クロアチア選手紹介
★…ワールドカップ・フランス大会代表メンバー
★…欧州選手権・イングランド大会代表メンバー
★…ワールドカップ・日韓大会代表メンバー
★…欧州選手権・ポルトガル大会代表メンバー
★…ワールドカップ・ドイツ大会代表メンバー
★…欧州選手権・オーストリア・スイス大会メンバー
チームが太字なのは今季移籍した選手
赤は移籍濃厚
《クロアチア代表監督》
| Name | Birthday | Comment |
| Slaven BILIC | 1968/9/11 | 現役時代は強靭な肉体、勇敢さとクレバーな頭脳を持つストッパーとして活躍。クロアチア代表史上最年少の37歳で、2006年7月に第9代監督に指名された。選手との対話を重視し、持ち合わせたカリスマ性と戦術眼でチームを指揮。クロアチア史上で最も人気の高い監督といえる。スプリト出身。 ハイドゥクでキャリアをスタート。ソリンとシベニクにレンタルされたのち、1989年春のユーゴ・リーグの対ニシュ戦でハイドゥクのトップチーム・デビュー。1992年にクロアチア・リーグ、1993年にクロアチア・カップを制覇したのち、1993/94シーズンからカールスルーエに移籍した。それからウェストハムへと渡り、当時のDFでは史上最高額の450万ポンドの移籍金でエバートンに移籍。国外のクラブでもキャプテンを務めるなどリーダーシップに優れた。最後の半年間は古巣ハイドゥクに復帰、キャプテンとして1999/2000シーズンのクロアチア・カップをもたらした。2000年8月、ハイドゥクのCL予選敗退を機に現役を引退。臀部に重度のヘルニアを抱えながらのプレーだった。 2000年10月のブラジェヴィッチ辞任後、代表監督の座を狙っていたものの経験不足のため実現せず。2001年になってハイドゥクに資本投資して幹部の一員となり、グラツァン辞任を受けて2001年11月から翌年5月までハイドゥクの監督を務めた。シュティマッツと対立してからはハイドゥクを撤退。協会主宰の監督アカデミーを卒業した2004年からクロアチアU-21代表監督に就任した。受け持ったのは恵まれた世代ではなかったが、グループリーグ首位へと導く。しかしセルビア・モンテネグロとのプレーオフは背骨のヘルニア手術のために指揮ができず、チームは敗退の憂き目に。クラニチャール監督の下で惨敗した2006年ワールドカップ本大会直後、監督選任の際にはサッカー協会に対して再建プランとビジョンを提出。ヴァトレニ世代で固めたコーチングスタッフでA代表の指揮を任されると、世代交代を進めながら現代モデルの4-4-2を定着させ、チームは快進撃。イングランドを蹴落としてユーロ2008出場へと導いた。ユーロ2008ではグループリーグを全勝で抜けたものの、準々決勝のトルコ戦ではアンラッキーなPK負け。それでも彼の手腕は高い評価を集めた。ユーロ2008前に契約を2年延長しているが、ワールドカップ終了後は退任の意向。 今は亡き父親イヴァンは大学法学部の教授であり政治家、本人も法律の学士を持つ。ギターの腕前はプロ級で、"Rawbau"というロックハンドを率いてCDも出している。クロアチア代表44試合、3得点。188cm、84kg。妻とは離婚。息子と娘が一人ずついる。 ★★ |
《現クロアチア代表》 (親善試合 2009年6月6日・対ウクライナ戦)
| Name | Team | Pos. | Birthday | Cap | Goal | cm | kg | Comment |
| Stipe PLETIKOSA | Spartak Moscow(RUS) | GK | 1979/1/8 | 79 | - | 192 | 87 | 現在は不動の代表正GK。近距離からのシュートに対して異常までに強く、「タコ」の異名すら取るハイドゥク出身のGK。1999年2月の対デンマーク戦でA代表デビュー。同年のU-21欧州選手権は彼のポカで五輪出場を逃したが、2002W杯予選初戦のベルギー戦では彼の好セーブがチームを救った。ラディッチ引退後の正GKとして君臨し、2002年にマルセイユと契約を結ぶはずが、直前で話がまとまらず帰国。ハイドゥクでプレーを続け、色々と移籍話が涌く度に消滅。2002年度のクロアチア最優秀選手に選出され、2003年にシャフタール・ドネツクに移籍(5年契約)。ユーロ2004は直前合宿で筋肉を怪我して離脱。代表の正GKの座も失い、シャフタールでも冷遇。2005/06シーズンは古巣ハイドゥクにレンタル移籍して調子を取り戻すと、2006年W杯では正GKとして再評価された。2006/07シーズンからシャフタールに戻ったが、外国人枠もあって再び冷遇が続き、2007年3月にスパルタク・モスクワに移籍が決定(移籍金300ドル、年俸100ドル)。正GKとして活躍中。★★★ |
| Vedran RUNJE | RC LENS(FRA) | GK | 1976/2/10 | 9 | - | 184 | 85 | 足元の技術と飛び出しに優れ、リベロの役割もこなすGK。ハイドゥクでは日の目を見ることがなかったが、スタンダール・リエージュ移籍後から評価が上がり、ベルギーリーグで2年連続最優秀GKに選ばれた。2001/02シーズンからマルセイユへ移籍し、レギュラーとしてプレー。マルセイユのサポーターから熱狂的な人気を誇ったが、2004年1月、バルテズの加入で正GKを追われた。2004/05シーズンからは再びリエージュに。2006年夏にベシクタシュに移籍し、翌年にはランスと3年契約を結んだ。代表には縁がなく召集されても出場機会は無し。U-21代表でも1試合の出場のみ。2001年のB代表でスタメン出場しただけである。A代表デビューは2006年11月のイスラエル戦。弟のズラトコはハイドゥク所属のGK。★ |
| Danijel SUBASIC | Hajduk Split(HRV) | GK | 1984/10/24 | - | - | 192 | 84 | クロアチアの若手では現在、最も高い評価を受けるハイドゥクのGK。安定したセービングが売り。生まれ故郷のザダールでキャリアをはじめ、2003/04シーズンにトップチームでデビュー。2006年に契約延長を拒否したことでフロントと対立し、一時は裁判沙汰にまでなり、完全に干されてしまったが、和解後は正GKとしてプレー。リーグの並み居るGKで一二を争う安定感を見せた。ディナモや国外のクラブが関心を寄せる中、2008年夏にはハイドゥク・スプリトにレンタル移籍。シーズン途中で買取オプションが実行された。2008年9月のイングランド戦でA代表の補欠召集となると、10月のウクライナ戦で正式に代表召集されている。 |
| Robert KOVAC | Dinamo Zagreb(HRV) | DF | 1974/4/6 | 82 | - | 182 | 78 | ブンデスリーガで実力を極めたディフェンダー。優れた読みと冷静な処理を売りとするパフォーマンスの高いプレーを維持し、最後の砦として確実に相手の攻撃を摘む。代表ではセンターバックやリベロを務めるが、ボランチもこなしたことがある。ベルリン生まれの移民二世だったことから、代表デビューは1999年4月のイタリア戦と遅かったものの、その後は不動のレギュラーとなった。ラピッデ・ウェディング、ヘルタ・ゼレンドルフ、ニュルンベルグ、レバークーゼンを経て、2001/02シーズンから兄ニコと共にバイエルンへ移籍(移籍金1600万マルク)、レギュラーとして活躍。2005年に契約が切れた際には年俸提示の低いバイエルンを退団。移籍金ゼロでユベントスに移籍。2007年6月にディナモ移籍が進められたが、金銭の保証面で折り合わず、ボルシア・ドルトムントと2年契約を結んだ。しかし、出場機会に恵まれず退団を希望。2009年1月にディナモと1年半契約を結んだ。2008年9月のイングランド戦でレッドカードを受け、3試合出場停止処分を受けている。★★★★ |
| Josip SIMUNIC | Hoffenheim(GER) | DF | 1978/2/18 | 71 | 3 | 195 | 89 | ヘルタ・ベルリンでプレーするオーストラリア生まれのDF。左右のサイドバックからセンターバック、ストッパー、リベロ、そしてボランチと守備的なポジションはどこでもこなせるが、高さを活かしたセンターバックでこそ彼の持ち味が活きる。両足が使えるのも彼の特徴で、DFらしからぬテクニックを持つ。だが、ゴール前で無駄な切り返しをして奪われるなど、時には仇となることも。またファウルも多いのが難。オーストラリアのメルボルン・ナイツからHSVに移籍し、1999年にヘルタ・ベルリンに移籍。その後は着実に実力を伸ばしてきた。2001年11月の韓国遠征でA代表デビューすると、以後は代表に定着。日韓ワールドカップではビエリ相手に素晴らしいマークを見せた。2009年6月、ホッフェンハイムに移籍金750万ユーロで移り、3年契約を結んだ。★★★★ |
| Vedran CORLUKA | Tottenham Hotspur(ENG) | DF | 1986/2/5 | 32 | - | 193 | 84 | ボスニアのデルベンタで生まれ、8歳からディナモ・ユースで育ったクレバーなDF。193cmという長身を活かしたヘディングの強さと、冷静な一対一の処理が特徴。本来のポジションはセンターバック、ストッパーだが、ストライドのあるドリブルと正確なクロスボールが上げられることから、代表やディナモでは右サイドバックとして開眼した。マンチェスター・シティ所属時にはボランチとしてもプレーした。18歳の2004/05シーズンにインテルにレンタルされ、リーグ2位という好成績に貢献。2005年にディナモへ復帰した後は直ぐにレギュラーを確保。ビリッチ監督就任後は代表への道も開けた。2007年8月、移籍金1300ユーロ、5年契約でマンチェスター・シティに移籍し、デビュー年から活躍。2008年8月にはトットナム・ホットスパーに移籍金800万ポンド、6年契約で移籍した。18歳でU-21代表にピックアップされ、20歳でA代表デビュー(2006年8月のイタリア戦)。今では不動の右SBのレギュラーとしてプレーしている。★ |
| Hrvoje VEJIC | Hajduk Split(HRV) | MF/DF | 1977/6/8 | 5 | - | 191 | 80 | ダルマチアのプロチェ出身のリーダーシップあるDF。リベロが本職だが、ボランチもこなせ、セットプレーからの得点能力も高い。2001/02シーズンにNKザグレブからハイドゥクに移籍し、2003/04シーズンの優勝が掛かった最終節ヴァルテクス戦では芸術的なボレーシュートを決めている。ハイドゥクの主将を務め、2005/06シーズン前にロシア一部のトムスクに2年契約で移籍し、レギュラーとして活躍。2008年ユーロの代表メンバーにも選ばれた。契約が切れた2009年1月に古巣ハイドゥクと3年半契約を結んだ。U-21代表をはじめ、ユース代表歴も豊富。2002年11月のルーマニア戦でA代表初召集、2007年2月のノルウェー戦が代表デビュー。★ |
| Dino DRPIC | Karlsruher(GER) | DF | 1981/5/26 | 1 | - | 192 | 93 | 実力は認められながらも、性格と振舞いに問題を抱えるストッパー。ディナモ・ユースで育ち、2000/01シーズンからトップ昇格。入団当時はFWで、のちにDFにコンバートされた。右SB、リベロ、ボランチもこなす。CL最終予選の対ミラン戦で怪我人が続いたために急遽出場。それがデビュー戦となり、その後はレギュラーとしてプレーした。押さえの効いたミドルシュートも得意。守備面ではポカ癖があり、2004年U-21欧州選手権でも不安定なプレーをみせたが、ディナモでレギュラーに定着した2005/06シーズンからプレーも安定。2007年6月には追加招集でA代表にも選ばれた。2008年初めにベシクタシュへの移籍がまとまったが、過去の品行のまずさで撤回に。さらに2009年1月、個人的な借金の返済にクラブがお金を貸すも、それをカジノで使ったことに愛想がつかされ、ディナモを戦力外に。カールスルーエに買取オプション付きでレンタル移籍。クラブは2部降格したものの、買取オプションを90万ユーロで行使した。妻はスキャンダラスなグラビア女優のニベス・セルシウス。 |
| Hrvoje CALE | Trabzonspor(TUR) | DF/MF | 1985/3/4 | 2 | - | 184 | 74 | ディナモ・ユース出身の左SB。身体能力は高く、突破力は魅力ではあるが、重要な試合となるといつも凡ミスを繰り返し、サポーターの信用を勝ち取れなかった。2003/04シーズンにディナモのトップチームに初めて昇格すると、。2004/05シーズンにインテルへとレンタル。2005/06シーズン以降にはディナモの左サイドバックに定着した。ユース代表では常に名前を連ね、2006年8月のイタリア戦でA代表に初召集されたものの怪我で見送り。その後は成長は見られないまま、2008年5月に移籍金150万ユーロでトラブゾンシュポールに移籍(4年契約)。プレッシャーに解放されたことで、ドラブゾンではレギュラーとして活躍し、2009年2月のルーマニア戦で召集・代表デビューを果たしている。 |
| Darijo SRNA | Sakhtar Donjeck(UKR) | MF | 1982/5/1 | 65 | 17 | 182 | 78 | ドリブルからの仕掛けに抜群のセンスを持ち、守備でも積極的なチェイスをする右MF。シャフタールでは右SBを務めている。右足からのセットプレーも得意とし、鋭いFKをゴールに叩き込むことも多い。気性が激しく、若い頃は無駄なカードを貰うことも多かったが、シャフタールで主将を長く務め、ニコ・コヴァチ引退後は主将に選ばれるなどメンタル面も向上した。地元のメトコヴィッチでサッカーを始めるとのちにハイドゥク・ユースに引き抜かれ、99/2000シーズンに18歳でトップ・デビュー。2000/01シーズン途中にプロ契約を結び、攻撃的布陣の一員として優勝に貢献。2002年のルーマニア戦がA代表初召集ながら、いきなり1アシストの活躍。その後も大事な試合で結果を残してきた。アヤックスやカイザースが興味を示していたが、2003年、レギュラーとしてプレー可能なシャフタール・ドネツクに5年契約で移籍。2008/09シーズンのUEFAカップでは、キャプテンとして優勝トロフィーを掲げた。ドイツW杯予選ではチーム最多の5得点・4アシストで予選突破に貢献。2006年9月のロシア戦を前に合宿を抜け出して遊びに出かけたことで、ビリッチ監督から代表を一時追放されたこともある。★★★ |
| Jerko LEKO | Monaco(FRA) | MF | 1980/4/9 | 58 | 2 | 187 | 78 | ボランチと右MFを本職するディナモ・ユース出身のモダンなMF。スピードに乗ったドリブルとパスセンス、そして疲れを知らない運動量が特徴。また強烈な右足のミドルシュートも持ち合わせている。二部のセスベッテに1年レンタル移籍して経験を積み、2000/01シーズンからはディナモでレギュラーを獲得。2001/02のカップ戦決勝では25mのミドルシュートを決めて優勝をもたらした。2002年5月のハンガリー戦にてA代表デビュー。99年に静岡で開催のSBSカップに出場。2002年8月にディナモ・キエフに移籍金400万ユーロ・4年契約で移籍し、レギュラーとして活躍した。2006/07シーズンからモナコに移籍。★★★ |
| Niko KRANJCAR | Portsmouth(ENG) | MF | 1984/8/13 | 48 | 7 | 185 | 84 | クロアチア代表が誇るファンタジスタ。創造性とボールテクニックに優れ、意外性のあるラストパスを送るだけでなく、ミドルシュートを併せ持つ。父ズラトコはディナモの名選手で元代表監督。16歳だった2001年4月のU-17欧州選手権で活躍し、同時にディナモでもトップデビュー。2001/02シーズンは開幕からレギュラーだったが、太ったために動きが鈍くなり失速。18歳でディナモの主将となった翌季はオフにダイエットに成功し、リーグ優勝に貢献。2003年1月には正式にディナモと5年契約を結んだ。2003年のユーロ予選、スロヴェニアとのプレーオフで初めてA代表に選出。ユーロ出場も期待されたが、調整不足のため最終選考で落選。しかし父の監督就任と共に代表でもレギュラーを手にした。2004/05シーズンはディナモで精細を欠き、フロントと衝突して退団が決定。2005年1月21日、衝撃的なハイドゥク移籍が決定(移籍金150万ユーロ、契約3年半)。しかしながら、ドイツW杯ではグループリーグ敗退の原因とされた。ビリッチ監督就任後はトップ下ではなく、左MFとして起用されたことで彼本来の能力が引き出された。2006年の8月にポーツマスへ移籍金450万ユーロ、4年契約で移籍。レギュラーとして活躍し、2008年にはFAカップ優勝に貢献した。★★ |
| Luka MODRIC | Tottenham Hotspur(ENG) | MF | 1985/9/9 | 35 | 7 | 174 | 66 | その軽やかなプレーで世界が注目するクロアチア代表の司令塔。トップ下だけでなく、サイドハーフ、レジスタとしてもチームで機能。柔軟なボールテクニックとスピードの強弱で相手を次々とかわし、決定機を演出する。また守備についても労力を惜しまない。出身地のザダールでキャリアをはじめ、その後はディナモ・ユースに入団。2003/04シーズンに17歳でボスニア・ヘルツェゴビナ一部のズリンスキ・モスタルにレンタルされ、8得点15アシストと活躍。2004/05シーズンはインテル・ザプレシッチにレンタルされ、クロアチアでも大活躍をみせた。クラニチャール退団に伴い、2005年1月にディナモに復帰し、チームを牽引。2006年3月のアルゼンチン戦で先発でA代表デビューし、センセーショナルな活躍をした。2006年W杯では出場機会に恵まれなかったものの、ビリッチ監督のもとではレジスタとして活躍。ビッグクラブが熱望する中、2008年4月に移籍金は2100万ユーロでトッテナム・ホットスパーに移籍(契約5年)。2007年度・2008年度のクロアチア最優秀選手。★★ |
| Danijel PRANJIC | Bayern Munchen(GER) | MF/DF | 1981/12/2 | 22 | - | 170 | 65 | 俊足を活かした突破を得意とする左サイドアタッカー。とりわけアシスト能力に秀でているものの、クラブでは内に入っての得点も多い。クロアチア代表ではユーロ2008直前から左SBにコンバート。小柄で守備力に難がありながらも、持ち味の攻撃力でカバーしている。2002/03シーズンからオシエクでレギュラーを手にすると、2003年8月のイングランドU-21との親善試合では芸術的なループシュートを決めて注目を浴びた。2004年にオシエクとの契約延長を拒んだことからシーズン後半はプレー出来ず、ディナモが2004年6月に獲得。チーム最高給(25万ユーロ)を貰うもの本来の活躍は出来なかった。2005年7月にオランダのヘーレンフェーンに移籍金50万ユーロで移籍して本領を発揮。2008/09シーズンにはリーグで16得点を決めた。2009/10シーズンからバイエルン・ミュンヘンでプレーすることになった(移籍金700万ユーロ、契約3年)。A代表のキャリアとしてはユーロ2004では特別にチーム帯同し、2004年9月に初めてメンバーに選出。アイルランド戦でデビューした。★ |
| Ivan RAKITIC | Schalke 04(GER) | MF | 1988/3/10 | 19 | 6 | 184 | 79 | スイスで生まれ育った才能豊かな攻撃的MF。両足共にテクニックを備え、ボランチ以外ならばどこでも任せられるモダンなMFで、ミドルシュートの決定力も高い。ニックネームは「ロケット」。スイス・ユース代表のカテゴリーを経たのち、19歳でスイス、クロアチアそれぞれの代表からラブコール。悩んだ末に両親の祖国クロアチアを2007年6月に選択した。1995年からバーゼルのユースに加入し、2005年9月のUEFAカップ・対シロキ・ブリイェグ戦でトップデビュー。2006/07シーズンにはレギュラーに定着して、9得点を決めた。2007年6月、シャルケに移籍。背番号10を手にし、4年契約を結んだ。スイスU-21代表として4試合出場。2007年9月のエストニア戦で公式戦ではクロアチア史上最年少19歳5ヶ月でA代表デビュー。ユーロ2008でも活躍したが、準々決勝のトルコ戦では終了間際の失点に繋がる若さを見せた。★ |
