現地発、クロアチア・サッカー報告 (番外編)

ユーロ開催は大丈夫? ウクライナの現状


 初めてウクライナの土地を踏んでから、もう一年近くが経過する。2008年10月、私はハルキウで行われたワールドカップ予選「ウクライナvs.クロアチア」戦を絡めて一週間、彼の地を旅した。試合観戦はもちろんのこと、ポーランドとの共催となったユーロ2012(欧州選手権)の準備が如何に進んでいるのか、この眼で確かめたかったのだ。

【キエフの決勝会場も完成すれば、こんな姿になるはずだが…】

 キエフ、ハルキウ、ドニプロペトロウシク、ドネツクと行程を進めるに連れ、この国でのユーロ開催そのものが実に危うく思えてきた。未熟なインフラ、政治の混乱、低いホスピタリティ……。ユーロ開催決定後では多分最初であろうウクライナのサッカーレポートを、「ユーロ開催は大丈夫?ウクライナの現状」と題して、海外サッカー専門誌「footballista」2008年11月26日号に掲載させてもらった。

 あれからほぼ11ヶ月、サッカー市場の拡大を図るUEFA、そしてプラティニ会長の目論見はすっかり外れ、ユーロ2012の準備の進展はまったくもって思わしくない。キエフの決勝開催が取り上げられるどころか、ウクライナそのもののが開催権を返上する可能性も出てきている。事実、ドニプロペトロウシクは、大会用のスタジアムが完成しながらも空港やホテル、道路のインフラが未整備ということでUEFAによって開催候補から外されてしまい、ドネツク、リビウ、ハルキウ(ドニプロペトロウシクに代わる開催候補)もまた同様の問題を抱えており、開催が危うくなっている。UEFAが指定したタイムリミットは今年の11月30日。果たしてウクライナは大会開催にこぎつけられるのだろうか。

 改めて自分のホームページに「ユーロ開催は大丈夫?ウクライナの現状」の記事を掲載すると共に、昨年にウクライナで撮影した写真を多く紹介しようと思う。


【キエフのボリスポリ空港。入国手続は最悪な遅さだ】

ボリスポリ空港での洗礼

 2008年10月7日、私はクロアチア代表のウクライナ遠征に合わせて、キエフの空の玄関口、ボリスポリ空港に降り立った。入国カウンター前は手際の悪い旅券審査に苛立つ人たちがあふれていた。このままではオデッサ行の国内便に乗り継げないと訴えても、冷酷な警官は聞く耳持たない。やっとの思いでゲートをくぐり抜け、並み居る白タクの誘いを断りながら搭乗15分前に国内路線のチェックカウンターに辿り着いたものの、そこにいたのは帰り支度をしていたやる気のない女性だった。「はい、もう終わり」。彼女は同情のかけらもなく、私は泣く泣くオデッサ行の航空券を捨てるはめになった。

 2007年4月、ユーロ2012の「ポーランド・ウクライナ共催」(※)が決定した。これは小国の票を集めてUEFA会長となったプラティニの思惑が絡んだ結果とも言える。(もっとも、開催地決定投票の際にウクライナサッカー協会会長を務める大富豪スルキスが裏金をばら撒いた噂もあるが……)

 2008年7月、そのスルキスはボリスポリ空港でプラティニを出迎えた。そして、UEFA会長の彼は視察を通してウクライナの準備の遅れに愕然としたという。

(※…最終投票では「イタリア」、「クロアチア・ハンガリー」と戦った。本命だったイタリアがカルチョ・スキャンダルで信用を失い4票止まりだったのに対し、ポーランド・ウクライナは8票を集めた。ちなみにクロアチア・ハンガリーは0票)


【悠長に進められるトロイツキー・ショッピングセンターの解体工事】

■進まぬインフラ整備

 4年後のユーロ開催に合わせて整備が急がれているのが、交通インフラだ。手狭なボリスポリ空港を拡張するため、ウクライナ政府は「ターミナルD」新設を決定。これには日本が資金協力を申し出た。

 ウクライナに対する初の円借款として191億円近くを融資。しかし2009年に完成予定のはずが、契約から3年を経過した2009年10月にようやく起工式が行われた。ここまで遅れた理由は、建設地の所有権を主張する民間会社が現れ、長く裁判が続いたため。日本政府は内輪揉めに困惑していたが、「借りてやる」と言わんばかりのウクライナ政府の傲慢な姿勢にも苛立ちを覚えたという。この調子で工事がユーロ開催に間に合うのかは極めて怪しい。

