のクラブばかりであり、急いで「東」に移籍するよりも代表監督である父ズラトコの目の届くクロアチアに残るのがベター。最終的に選んだのが最大のライバルチームのハイドゥク・スプリトだった。移籍金150万ユーロはハイドゥクからではなく、スポーツ・ディレクターのイゴール・シュティマッツ個人の調達によるもの。ハイドゥクで結果を残させることで、いずれは「西」へ高額に売却するのが代理人(シュケル)とシュティマッツの目論見である。

 ディナモとハイドゥク以外のクラブも厳しい状況に変わりない。もっぱら選手の売却先となっていたディナモとハイドゥクの二強も経営難であるため、国内移籍も冷え込んでいる。代理人のツテで国外の移籍先を見つければ、それまでの給料未払を理由に契約を切り、移籍金ゼロでチームを去るケースが増えている。平均観客が2000人ほどで入場料収入も見込めなければ、スポンサーや放映権収入もさほど見込めない。地盤のあるリエカやヴァルテクス・ヴァラジディンなら選手の平均年収3万5000ユーロほどだが、カメン・イングラッドやプーラなどの平均年収は1万ユーロ。物価がさほど安くないクロアチアで、この金額では家族を養えない。またオシエクの選手は8ヶ月間に渡って給料を貰っておらず、ノヴァリッチ前会長は移籍金着服などの不正を働いたとして逮捕されている。

 またクロアチアで言えるのは、リーグ優勝すると決まって翌シーズンのチームが崩壊する。選手達は優勝した直後が最良の身の売り時だと解っており、一斉に国外移籍を希望するからだ。埋め合わせとなる選手をかき集めるものの、チャンピオンズリーグ予備選は直ぐにやってくる。そしてチームが完成しないまま、あっさりと二次予選、良くて三次予選で敗退するのが最近の傾向だ。今季はハイドゥク・スプリトが二次予選でアイルランドのシェルボーンと対戦。半アマチュアのチーム相手に敗北を喫した。二次予選で敗退すればUEFAカップの出場権すら与えられない。同じことを毎年繰り返した結果、クロアチアのUEFAリーグ・ランキングはずるずると後退。かつて二枠あったチャンピオンズリーグ予選枠は一つに減り、UEFAカップの枠も二つに減っている。UEFAから支払われる分配金や入場料、放映権の金額はチーム最大の収入源となるにもかかわらず、これではクラブの転落に歯止めが利かない。

【写真:以前は協会長の後任とさえいわれたボバン。
     現在はUEFAで大使的な仕事もしている】

 
 それに加えて、UEFAは全てのクラブに一定の経営基準を満たすよう求めており、これが厳格化されるとクロアチアのサッカークラブは殆どがアマチュアになってしまう。クロアチア・サッカー協会が何かしら対策を考えるべきだが、協会の上層部は代表の活動を通して自分達が幾ら儲けるかしか考えていない。そして今は2012年の欧州選手権をハンガリーと共催する計画に暴走している。今のインフラの状況とクロアチア人の仕事能力で何が出来るというのか? かつては協会入りを目指していたものの、上層部の腐敗ぶりで距離を置いたズボニミール・ボバンはこう語る。
「クロアチア・サッカー協会の運営には全体的に同意できない。協会を率いる人達は自分の考えがあるようだが、私のものとは違う。サッカー協会は代表チーム事業として存在しているようにか思えない。それだけが協会の仕事であってならないはずだ。代表がワールドカップや欧州選手権に出場することは大事かもしれない。しかしもしクラブやリーグをほったらかしにするようならば、代表も国内リーグと同じレベルに陥るだろう。つまり弱くなるということだ。クラブが沈没の寸前で生きているいうのに、サッカー協会はたくさん物を積んだ船のように悠々とやっている状況のどこに統合性があるというのだ。スポンサーを見つけるほかに、個人にではなくてクロアチアサッカー全体にお金が行くように協会は仕事を進めなければならない。」

 今こそサッカー協会が先導となって環境の整備をすることが必要だ。貧しい一部リーグや二部リーグ以下のクラブ財政は逼迫しており、ユースチームにまで力を入れることは大変な状況。また子供達を育てるべきコーチも失業同然に追い込まれている。国家や協会の援助のもと、各地にサッカースクールを作り、一貫した育成システムによって子供達を成長させる必要があるだろう。そして地元のクラブへと選手を供給していく。また同様にコーチの育成システムも整えることが必要だし、スタジアムの改装やナショナルトレーニングセンター、キャンプ地の設立といったハード面も強化も重要である。ボバンはサッカー協会がその気になれば、サッカー界の改革に100%自分を捧げる準備はできていると言っているのだが....。