| Ognjen VUKOJEVIC | Dynamo Kijev(UKR) | MF | 1983/12/20 | 13 | 1 | 184 | 81 | マーカーを常に追いかけ、汚れ役に徹することができる守備的MF。一試合の走力は12kmを超えるとされ、枠を捉えた強烈なミドルシュートや、ゴール前で泥臭いゴールを決める能力も持っている。ビエロヴァールで生まれ、スラヴェン・ベルーポでキャリアを築いたのち、ベルギーのリエーセに移籍。その後、2005年にディナモが獲得すると、激しい中盤のポジション争いの中で定位置を手にした。2008年5月にディナモ・キエフに移籍金600万ユーロで5年契約で移籍。2006年8月のボスニア・ヘルツェゴビナとの親善試合に代表に初選出。2007年10月のスロバキア戦で代表デビュー・初ゴールを決めた。★ |
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Nikola POKRIVAC |
Monaco(FRA) | MF/DF | 1985/11/26 |
6 |
- | 185 | 84 | 献身的な守備と運動量、正確な左足からのロングパスを併せ持った守備的MF。ストッパーや右SBとしてもプレーできる。クロアチア北部のチャコベツに生まれ、ヴァルテクスのユースで育つと、2004/05シーズンにトップデビュー。ヴァルテクスではDFとして起用されたが、2007年1月に移籍金50万ユーロでディナモに移籍するとボランチとして急成長。クジェ、イヴァンコヴィッチ両監督の信頼を勝ち取った。2008年1月にモナコへ移籍金350万ユーロで移籍。代表歴がないのにもかかわらず、ユーロ2008のメンバーに抜擢された。2008年5月のモルドバ戦で代表デビュー。★ |
| Ivan JURIC | Genoa(ITA) | MF | 1975/8/25 | 3 | - | 174 | 65 | 走力とパス能力、また戦術眼に優れ、33歳と遅咲きながらクロアチア代表デビューを果たしたセンターハーフ。ハイドゥク・スプリトで育ち、当時は優秀な若手MFとして注目。1996年にセビージャへと移籍を果たした。1997年のW杯予選終盤にA代表に選出され、W杯の候補選手30人にも選ばれたが出場はなし。また1999年4月に地元セビージャでのスペイン戦直前、ボクシッチが風邪を引いたことで人数合わせで召集されたこともある。2000/01シーズンはアルバセテに移籍したのち、2002/03シーズンから4年間、セリエBのクロトーネでプレー。2006/07シーズンにはジェノアに移籍すると、セリエA昇格の原動力となり、セリエAでもコンスタントにプレー。代表引退したニコ・コヴァチの後釜としてビリッチ監督の眼鏡に適い、2009年2月のルーマニア戦で召集を受けてデビューを果たした。 |
| Drago GABRIC | Hajduk Split(HRV) | MF/DF | 1986/9/20 | - | - | 176 | 67 | 切れ味あるドリブルと運動量でサイドを得意とし、ゴール前にも頻繁に顔を出すMF。左利きだが右MFで威力を発揮し、左SBでもプレー可能。90年代にクロアチア代表とハイドゥクで活躍したGKトンチ・ガブリッチの息子。10歳でハイドゥク・ユースに入団したものの将来性はさほど買われず、オミシュ、ソリン、ノヴァリャといった下部クラブを回ってから2006年9月にハイドゥグでトップデビュー。2007/08シーズンから左MFもしくは左SBのレギュラーに定着し、2008/09年からは右MFで才能が更に開花した。2009年4月のアンドラ戦でA代表初召集。2008年にはサポーターから「ハイドゥクの魂」賞を受けている。 |
| Ivica OLIC | Bayern Munchen(GER) | FW | 1979/9/14 | 64 | 11 | 182 | 82 | 爆発的なスプリントと献身的なボールチェイスが特徴のストライカー。アシスト能力もある が、ゴール前の冷静さに欠けるのが欠点。1998年、18歳の時に3部のマルソニアからヘルタ・ベルリンに移籍。8試合出場するも、プレー機会の少なさか ら1シーズンで帰国を志願。2000/01シーズンは最下位のマルソニアで、16得点9アシスト(共にリーグ3位)。2001/02シーズンはレンタル先 のNKザグレブで21得点17アシスト(共に1位)を挙げ、NKザグレブ初優勝に貢献した。2002年のブルガリア戦で代表デビュー。日韓W杯ではイタリ ア相手に値千金の同点ゴールを決めた。大会後にオファーが殺到したが、ディナモ・ザグレブに移籍。2002/03シーズンは16得点10アシスト(共に1 位)で再びリーグ優勝のタイトルへと導いた。2003年8月に移籍金500万ユーロでCSKAモスクワと4年契約を結び、CSKAでもリーグ優勝、 UEFAカップ優勝に貢献した。2007年1月、ハンブルガーSV に移籍金200万ユーロで移籍し、チームを牽引。2009年夏の契約切れと同時にバイエルン・ミュンヘンに移籍することになった。ちなみに2006年9月のロシア戦を前に合宿を抜け出して遊びに出かけたことで代表を一時追放されたことも。★★★★ |
| Ivan KLASNIC | Nantes(FRA) | FW | 1980/1/29 | 35 | 11 | 186 | 79 | どのポジションからでも正確で強烈なシュートを狙えるドイツ・ハンブルグ生まれのストライカー。父親がザグレブ、母親がヘルツェゴビナの出身。HSVのユースで育ち、ステーリンゲン、ウニオン・ハンブルグを経て、二部ザンクト・パウリへ。2000/01シーズンに10ゴールを挙げてザンクト・パウリの1部昇格に貢献し、2001/02シーズンからブレーメンへと移籍。2002/03シーズンはプレー機会が増えたきたものの、足の怪我で離脱。2003/04シーズンはアイルトンと破壊力あるツートップを形成し、ゴールにアシストにと大活躍(リーグで13得点11アシスト、カップ戦で6得点8アシスト)、ブレーメンのダブルクラウンに貢献した。2004年2月のドイツ戦でA代表デビュー。2007年始めに二度に渡り、腎臓疾患を治すために移植手術を行い、長い治療とリハビリの後に復帰。2008年3月には代表にも復帰し、ユーロ2008でも2ゴールを決めた。ブレーメンとの契約が切れ、2008年7月にナントと4年契約を結んだ。★★★ |
| Mladen PETRIC | Hamburger SV(GER) | FW/MF | 1981/1/1 | 33 | 11 | 185 | 81 | 機敏かつ危険な動きをし、シュートレンジも広いスイス育ちのFW。トップ下でもプレーし、FKも得意。ボスニア北部で生まれ、3歳の時にスイスに移住。15歳からFCバーデンでユース時代を過ごす。1999年7月、18歳の時にグラスホッパーに移籍して活躍。スイスのU-16、U-17代表にも選出されたことがある(公式戦には不出場)。2001年11月の韓国遠征でA代表に大抜擢され、大会の最大発見とされ、2002年8月のウェールズ戦で初ゴールを決めたものの、その後は召集がなかなか掛からなくなり、代表とは程遠い状態に。また怪我で2004年U-21欧州選手権は欠場した。2004/05シーズンからはスイス最強のクラブ、バーゼルへと移籍。ビリッチ監督が就任し、ようやくコンスタントに召集されてレギュラーを獲得。アンドラ戦ではハットトリックを達成した。2007年6月にボルシア・ドルトムントに移籍(移籍金400万ユーロ)。18ゴールの活躍を見せるも、CL出場願望が強く、2008年8月にハンブルガーSVに移籍した(移籍金450万ユーロ+エジプト代表FWジダン)。熱烈なシュケルのファンとも。妻はギリシャ人。★ |
| Mario MANDZUKIC | Dinamo Zagreb(HRV) | FW/MF | 1986/5/21 | 5 | 1 | 186 | 74 | 恵まれた体格を活かしながら、鮮やかなゴールを決めるだけでなく、前線では常にアグレッシブな守備をするFW。セカンドトップやウィンガーの位置でも本領を発揮する。スラヴォンスキ・ブロードに生まれ、1997年よりマルソニアでプレー。2003/04シーズンはジェリェズニチャールにレンタル。2005年6月、ザグレブに移籍。2006/07シーズンに11ゴールを決める活躍を見せ、2007年3月のマケドニア戦で、怪我のペトリッチに代わってA代表に初招集された。2007年7月、ディナモ・ザグレブが獲得し、5年契約を結んだ。2007年10月にはアヤックスを下す2ゴールも決めている。2007年11月のマケドニア戦で代表デビュー。2008年9月のイングランド戦が初ゴール。 |
| Nikola KALINIC | Hajduk Split(HRV) | FW |
1988/1/5 |
3 | - | 186 | 81 | ペナルティエリア内での嗅覚に優れ、点で合わせるのが抜群に上手い生粋のゴールゲッター。また予測不可能なドリブルにも優れている。ハイドゥク・ユースで育ち、2005/06シーズンに17歳でトップチームに加わった。2005年のU-17欧州選手権では得点王となり、大会MVPに選出されている。2006年夏からはプーラにレンタル移籍し、レギュラーとしてプレー。2007年1月からはシベニクにレンタルされ、一年を通して経験を培った。2007年夏からハイドゥクに復帰し、レギュラーとしてゴールを量産中。2007年10月のイスラエル戦では追加召集でA代表に選出された。2008年5月のモルドバ戦で代表デビューし、ユーロ2008の代表メンバーにも選ばれた。★ |
| Name | Team | Pos. | Birthday | Cap | Goal | cm | kg | Comment |
| Joseph Anthony DIDULICA | AZ Alkmaar(HOL) | GK | 1977/10/14 | 4 | - | 191 | 80 | オーストラリア生まれのクロアチア人ゴールキーパー。空中のボール処理と判断能力に秀でる。メルボルン・ナイツから99年にアヤックスに移籍。アントワープの1年レンタルを含めて5シーズン、アヤックスに所属したのち、2003年にオーストリア・ウィーンへと移籍。2006年には移籍金150万ユーロ、4年契約でAZアルクマールに移籍した。オーストラリア代表ユースで21試合の出場をしているが、2004年にクロアチア代表を選択。トルコ戦で初召集、マケドニア戦でデビュー。Joeyは愛称で、本名はJoseph。趣味はゴルフとサーフィン。★★ |
| Mario GALINOVIC | Panathinaikos(GRE) | GK | 1976/11/15 | 2 | - | 196 | 93 | 2005年度ギリシャ・リーグ最優秀GKにも選出されたパナシナイコス所属のGK。ハイボールの処理に優れる。1998/99シーズンにオシエクの正GKの座を射止め、コリアカップ・対エジプト戦でA代表初キャップを得た。2000年の契約終了と共に移籍を希望、ハイドゥクをはじめ国内外のクラブと交渉したもの失敗に終り、ボスニアリーグのブロトイノでプレーしたのち、2001/02シーズンにオシエクに戻った。2002/03シーズンはカメン・イングラッドに移籍、2003年のUEFAカップ・対シャルケ戦では素晴らしいセーブを連発した。2004年夏、移籍したギリシャ代表GKニコポリディスの穴を埋めるべくパナシナイコスへ。2004/05シーズンのギリシャリーグ最優秀GKとなった。★ |
| Ivan TURINA | Lech Poznan(POL) | GK | 1980/10/3 | 1 | - | 197 | 100 | セービング、キック力、恵まれた体格など「キーパーの資質を100%備える」とまで評されるディナモ・ユース出身のGK。1999年8月にSBSで来日し、その非凡な才能を見せつけた。2000/01シーズンからトップ・チームに昇格、2001年11月にカメン・イングラッドのレンタル移籍した最初の試合で無敗のNKザグレブを無失点で押さえ、節のMVPに選ばれた。2002/03シーズンはディナモに復帰したが、2003年からオシエクにレンタル移籍。ブティナ移籍後の2003/04シーズンからは正GKに着くも、シーズン置きに好不調の波があり、2006/07シーズンは控えに甘んじ、2007年夏にはシーズン前の合宿で失言のために追放。移籍金なしで、2007年7月、ギリシャ一部のクサンシに移籍し、2008年8月にはポーランドのLechに移籍。 |
| Dario SIMIC | Monaco(FRA) | DF | 1975/11/12 | 100 | 3 | 180 | 77 | 16歳4ヶ月で国内リーグデビュー、代表でも若くしてレギュラーを勝ち取った実力DF。「猛犬」というニックネームを持ち、一対一に強い。正確なフィードとオーバーラップも魅力。ストッパーのほか、左右のサイドバックもこなす。98/99シーズンに移籍金8億円でディナモからインテルへと移籍、02/03シーズン前にウミトとの交換トレードでACミランに移籍(3年契約)、右サイドバックでプレーし、CL優勝メンバーとなった。2003/04シーズンはミランでカフーにレギュラーを奪われ、ユーロ後は踵の手術でシーズン半分を棒に振ると、以降は出場機会に恵まれず、毎年移籍をほのめかしながら残留。2008年8月にようやくミランを退団し、モナコと2年契約を結んだ。1998年のワールドカップ以来、クロアチアが出場した全ての大会に出場し、2008年8月のスロベニア戦で100キャップを飾った。同年9月に代表引退を表明。★★★★★★ |
| Stjepan TOMAS | Rubin Kazan(RUS) | DF | 1976/3/6 | 49 | 1 | 186 | 80 | フィジカルに優れ、ハイボールの処理に抜群の高さと強さを誇るストッパー。"クロアチアのスタム"の異名を持つストッパー。フランスW杯代表メンバーにも選ばれていたが、怪我で離脱。復調後は代表に再召集、ヨジッチ、バリッチ監督の下ではボランチもしくは右MFなどでの起用もあった。2000/01シーズンにディナモからヴィチェンツァへ移籍金200万ドルで移籍し、二部落ちした翌年は1年間コモにレンタル。2003/04シーズンはフェネルバフチェにレンタル移籍、リーグのベストイレブンに選ばれた。2004/05シーズンからガラタサライに移籍。トルコ・リーグの最優秀外国人選手に選ばれている。2004年のイスラエル戦前の合宿で許可無く、深夜にマッサーを呼んだということで一時的に追放処分となった。復帰後は右ストッパーのポジションを得るも、ドイツW杯のオーストラリア戦でハンドを与えたことで国内から批判が集中した。2007年8月、ロシア一部のルビン・カザンに移籍(2年半契約)し、2008年のリーグ優勝に貢献した。★★★ |
| Mario TOKIC | Rapid Wien(AUT) | DF | 1975/7/23 | 28 | - | 179 | 74 | 98/99年シーズンにリエカからディナモに移籍し、ユリッチに替わる新たなリベロとして活躍。冷静なプレーが信条で、ボランチやストッパーとしてもプレーできる。ユース世代から代表に名を連ね、ユーロ2000予選に入ってからA代表に名を連ねた。だが、2000年8月のCL予選で膝を負傷、手術で長期離脱。未払給与を破棄して、ディナモの自由移籍選手として2001年にグラーツァAKに移籍、2003/04シーズンはチーム初優勝に貢献し、オーストリアリーグ最優秀DFに選ばれた。2005/06シーズンにオーストリア・ウィーンに移籍し、契約終了後の2007年6月にラピッド・ウィーンに移籍した。★★ |
| Dario KNEZEVIC | Juventus(ITA) | DF | 1982/4/20 | 12 | 1 | 184 | 74 | スピードと一対一に優れたリエカ・ユース出身のディフェンダー。リエカでは不動のセンターバックであり、副キャプテンを務めていた。2006年1月の香港におけるカールスバーグ・カップで代表に初選出。同年8月にリボルノで行われたイタリア戦でフル出場し、それを機に関心を示したセリエAのリボルノが移籍金47万5000ユーロで3年契約を結んだ。代表にも定着し、2007/08シーズンはリボルノでコンスタントに出場したもののチームはセリエBに降格。各クラブが注目する中、買取オプション付きで2008/08シーズンはローンでユベントスに移籍することに。★ |
| Mato NERETLJAK | Omiya Ardija(JPN) | DF | 1979/6/3 | 10 | 1 | 191 | 90 | 高さの割にはサイドバックをこなす起用さを持つストッパー。2000/01シーズンにボスニアのオラシュヤからオシエクに移籍。それまでは全くの無名だったが、オシエクで急速に評価を上げて2001年4月に代表選出。ギリシャとの親善試合で初キャップを得た。2001/02シーズン途中にスパルタク・モスクワが獲得寸前までいったが破談。オシエクとの契約切れと共に2002/03シーズンからハイドゥクへと移籍した。2003/2004シーズンは左サイドバック、左MFとして新たな才能を現し、代表にも定期的に選出。2005年2月に韓国Kリーグの水原三星に移籍し、4シーズン連続で最優秀リーグDFに選出された。2009年からは大宮アルディージャに2年+1年オプションで完全移籍。★ |
| Mario CVITANOVIC | Energie Cottbus(GER) | DF/MF | 1975/5/6 | 9 | - | 182 | 79 | ボバンが「将来のクロアチア代表のレギュラー候補」に挙げていた左サイドのプレイヤー。ディフェシブな選手だが、左足からのミドルシュートは魅力。センターバックでもプレー可能。ユーロ2000予選で初めて代表に呼ばれ、98年10月のマルタ戦で初キャップ。2000/01シーズンにディナモからベネツィアに移籍。すぐベローナへレンタルされるも出場に恵まれず、2001/02シーズンはベネツィア、2002/03シーズンはジェノア、2003/04シーズンはナポリでプレー。2004/05シーズンにベルギー一部のゲルマニアに移籍。2006/07シーズンからディナモに復帰するもミスが目立ち、半年で戦力外通告。2007年1月、ブンデス1部のエネルギー・コットブスと1年半契約を結んだ。F1の熱狂的ファン。 |
| Ivica KRIZANAC | Zenit Sankt-Peterburg(RUS) | DF | 1979/4/13 | 5 | - | 188 | 81 | 東欧圏のリーグを渡り歩いて名声と実力を得たDF。クロアチア・リーグでは3部のオミシュ、1部のスラヴェン・ベルーポとヴァルテクスに在籍したが芽が出ず、20歳の時にスパルタ・プラハに移籍。しかしここでもレギュラーが取れず、2001年にポーランド・リーグのゴルニク・ザブルザへ渡ってレギュラーとしてプレー。2002年に同国のグロツリンに移籍して花開き、主将にも任命。2年連続でポーランド・リーグの最優秀DF賞、2004年にはポーランド・リーグの最優秀外国人賞とポーランド・スポーツ界の最優秀外国人賞を受けた。2005年1月に移籍金85万ユーロでロシアリーグのゼニト・サンクトペテルブルグに移籍。2007年のリーグ優勝と2007/08シーズンのUEFAカップ優勝に貢献した。2006年のビリッチ監督就任時に代表メンバーに選ばれず、人選を批判をしたために干されていたが和解。2008年8月のスロベニアとの親善試合で代表初召集、デビューした。 |