 それどころか、今のままでは競技すら行えない。決勝の舞台となるキエフのオリンピイスキー国立競技場に足を運ぶと、悠長なスピードで解体工事が進められていた。解体工事はスタジアムだけでなく、正面のトロイツキー・ショッピングセンターにまで及んでいた。台湾のゼネコンが途中まで建設していた建物だが、UEFAが「スタジアムの緊急避難を妨げる建築物」と指定したため、ユーロ開催決定後に取り壊しが決まったのだ。当然多額の賠償問題となり、資金難で解体工事もストップした。2008年12月からスタジアム本体の改修工事が始まるが、UEFAはキエフのスタジアムが完成しなければ、開催権そのものを剥奪する強硬姿勢を見せている。

    

【工事が遅れるキエフのオリンピイスキー国立競技場。
隣にウクライナ五輪協会があり、中央はそこの国旗】 

 

 【ディナモ・キエフの本拠地、ロバノフスキー・スタジアムの門。
スタジアムの建物に近づくと、警備員が賄賂を要求した】

 

    

【いわずと知れたウクライナの名将、
ヴァレリー・ロヴァノフスキーの銅像】 

 

 【アンドレイ坂にはお土産を売る露天がぎっしり並ぶ。
目立つのはやはりシェフチェンコのユニフォーム】


 続けて私は、ウクライナ東部へ足を踏み入れた。ドニプロペトロウシクでは、真新しいドニプロ・スタジアムが待ち構えていた。石油や金属、銀行業に携わり、総資産は89億ドルというドニプロのコロモイスキー会長が、このスタジアム建設に投資している。2008年9月、予定より完成が1年遅れたものの、ユシチェンコ大統領を招いて落成式典が行われた。

    

【真新しいドニプロ・スタジアム。収容31,003人。
100万人都市に似つかわしい建物といえる】 

 

 【しかし、ホテルや交通を始めとするインフラは極めて貧弱。
街はユーロ歓迎のムードだが、この後に候補から落選】


 ドネツクでは、シャフタール・スタジアムが来年春の完成に向けて急ピッチで工事が進められていた。シャフタール・ドネツクに私財を投げ打って強豪の仲間入りをさせたアフメトフ会長は、ウクライナの鉄鋼界を牛耳る存在。総資産187億ドルという彼のポケットマネーが新スタジアム建設に投じられた。資金難に苦しむ西部のリビウ(※)やキエフと比べると、東部は特定の富豪たちが積極的に資金を注入している。けれども、観光地とほど遠い東部の空港はお粗末で、ホテルの絶対数も少ない。

(※…キエフ、ハルキウ、ドネツクと並ぶEUROの開催地。2008年10月、スタジアム建設を請け負うはずだったオーストリアの企業が金額面で折り合わずに撤退したこともあり、スタジアム建設は遅れている)

    

【ドネツクの新スタジアム、ドンバス・アレーナ。収容50,149人。
今年8月に完成し、杮落としでビヨンセのコンサートが行われた】 

 

 【マンションに張られるダリヨ・スルナの大看板。
シャフタールの主将として絶大なる人気を誇る】


【誰もがユーロ歓迎ではない。キエフの街中にはこんな落書きも】

■親ロシアか、親欧米か

 街にはベンツやレクサスといった高級車が行き交うほど高度経済成長を続けてきたウクライナだが、今はその勢いに陰りが見えるどころか、転落する一方だ。2004年のオレンジ革命(※)で手を組んだはずのユシチェンコ大統領とティモシェンコ首相の対立が表面化。グルジア問題やロシアに依存する天然ガスの価格問題の影響で、ティモシェンコ首相は親欧米から親ロシアに転じ、政局は混迷している。さらにアメリカ発の金融危機がウクライナ経済に飛び火し、国際収支が急激に悪化した。

 東部のルガンスクからやって来たウクライナのサポーターはこう本音を漏らす。

「俺たちはロシアと手を結ぶべきだ。ユシチェンコも駄目だが、ティモシェンコも信用できない」

 たとえこれから経済が上向きに転じ、ハード面を整備できたとしても、ホスピタリティを含めたソフト面はそうたやすく改善できない。ドネツクで同宿したベルギー人ビジネスマンは愚痴る。