低下する選手の質》

【写真:練習場に向かうディナモ・ユースの子供達。
何人がこの世界で生き残れるのだろうか】

 旧ユーゴスラビア連邦の時代、選手は28歳になるまで移籍が許されなかった。それによりリーグのレベルは保たれ、またクラブ間の競争意識も強かったことから質の高い選手が次々と生まれた。当時の面影もないクロアチアリーグは次々に有望選手が流出してしまい、リーグの質そのものが低下、また選手そのもののクオリティも下がっているのが事実である。元代表のアレン・ボクシッチはこう語る。
「もしクラブが外国人を獲得するならば、選手にこのように期待するだろう。80%の試合に渡って非常に良いプレーをして、10%の試合はいまいち、残る10%が不調というぐらいにね。残念ながら、クロアチアの選手のほとんどが調子を持続したままプレーできない。だから移籍が実現できないんだ。数試合だけ輝くようなプレーをするようでは充分ではないし、サッカーを知っててプレーも出来るというのを全員に見せ付けることにも至らない。」

 クロアチアリーグのプレースピードは遅く、モダンサッカーとは程遠いところにある。前述のイヴァン・レコは左足のテクニシャンであるプレーメーカーで、ハイドゥク時代は「アサノヴィッチの後継者」として期待された。しかしマラガに移籍してから最初の2年半はベンチに座り続けることになった。
「ハイドゥクでプレーしていたサッカーでは単純にスペインでは通用しない。それを理解してからは、チームメイトの肉体レベル、プレーレベルに到達するよう激しい努力をした。そうしてようやくレギュラーを勝ち取れたのだ。」

 
かつては「走れない選手」と酷評されていたレコだが、2月9日のイスラエル戦でボランチでフル起用され、守備に攻撃にとピッチのあらゆる場所に顔を出し、その成長ぶりで昔のイメージを一掃した。マラガを追い出されたとはいえ、レベルアップした彼には代表のレギュラーポジションが約束されたのだ。もしかしたら、レコのハイドゥクへの「還流」がクロアチアリーグの選手意識に風穴を空けるかもしれない。


《意地汚い代理人達》

 暗躍する代理人も厄介な問題だ。彼らの中には給料の少ない選手達に接近して小遣いなどを与え続け、国外移籍が決まった際には移籍金の多くを随分と持っていく。UEFAの代理人ライセンスがないのに、この仕事に手を染めている人物はやたらといる。前述のマミッチ、シュティマッツ、シュケルなどは自分の兄弟や親戚、もしくは友人に代理人会社を所有させている。問題なのはチーム経営者までもが代理人業を営んでいることだ。もちろんのこと、選手起用などで利害が衝突するわけであり、彼らのせいで去っていった選手(ex.ドマゴイ・アブラモヴィッチ)や監督(ex.チーロ・ブラジェヴィッチ)もいるのだ。またシュケルは「サッカーアカデミー」という奇麗事の裏で、代理人業で儲けることを企んでいる。

 一人の選手の取引に"代理人"を名乗る人物が何人も現れることは、ここクロアチアでは珍しいことではない。あるクロアチアの代表選手は移籍の際に起こった出来事をこう振り返る。
「ボルシア・ドルトムントへ移籍がほぼ決まっていたのだが、私の公式代理人による接触以外に、いきなり代理人を名乗る10人ほどの人物からドルトムントの事務所に私の売込みがやってきたという。それら代理人の名前をほとんど聞いたこともないのに、彼らは私の値段を決めて提示していたそうだ。そのせいでクラブのフロントは私の獲得を諦めた。」

 
クロアチアでは代理人間での妬みが強く、お互いで仕事の潰しあいもある。それを理由にクロアチア人の獲得を望まないビッグクラブも存在するという。ボバンのミラン移籍や最近ではサーシャ・ビエラノヴィッチやブティナの移籍を実現させた父プレドラグ、息子マルコのネレテリッチ親子という有能な代理人は存在する。しかし残念ながら、国内で活動する代理人の多くは「金」しか考えない魑魅魍魎(ちみもうりょう)の集まりだ。代理人のせいで、クロアチア選手の評価も下がっているのも事実である。


 クロアチア選手の移籍を巡る環境は、クロアチアがEUに加盟するまでは悪化の一向を辿ることだろう。ドイツで賑わせている八百長問題においても、ベルリン在住のクロアチア人マフィアが絡んでいたために、ドイツでプレーするクロアチア選手も八百長の疑惑の評価となった。この事件のせいで、クロアチア人の大量供給先であったブンデスリーガへの移籍は当分難しいものと言われている。
 
 このままではクロアチア・リーグから西欧のビッグクラブに移籍するケースは二度とないだろう。たった今、サッカー界の改革を断行し、転移し続ける癌を取り除かなければ、クロアチア・リーグ、そしてクロアチア代表がヨーロッパの底辺へと転落する時代がやってくるかもしれない。


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