| Goran SABLIC | Dynamo Kijev(UKR) | DF | 1979/8/14 | 5 | - | 190 | 86 | 風貌から「クロアチアのネスタ」との異名を持つハイドゥク育ちのストッパー。19歳でハイドゥクのレギュラーを獲得し、99年ワールドユースにも出場。2000/01シーズンは怪我のために殆どのシーズンを棒に振るが、2000/01シーズンからは堅守のハイドゥク守備陣の一角をなしてリーグ優勝に貢献した。2002年4月のボスニア戦がA代表デビュー。日韓W杯の同行メンバーとなった。2002年8月にディナモ・キエフに移籍、2006年には契約延長(5年)をしたが、怪我のために一年棒に振り、2007年7月にハイドゥクに1年レンタルで移籍。2008/09シーズンからディナモ・キエフに再び復帰。 |
| Vedran JESE | Thun(SWI) | DF | 1981/2/3 | 2 | - | 188 | 90 | 粘り強いマンマークと空中戦を得意とするDF。2001/02シーズンのNKザグレブ優勝時はスタメンとして安定した守備をみせ、U-21代表ではDF陣のリーダー格を務めた。ボランチも出来るが、ストッパーで最も能力を発揮する。2004/05シーズン前に7kgの減量に成功し、課題であったスピード不足を克服。出身はボスニアのバニャルカで、10歳の時にザグレブに疎開。それまではハンドボールの選手だったが、教師の説得でサッカーに転向した。2004年8月、ザグレブからディナモへ移籍(4年契約)。レギュラー争いに敗れ、2005/06シーズンはインテルにレンタル移籍。2006年7月にはスイス一部のテューンに3年契約・移籍金20万ユーロで移籍。2007年1月からはでイスラエルのブネイ・イェフディに半年レンタル、2008年2月には同じくイスラエルのアスフドッドに半年レンタルされた。2004年8月、初めてA代表に選出。 |
| Dario SMOJE | Panionios(GRE) | DF | 1978/9/19 | 1 | - | 191 | 90 | 1997/98シーズンにACミランへ移籍し、将来を期待されたリエカ出身のストッパー。屈強なフィジカルと正確なフィードが特徴でリベロでもプレーできる。スピード不足が難点か。ミランで数試合プレーしたのちはモンツァ、テルナーナなどでレンタルでプレー。2001年にミランとの契約が切れ、ディナモに移籍金無しで加入した。給与の低さからディナモ退団を表明し、海外移籍を目指したがまとまらず2003年8月末にNKザグレブに加入。2004/05シーズンは所属クラブがなかったが、12月にヘントへ移籍しレギュラーとして活躍。2009年6月にギリシャ一部のパニオニオスに移籍した。1997年には18歳ながらW杯予選のA代表に選出されたこともある。2003年2月のマケドニア戦が代表デビュー。 |
| Gordon SCHILDENFELD | Duisburg(GER) | DF | 1985/3/18 | - | - | 191 | 91 | 対人プレーに強く、足元の技術にも優れたディフェンダー。生まれ育ったシベニクでキャリアをはじめ、2007年の初めにディナモに移籍するまではほとんど無名な存在だったが、いきなりレギュラーを奪取。しかし、2007/08シーズンはミスが目立ち評価を下げたものの、2008年1月にトルコの名門ベジクタシュへの移籍が決まった。当初はチームメイトのドゥルピッチがベジクタシュ移籍が濃厚だったが、2年前の不祥事で白紙となり、急遽、彼に白羽の矢が立った。しかし、シーズン中に原因不明の視力障害を起こし、戦力外に。2008/09シーズンはブンデス二部のデュイスブルクにレンタルされた。愛称は「シーフォ」。シルデンフェルトというクロアチアらしくない苗字は、父方がドイツ語の苗字を持ったスロベニア人のため。ハイドゥクのアンテ・ルカビナとは大の親友。 |
| Manuel PAMIC | Sparta Prague(CZE) | DF | 1986/4/20 | - | - | 175 | 75 | パワフルなドリブルから左サイドを突破する攻撃的サイドバック。愛称は「パミーニョ」。ジュミニでキャリアを始めたのち、18歳でプーラ(現イストラ)に移籍。レギュラーとして2シーズンを過ごしたのち、2006年にリエカに移籍した。そこでもレギュラーを獲得すると、欧州のクラブから注目を浴びるようになり、2007年12月にリエカ史上最高の移籍金100万ユーロでレッドブル・ザルツブルクに移籍。出場機会に恵まれず、2009年からはスパルタ・プラハにレンタル。ユーロ2008では代表随行メンバーとなっている。 |
| Andre MIJATOVIC | Arminia Bielefeld(GER) | DF | 1979/12/3 | - | - | 191 | 82 | 跳躍力、そして冷静さと集中力に定評があり、FKも得意な長身DF。1999年のワールドユースでもレギュラーとして出場し、U-21代表としてもプレー。故郷のリエカで長くプレーしたが、2003年にリエカと給与未払のため契約解除、2003/04シーズンからディナモに移籍してレギュラーとしてプレーした。2005年にブンデス二部のSpVgg Greuther Furthに移籍。活躍が認められ、移籍金70万ユーロで2007年夏にブンデス一部のアルミニア・ビーレフェルトに移籍した。 |
| Marino BILISKOV | Greuther Furth(GRE) | DF | 1976/3/17 | - | - | 195 | 89 | 1999年まではハイドゥクのレギュラーとして君臨し、2000/01シーズンからブンデスリーガのヴォルフスブルグに移籍したストッパー。右ストッパーの位置でプレーすることが多い。ヴォルフスブルグのレギュラーとして堅い守備をこなし、またセットプレーでも得点を決めた。2005年夏に契約が切れ、デュイスブルグで一シーズンをプレーした後は一年間所属クラブなし。2006/07シーズンはギリシャのイラクリスで安定したプレーをすると、2008/09シーズンからはドイツに戻り、二部のグロイター・フュルトに在籍。 |
| Hrvoje VUKOVIC | Alemannia Aachen(GER) | DF | 1979/7/25 | - | - | 184 | 77 | 1999年のワールドユースのメンバーでもあったハイドゥク出身のストッパー。2000/01シーズンは怪我もあって5試合の出場機会に留まる。2001/02シーズンは同い年のサブリッチとのレギュラー争いに勝ち、右ストッパーのポジションを得た。4バックでは右サイドバック、またアウトサイドのMFでもプレー出来る。2004年6月、ブンデス2部のブルグハウゼンに移籍し、2007年からはアーヘンに。 |
| Luka VUCKO | Eskisehirspor(TUR) | DF | 1984/4/11 | - | - | 197 | 91 | ハイドゥク出身の将来性あるストッパー。197cmの長身を活かし、2004/05シーズンにはレギュラーに定着。 2006年1月に移籍金50万ユーロ、5年契約でロシア・リーグのサトゥルン・モスクワに移籍したものの、出場機会の少なさに不満を持ったために契約を解除して、2006年7月にハイドゥクに復帰したものの、ここでも出場機会がなく、2007年1月にリエカに移籍。2008年7月にはトルコ一部のエスキセヒルシュポールと2年契約を結んだ。兄はFWユーリツァ・ヴチュコ。代理人はシュティマッツ兄弟。前U-21代表。 |
| Kristijan POLOVANEC | Koper(SLO) | DF/MF | 1979/10/10 | - | - | 179 | 77 | ユース代表メンバーに名を連ねたディナモ出身のDF。左右のSB、ストッパー、アウトサイドのMF、ボランチでもプレー出来る。16歳でトップチームの練習に参加、2部のセスベッテ、イストラで経験を積み、ディナモでは左ストッパーのレギュラーを獲得した。2002/03シーズンを終えて新たな移籍先を求め、ヴァルテクスと4年契約を結んだが2004年に自由契約。二部のセスベッテでプレーするも未払い給与のため契約解除し、2005年春に一部のメヂムリエに移籍、7月にはインテルに移籍した。2006年6月にはフランス二部のLibourneと契約。2008/09シーズンに帰国し、セスヴェッテと2年契約を結んだ。しかし、チームの不調で会長に詰め腹を切られ、シーズン途中に戦力外に。2009年1月にスロベニア一部のコペールへ。1999年ワールドユース出場で、元U-21代表。 |
| Marko BABIC | Hertha Berlin(GER) | MF/DF | 1981/1/21 | 49 | 3 | 186 | 72 | フィジカル、運動量、テクニックのいずれにも優れた左ウィンガー。トップ下やサイドバック、ボランチもこなし、左足からのセットプレーも得意とする。1999/2000シーズンにオシエクでレギュラーを手にし、シーズン途中にヴラニェシュと共にバイヤー・レバークーゼンへ移籍。2000/01シーズン第16節の対ヘルタ戦でブンデス・デビュー。2001年にB代表に選出されるも足の怪我でチャンスを逃したが、2002年のハンガリー戦でA代表デビュー。日韓W杯では同行メンバーとなった。その後は代表に定着、2002/03シーズン以来、レバークーゼンで実績を積み、不動のレギュラーに。契約が切れた2007/08シーズンからはレアル・ベティスに移籍したものの、出場機会に恵まれず、2009年1月に契約を解除。半年の契約でヘルタ・ベルリンに移籍した。★★ |
| Jurica VRANJES | Werder Bremen(GER) | MF/DF | 1980/1/31 | 26 | - | 186 | 75 | ワールドユース、U-21欧州選手権でチームの中核となったオシエク出身のセントラルMF。広い視野と高いインテリジェンスを持ち、リベロ、ボランチとしてだけでなく、サイドもプレー可能。99年末にオシエクからレバークーゼンへと移籍し、「クロアチアのベッケンバウアー」「Novi(新)エメルソン」との呼び声を得た。日韓ワールドカップでは代表メンバーに選出。しかし度重なる怪我もあってレギュラー争いに苦戦し、2003/04シーズンからシュトゥットガルトに移籍。しかしシュトゥットガルトでも先輩のソルドの壁は厚く、契約の切れた2005/06シーズンからはヴェルダー・ブレーメンに移籍している(3年契約)。★★ |
| Ivan LEKO | Germinal Beerschot Antwerpen(BEL) | MF | 1978/2/7 | 13 | - | 179 | 77 | 柔らかいボールタッチと優れたキープ力・展開力が特徴のレフティ。以前はトップ下のみの選手だったが、ボランチが出来るまでにプレーの幅が広がった。ハイドゥクでは18歳でレギュラーを獲得し、2000/01シーズンはキャプテンとしてハイドゥクの優勝に貢献。2001/02シーズンにマラガと4年契約に移籍(移籍金60万マルク)。2003/04シーズン後半になってようやくチャンスを得たが、2005年1月に新外国人加入に伴いEU圏外枠から漏れて契約解除。ハイドゥクに戻ってリーグ優勝に貢献したのち、2005/06シーズンからはブルージュに移籍して活躍し、代表復帰を果たした。2009年からは3年契約でゲルミナル・ビールショットに移籍。コリアカップでA代表デビューし、2004年8月に再びA代表に選出され、2006年のW杯メンバーに選ばれている。★ |
| Ivica BANOVIC | Freiburg(GER) | MF | 1980/8/2 | 2 | - | 186 | 81 | トップ下だけでなくサイドハーフでもプレーでき、ドリブルから切れ込むシュートが魅力のMF。1999/2000シーズンに不振に喘ぐNKザグレブで救世主的な活躍。2000/01シーズンに、ブレーメンが移籍金350万マルクを提示して移籍。しかし移籍金を書き間違えるというミスで両クラブ間が係争した。1999年ワールドユース、2000年U-21欧州選手権にも出場。2002/03シーズンは肩の手術をしたもののブレーメンでレギュラーに定着。リーグ優勝を果たした2003/04シーズンは構想外となり、契約切れと共にニュルンベルグへ移籍、背番号10を背負った。2007年7月にはブンデス2部のフライブルグに移籍。2004年8月に初めてA代表に選出。 |
| Mladen BARTULOVIC | Kryvbas Kryvyi Rih(UKR) | MF | 1986/10/5 | 1 | - | 182 | 80 | ドリブル突破を得意とする左サイドのMF。当時のスリシュコヴィッチ監督のもと、2004年に18歳でハイドゥクのトップチームに抜擢。その後はレギュラーを獲得し、カテゴリーが一つ上のU-21代表でもレギュラーとなった。ボスニアのカカニュ出身で、ボスニア紛争で家族と共にドイツ、そしてクロアチアへ。2000年にハイドゥク・ユースに加入した。2006年1月の香港におけるカールスバーグ・カップで代表に初選出。2006年6月、ウクライナのドニプロに4年契約・移籍金50万ドルで移籍した。2008/09シーズンはFC Kryvbas Kryvyi Rihにローン。U-21代表。 |
| Mario CAREVIC |
Lokeren(BEL) |
MF | 1982/3/29 | 1 | - | 183 | 75 | 左足のテクニックと絶妙なボディバランスを備えるハイドゥク・ユース出身のMF。左ウィンガー、トップ下、ボランチをこなせる。上半身のウェーブから突破を試みるドリブルに特徴があり、攻撃におけるセンスが光る。プレスキックも上手い。2000年5月に18歳でトップデビュー。アサノヴィッチが自分の後継者と認めたが、伸び悩みの感が否めない。2004/05シーズン、名将イヴィッチに導かれてサウジアラビア・リーグのアル・イティハドに移籍(移籍金40万ドル)。給与未払もあって退団したのち、2005年8月にシュトゥットガルトのテストに合格。3年契約を結んだ。しかし構想外となり、2006年7月にハイドゥクへレンタル移籍。2007年7月にはベルギーのロケレンに移籍。2003年2月のマケドニア戦が代表デビュー。 |
| Mihael MIKIC | Sanfrecce Hiroshima(JPN) | MF/ FW/DF |
1980/1/6 | - | - | 176 | 65 | 縦への突破力を持つ右のサイドアタッカー。インケルのユースで育ち、のちディナモに移籍。1998年のCL対ポルト戦では初スタメンで初得点、以後はディナモのレギュラーに名を連ねた。本来はFWの選手だったが、のちに右ウィンガーの位置でプレーすることが多く、4バックの時には右SBまでポジションを移した。移籍先がなかなか決まらなかったが、2004/05シーズンからカイザースラウテルンに在籍。2006年6月にリエカへ移籍した。しかし、半年で契約を解除すると、2007年からディナモに復帰。その後はディナモで安定したプレーを見せ、2009年1月にサンフレッチェ広島に移籍することになった。代表歴では1998年U-18欧州選手権ではベスト11、2000年U-21欧州選手権では大会ポスターのモデルにもなった。W杯予選の対ベルギー戦ではスタニッチの怪我で初のA代表選出したものの、試合出場はなし。ニックネームは「Mika」。 |
| Mato JAJALO | Siena(ITA) | MF | 1988/5/25 | - | - | 182 | 77 | 両足のボールコントロールに優れ、攻撃センスを備えたMF。左MFのほか、ディフェンシブハーフもこなす。ボスニアのヤイツェで生まれ、スラヴェン・ベルーポのユースで育つと、2007/08シーズンの開幕戦でデビュー。そのシーズンほぼフル出場すると、翌シーズンも1試合を除くフル出場。将来性が見込まれ、2009年6月にセリエAのシエーナにチーム史上最高の160万ユーロの移籍金で移籍が決まり、5年契約を結んだ。U-19代表を経験したほか、現U-21代表ではキャプテンも務めている。 |
| Ivo ILICEVIC |
Kaiserslautern(GER) |
MF | 1986/11/14 | - | - | 174 | 63 | ドイツで生まれ育った、ドリブル突破とミドルシュートが得意なMF。フランクフルトに近い生まれ故郷Aschaffenburgでサッカーをはじめ、2006年にDarmstadtからブンデスリーガのボーフムに移籍。2006/07シーズン第1節の対マインツ戦でプロデビューした。クロアチアU-21代表には怪我もあって二度召集を断ったことから、一度はラディッチ監督に構想外とされるものの、2007年よりチームに加入。ギリシャ戦、アゼルバイジャン戦で芸術的なミドルシュートを放った。U-21代表ではトップ下、ボーフムでは右サイドを担当し、2008年10月のウクライナ戦・アンドラ戦でA代表にも初召集された。2007/08シーズン途中から一年半の間、二部グロイター・フュルトにレンタルされ、2009/10シーズンからはカイザース・ラウテルンにレンタル。 |
| Igor MUSA | Zrinjski Mostar(BIH) | MF | 1973/10/18 | - | - | 175 | 72 | 右足からのスルーパスやプレスキックが秀逸なスキンヘッドのゲームメーカー。1998/99シーズンにはリエカの攻撃の要として活躍し、14得点挙げて国内リーグMVPに選出。1999/2000シーズンよりハイドゥクに移籍し、2000/01シーズンの優勝に貢献。2002/03シーズンからはスペイン二部のザレズと3年契約を結んで移籍。2004/05シーズンにはその契約を破棄し、国内のスラヴェン・ベルーポに復帰。2006/07シーズンからハイドゥクへと戻った。2007年8月、キプロスのAELノマソールに移籍。2008/09シーズンはボスニア・ヘルツェゴビナのズリンスキに所属し、リーグ優勝に導いた。1999年にB代表選出。故郷のボスニア・ヘルツェゴビナから代表のラブコールが掛かっていたことも。 |
| Denis GLAVINA | Vorskla Poltava(UKR) | MF/DF | 1986/3/3 | - | - | 185 | 77 | ウクライナ・リーグで成長する左MF。左SBとしてもプレーする。チャコベツで生まれ、14歳でディナモ・ザグレブのユースに入団。17歳の時にチェコで行われたU-19欧州選手権を見たディナモ・キエフが獲得(2010年まで契約)。2004/05シーズンはレンタル先のヴォルスクラでレギュラー。21歳以下の選手ではリーグで最多の試合をプレー(6得点)。2005/06シーズンにはドニプロにレンタル移籍し、チームが獲得を望んだものの合意せず。2006/07シーズンは再びヴォルスクラにレンタル移籍。U-21代表。 |
| Ante COVIC | Hertha BSC II (GER) | MF/FW | 1975/8/31 | - | - | 180 | 74 | 1996/97シーズンにニュルンベルグから当時2部のヘルタ・ベルリンへ移籍し、昇格後もヘルタ躍進の一員となったハイドゥク出身の選手。ポジション登録はFWだが、右MFとしてプレーする機会が多い。1998年にはU-23代表に選出。2000/01シーズンはボーフムにボスマン移籍し、2002/03シーズンからは二部のザールブリュッケンで、現在はヘルタ・ベルリンの二部チームでプレーしている。 |
| Drazen BRNCIC | RCS Vise(BEL) | MF | 1971/7/17 | - | - | 180 | 72 | ACミランとインテルにも在籍したザグレブ生まれの攻撃的MF。ベルギーのシャルルロアで5年間プレーし、1998年にはイタリアのクレモネーゼ、1999年にはモンツァでプレー。2000/01シーズンにACミランへと移籍したものの、途中からビチェンツァにレンタル移籍。2002/03シーズンにはミランからインテルにパスが移ったが、結局はセリエBのアンコーナ、ベネチアにレンタル移籍。2003/2004シーズンからはオランダのマーストリヒトでプレーし、2007年からはベルギー二部のヴィセに。ベルギー国籍も保有。卓球好きとか。 |