「ウクライナ人が20人いたとして、英語を話せるのは1人くらい。ビジネスでは致命的だね」

 冒頭で記したボリスポリ空港の対応を見る限り、国外のサポーターたちをスムースに迎え入れられるかも疑問が残る。ユーロ開催までにウクライナ人の内面にも革命が起こることを期待するしかない。

(※…2004年の大統領選挙をきっかけに起こった大規模な反政府運動。一度は親ロシアのヤヌコビッチの当選が発表されたが、選挙不正を訴えて国民が抗議を繰り返した。のちの再決選投票にて欧米派のユシチェンコが勝利した)

 

サブコラム

「ユーロ本大会が不安? クロアチア代表サポーター悪戦苦闘の遠征記」

【ハルキウのメタリスト・スタジアム。収容43,000人。 
試合後、警官がずらりとクロアチア・サポの前に並ぶ】

「ウクライナに入ると道路状況が一変したんだ。警官にも二度止められた。スピード違反だと因縁をつけられてね。罰金額は合わせて220ユーロ(約3万円)。どうせ奴らの懐に入ったんだろう」

 ハルキウの安宿にいたクロアチアサポーターは、苦難続きの遠征をこう振り返った。2008年10月11日のW杯予選ウクライナ対クロアチア戦の応援のため、彼らはリエカからハルキウまで丸二日間、約2000km以上の道のりをバンを運転してやって来た。

「ほら、彼を見てみろよ。途中寄ったキエフのナイトクラブで見知らぬ輩に襲われてしまったのさ」

 仲間の一人に目をやると、彼の左眼の周囲には痛々しい青アザができていた。彼らの不幸はこれだけではなかった。広場で発生した両国サポーターの衝突の際、たまたま引き上げる50人以上のウクライナ人の近くに居合わせたため、一方的に袋叩きに遭ってしまったのだ。

【泥酔したウクライナのサポーターと交流する
クロアチアの伝説的サポーター、バイロ(右)】

 
 今回のW杯予選に合わせて総勢250人ほどのクロアチア人が応援に訪れたが、うち167人は代表公式のサポータークラブが手配したザグレブからのチャーター機を使用している。宿泊事情や交通事情が悪く、無理に遠隔地に宿泊しても意味がない。ユーロでも母国から日帰りのチャーター機で訪れる人が数多く出るだろう。しかし、長期滞在を避けても油断はできない。短期滞在だった今回の遠征でも、濃霧でザグレブに着陸できず、400km近く離れたスプリトに着陸。さらに30人ほどが試合前にビアホールで食中毒になったと聞く。ウクライナへの旅はお世辞にも快適にはなりそうもない。

 とはいえ、明るい話題もあった。私は試合前にクロアチアの伝説的サポーター「バイロ」(※)と出会った。1997年のW杯プレーオフではキエフまでバスで移動した彼は、今回も丸二日かけて仲間とバスで駆けつけたという。バイロは一人でウクライナサポーターに溶け込み、交流を図っていた。私もその輪に加わり、ウォッカを酌み交わした。英語は決して得意ではないが、地方から集まってきたウクライナ人は実に純朴だ。開催の準備段階においては何かとネガティブな話題が多い中、こうしたサッカーを通した友情は希望の光と言えるだろう。

(※…本名ミルコ・ブラジェヴィッチ。熱烈な愛国主義者で、これまで代表の応援を逃したのはわずか数試合。ディナモ・ザグレブのサポーター「BBB」の創立時の一員でもあり、1990年代の戦争では激戦地ヴコバルに赴いた。

 ここからは雑誌の記事に掲載してないエピソードだが、ウクライナ・サポーターとウォッカを飲みまくったのち、チャーター機のグループと合流すべく、一緒にビアホールに向かったものの、バイロは完全にへべれけ状態に。その途中、別のウクライナ・サポーターのグループに因縁をつけられると、自分のカバンを私に押し付けて一人突入。最終的にはお互いはぐれてしまったものの、数時間後、メタリスト・スタジアムにひっょこり現れて感動の再会を果たした。初めての街でどうやってスタジアムに到着したかは全く記憶にないらしいが、無傷で帰還し、預かったカバンを無事に返すことができたのだった)


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