| Goran BRAJKOVIC | MF | 1978/7/17 | 2 | - | 180 | 76 | リエカ出身の守備的ミッドフィルダー。右MFでもプレー可。1999年ワールドユースのメンバーには漏れたが、U-21代表としては出場の機会に恵まれ、2000年のU-21欧州選手権に全試合出場。時折見せる攻撃参加も効果的。2001年1月にB代表に選出、同年11月の韓国遠征ではA代表デビュー。2003/04シーズンにリエカからウクライナのアーセナル・キエフに移籍したのち、2004年からはスロベニアのベラ・クライナ、2007年からはスウェーデンのコパヴォグス、2008/09シーズンはアルバニアのフラムルタリ・ヴロレとギリシャのカストリアでプレー。 | |
| Bosko BALABAN | Panionios(GRE) | FW | 1978/10/15 | 35 | 10 | 180 | 75 | 日韓W杯予選では5ゴールを挙げ、チームの牽引役となったストライカー。ボールを貰ってからシュートまでの動きが秀逸。故郷のリエカで活躍したのち、2000/01シーズンにディナモへ移籍。2000年8月のスロバキア戦でA代表に初召集されると、いきなり初ゴール。それ以来はA代表でレギュラーとして起用され、予選のラッキーボーイとなった。その活躍もあって2001/02シーズンにアストン・ビラへ600万ポンドで5年契約で移籍。しかし殆どプレー機会が得られないまま翌シーズンはレンタルでディナモに復帰してリーグ優勝、オリッチに次ぐ得点ランク2位につけた。2003/04シーズンにはアストン・ヴィラで戦力外となり契約を解除。2004年1月にブルージュと2年半契約を結ぶ。初年度は怪我に悩まされたが、2004/05シーズンでゴールラッシュ。代表復帰も果たした。2006年9月のロシア戦を前に合宿を抜け出して遊びに出かけたことで代表を一時追放。2007年8月、ディナモに3年契約で移籍したものの本領は発揮できず、代表に選ばれなくなった。2009年3月に戦力外通告され、契約解消後、6月にギリシャのパニオニオスに移籍が決まった。★★ |
| EDUARDO
Alves Da Silva |
Arsenal(ENG) | FW/MF | 1983/2/25 | 24 | 14 | 177 | 72 | リオ・デ・ジャネイロ出身のブラジル人で、2004年5月にクロアチア国籍を取得したFW。ブラジルならではのトリッキーなプレーと、クロアチア人のような熱いハートを持つ。ゴール前での嗅覚と冷静さに長けるだけでなく、連携面にも優れていることからアシスト能力もあり、MFとしてもプレー可能。愛称は"ドゥドゥ"。16歳でクロアチアに連れてこられ、ディナモ・ユースに入団。2000/01シーズンは二部セスベッテにレンタル、翌シーズンは足を骨折したが、2002/03シーズンにレンタル先のインケルを一部昇格させた。2003/04シーズンはディナモの貴重な戦力として9得点、8アシストをマーク。2004年以降はレギュラーとして活躍、2005/06シーズンは18得点(リーグ2位)、11アシスト(リーグ1位)。2006年ワールドカップは最後でメンバーから落選したが、ビリッチ新監督の下ではレギュラーとして活躍することに。2006/07シーズンはリーグ最高記録の34得点を叩き出し、2年連続でアシスト王になった。代表やカップ戦を含めれば一年で54得点を記録。2007年7月にはアーセナルへの電撃的な移籍を果たした(移籍金・推定1500万ユーロ、4年契約)。上手く順応していたが、2008年2月23日、バーミンガム戦でテイラーの悪質なタックルで左足首を開放骨折し、ユーロ出場の道が立たれた。手術とリハビリを経て、2009年2月のルーマニア戦で復帰した。2006年度のクロアチア最優秀選手。クロアチア語に堪能で、普段は穏やかな母親思いの青年である。2004年のアイルランド戦でA代表デビュー。妻はクロアチア人。 |
| Ivan BOSNJAK |
Racink Genk(BEL) |
MF/FW | 1979/9/6 | 14 | 1 | 180 | 72 | 縦に突き抜けるスピードと妥協を許さないハートが魅力のアタッカー。代表では左MFの役割を任せられるが、本来のポジションはFW。故郷のチバリア・ヴィンコヴチに所属した1998/99シーズンに7ゴールと頭角を現し、翌シーズンは15ゴールでリーグ得点2位。2000/01シーズン、ハイドゥクに移籍してトップ下のポジションで新たな才能を開花、リーグ優勝に貢献した。2000年8月のスロバキア戦でA代表に抜擢、初キャップを得る。2002/03シーズンはリビアのエル・エトハードに移籍(移籍金80万ドル)したが、欧州でのプレー希望から2003年1月に退団。しかし契約が解除出来ずに一年間はプレー出来なかったが、2004年1月にディナモが獲得、4年半契約を結んだ。ディナモではFWで活躍、2005/06シーズンには22得点で得点王となった。2006年6月にベルギーのヘンクに移籍金150万ユーロで移籍が決まった(3年+1年契約)。★ |
| Marijo MARIC | VfR Aalen (GER) | FW | 1977/1/12 | 8 | 1 | 183 | 74 | ドイツ生まれのFW。兄のトミスラフも元代表FW。マンハイム、シュツットガルトなどに在籍し、2000/01シーズンにボーフムに移籍。第17節の対レバークーゼン戦でハットトリックを決めるなど14試合で8得点を決めるがボーフムが二部落ちしたこともあり、2001/02シーズンにオーストリアのケルンテンへ移籍。チームのキャプテンとなるも2003/04シーズンは最下位で二部降格。ブンデスリーガ昇格のアルミニア・ビーレフェルトと2年契約を結ぶも扱いに満足せず、2005年春から二部のトリエールに、夏にはウンターハヒンクに移籍し、更に三部のAalenへと移った。2002年8月のウェールズ戦で代表デビュー。ユーロ2004のメンバーでは最終選考まで残った。 |
| Igor BUDAN | Palermo(ITA) | FW | 1980/4/22 | 6 | - | 186 | 86 | ポスト・ボクシッチを担う大型FW。1999/2000シーズン、リエカから4年契約でベネツィアに移籍するも、移籍金に関するトラブルで出場できず。FIFA裁定後、第10節ピアチェンツァ戦で初出場初スタメンを果たした。2000/01シーズンはエンポリ、ベリンゾーナ(スイス)へレンタル。膝の怪我に泣かされたが、2002/03シーズンからベネチアに復帰。その後はパレルモを経て、アンコーナ、ベルガモとプレー。2003/04シーズンはレンタルでアタランタに移籍し、半期で10ゴールと量産中だったが、2004年1月に再び膝の手術で離脱。2004/05シーズンからはアタランタと4年契約を結んだ。2006年1月に半年間でアスコリにレンタル移籍。パレルモがパスを全て買い取り、2006/07シーズンはそのパスを半分買い取ったパルマに移籍して13ゴールを決めた。2008年6月、パレルモが500万ユーロでパルマから半分のパスを買い取り、パレルモに移籍することに。2006年11月のイスラエル戦に代表召集、2007年2月ノルウェー戦に代表デビュー。★ |
| Stanko BUBALO | Siroki Brijeg(BiH) | FW | 1973/4/26 | 2 | - | 183 | 78 | ポストプレー、ボール扱いが巧みな上、ゴール前で強さを誇るストライカー。ヘルツェゴビナのシロキ・ブリイェグで活躍後、オシエクを経て、2000/01シーズンのハイドゥク優勝に貢献。2001/02シーズンにオーストリアのケルンテンに移籍金150万マルクで移籍したが、入団直後に背中を痛めて手術し1年を棒に振った。レギュラーとなり、2003/04シーズンの一部降格を機に移籍を希望したが、結局は残留。2007年夏には古巣のシロキ・ブリイェグへ。コリアカップの対メキシコ戦で初キャップを得て、フランスとの親善試合にも出場した。 |
| Leon BENKO | KV Kortrijk(BEL) | FW/MF | 1983/11/11 | 2 | - | 182 | 78 | かつてはMFだったが、FWとして覚醒したゴールゲッター。スピードと器用さが持ち前だが、気性の荒さがキズ。2005年のインタートトカップからFW起用されるとゴールを連発。とりわけ試合の終了間際に得点を決める特殊能力がある。ヴァルテクスのユースで育ち、トップチームに上がったものの、2002年から腎臓病のため長期入院。復活後、2003/04シーズンから左MFのレギュラーに定着し、U-21代表でも左MFとしてプレーした。2005/06シーズンはリーグ戦、カップ戦、イントートトカップを含めて30ゴールを決めた。2006/07シーズンからニュルンベルクに移籍するも活躍できず、2008/09シーズンにスタンダール・リエージュへ。2009/10シーズンには無償でベルギー一部のコルトリークに移籍。2006年1月の香港におけるカールスバーグ・カップで代表出場している。 |
| Sasa BJELANOVIC | Vicenza(ITA) | FW | 1979/6/11 | 1 | - | 188 | 80 | 長身を活かしたヘディングとポストプレーが得意なFW。1999/2000シーズンにザダールからディナモに移籍したが、直ぐにイストラへとレンタル。ディナモでは出場機会を得られず、2000/01シーズンにヴァルテクスへ正式移籍。カーリッチとツートップで32試合12得点と大活躍し、2001/02シーズンは終盤怪我をしたものの19試合16得点、UEFAカップでも7得点決めた。2002年夏に移籍金240万ユーロ、5年契約でコモに移籍。2003年1月からはキエーボにレンタル移籍し、7ゴールを決めた。2003/04シーズンはペルージャにレンタル移籍されたが、8月末にジェノアへの正式移籍して12得点を決めた。2004/05シーズンはレッチェにレンタル移籍。2005/06シーズンは所有権の持つジェノアに戻ったが、チームが八百長でセリエCに降格。50%のパスを買い取ったアスコリに移籍。2007年夏にはトリノ、2008年夏にはヴィチェンツァに移籍した。代表は2005年2月のイスラエル戦がデビュー。 |
| Mario BAZINA | Austria Wien(AUS) | FW/MF | 1975/9/8 | 1 | - | 177 | 70 | 右アウトサイドでもプレー可能なテクニックのあるFW。得点能力も高い。1999/2000シーズンにフルヴァツキ・ドラゴヴォリャッツからディナモに移籍するが、レギュラーに定着できず。当時はガンバ大阪も一時獲得を狙っていたが、交渉がまとまらなかった。ディナモとの契約破棄後にグラーツァAKへと移籍。グラーツァでは得点の取れるFW、チャンスメーカーとして活躍し、2003/04シーズンの優勝に貢献した。2006年1月に名門ラピッド・ウィーンに150万ユーロで移籍。2008年夏に契約が切れ、オーストリア・ウィーンに移籍することに。故郷のボスニアから代表のラブコールがあったが、グラーツァでの活躍が認められて、2002年8月のウェールズ戦で代表デビューした。 |
| Ante RUKAVINA | Panathinaikos(GRE) | FW | - | - | 186 | 75 | スピードに乗ったドリブルと決定力を持つ、2006/07シーズンに発掘されたシベニク出身のFW。1994年にシベニクに入団し、以後はユースで成長。シベニクが二部だった2005/06シーズンは6ゴールに留まったが、一部に昇格した2006年にレギュラーを獲得。開幕以来、順調にゴールを積み上げ、チーム好調の一因を作っている。ディナモやハイドゥク、マルセイユが関心を示す逸材。また2006年度の最優秀新人賞を受賞した。2007年1月に移籍金300万クーナでハイドゥクに移籍し4年契約を結んだが、なかなか成長せず、最後は不満をぶちまけて移籍を願望。2008年7月にパナイナイコスに移籍金280万ユーロ、年俸70万ユーロの4年契約で移籍した。現U-21代表。2007年3月のマケドニア戦でA代表初招集。 | |
| Mate BILIC | Sporting Gijon(ESP) | FW | 1980/10/23 | - | - | 184 | 78 | 競り負けないフィジカルの強さとゴール前の突破が魅力のFW。強烈なFKも武器。1998年のU-18代表ではツートップの一角としてレギュラーを張り、1099/2000シーズンからハイドゥクのトップチームでプレー。2002年9月にサラゴサへ移籍金400万マルクで移籍し、22試合に出場した(1得点)。2002/03シーズンはスペイン二部のアルメリアにレンタル移籍。2003/04シーズンからはスポルティング・ヒホンに移籍して15得点。2004/05シーズンから3年契約でコルドバに移籍したものの1年で契約を切り、レイダへ。2006/07シーズンからはラピッド・ウィーンへ移籍し、バジーナとコンビを組んだ。2007年12月には再びスポルティング・ヒホンと2年半契約を結び、一部昇格に貢献した。2008/09シーズンにはスペイン一部で13得点を記録するも代表の声は掛かっていない。代表出場歴はないものの、2000年8月のスロバキア戦で召集はされている。 |
| Domagoj ABRAMOVIC | Thrasyvoulos Fylis(GRE) | FW | 1981/4/1 | - | - | 184 | 79 | 1998年5月、17歳にしてトップチームと契約を結び、CL最終節・対オリンピアコス戦でデビューしたディナモ・ユースの傑作。スピードに乗ったドリブル突破から両足どちらでも鋭いシュートを放つ。2000/01シーズ開幕戦・対チバリア戦で国内リーグデビュー、僅か17分で2ゴールをマーク。しかし機会に恵まれず二部のセスベッテへレンタル移籍、15試合15ゴールを決めた。ヘルタ・ベルリンからオファーがあったが、2001年2月にディナモと2003年までの再契約を結ぶ。しかし起用面を巡って監督と対立、チバリア・ヴィンコヴチへレンタル移籍。翌季も引き続きチバリアでレンタルでプレー。2003/04シーズンはボスニア・ヘルツェゴビナのシロキ・ブリイェグに完全移籍(3年契約)、16得点10アシストでリーグ優勝に貢献した。2007/08シーズン前半は三部のロコモティーバでプレーして移籍先を探し、冬にテストをしていたフィンランド一部のインテルと2008年7月に年内いっぱいの契約を結び、8得点でリーグ初優勝に貢献。2009年1月にはギリシャ一部のスラシヴロス・フィリスに移籍した。彼についてはここで詳しく紹介。 |
| Krunoslav LOVREK | Eskisehirspor(TUR) | FW | 1979/6/11 | - | - | 179 | 72 | NKザグレブの生え抜きとして2000/01シーズンに頭角を現したFW。右ウィンガーとしてもプレー。ユース代表ではいずれのカテゴリーも経験し、2000年のワールドユースにも出場。同年には最優秀新人賞を受賞したが、2001/02シーズンはザグレブがリーグ優勝したにもかかわらず、本人は骨折でシーズン後半を棒に振った。2004年1月にセレッソ大阪に1年契約で完全移籍したが、チームに馴染めず6月に退団。2004年8月にハイドゥクに移籍し、2005/06シーズンからはベルギー・リーグのリエーセに移籍。2006年2月にクロアチア二部のセスベッテ、7月に3年契約で古巣のザグレブへ。18得点でリーグ3位の成績を残した。2007/08シーズンはリーグ前半で得点王となるも、2008年1月の室内選手権で膝の前十字靭帯を断裂し、デポルティーボ・ラ・コルーニャとの契約が破談。8月にトルコ一部のエスキセヒルシュポールと3年契約を結んだ。 |
| Goran LJUBOJEVIC | Genk(BEL) | FW | 1983/5/4 | - | - | 189 | 82 | オシエクで育った長身ストライカー。球際に強く泥臭いゴールも決められる。少し神経質で孤立しがちなのが難。17歳でトップデビュー、カイザースやアヤックス、ディナモが彼をテストしたことがあったが、結局はオシエクに留まり、2003/04シーズンにレギュラーを獲得。第2節ヴァルテクス戦でハットトリックを決めて注目を浴び、16得点でリーグ2位となった。2004年6月、ディナモと3年契約を結んだが活躍できず。2006年2〜5月にスイスのザンクト・ガレンにレンタル移籍された。ディナモに復帰後、サブとしての活躍が認められ、2006年8月にヘンクに移籍金50万ユーロ・3年契約で移籍。2003年8月のU-21代表・対イングランド戦では2ゴール1アシストの活躍を見せている。 |
| Srdjan LAKIC | Kaiserslautern(GER) | FW | 1983/12/19 | - | - | 185 | 86 | ペナルティエリアでの得点感覚に優れたドゥブロヴニク出身のアタッカー。フルヴァツキ・ドラゴヴォリャッツでプレーした2004/05シーズン、2部リーグ最優秀選手となり、翌シーズンにカメン・イングラッドで13ゴールを上げるブレイク。2006年7月、ヘルタ・ベルリンのテストに合格し、移籍金50万ユーロで3年契約を結んだ。2007年8月、レンタルでオランダ・リーグのヘラクレスに移籍し、7ゴールを決める活躍。2008年8月に移籍金60万ユーロ、3年契約でカイザースラウテルンに移籍が決まった。 |
| Nikica JELAVIC | Rapid Wien(AUT) | FW | 1985/8/27 | - | - | 186 | 84 | 高さと跳躍力に優れたハイドゥク育ちのFW。2006/07シーズンにハイドゥクで出場機会を得るようになると、21試合で5得点。2007年5月の練習試合でA代表にも呼ばれた。同年6月にはベルギー一部のズルテ・ヴァレゲムに3年+1年オプション契約で移籍(移籍金50万ユーロ)。9月のアンデルレヒト戦では2ゴールを決めるなど活躍。2008年6月にラピッド・ウィーンにレンタル移籍した。 |
| Zvonimir DERANJA | Mouscron(BEL) | FW | 1979/9/22 | - | - | 173 | 76 | ゴール感覚に優れたFW。デビュー年の1998/99シーズンは13ゴールを挙げたが、以後は何度も怪我に泣き、成長も止まってしまった。2000/01シーズンでは後半戦に復帰してハイドゥクの優勝に貢献。2004年夏にハイドゥクとの契約が切れ、国外移籍を希望した中で、フランス二部のルマンに移籍して6得点を挙げた。しかし戦力外となり、2005年9月にハイドゥクに復帰。2006年6月にはフランス二部のLibourneと2年契約を結んだ。2008年1月にはベルギー一部のムスクロンに2年半契約で移籍。2006/07シーズンは18得点。1998年のU-18欧州選手権の大会ベストイレブン。2000年のU-21欧州選手権では彼の不在がシドニー五輪出場を遠ざけたともいえる。ニックネームは「ポパイ」。 |
| Dario ZAHORA | Rosenborg BK(NOR) | FW | 1982/3/21 | - | - | 178 | 76 | 左足の破壊力が特徴のファイタータイプのFW。左足でのセットプレーも任される。ブコバルで生まれ、ディナモ・ユースで成長。2000/01シーズンはニ部セスベッテにレンタルされて16ゴールをマーク。2001年5月にディナモに連れ戻され、正式契約を結んだ。2001/02シーズンは開幕スタメンで2ゴール、リーグ戦27試合14得点とチームのトップスコアラーとなった。2002/03シーズンはベンチに追いやられたが、2003/04シーズンは14得点でリーグ3位。22006/07シーズン上半期はスロベニア一部のコペールに、下半期はスラヴェン・ベルーポにレンタル。2007/08シーズンからはスロベニアのドムジャレにレンタル移籍し、22ゴールで得点王に。2008/09シーズンはインテルブロックにレンタル移籍し、得点王ランク1位のまま、シーズン途中にノルウェーの強豪、ローゼンボリに移籍した。1999年の静岡SBSカップで来日、2004年U-21欧州選手権でもプレー。 |
| Antonio FRANJA | FW/MF | 1978/6/8 | - | - | 180 | 75 | 「ドリブル・マイストーレ」と呼ばれる左利きアタッカー。ディナモのユースで10年過ごし、18歳の時にニュルンベルグへ。その後、バーゼルを経て1999/2000シーズンにフルヴァツキ・ドラゴヴォリャッツに。2000/01シーズンからNKザグレブに移籍。4-2-3-1システムの左ウィンガーとして大活躍した。右ウィンガーもこなせる。ボカ・ジュニオルスが獲得を狙っていたが条件面で折り合わず、2002年8月にトルコのブルサシュポールへ。2003/04シーズンに再びザグレブに帰還。2004/05シーズンはインテル、2005/06シーズンからポルトガルのビトリーアへ、2007年1月はシベニクに移籍。夏には韓国の全北現代に移籍した。 |
国内で活躍するクロアチアの選手 (未契約選手含む)
| Name | Team | Pos. | Birthday | Cap | Goal | cm | kg | Comment |
| Tomislav BUTINA | Dinamo Zagreb(HRV) | GK | 1974/3/30 | 28 | - | 191 | 86 | ハートの強さが愛されるクロアチア代表の正GK。ディナモ・ユースで育ち、ジュニア時代はサモボル、そしてトップデビューとなるスラベン・ベルーポ、カルロヴァッツでプレー。1993年からディナモのトップに登録されるが、常にラディッチの後塵を拝していた。2000/01シーズンから正GKとなって以来、その安定したセービングで評価はうなぎ登り、2001年に初めてA代表にピックアップされ、サンマリノ戦でデビューした。その献身的なプレー振りからBBBは特別な愛情を彼に抱いていたが、2003/04シーズンからクラブ・ブルージュ(3年契約)に移籍。ユーロ2004ではプレティコサの怪我で正GKとなった。2006年7月に代表引退を表明し、2006/07シーズンからオリンピアコスに移籍。出場機会に恵まれず、契約解除後、2008年5月にディナモと2年契約を結んだ。★★★ |
| Filip LONCARIC | Dinamo Zagreb(HRV) | GK | 1986/9/17 | - | - | 191 | 86 | 2006年9月の対ハイドゥク戦でいきなりトップチームでデビューすると、2006/07シーズンはディナモの守護神を務めた若きGK。まだミスが目立つとはいえ、肝心な場面ではスーパーセーブを見せる。問題はピッチ外での振舞いで、遅刻などで処分を受けることもしばしば。ディナモ・ユース出身。U-21の正GKを務めていたが、合宿所の抜け出しが発覚したことで外されている。2007/08シーズンは怪我で棒に振ったのち一度は戦力外になったものの、第3GKとして留まっている。 |
| Marin SKENDER | Osijek(HRV) | GK | 1979/8/12 | - | - | 189 | 88 | ポジショニングと反応が素晴らしく、また精神的にも安定したGK。現在のクロアチア・リーグで最も優秀なGKであり、ディナモも獲得を狙っていた。サポーターの支持も強く、2005/06シーズンにはオシエクで最も優れた選手に渡される「ダニエル・ポポヴィッチ賞」を受賞。2006年10月に代表初召集。 |
| Zeljko PAVLOVIC | Hrvatski Dragovoljac(HRV) | GK | 1971/3/2 | 7 | - | 186 | 76 | 安定したプレーが売りのGK。FW出身ということで、足元のプレーも正確。サラエボ生まれで、ゼリェズニチャールからディナモ、NKザグレブを経て96年からオーストリアのラスク・リンツへ。2001年4月にGK難に悩むアンデルレヒトが獲得(契約2年3ヶ月、移籍金50万マルク)。しかし控えに甘んじることが多く、2003年にオーストリア・ザルツブルグへと移籍。ここでもレギュラーが取れず2004年1月にケルンテン、その後はチロル・インスブルッグに移籍。2009年にはクロアチア二部のドラゴヴォリッツへ。代表は96年3月のイスラエルとの親善試合でデビュー。フランスW杯後に代表では控えGKとして招集されていた。 |
| Boris ZIVKOVIC | DF/MF | 1975/11/15 | 39 | 2 | 182 | 80 | ディフェンシブなポジションなら左右問わずボランチ、センターバック、サイドバックでプレー可能なユーティリティ・プレイヤー。バリッチ監督の下ではキャプテンも務めた。FKサラエボでキャリアをスタートさせ、1997/98シーズンにフルヴァツキ・ドラゴボリャッツからバイヤー・レバークーゼンに移籍。1999年11月のフランス戦で代表デビュー。2001年にはレアル・マドリッド移籍が噂されたが、バイヤーと契約延長した。環境を変えたいとのことで2003/04シーズンにポーツマスと3年契約を結んだが、馴染めずに2004年1月に退団。シュトゥットガルトと契約を結んだ。トラパットーニ監督の構想から外れ、2006年1月にケルンにレンタル移籍。2006/07シーズンはシュトゥットガルトに戻ったものの構想外。8月にハイドゥクと3年契約を結んだ。★★ | |
| Anthony SERIC | Hajduk Split(HRV) | DF/MF | 1979/11/15 | 15 | - | 182 | 77 | フランスW杯では最年少18歳でメンバー入りをした豪州シドニー出身の左サイドプレイヤー。どちらかというとディフェンシブ(SB)で、ストッパーも可能。ハイドゥクでユースを過ごし、W杯後にパルマと契約。同時にベローナへとレンタルされた。かつてはプレーが雑だったが、2001/02シーズンになってベローナでレギュラーを確保して能力を徐々に開花。守備と攻撃のバランスに優れた選手となった。2002/03シーズンはブレシア、2003/04シーズンはパルマ、2004/05シーズンはラツィオとクラブを替えたが、2005年7月にパナシナイコスがパスを買収し、2年契約を結んだ。2008年5月にはベシクタシュに移籍したものの、出場機会に恵まれずに契約破棄。2009年1月に古巣ハイドゥクと3年半契約を結んだ。3度に渡ってW杯で代表に選ばれているが、一試合も出ていない。ユーロ予選ではバリッチ監督を"田舎者"発言をしたため代表から外され、ビリッチ監督にも起用面で批判して追放された。★★★ |
| Igor BISCAN |
Dinamo Zagreb(HRV) |
DF/MF | 1978/5/4 | 15 | 1 | 190 | 80 | 本来はボランチやストッパーが本職だが、GK以外ならどのポジションもこなせるダイナミックなプレイヤー。ドリブルとミドルシュートも彼の魅力である。ディナモのユースで育ち、1999年の一年間でU21代表・B代表・A代表とステップアップ。2000年12月に移籍金550万ポンドでリバプールに移籍するも出場機会に恵まれず、レンタル移籍のオファーもクラブが拒否。2年以上に渡る飼い殺しが続いたが、2003/04シーズンはストッパーのポジションに定着。2004/05シーズンは本来のボランチで活躍し、CL優勝にも貢献した。リバプールとは契約更新ぎなく、2005/06シーズンにパナシナイコスに移籍。2007年夏、契約が終了したと共に現役を続行する希望がなく、引退かと思われたが、2007年12月にディナモと3年契約を結んだ。代表デビューは1999年6月の対マケドニア戦。2003年10月のブルガリア戦で2年振りに代表復帰したが、試合前日に合宿所から消えてしまったことで代表から追放処分に。 |
| Mario LUCIC | Varteks Varazdin(HRV) | DF | 1981/4/29 | - | - | 181 | 80 | 強烈なFKを得意とするDF。右MFやボランチとしてもプレー可能。チバリア・ヴィンコヴチでキャリアを始め、2004年、ディナモと4年契約を結んだ。U-21代表ではレギュラーのリベロであり、時には主将も務めた。2004年U-21欧州選手権の対ベラルーシ戦では見事なFKを決めている。ユーロ2004ではプラニッチと共に代表に帯同。2006年1月にディナモを戦力外となり、ヴァルテクスに移籍。6月にイスラエルのブネイ・イェフダに移籍。2006/2007シーズンはヴァルテクスに戻ったが、UFFAの指示でシーズン前半はプレーできずに終わった。 |
| Neven VUKMAN | Varteks Varazdin(HRV) | MF/DF | 1985/4/11 | 2 | - | 181 | 82 | ヴァルテクスのユースで育ったディフェンダー。足元にも優れ、ユーティリティな存在である。19歳でU-21代表にピックアップされ、リベロのポジションでプレー。またU-21代表では初めてボランチでもプレーし、ストッパーだけで起用していたヴァルテクス監督のブラジェヴィッチ(当時)が彼のプレーの幅に驚いたこともある。ブラジェヴィッチが2005年にハイドゥク監督へ就任したときは、ヴクマンの獲得を願ったが失敗している。2006年1月の香港におけるカールスバーグ・カップで代表に初選出された。2007/08シーズンは怪我のため一年プレーできず。 |
| Ivan REZIC | DF/MF | 1979/9/15 | 1 | - | 183 | 78 | ストッパー、センターバック、左右のサイドバック、アウトサイドMFをこなし、2003年にはFWのポジションすらこなしたユーティリティ選手。ソリン、ハイドゥクを経て1996年にヴァルテクスへ。一時、イタリアのインテルにテスト生として在籍したことも。2000/01シーズンにヴァルテクスのレギュラーに定着したが、2004年にブラジェヴィッチ監督と対立、ヴァルテクスで構想外となった。2004/05シーズンにオリンピアコスに2年契約で移籍したものの、半年で戦力外に。2006年1月にハイドゥクに加入。2006/07シーズンはマッカビ・テルアビブてど一シーズンプレー。その後は所属なし。2003年2月のマケドニア戦がA代表デビュー。モータースポーツ好きでスピード狂でもある。 | |
| Davor VUGRINEC | NK Zagreb(HRV) | FW/MF | 1975/3/24 | 28 | 7 | 180 | 75 | ドリブル・決定力だけでなくチャンスメークにも優れたアタッカー。A代表デビューは1996年4月のハンガリー戦。日韓W杯予選ではMFとしてレギュラーに定着し、アシスト、ゴールにと活躍。クロアチアではヴァルテクスでプレー(通算56ゴール)。その後、トラブゾンシュポールに移籍し、1998/99シーズンのトルコ・リーグMVPの投票では次点に選ばれた。2000/01シーズンにレッチェへと移籍して活躍。2003年1月にアタランタに移籍するもぱっとせず、2004年にセリエBのカターニャに移籍したが、ここでも実力を見せられなかった。2005/06シーズンはリエカに移籍したのが成功し、リーグ戦では15得点を決める活躍。2006年6月、ディナモに移籍。怪我に悩まされたとはいえ、いぶし銀の活躍をした。2008年6月には契約切れと共にザグレブに移籍した(2年契約)。★ |
| Ante TOMIC | Dinamo Zagreb(HRV) | MF | 1983/5/23 | - | - | 188 | 81 | ディナモのユーティリティMF。テクニックを備えた長い両足で守備・攻撃に絡む。10歳からディナモのユースチームでプレーし、17歳で2部のセスベッテに1年レンタル移籍。2001/02シーズンにディナモでトップデビュー、15試合にプレーした。翌季はブラジェヴィッチ監督のもとで出場機会を得られず、後半は2部のインケルでプレーして一部昇格に貢献。2003/04シーズンはディナモでレギュラーを獲得したが、足の怪我でシーズンを途中から棒に振った。その後もレギュラーが奪えないまま、2007年8月にギリシャ一部のクサンシにレンタル移籍。2008/09シーズンにディナモに復帰した。頭脳も明晰で、非常に優秀な成績で高校を卒業、ザグレブ大学経済学部にも通っていた。 |
| Maljan BULJAT | Hajduk Split(HRV) | MF/DF | 1981/9/22 | 2 | - | 187 | 73 | 安定した守備を売りとし、様々な戦術に対応するMF。右サイドが専門だが、ボランチでもセンターバックでもプレー可能。右足のセットプレーも得意。出身地のザダールでキャリアを始め、16歳でトップチームに昇格。18歳の時にリエカへと移籍し、その後はドイツ二部SpVgg Greuther Furthを経てオシエクに。オシエクでは右MFのレギュラーとして定着し、U-21代表にも選出。貴重なバックアップとして2004年U-21欧州選手権でもプレーした。オシエクとの契約が切れ、ディナモが2004年6月に4年契約で獲得した。2006年3月のアルゼンチン戦でA代表デヒュー、ドイツW杯では補欠ながらもチーム同行している。しかし、2007年1月にエドゥアルドのタックルで足首を骨折した以後はレギュラーを失い、2008年7月にライバルのハイドゥクに移籍を決意。4年契約を結んだ。 |
| Dario JERTEC | Hajduk Split(HRV) | MF | 1985/10/4 | - | - | 183 | 74 | プレー感覚とコンビネーション能力に優れたヴァルテクスのチャンスメーカー。縦へ抜けるスピードも兼ね備え、またピッチのあらゆる場所に顔を出す。また足技も巧み。ポジションはトップ下、もしくは右サイド。ヴァラジディンに生まれ、ヴァルテクスのユースで育つ。2005/06シーズンからレギュラーに定着。2006年8月にディナモが移籍金70万ユーロで獲得を狙うも、直前でサインを拒否。しかし、2007年1月に改めてディナモに移籍した。しかし、レギュラーに定着できず、2007年8月にリエカへレンタル移籍。その後はディナモを戦力外となり、移籍金40万ユーロで2008年6月にライバルのハイドゥクに移籍し、4年契約を結んだ。 |
| Srdjan ANDRIC | Hajduk Split(HRV) | MF | 1980/1/5 | 2 | 1 | 185 | 82 | 強烈な右足からのシュートと激しいマークが魅力の守備的MF。前への飛び出しも秀逸。1999年のワールドユースではゲームメイカーとして注目を浴び、1999/2000シーズンは二部のモソールへレンタルされるも途中からハイドゥクに呼び戻されてレギュラーに定着。2003/04シーズンはハイドゥクの主将としてリーグ優勝に貢献した。2004年夏にパナシナイコスと3年契約を結んだが、足の骨折などもあって出場機会に恵まれず、2007年夏に退団。ハイドゥクに復帰した。2002年のスロベニア戦が代表初デビュー。 |
| Goran RUBIL | Hajduk Split(HRV) | MF/DF | 1981/3/9 | - | - | 177 | 67 | 運動量とドリブルのスピードに優れたMF。ボランチのほか右サイドハーフ、右サイドバッグでプレーする。17歳の時にマルソニアからナントへ移籍、1999年12月のランス戦でデビュー。U-21代表としてチームの核となったが、2004年のU-21欧州選手権は怪我のため出場出来なかった。ナントとの契約は2005年まで残っているが、2003/04シーズンは2部のLavallois Mayenneにローンされた。2005年8月に年末までの契約でJ2の湘南ベルマーレに移籍。2006年からはリエカに移籍し、2007年1月にハイドゥクに移籍し、右サイドバッグで新境地を開いた。 |
| Anas SHARBINI | Rijeka(HRV) | MF | 1987/2/21 | - | - | 180 | 76 | リエカ・ユースで育ったファンタジスタ。まだ軽さはあるが、意外性のあるパス、スピードあるドリブル、威力あるミドルシュートを備えている。一部経験がわずか14試合、かつ20歳という年齢ながらも2007/08シーズン、ダリッチ監督が背番号10を与えて新キャプテンに任命されるや、頭角を発揮。攻撃力を売りとするリエカでアクセントとなるプレーをしている。U-21代表だが、扱いに不満を持つ合宿所に飛び出したことも。ユーロ2008では代表随行メンバーとなった。兄のアフマドはリエカのFW。父親はシリア出身のパレスチナ人、母親がクロアチア人のハーフである。 |
| Darko MILADIN | Rijeka(HRV) | MF/DF | 1979/4/1 | 1 | - | 180 | 76 | サイドに張り付くばかりでなく中央へ切れ込んでゴールへと絡む右サイドMF。右サイドバックやストッパー、また中盤でもプレー可。1998/99シーズンにはサポーターによるハイドゥク最優秀選手にも選ばれた。2000年U-21欧州選手権では右MFのレギュラーで、コリアカップの対韓国戦で代表初キャップ。2001年、バルセロナなどが興味を示していた最中に膝を怪我してしまい長期離脱。2005年1月にハイドゥクとの契約を切って、スイスの一部シャフハウゼンに半年契約で移籍。2005年8月には再びハイドゥクに復帰した。2007年からギリシャのOFIクレタに移籍。2008年7月にはリエカに移籍した。 |
| Hrvoje STROK | Rijeka(HRV) | MF | 1980/7/14 | - | - | 166 | 66 | 小柄でずんぐりむっくりした体格だが、自在な足技と巧みなドリブルでゴールまで突き進む攻撃的MF。ザグレブで生まれ育ち、ディナモのユースで成長するも、17歳で見切りを付けられて退団。以後はNKザグレブに移り、3部のトルニェで半年レンタルされたのちにNKザグレブとプロ契約。2001/02シーズンはジョーカー役に徹してNKザグレブ初優勝に貢献した。2003/04シーズンにはディナモへと復帰。CL予選マリボル戦ではチームを勝利へと導き脚光を浴びた。2005/06シーズンはインテルにレンタル移籍。2006/07シーズンは半年チームが決まらなかったあと、12月にリエカに1年半契約を結んだ。 |
| Miljenko MUMLEK | Varteks Varazdin(HRV) | MF | 1972/11/21 | 8 | 1 | 177 | 72 | 得点能力とクリエイティビティを兼ね備えるゲームメーカー。キャプテンシーもあり、セットプレーも得意。1998/99シーズンにヴァルテクスのカップ・ウィナーズ・カップ8強入りに貢献し、同シーズンは13得点でクロアチアリーグMVPに選出。1999年に本人の希望とヴァルテクスムの財政事情によりディナモへと移籍したものの、膝の怪我のため活躍できなかった。移籍金未払を理由にディナモを退団、2001/02シーズンからヴァルテクスに復帰してキャプテンとして君臨した。2003年8月にスタンダード・リエージュに2年契約で移籍。2005年9月に1年契約でスラヴェン・ベルーポに移籍し、中心選手として活躍。2007/08シーズンにヴァルテクスへと再び戻った。 |
| Srebrenko POSAVEC | Slaven Belupo(HRV) | MF | 1980/3/19 | 1 | - | 180 | 73 | 中盤ならどこでもプレーできる万能MF。ヴァルテクスのユースで育ち、18歳にはイタリアのインテルにテスト生として在籍。その後はハノーバー96を経て、スラヴェン・ベルーポに2000/01シーズンに移籍した。30m以上の距離から直接決められる強烈なミドルシュートやFKもある。2004/05シーズンの開幕前に膝の怪我のため何ヶ月も棒に振ったが、復帰後はリーグでも有数のMFとして活躍。海外移籍の話もあったが、2005/06シーズンからはヴァルテクスに復帰、2006年夏にトルコのAnkaragutcuに移籍したが、2007年2月にベルーポに復帰。2005年のオーストリアとの親善試合で初めてA代表に召集された。スロベニア国籍も所有。叔父はイラン前代表監督イヴァンコヴィッチ。 |
| Nikola SAFARIC | Slaven Belupo(HRV) | MF | 1981/3/11 | 3 | - | 169 | 66 | 運動量に長けたヴァルテクス・ユース出身のMF。公表169cmだが実際はもっと低く、リーグでもっとも小柄な選手の一人である。セットプレーやミドルシュートで見せる弾丸のようなキック力も魅力。ムムレクが移籍したのちヴァルテクスでレギュラーに定着。2004年からはチームのキャプテンを務めた。2004年U-21欧州選手権でも活躍し、2004年8月には初めてA代表に選出された。2006年のカールスバーグカップにも出場。2007年夏にはダリッチ監督に連れられてリエカへと移籍し、2008年夏にはスラヴェン・ベルーポに移籍して2年契約を結んだ。 |
| Zeliko SOPIC | Lokomotiva(HRV) | MF | 1974/7/26 | - | - | 187 | 87 | 強烈なミドルを持ったセントラルMF。1998/99シーズンにNKザグレブから3年契約で名門ボルシアMGに移籍。のち2000/01シーズンは二部のLRアーレンへ、2002/03シーズンにイスラエルのハポエル・ペタフ・ティクヴァに移籍したが、2003年10月に再びLRアーレンに戻った。2005年9月にザグレブに復帰。2006年6月にはスラベン・ベルーポに移籍し、チームの躍進に貢献した。2008/09シーズンから、ディナモの若手育成の場となる二部ロコモティーバに移籍。ベテランの立場で指導にあたっている。1998年にはU-23代表、1999年にはB代表にも選出されている。 |
| Mario GRGUROVIC | Inter Zapresic(HRV) | MF | 1985/2/2 | - | - | 182 | 76 | ハイドゥクが伝統的に生み出す、レフティの司令塔。守備力もあり、ボランチとしてもプレー可能。また左足からのFKも得意とする。ハイドゥクのユースで育ち、才能は早くから買われ2003/04シーズンにトップリーグデビュー。2005/06シーズン当初はレギュラーを確保したが、怪我もあって活躍できず。2006年6月にライバルチームのディナモに移籍するが、直ぐにメヂュムリエにレンタル。2007年1月からはプーラへレンタルされ、7月からはインテル・ザプレシップにレンタル。愛称は「グルガ」。前U-21代表。 |
| Jasmin AGIC | Croatia Sesvete(HRV) | MF | 1974/12/26 | 14 | - | 186 | 69 | 線は細いが、左足でのテクニックで存在感あるプレーを見せるMF。中盤ならばどこでもプレーが可能だが、ここ最近はアグレッシブな守備で新たな一面を見せた。イストラ半島のプーラでキャリアを始めたのちリエカに移籍。1998/99シーズンのリエカ旋風で貢献して名を挙げ、2000/01シーズンにリエカからディナモに移籍。2005年2月に韓国Kリーグの仁川に移籍した(3年契約、移籍金80万ユーロ)。2006年7月にディナモに復帰したものの冬には戦力外。2007年1月にオーストリアのパスチングに移籍し、夏からはケルンテンに。2008年1月には2部セスベッテへ。代表デビューは1999年3月の対ギリシャ戦。代表では追加召集のケースが多く、ユーロ2004では最終選考まで残ったものの落選。 |
| Renato PILIPOVIC |
Croatia Sesvete(HRV) |
MF/DF | 1977/1/14 | 1 | - | 185 | 78 | 本来は守備的MFだが、センターバックとしてプレー可能。リエカの中心選手として活躍し、2000/01シーズンにディナモへ。2年プレーしたが、給与未払のためディナモと契約破棄。オーストリアのケルンテンへと移籍するがチームに馴染まず、2003/04シーズンからNKザグレブへ。2004年夏からは所属クラブがなかったが、2005年7月にプーラに加入したもののシーズン当初で契約破棄、2部のセスベッテでプレーに1部昇格に貢献した。2000年のコリアカップ・対メキシコ戦でA代表初キャップを挙げている。2000年U-21欧州選手権でもプレー。 |
| Josip BALATINAC | Baranja Belje(HRV) | MF | 1979/3/7 | 1 | - | 170 | 69 | 強烈なミドルシュートが魅力であるゲームメーカー。トップ下もしくはセントラルハーフがポジション。オシエクで長くプレーし、キャプテンを務めた。2006年6月にオシエクとの契約が切れ、ハイドゥクに移籍したが、2007年2月に、未払給与を巡ってチームを退団。ハイドゥクとの係争で一年棒に振り、2008年1月に二部のフルヴァツキ・ドラゴヴォリャッツと契約。半年後には4部リーグのバラニャと契約を結んだ。1ナイジェリア開催の1999年のワールドユースでは背番号10をつけ、レギュラーとしてプレー。U-21クロアチア代表でもプレー。2006年1月の香港におけるカールスバーグ・カップで代表に初選出された。 |
| Dalibor VISKOVIC | Pomorac(HRV) | MF | 1977/1/6 | - | - | 178 | 73 | スロベニアのコパール生まれのMF。左サイドならDFもこなす。リエカでキャリアを築く中、幾つかのクラブが獲得を目指したものの実現せず、チーム退団後の2003年8月にスラヴェン・ベルーポと2年契約を結んだ。2004年にディナモが獲得に向ったが失敗している。2006年1月にイスラエルのハポエル・ペタフ・ティクバと契約を結んだ。2006年8月に1年契約でセリエBのヴィチェンツァに移籍。2009年にはクロアチア二部のポモラッツに。2000年のU-21欧州選手権・対チェコ戦では左アウトサイドでスタメン出場を果たした。 |
| Filip TAPALOVIC | MF/DF | 1976/10/22 | 3 | - | 183 | 81 | ボランチもしくはストッパーでプレーする守備的なユーティリティプレイヤー。ヘルツェゴビナのネウム出身。ボーフム、シャルケに所属したのち1860ミュンヘンでレギュラーを獲得。地味な職人タイプの選手ではあるが、1999/2000シーズンの第8節ブレーメン戦で60m以上をドリブルで独走しゴールを決める離れ業を遣り遂げている。ボスマン移籍で2002/03シーズンから3年契約で古巣のボーフムに復帰。2005/06シーズンからはオーストリア一部のチロル・インスブルックへ、2007年1月にはブンデス2部のカールツァイスに1年半契約で移籍。2008年7月にはリエカに1年+1年オプションで契約したものの、出場機会なく退団。2002年5月のハンガリー戦がA代表デビュー。 | |
| Tomislav GONDZIC | MF | 1980/4/30 | - | - | 173 | 79 | トップ下でのプレーを得意とするチャンスメーカー。16歳でインケルでデビュー、後に同チームのミキッチと共にディナモに引き抜かれた。1999/2000シーズンは二部セスベッテにレンタルされ経験を積み、2000/01シーズンの開幕戦ではディナモでの初ゴール、17節ではハイドゥク戦で決勝ゴールを決めた。2001/02シーズンは起用に恵まれず、ザダールにレンタル移籍、2002/03シーズンも引き続きザダールでプレー。2003/04シーズンに古巣インテルに完全移籍。2006/07シーズンからオーストリアのウエイツでプレーし、2008年以降は所属クラブなし。1999年、静岡SBSカップでも司令塔として活躍。 | |
| Tomislav SOKOTA | Dinamo Zagreb(HRV) | FW | 1977/4/8 | 8 | 2 | 184 | 79 | ポストプレーをソツなくこなし、自らドリブルでチャンスメークするなど幅広い能力を持つFW。攻撃的MFでもプレーでき、中距離からのFKも得意。ディナモのユースで育ち、1999/2000シーズンは21得点、2000/01シーズンは20得点で2年連続クロアチアリーグ得点王に輝いた。2001年に4年契約でベンフィカに移籍(移籍金500万マルク)し、同年9月にはA代表に初選出されながら直前にアキレス腱を断裂。手術とリハビリを重ねて2002年11月にカムバック。2003年11月の欧州選手権プレーオフ第2戦の対スロヴェニアで代表初デビュー初スタメンを果たし、決勝点のアシストを送った。ベンフィカとは契約延長が折り合わず、2005年の契約切れと共に退団。ライバルチームのポルトと4年契約を結んだ。2007年3月、ポルトとの契約を打ち切り、ディナモに復帰(3年契約)。愛称は「Tomo」。★ |
| Nino BULE | Lokomotiva (HRV) | FW/MF | 1976/3/19 | 3 | - | 187 | 81 | ガンバ大阪にも在籍した日本でもおなじみのFW。大柄な割には足元でのボールプレーに定評があり、右MFとしても正確なクロスと献身的な守備をこなす。ボスニアのチャプリナ出身で、NKザグレブを経て2000年7月にガンバ大阪へ。しかし2002年に西野監督の構想から外れて、ハイドゥクへと移籍した。2003/04シーズンのリーグ優勝に貢献し、2004/05シーズンからはオーストリアのパスチングに移籍したものの、監督と合わずに2005年2月にザルツブルグにレンタル。2005/06シーズンからはアドミーラと1年契約を結んだ。2006/07シーズンは2年契約でリエカへ。2008/09シーズンはインテル・ザプレシッチで半年プレーしたのち、2009年1月にギリシャ一部のパンセライコスに移籍。2009/10シーズンからは一部初昇格を果たしたロコモティーヴァに加入した。フランスW杯でも代表候補30人に選ばれており、1999年コリアカップで代表初キャップ。2002W杯予選には出場機会を求めてボスニア代表を選択が、FIFA通達でボスニア代表でのプレーは却下された。 |
| Josip TADIC |
Dinamo Zagreb(HRV) | FW | 1987/8/22 | - | - | 184 | 74 | 17歳にして才能を開花させている期待のFW。まだ細さはあるが、相手をまどわす動きと得点感覚に優れている。トップ下でもプレーは可能。クロアチア・ジャコボでキャリアをはじめ、2001年にオシエク・ユースへ。2004/05シーズンにオシエクのレギュラーに定着し、リーグで7ゴールをマーク。18歳になるまでオシエクはプロ契約を控えていたが、才能を見込んだバイヤー・レバークーゼンが彼に接触。移籍金に関して揉めたものの、2005年に3年契約を結んだ。ただし出場機会に恵まれず、2007年1月にディナモが移籍金28万ユーロ、4年半契約で移籍した。現U-21代表。 |
| Tomislac BUSIC | Hajduk Split(HRV) | FW | 1986/2/2 | - | - | 187 | 80 | ポジショニングと天性の得点感覚を持つハイドゥクのゴールゲッター。泥臭い得点だけでなく、アシスト能力もある。2004/05シーズンに出場機会を得ると、途中交替や怪我が多かったにもかかわらず11ゴールとチーム得点王となり、ハイドゥクのリーグ優勝に貢献した。怪我がちなのが欠点。2007年夏にルーマニア代表MFチェルナトとのトレードでディナモ・キエフにレンタル移籍したものの、出場機会がまったく与えられず半年でハイドゥクに復帰。現U-21代表。 |
| Bojan VRUCINA | Slaven Berupo(HRV) | FW |
1984/11/8 |
- | - | 180 | 77 | キック能力の高さからシュートレンジが広く、FKも得意とするFW。ヴァラジディンに生まれ、2003/04シーズンにスラヴェン・ベルーポでトップデビュー。2005/06シーズンには8得点、2006/07シーズンは11得点とコンスタントに活躍し、2007/08シーズン後半はレンタルで当時ブンデス一部のデュイスブルクに移籍。しかしクラブは二部に降格し、買取オプションは実行されないままベルーポに戻ると、2008/09シーズンはゴールを量産。アウェーで得点が決められないのが欠点だが、それでも得点王争いを続けている。2009年4月のアンドラ戦でFW陣が次々と離脱したことを受けて、A代表初召集を受けた。 |
| Ahmad SHARBINI | Rijeka(HRV) | FW | 1984/2/12 | - | - | 183 | 75 | 2005/06シーズンにブレイクしたリエカ・ユース出身のストライカー。ペナルティエリアでの得点感覚に加えて、アシストも可能。シーズン途中にクルパンからレギュラーを勝ち取ると、後半戦も新加入のドイツ代表ボビッチにポジションを脅かされることなく、リーグ3位の15得点を決めた。2006/07シーズンもリーグ2位の21ゴールを決め、2007年5月にUAEのドバイにあるアル・ワドハに移籍(移籍金80万ドル、年俸55万ドル、一年契約)。そこでは満足な活躍ができず、契約解消後は2008年2月にスイス一部のルツェルンに移籍したものの5ヶ月で退団。2008年6月にリエカと2年契約を結んだ。父親はシリア出身のパレスチナ人、母親がクロアチア人のハーフ。弟のMFアナスもリエカに所属。 |
| Zoran ZEKIC | Moslavina(HRV) | FW | 1974/4/29 | - | - | 184 | 82 | 強靭な身体と、パンチ力あるシュートが売り物とする遅咲きのFW。強烈なFKも武器。オシエクでキャリアを始めたが、トップチームでプレーすることなく、チバリアに移籍。ブンデス3部のプフレンドルフ、サラエボを経て2000/01シーズンにクロアチア二部のカメン・イングラッドへ。25ゴールで得点王となり一部昇格に貢献すると、2001/02シーズンはザダールで13得点。2002/03シーズンにカメン・イングラッドに戻って14得点を決め、オフにマッカビ・ハイファと移籍するも出場機会に恵まれず契約解除。2004/05シーズンからはディナモに移籍したが、レギュラーが取れずに冬からインテルにレンタルされ、リーグ2位の好結果に貢献した。2005/06シーズンからはリエカに在籍したものの、2006年1月に退団しインテルに復帰。2006/07シーズンはチバリアへ。2007年夏には二部のイストラ、2008年にはセゲスタ、2009年にはモスラヴィナに移籍した。2003年10月のブルガリア戦で代表初召集されたが、出場はなし。 |
| Veldin KARIC | FW | 1973/11/16 | 3 | - | 181 | 81 | 国内リーグで活躍するベテランFW。チャンスメークにも長け、曲者的なプレーが特徴。本人はパパンのようなプレースタイルを目指しているとか。1991年にゼリャズニチャールでプロとなり、ノビサド、マルソニア、トリノ、ルガノ(スイス)を経て1997年からヴァルテクスへ。2004/05シーズンはヴァルテクスの戦力外となり、ディナモに加入したが結果を残せずに退団。2005年8月にインテルに加入した。2007年夏には二部マルソニアに移籍するも直ぐに退団し、3部のオリオリクに移籍。2001年にはB代表に選出。同年11月には韓国遠征でA代表デビューした。 | |
| Jurica VUCKO | FW/MF | 1976/10/8 | 4 | - | 183 | 75 | FWでありながら、1.5列目もしくは右サイドでのプレーを得意とするアタッカー。ハイドゥクで37得点を決めたのち、2000/01シーズンにアラベスに4年契約で移籍。スーパーサブとして活躍したが、2001/2002シーズンは出場機会を得られず。2002/03シーズンはサラマンカにレンタルされ、2003/04シーズンからは再びアラベスへ。2004/05シーズンからはスペイン二部のポリ・エイードに移籍した。2006年8月にハイドゥクに2年契約で復帰。2007年3月には中国リーグの天津康帥傅に1年契約で移籍した。1998年の対マルタ戦で代表デビューしたが怪我のため早々と退場。2000年のスペインでの親善試合では実力の片鱗を見せた。 |
引退した有名選手 (身長と体重は現役当時)
| Name | Pos. | Birthday | Cap | Goal | cm | kg | Comment |
| Drazen LADIC |
GK |
1963/1/1 | 59 | - | 185 | 87 | クロアチア独立以来、代表とディナモの守護神として活躍したGK。近距離のシュートやPKの反応が鋭く、フランスW杯では数々のスーパーセーブを披露。クロアチア北部のチャコヴェツ出身。ヴァルテクス、イスクラ・ブゴイノを経て1986年にディナモへ。ディナモの守護神として802試合守った。出場記録はリーグ最高記録。代表はクロアチアとしての1戦目となる1990年11月のアメリカ戦に出場し、2000年5月のフランス戦を最後に現役を引退した。59試合59失点。ユーゴ代表としても2試合出場(1991年)。ゴルフの腕前はプロ級で、引退後はゴルフに明け暮れていたが、オットー・バリッチ新監督のもとで代表GKコーチを務めた。現在はU-21クロアチア代表監督。 ★★ |
| Marijan MRMIC | GK | 1965/5/6 | 14 | - | 180 | 79 | トルコのべジクタシュをはじめ海外でも活躍したGK。ジェリェズニチャール、チバリア、ヴァルテクスでプレーしてから、ベジクタシュへ。1999年にベルギーのシャルルロアと3年契約を結んだが、のちに財政事情によりチームを離れ、それを機会に現役引退。引退後はザグレブのサッカー・アカデミーで学び、ヴァルテクスのGKコーチ、U-21クロアチア代表コーチを経たのち、現在はヴァルテクスGKコーチとクロアチア代表のGKコーチを兼任している。★★ |
| Tonci GABRIC | GK | 1961/3/11 | 9 | - | 186 | 81 | 長きに渡って代表の最年長として君臨したハイドゥク・スプリトのGK。若手の台頭もあって1998/99シーズンを最後にハイドゥクを引退し、GKコーチに就任。2001/02シーズンはハイドゥクのGKが手薄になったことから第3GKとして一時、現役復帰した。現在もハイドゥクのGKコーチ。息子のドラゴはハイドゥクのトップチームに所属するMF。★ |
| Vladimir VASILJ | GK | 1975/7/6 | 2 | - | 190 | 85 | フランスW杯、日韓W杯共に第3GKとして登録された実力派GK。ドイツ・ハノーバー生まれ。98年5月の対スロバキア戦でA代表デビュー。フランスW杯後にフルヴァツキ・ドラゴヴォリャッツからディナモに加入するも、出場機会の少なさから常に移籍を希望し、2001/02シーズンにNKザグレブへと移籍、レギュラーとして安定した守備を見せてリーグ優勝に貢献した。2002/03シーズンからヴァルテクスに移籍。ユーロ2004ではプレティコサの怪我で代表召集。2004/05シーズンにディナモに移籍。2005/06シーズンにはトルコ・リーグのコンヤシュポールと3年契約を結んだもののレギュラーになれず、ボスニア・ヘルツェゴビナのシロキ・ブリイェグへ。怪我もあって2008/09シーズンに現役を引退。現在はメヂムリエにてスポーツセンターを経営。★★★ |
| Zvonimir SOLDO | DF/MF | 1967/11/2 | 61 | 4 | 189 | 85 | ボランチ、ストッパーだけでなく、リベロも無難にこなす守備のスペシャリスト。若い時期は芽が出なかったが、1992年にインケル・ザプレシッチで国内カップで優勝。その後はディナモ・ザグレブを経て、ユーロ96の大会後にシュトゥットガルトに移籍し、のちにキャプテンとして若いチームを引っ張った。CLに出場した2002/03シーズンを最後に現役引退を考えていたが、衰えの知らない彼をシュトゥットガルトが引き留め、2006年まで契約延長。LAギャラクシーからオファーがあったものの2006年夏を最後に引退した。代表デビューは94年のスロバキア戦。日韓W杯ではイタリア戦で負傷し、エクアドル戦を欠場したのが敗戦の原因とも。クロアチア代表は日韓W杯後に引退。2006年からケルン体育大学でコーチライセンス取得し、2007年にディナモ・ユースのコーチを経たのち、2008年1月よりトップチームの監督に就任。リーグとカップの両方を制したが、フロントとの方向性が合わずに辞任。★★★ |
| Igor TUDOR | DF/MF | 1978/4/16 | 54 | 3 | 192 | 90 | ポテンシャルはあるものの、常に怪我で悩まされたディフェンダー。ストッパーだけでなく、右サイドバック、ボランチでプレーする器用さがあった。ハイボールに強く、フィードも正確、特にCKからのヘディングシュートはチームの得点源。フランスW杯後にハイドゥクからユベントスに4年契約80億リラで移籍し、2000/01シーズンは25試合6ゴールで、伊グエリン紙のベスト11に選出。2001年にはクロアチア最優秀選手に選ばれた。その後は度重なる怪我に泣かされ、2002年にはスクデットを決めた最終節で怪我が再発し、ワールドカップ出場を見送った。ユーロ2004では相次ぐミスに国民の怒りを買った。2005年1月にシエーナに半年レンタル。2005/06シーズンは国外移籍の可能性もあったが、再びシエーナにレンタル移籍。2006/07シーズンは右足首の怪我で棒にふり、2007/08シーズンにハイドゥクに復帰したものの、左足首に続いて右足首も痛めてしまい、2008年7月に30歳という早さで引退を表明した。現在はコーチライセンスを取得中。 ★★★ |
| Igor STIMAC | DF | 1967/9/6 | 53 | 2 | 186 | 82 | ハードなタックルを得意としたリベロ。メトコビッチ、ハイドゥク、カデシュを経て、ダービー・カウンティ、ウェストハムで活躍。2001年にハイドゥクに出資してフロント入りし、また主将としてプレーしていたが、2002年4月に怪我を理由に引退を発表した。1987年ワールドユースの優勝メンバーで、早くにクロアチア代表入りするも、ユーロ96準々決勝の退場で敗北に繋がった。以後は長く代表候補を外されたが、フランスW杯ではリベロとして再び活躍。思想が似通ったブラジェヴッチ監督が退陣すると精神疲労を理由に代表引退した。しかしのちにスコットランド戦でも再召集されている。引退後はハイドゥクのスポーツディレクターを務めたものの、一時的に成績不振で辞任したものの直ぐに復帰。2004/05シーズン最後は監督に就任して何とかハイドゥクは優勝。現在は再びスポーツディレクターに戻っている。国内では暴力事件をはじめとするトラブルを頻繁に起こし、また代理人ビジネス、サッカーくじ経営なども展開。出資仲間だったビリッチ、ボクシッチ、アサノヴィッチとは決裂し、裁判で係争した。2005年9月に成績不振でハイドゥクのスポーツディレクターを辞任。のち、2006年3月から6月までチバリア・ヴィンコヴチ監督を務めた。今は解説者を務めながら、2007年4月にハイドゥクのフロントに復帰し、6月にはクロアチア一部リーグ協会会長に選出。 ★★ |
| Nicola JERKAN | DF | 1964/12/8 | 31 | 1 | 189 | 82 | 精神力に優れ、初期のクロアチア代表のDF陣を統率したリベロ。ハイドゥク出身であり、1990年から2001年に引退するまで国外でプレーした。在籍したクラブはオビエド、ノッティンガム、ラピッド・ウィーン、シャルルロア。2000/01シーズンにシャルルロア。監督のライセンスを取得し、これまでの海外経験を活かして現在はイングランドの有名な代理人企業"アカデミー・コンサルティング"で働いている。★ |
| Dubravko PAVLICIC | DF | 1967/11/28 | 22 | - | 186 | 80 | 1987年のワールドユースのユーゴ優勝メンバーの一人であるセンターバック。マークにもカバーリングにも優れ、攻撃参加も得意。スペインリーガのサラマンカで長くプレーしていたが、2000/01シーズンに二部のRacing Ferrolでプレーして引退した模様。99年4月のスペインとの親善試合でキリンカップ以来2年振りに代表招集された。★ |
| Goran JURIC | DF | 1963/2/5 | 16 | - | 178 | 75 | レッドスター在籍時代にはユーゴ代表でもプレーし、34歳でクロアチア代表に初選出されたリベロ。糖尿病を抱えながらも、経験を活かしたプレーが持ち味だった。4年間はスペインのセルタでもプレー。2000年に長く活躍してきたディナモを離れて来日、横濱Fマリノスで3ヶ月間プレーした。契約満了と共に帰国後、10月末にNKザグレブと契約。シーズン終了と共に引退した。現在は代理人ビジネスをしている。★ |
| Elvis BRAJKOVIC | DF | 1969/6/12 | 8 | 2 | 187 | 81 | テクニックにも優れ、平静さと勇敢さを併せ持つディフェンダー。99年にハイドゥクからメキシコリーグのサントス、アトランテ、イスラエルリーグのHapoel Petah-Tikvaを経て、01/02シーズンからリエカに移籍。そして2002/03シーズンからから二部ポモラッツに在籍した。EURO96代表時は1860ミュンヘンでプレー。★ |
| Tomislav RUKAVINA | MF/DF | 1974/10/14 | 5 | - | 177 | 72 | あらゆるポジションが可能なユーティリティ・プレイヤー。左右両足からの正確なセンタリングが特徴で、ディフェンス能力が高い。主なポジションは右MF、リベロ。1999/2000シーズン途中、ディナモからベネツィアへ移籍(3年半、移籍金600万マルク)。ベネチアでは怪我や監督との不和もあったりして出場機会に恵まれず。2003/04シーズンからユース世代を過ごしたハイドゥクに移籍、リベロとしてリーグ優勝に貢献した。2005/06シーズンはオシエクに在籍した。代表デビューは96年2月のポーランド戦。2009年3月にはディナモのアシスタントコーチに就任。 |
| Damir MILINOVIC | DF | 1972/10/15 | 4 | - | 189 | 87 | 高さを活かした安定した守備が売りのDF。1997年に半年間だけディナモに在籍以外は故郷のリエカで長くプレーし、2000/01シーズンにはボーフムに移籍。しかし翌シーズンにはリエカに戻り、シーズン途中からNKザグレブに加わってリーグ優勝に貢献した。2003年1月、給与未払のたためらNKザグレブと契約を解除、古巣リエカを経て2004年にディナモへ。しかし年俸削減に同意せず退団。2005年2月にザルツブルグに移籍、7月にクロアチア二部のポモラッツを経て、2008年2月に引退。代表初キャップは97年6月キリンカップの対トルコ戦。フランスW杯後にはよく代表へと招集されていたが、パルチザンとのCL予選でリエカが大敗したことでチーロに愛想を尽かされてしまった。引退後はコーチライセンスを取得し、現在はポモラッツの監督。 |
| Josip BULAT | DF/MF | 1972/3/18 | 1 | - | 180 | 78 | 右サイドバックが本職だが、右ウィング、ボランチでもプレー可能なユーティリティプレイヤー。1997/98シーズンにシベニクからハイドゥクに移籍したが、2000年8月に自由契約となりNKザグレブと2年契約を結んだ。2001/02シーズンはザグレブのキャプテンとしてチームを優勝へと導き、2002/03シーズンからトルコのブルサシュポールへと移籍。2003/04シーズンはリエカ、2004/05シーズンは二部のシベニクでプレーし、2006/07シーズンの一部復帰に貢献。2008年の引退まで同チームでプレーした。コリアカップの対メキシコ戦においてリベロのポジションでA代表デビュー。 |
| Andrej PANADIC | DF | 1969/3/9 | - | - | 188 | 83 | 名古屋グランパスでもプレーした屈強なDF。17歳でラドニクからディナモに引き抜かれて頭角を現し、21歳の時のイタリアW杯ではユーゴ代表メンバー。1994年までディナモでプレーし、ブンデス二部のケムニッツ、ユルテインゲンに在籍。1998年からハンブルガーSVで活躍、二年連続でベストイレブンに選ばれた。2002年にシュトゥルム・グラーツを経て名古屋グランパスへ移籍し、DF陣を統率した。2004年8月、怪我を理由に一方的に解雇通告。2005年1月にケルンテンのテストを受けたが、怪我のため現役引退を決めた。ユーゴ代表として3試合プレー。1999年に初代表入りの話もあったが、ブラジェヴィッチ監督から年齢を理由に外された。引退後はスポーツセンターを経営しながら、監督ライセンスを取得。2006/07シーズンに3部のラドニクの監督に就任したものの、2007年4月に成績不振の責任を取って辞任。2008/09シーズンからはオーストリア一部のLASKリンツの監督に就任したが、成績不振のためシーズン中に解任された。 |
| Branko HUCIKA | DF/MF | 1977/7/10 | - | - | 182 | 76 | 湘南ベルマーレにも在籍したDF/MF。ボランチとセンターバックが本職。1994年にディナモ・ユースに加入、1997年にフルヴァツキ・ドラゴヴォリャッツへ移籍して活躍。1999年9月、韓国Kリーグの蔚山現代に移籍し、2000年6月からJ2の湘南ベルマーレに半年間レンタルされた(登録名フチカ)。のちに蔚山現代へ復帰。2001/02シーズンは国内リーグのチャコベツでプレー。2002/03シーズンからハンガリーのギョールに移籍。03/04シーズンにはNKザグレブ、04/05シーズンはTampines Rovers(シンガポール)、05/06シーズンからはポーランド二部のワルシャワでプレー。現在はFIFA公認の代理人を務めている。 |
| Niko KOVAC | MF | 1971/10/15 | 83 | 15 | 176 | 72 | 運動量が豊富で、戦術能力も高い中盤のファイター。キャプテンシーに優れ、ボバン以来の存在感あるキャプテンとして君臨した。ディフェンスの穴を埋めるカバーリング能力に長け、身長の割にはセットプレーでのヘディングも得意。2004年からは代表でキャプテンマークを付け、2006年W杯、2008年ユーロに出場した。ベルリンに生まれ、ラピッデ・ウェディング、ヘルタ・ゼレンドルフ、レバークーゼンと移籍し、1996年12月の対モロッコ戦で代表デビュー。フランスW杯は膝の怪我で出場出来なかったが、99年にハンブルガーSVへ移籍するとCL出場権獲得に貢献し、代表にも再びピックアップ。2001/02シーズンにはバイエルン・ミュンヘンに移籍し、日韓ワールドカップのメンバーにも名を連ねた。2003年に出場機会を求めてヘルタ・ベルリンに移籍。2006年6月にレッドブル・ザルツブルクに移籍。しかし3シーズン目は出場機会に恵まれず、2008年末に代表引退を発表し、2009年5月に現役引退を発表した。★★★★ |
| Robert JARNI | MF/DF | 1968/10/26 | 81 | 1 | 180 | 77 | 100m11秒というスピードで左サイドを駆け上がり、正確なクロスを放ったサイドアタッカー。代表では最多キャップ81を誇る。イタリアW杯はユーゴ代表の一員として参加。ハイドゥクで活躍したのちイタリアに渡ってバーリ、トリノ、ユベントスでプレー。その後はベティスで活躍し、レアル・マドリッドへ。トヨタカップ優勝を経験した。1999/2000シーズン途中に2部ラス・パルマスに移籍して1部昇格を果たすも、年俸の高さから戦力外通告。2002年1月末にパナシナイコスに移籍したが、レギュラーは取れず翌年には戦力外に。日韓W杯出場後はクラブが見つからず現役を退くこととなったが、フットサル選手(ガスペロフ・スプリト所属)へと転向し、フットサル・クロアチア代表のメンバーともなった。監督ライセンスを取得後、2007年夏からハイドゥクのユースコーチに就任し、8月からはトップチームのアシスタントコーチ、11月には監督に昇格したものの、満足な成績を残せずにシーズン終了に解任。 ★★★ |
| Aljosa ASANOVIC | MF | 1965/12/14 | 62 | 3 | 186 | 82 | その頭脳的なプレイから「プロフェッサー」とも称された左利きのパサー。ユーロ、W杯では数々の決定機を演出し、シュケルの得点を何度もサポートした。クロアチア代表の最初の試合となる対アメリカ戦でクロアチア初ゴールを挙げた選手でもある。古巣ハイドゥクを振り出しに、カンヌ、モンペリエ、メツ、ダービー・カウンティ、ヴァリャドリッド、ナポリ、パナシナイコス、オーストリア・ウィーン、シドニー・ユナイテッドでプレーした。2001/02シーズンはシドニーからレンタルという形でハイドゥクに入ったが、体力的に限界を感じ、2001年12月に引退試合をシドニーで迎えた。監督アカデミーを卒業し、2004年にU-21代表アシスタントコーチ、現在はクロアチア代表のアシスタントコーチを務めている。代表時代の回想を綴った「Vatreni lakat」という本も出している。★★ |
| Zvonimir BOBAN | MF | 1968/10/8 | 51 | 12 | 183 | 79 | 司令塔と、キャプテンとして長い間代表を引っ張ったクロアチアの英雄。ディナモ・ユースで育ち、1987年はユーゴの一員としてワールドユース優勝に貢献。1990年5月ディナモ対ズベズタ戦での乱闘に加わったことでイタリアW杯は棒に振るが、1991年にミランへと移籍。1年目はバーリにレンタルされたが、以後はミラン一筋でプレーして、4度のスクデットをもたらした。2000/01シーズンはルイ・コスタの加入もあって、セルタにレンタル移籍されたが、2001年10月、出場機会の少なさを不満に現役引退へと踏み切った。代表については後進に道を譲るため1999年11月のフランス戦をもって引退。2002年10月7日には大々的な引退試合を敢行した。引退後にザグレブ大学歴史学科を卒業、今は大学院生。また2006年に国内スポーツ紙のスポルツケ・ノヴォスティ紙の社長に就任。他にもUEFAやイタリア放送局の仕事をこなしている。 ★★ |
| Robert PROSINECKI | MF | 1969/1/12 | 49 | 10 | 183 | 85 | その独特なテクニックで1987年ワールドユースでMVPに輝き、1991年にはレッドスターをチャンピオンズカップ優勝、トヨタカップ優勝へと導いた「バルカンの黄金銃」。W杯史上唯一、2つの代表にてゴールを挙げた選手でもある。1991〜94年にレアル・マドリッド、94〜95年はオビエド、95〜97年はバルセロナ、また97年にはセビージャでプレーしたが怪我に泣いた。1998年からはディナモでプレー。2000年にディナモから戦力外通告を受け、フルヴァツキ・ドラゴヴォリャッツへ。更にスタンダール・リエージュを経て2001/02シーズンはイングランド1部のポーツマスに移籍。2002/03シーズンに現役引退を仄めかしたが、オリンピア・リュブリャナと1年契約を結び、スロベニアリーグ前期の最優秀選手に選ばれた。2003/04シーズンにNKザグレブでプレーしたのち現役引退した。クロアチアで長きに渡ってプレーしたことで、ヴァトレニの中でも彼の国民人気は非常に高い。2004/05シーズンはザグレブのスポーツ・ディレクターを務めたものの、個人的事情で退職。現在はクロアチア代表のアシスタントコーチ。★★★ |
| Mario STANIC | MF/FW | 1972/4/10 | 49 | 7 | 187 | 82 | あらゆるポジションを高レベルでこなしたユーティリティ・プレイヤー。代表では主に右アウトサイドでプレーしたが、FW、攻撃型MF、SBとしても質の高いプレーをこなした。サラエボ出身で10歳にジェリェズニチールへ入団。17歳でリーグデビューし、1992年にはディナモへ。1993年から国外に渡り、スポルティング・ヒホン(1993/94)、ベンフィカ(1994/95)、ブルージュ(1995/96)と渡り歩き、1996年から2000年に在籍したパルマで最も活躍。2000年にチェルシーに移籍するも右膝の故障に悩まされて3度の手術を行い、残り1年の契約を残したまま怪我を理由に2004年7月に引退を発表。ブルージュ在籍時にはベルギー・リーグ得点王に輝いている。またW杯でクロアチア代表チームの最初のゴールとなる得点をジャマイカ戦で挙げている。現在はザグレブで悠々自適な生活を送りつつ、建設会社を経営している。★★★ |
| Milan RAPAIC | MF | 1973/8/16 | 49 | 5 | 182 | 78 | 巧みなドリブルと強烈なシュートを得意とする左サイドのチャンスメーカー。左足からのクロスボールとセットプレーは折り紙付き。国内でも「Mika」の愛称で人気が高い。ハイドゥクで活躍したのち、1996/97シーズンにペルージャに移籍し、セリエA昇格の原動力となった。2000/01シーズンにペルージャからフェネルバフチェに移籍。その年に優勝に貢献し、最優秀外国人選手とアシスト王を獲得した。しかしローラント監督就任後は出場機会に恵まれず、2003年1月にフェネルバフチェとの契約を解除。2月にハイドゥクと契約し、救世主的な活躍を見せた。2003/04シーズンはクラブが決まらないまま代表でプレーするなど苦しい時期が続いたが、10月末にアンコーナに移籍。アンコーナ破産ののち、2004年11月にスタンダールと半年契約を結ぶも、2005年7月に移籍許可を巡って退団を希望。11月に2007年まで契約延長してチームに復帰。クラニチャール監督には干されたが、ビリッチ監督が率いた2006年8月のイタリア戦で代表復帰する。しかし、2007/08シーズンが始まっても所属クラブを決めず、2008年2月にはハイドゥクとも交渉決裂。残りシーズンを二部のトロギルでプレーし、現役引退した。★★ |
| Danijel SARIC | MF | 1972/8/4 | 30 | - | 178 | 72 | 右アウトサイドで精度の高いプレーをこなすMF。サイドバックも可能。フランスW杯では最終選考でメンバー落ちしたものの、以来は代表の貴重な控えとして定着し、30キャップまで重ねた。リエカでキャリアをはじめ、1993年から2年間、スペインのスポルティング・ヒホンに在籍。その後はディナモに加入し、黄金期を支えた。2000/01シーズンにパナシナイコスに移ったが(移籍金250万マルク)、2002/03シーズンを終えて戦力外に。その後は古巣のリエカに復帰してキャプテンを務めたが、2007年夏に退団。そのまま引退となった。コーチ・アカデミーに通いながら、不動産投資を始めたとも。★ |
| Krunoslav JURCIC | MF | 1969/11/26 | 19 | - | 188 | 83 | 空中戦に強いことから「プロペラ」と称されたボランチ。後年はセンターバックをこなした。堅実に守備をこなし、セットプレーではヘディングでゴールを脅かす貴重な存在となった。ベキヤ、ディナモ・ザグレブ、NKザグレブ、インケル、イストラ、KSKベヘーレン、クロアチア・ザグレブ、トリノ、サンプドリア、スラベン・ベルーポでプレー。代表デビューはキリンカップの対日本戦で、フランスW杯でも3試合に先発した。2004年6月、家庭の理由で現役引退を表明。趣味はユニフォーム収集。サッカーアカデミーに通ったのち、2006年3月から5月までプーラの監督を務めた。2006年8月から再びプーラの監督に就任したものの、チームの財政難もあって12月に再び辞任。2007年夏からはスラヴェン・ベルーポの監督となり、チーム最高のリーグ2位でフィニッシュしたのち辞任を表明した。2009年3月に史上最年少でディナモの監督に就任し、二冠を達成。 ★ |
| Nikola JURCEVIC | MF | 1966/9/14 | 19 | 2 | 182 | 77 | FW、MF、DFのどのポジションでもこなせたユーティリティープレイヤー。代表では右ウィングのレギュラーとして活躍した。ディナモ、アントワープ、ザグレブ、ザルツブルグ、フライブルグ、インケルなどでプレー。1994年にザルツブルグをUEFAカップ決勝に導いた立役者となった。1998年夏、ヘルニアの悪化のために現役を引退。引退後は監督学校に通ってNKザグレブのユース学校に携わり、2002年8月にNKザグレブの監督に就任してチームの危機を救うった2003/04シーズンからディナモの監督に就任して4年契約を結んだが、成績不振で2004年8月に辞任。2005年3月からはザルツブルグの監督を務めたものの更迭。現在はクロアチア代表アシスタント・コーチ。★ |
| Mladen MLADENOVIC | MF | 1964/9/13 | 19 | 3 | 178 | 75 | 1996〜97年にガンバ大阪に在籍していた日本でもお馴染みのMF。強いシュートを得意とするオールラウンドプレーヤーであり、フリーキックも得意であった。リエカ、ディナモ、カステロン(スペイン)、ザルツブルグなどでプレーし、Jリーグ後はハイドゥク、そして故郷リエカのオリエントなどでプレーした上で1999年に現役引退した。その後は審判に転向したが、試合中に選手を殴ったことで職を退き、2001/02シーズンは3部リーグのジュミニで監督、そして02/03シーズン途中にクラニチャール監督の辞任を受けてリエカの監督をしていた。ニックネームは「ランボー」。★ |
| Djovani ROSSO | MF | 1972/11/17 | 19 | 1 | 186 | 77 | イスラエル・リーグでスターとなったスプリト出身の攻撃的MF。ボランチとしてもプレー可能。ハイドゥク・ユース、 ソリン、ザダール、NKザグレブを経て1996年にイスラエルのベールシェバに移籍。以後、イスラエル・リーグのトッププレイヤーとなった。1998/99シーズンには15ゴールを挙げてハポール・ハイファを優勝に導き、MVPに選出。2000/01シーズンに国内リーグ最高の移籍金(120万ドル)でベイタール・エルサレムへ。続いてマッカビ・ハイファへと移籍し、4年間プレーをした。イスラエル代表入りを考慮していたが、国籍取得に時間が掛かりすぎることで断念。2002年11月のルーマニア戦でバリッチ監督のラブコールに応えて、クロアチア代表入りした。2004年のユーロ本大会に出場。2005/06シーズンからはマッカビ・テル・アビブに2年契約で移籍。2007年夏にはマッカビ・ハイファに復帰した。そして2008年7月、1年+1年オプション契約で古巣のハイドゥクに移籍が決定し、念願のトップチーム出場を果たしたのち、このシーズンを最後に引退した。ベネチアをルーツとした家系のため名前はイタリア風。★ |
| Silvio MARIC | MF | 1975/3/20 | 18 | 1 | 181 | 78 | チャンスメイクを得意とし、得点感覚も併せ持つMF。1996/97シーズンのクロアチア・リーグMVP。フランスW杯出場後、1998/99シーズン途中にニューキャッスルに移籍したが、シアラーとの相性が悪くてレギュラーが取れず腐ってしまい何度も帰国。2000/01シーズンはポルトに移籍したが、CL予選で膝に大怪我を負う不運に泣いた。2001年末に契約を解除してディナモに復帰し、ここで復活。2002年8月のウェールズ戦で久し振りの代表復帰を果たした。2003/04シーズンからパナシナイコスに移籍し、2005年の契約切れと同時にディナモ・ザグレブに復帰(2年契約)。ザグレブでは夜の帝王となり、生活習慣が改善出来ずプレーにも影響。婚約破棄した元モデルから高額な慰謝料を請求されたりとプライベートで話題を提供している。2006年夏にディナモを退団し、そのまま現役引退。サッカーアカデミーの経営ならびにラジオのパーソナリティなどを務める。★ |
| Nenad PRALIJA | MF | 1970/12/11 | 11 | 1 | 181 | 79 | 運動量があり、ミドルシュートも兼ね備えたゲームメーカー。ハイドゥクでプレーしていた1995年にはクロアチアリーグ最優秀選手となった。ハイドゥクからエスパニョールに移籍するも出場機会に恵まれず、1998/99シーズン途中に古巣のハイドゥクに復帰。1999年にセリエA昇格したレッジーナに移籍し、2000/01シーズンからは3年間イスラエル・リーグのマッカビ・ハイファでプレー。2003/04シーズンからハイドゥクに戻り、キャプテンを務めた。2005/06シーズンに戦力外となり、下部リーグのトロギルでプレーしたのち引退。1997年のキリンカップではクロアチア代表の司令塔としてプレーしている。引退後はトロギルのディレクターを務めたのち、現在はスプリトのディレクターを務めている。 |
| Nenad BJELICA | MF | 1971/8/20 | 9 | - | 181 | 78 | チャンスメークだけでなく、得点能力も高い攻撃的MF。ボランチもこなす。国内リーグ発足時にはオシエクでプレー、以後7年間スペインのクラブ(アルバセテ、ベティス、ラス・パルマス)で経験を積み、2000年にオシエクに復帰。2000/01シーズンのオシエクの快進撃を支え、2000年度クロアチア最優秀選手にも選出。A代表にも召集されて2001年2月のオーストリア戦で初キャップを得た。2001年からカイザースラウテルンへと移籍するが出場機会に恵まれず、2003/04シーズンにボランチとしてようやくレギュラー定着。2004年4月に3年ぶりに代表復帰した。カイザースの減俸による契約延長を拒否し、2004/05シーズンからオーストリア一部のアドミーラに移籍。2006/07シーズンからは二部のケルンテンに移り、2007年秋からは監督も兼任。2部残留を成し遂げ、そのまま現役を引退した。★ |
| Zoran MAMIC | MF/DF | 1971/9/30 | 6 | - | 190 | 80 | 守備的なユーティリティ選手として活躍したフランスW杯代表メンバー。長い足を活かしたエレガントなボランチとして、またリベロやストッパーとしてプレーした。強烈なミドルシュートも持つ。18歳でディナモの主将を務めたのち、ボーフムに移籍。W杯後にはレバークーゼンに移籍したが出場機会に恵まれず、契約満了と共にボーフムに帰還。2001/02シーズンからブンデス二部のSpVgg Greuther Furthに移籍し、2003年からはアーヘンでプレー。2004年夏に戦力外となり、ドイツ二部のトリエールと契約。2005年になってディナモへと復帰し、キャプテンとしてチームを引っ張った。2007年3月、若手に道を譲るため、早期の引退を決意。代表デビューはフランスWカップ予選の対ボスニア戦。兄はディナモの名物副会長ズドラブコ・マミッチ。現在はディナモのスポーツ・ディレクター。★ |
| Danijel HRMAN | MF/DF | 1975/8/7 | 4 | - | 175 | 70 | 守備意識が高く、またクロスの精度も高い左サイドのミッドフィルダー。サイドバックとしてもプレー可能。ヴァルテクスでは右サイドのサボルチュキと合わせて、国内リーグ最高の両サイドと評価された。強烈なミドルシュートも特長。2003/04シーズンにスパルタク・モスクワへと移籍したが、新監督就任とともにポジションを失って契約解除。2004年4月にディナモと4年契約を結んだが、年棒削減に拒否したため契約解除。2005年2月にハイドゥクに移籍。2006/07シーズンからは古巣ヴァルテクスに。一時期はアルバニアのティラナでプレーしたが、2008年夏にヴァルテクスを戦力外。最後は下部リーグのトルニェでプレーし、同年に引退。2002年11月の韓国遠征でA代表デビューを果たしている。 |
| Vlatko DJOLONGA | MF/DF | 1976/9/30 | 3 | - | 185 | 82 | 強烈なキック力が魅力の左サイドのMF/DF。ユース時代を過ごしたハイドゥクでは注目を浴びなかったが、フルヴァツキ・ドラゴヴォリャッツ在籍時の1999/2000シーズンには左足からの強烈なFKを何度も決めて10得点。翌2000/01シーズンにからアラベスに移籍。しかし出場機会に恵まれず、シーズン後半からはハイドゥクにレンタルされた。その年のリーグ優勝後にハイドゥクへ正式移籍した。2007年に戦力外となり、二部のモソールで一年プレーして引退。1999年には代表初選出され、2001年11月の韓国遠征でA代表デビューした。妻はシミッチ兄弟の妹。 |
| Josko JELICIC | MF | 1969/11/5 | 2 | - | 184 | 75 | 国内リーグ一のテクニシャンとして誉れ高かったMF。ハイドゥク在籍時は将来を期待されていた一人だったが、セビージャで不遇な時期を過ごし成長が止まってしまった。その後はディナモに加入するも、プロシネツキとポジションが重なって起用に恵まれず、2000/01シーズンは怪我で棒に振って戦力外通告を受けた。2001年11月に韓国リーグの浦項スティーラーズに移籍。2003年1月からシーズン終了までNKザグレブに滞在したのち引退。現在は建設ビジネスをしている。ニックネームは「Master Jela」。 |
| Silvestar SABOLCKI | MF/DF | 1979/11/12-2003/5/30 | 2 | - | 177 | 72 | 1999年ワールドユース、2000年U-21欧州選手権にもレギュラーとして出場し、「バラジィデンの風」の異名を持ったヴァルテクスの右MF。4バックの右サイドバックも務めた。1999年5月のスペイン戦との親善試合で初めてA代表にも召集され、2000年4月のギリシャ戦で代表デビュー。2003/04シーズンからディナモ移籍が決まっていたが、2003年5月30日、自ら運転する乗用車で事故を起こし、チームメイト2人と共に逝去。 |
| Damir KRZNAR | MF | 1972/7/10 | 1 | - | 177 | 74 | ドリブルとロングシュートが特徴の左MF。1995/96シーズンにヴァルティクスからディナモに移籍し、リーグ4連覇に貢献。その後は怪我の手術のため長期欠場していたが、2001年3月に復帰。2002/03シーズンはレギュラーとしてプレーするもシーズン終了と共に戦力外通告。しかしシーズンが始まると左MFが手薄なことから選手登録された。2003/04シーズンからはインテルへと移籍。キャプテンとしてチームを支えたが、2008/09シーズンを最後に引退。ダチョウ養殖をサイドビジネスとして始めている。1998年4月のポーランド戦で代表デビューした。 |
| Davor SUKER | FW/FW | 1968/1/1 | 69 | 45 | 183 | 77 | 高いゴール率を誇ったクロアチアの元エース。ゴールへの嗅覚に優れ、正確な左足からシュートを決めた。1987年ワールドユース優勝メンバー、また1990年イタリアW杯ではユーゴ代表メンバー。1998年フランスW杯では6ゴールで単独得点王に輝いた。故郷のオシエク、そしてディナモを経てからスペインに渡り、セビージャ(1991〜96年)、レアル・マドリー(1996〜99年)で活躍。1999年にアーセナルに移籍したが戦力外となり、翌年は移籍金ゼロでウェストハムへ移籍。長い間浪人生活を経て2001年11月に1860ミュンヘン移籍して2003年までプレーした。引退宣言はしていないが、今は成金的なビジネスマン。裕福な子供を対象にしたサッカーアカデミーを始め、自らの名をつけたスポーツブランドの販売、カジノ経営、代理人ビジネスなどに手を伸ばしている。★★★ |
| Goran VLAOVIC | FW | 1972/8/7 | 51 | 15 | 178 | 72 | ユーロ96の対トルコ戦での独走ゴール、フランスW杯の対ドイツ戦でのミドルシュートなど重要な場面で活躍したスーパーサブ。一時は脳の腫瘍が見つかり生命の危機を迎えたことも。オシエク、ディナモ、パドバ(1994〜96年)、バレンシア(1996〜2000年)を経て、2000/01シーズンにパナシナイコスへ。2003/04シーズンはリーグ優勝したものの戦力外となり、その後の所属クラブを決めることなく現役引退した。代表での通算得点はシュケルに次いで2位。2002年8月のウェールズ戦では初キャプテンとしてプレーしたが、マスコミにプレーを叩かれて代表引退を表明した。ディナモ時代の1992/93シーズン(22得点)、1993/94シーズン(29得点)のリーグ得点王。現在は解説のほか、サッカーアカデミーに通いながら建設会社を経営している。★★★ |
| Alen BOKSIC | FW | 1970/1/31 | 40 | 10 | 187 | 81 | テクニックとパワーを兼ね備えた屈指のストライカー。ハイドゥク出身で育ち、1990年イタリアW杯のユーゴ代表に選出されている。マルセイユの黄金期にはフランスリーグ得点王を経験し、のちにラツィオへと移籍。1996/97シーズンにはユベントス、再びラツィオに戻って2シーズンプレーした。2000/01シーズンにミドルブズラに3年契約で移籍するも、2003年1月に契約を解消して突然の引退を発表した。常に怪我と手術を繰り返したことと戦術面のために代表との縁は薄かった。ユーロ96の初戦で怪我してしまって以後は欠場、フランスW杯は右膝手術のため欠場、ユーロ2000予選も怪我で欠場。ブラジェヴィッチ辞任後は代表引退を表明したが、のちに復帰し、ベルギー戦で日韓W杯出場へと導く値千金のゴールを決めた。日韓ワールドカップが彼にとって最後の晴れ舞台となった。悠々自適な生活を送ったのち、2007年4月にハイドゥクの副会長に就任したものの、成績不振のため半年後に辞任。★★ |
| Dado PRSO | FW | 1974/5/11 | 32 | 9 | 190 | 86 | 高さだけでなく巧みなキープ力とドリブルを持ち、勝負強さと不屈の闘志を持つ遅咲きのストライカー。ザダール出身。ハイドゥクのユースで育つが心臓疾患と判断されプロ契約できず、一部のパジンカと契約。1993年にフランスへと渡り、2部ローエンにテスト合格。一度は選手生活を諦めて機械工として働いていたものの、4部サン・ラファエルを経て、1996年にモナコと契約。97年から3部(翌季2部昇格)のアジャイオにレンタルされ、2シーズン21得点20アシスト。1999/2000シーズンからモナコに戻り、スーパーサブとしてモナコのリーグ優勝に貢献。膝の怪我で苦しんだが、2002年からデシャン監督の信頼を得てレギュラーとして活躍。2003年11月にCL・対デポルティーボ戦で4得点という記録を作り、モナコのCL決勝進出まで貢献した。2003年3月にクロアチア代表初召集、ベルギー戦で先発起用されて初得点。スロヴェニアとのプレーオフでは本大会へと導く2得点を決めた。2003年のクロアチア最優秀選手を史上初の満票で受賞し、2004年、2005年も同賞を受賞。2004/05シーズンにグラスゴー・レンジャーズへ移籍し、リーグ優勝とカップ制覇に貢献した。2006年7月に代表引退を表明。2006/07シーズンも故障に苦しみ、シーズン終了後に現役引退した。現在はサッカーアカデミーに通っている。★★ |
| Igor CVITANOVIC | FW/MF | 1970/11/1 | 26 | 4 | 186 | 89 | クロアチア・リーグ通算最多スコアラーであるFW(128得点)。トップだけでなくトップ下、左ウィングでもプレーした。オシエクで注目を浴びディナモ・ザグレブに移籍して1995/96シーズン(19得点)、1996/97シーズン(20得点)にリーグ得点王に輝く。1998年にレアル・ソシエダに移籍するも、翌年構想外となりディナモへと復帰。チームの中心として活躍したが、2001/02シーズンは年俸がネックで戦力外。一時的に復帰して救世主となるも再契約を拒否して、2002年2月に清水エスパルスに入団。しかし活躍出来ず12月の契約切れと共に退団。2003年から2年契約で古巣のオシエクへと戻ったが、フロントと対立して契約解除し、以後はプレーしていない。ユーロ96の代表メンバーであるが、フランスW杯では直前にチーロと対立し代表から追放された。今は兄と会社経営をしながら、クロコップのセコンドも務めていた。★ |
| Ivica MORNAR | FW/MF | 1974/1/12 | 22 | 1 | 188 | 82 | 右MFとしてもプレー可能なスキンヘッドがトレードマークのFW。パワーあるドリブルと正確なセンタリングに特徴。1994/95チャンピオンズカップではハイドゥク・スプリトをベスト8へ導く原動力となる。のちにフランクフルト、セヴィージャ、スタンダール・リエージュと渡ったものの伸び悩み、アンデルレヒトで復活。2000年のスコットランド戦で久し振りに代表復帰した。長いブランクはあったものの、10年以上に渡って代表に名前を連ねている。2003年8月のイングランド戦で初ゴール。2004年にポーツマスに2年半契約で移籍。2004/05シーズンはレンヌにレンタル移籍。2005/06シーズンはポーツマスに復帰したものの、9月に契約を解除。そのまま引退となった。★ |
| Tomislav MARIC | FW | 1973/1/28 | 9 | 2 | 181 | 78 | 熱いハートと決定力が特徴である不屈の「サムライ」。代表では病気と怪我に恵まれなかったが、浦和レッズでの天皇杯の活躍ぶりは感動を呼んだ。ドイツのヘイルブロン生まれた移民2世で、弟マリオも元代表FW。カールスルーエ、シュツットガルト・キッカーズなどに在籍し、2000年からヴォルフスブルグでプレー。2001/02シーズンは足首の怪我で出遅れたが、復帰後にバイエルン、バイヤー戦を含む5試合で9ゴールと大暴れ。シーズン12ゴールでキッカー紙の年度ベストイレブンに選出された。ブルガリア戦で代表初選出されたが直前で肋骨を骨折。A代表デビューが遅れてW杯メンバーには選ばれなかった。2002年11月のルーマニア戦で初ゴール。レギュラーに定着していたものの、2003年に原因不明の呼吸困難を患って長期療養。2004年の残りシーズンはボルシアMGにレンタルされた。2005年7月に浦和レッズに移籍し、リーグで13試合8得点。また天皇杯では6得点を決めて優勝へと導いた。2006年1月にドイツ3部のTSGホッフェンハイムに移籍。2部に昇格した2007/08年からはコーチも兼任し、1部昇格を実現した。現在はホッフェンハイムで働きながら、攻撃担当のアシスタントコーチを務めている。 |
| Robert SPEHAR | FW/MF | 1970/5/13 | 8 | - | 185 | 81 | 得点の供給役もこなせる経験豊かなアタッカー。オシエクでは1994/95シーズンにクロアチアリーグ得点王(24ゴール)となり、渡った先のブルージュでもベルギーリーグ得点王に。それからはモナコ、ベローナ、スポルティング・リスボン、ガラタサライ、スタンダール・リエージュでプレー。2002年10月に古巣のオシエクに戻ると、2003/04シーズンには18得点で二度目のクロアチア・リーグ得点王となった。国内リーグ95得点は史上4位。2004年からキプロス・リーグのオモニア・ニコシアでプレーしたのち引退。現在は監督ライセンスを取りながら、代理人業を営んでいる。 |
| Ardian KOZNIKU | FW | 1967/10/23 | 7 | 2 | 178 | 78 | 1998年3月の代表vs記者選抜で2得点を挙げて貴社選抜チームを勝利に導いたのをきっかけに、フランスW杯メンバーへと加わったコソボ出身のアルバニア人FW。独立後のクロアチア・リーグではハイドゥクの一員としてリーグ最初の得点王(1992年12得点)となった。その後はフランスへと渡り、1998年にバスティアからディナモに移籍。2000/01シーズンはオーストリア2部のケルンテンに移籍して昇格とカップ戦優勝に貢献した。20001/02シーズンはフルヴァツキ・ドラゴヴォリャッツに移籍したが、2002年1月に契約を破棄して現役引退した。2002年9月のアルバニアvs.コソボ戦が引退試合となった。今はザグレブに住み、監督ライセンスを取得したのち、2005年にはフルヴァツキ・ドラゴヴォリャッツ監督を務めた。コソボ監督に就任の話題がある。 ★ |
| Josip SIMIC | FW | 1977/9/16 | 7 | 1 | 177 | 72 | ダリオ・シミッチの実弟。ディナモのユースで育ち、クロアチア・リーグやCLなどで活躍したが、2000年の契約切れと共に海外移籍を希望。同年8月にクラブ・ブルージュと5年契約を結んだ。2002/03シーズンはコンスタントな出場機会を求めてギリシャリーグのアリス・テッサロニキへとレンタル。2003/04シーズンはブルージュに復帰したが、戦力外となり契約解除。2004年から韓国の蔚山現代と2年契約を結ぶもののヨーロッパに戻ることを決意し、2005/06シーズンはオーストリアのケルンテンと1年在籍。チーム退団後は半年間、怪我を治療し、2007年1月にヴァルテクスと契約したものの、またして怪我に泣かされてしまった。ユーロ2000予選で初めてA代表に選出され、コリアカップでは大会MVPになっている。 |
| Igor PAMIC | FW | 1969/11/19 | 5 | 1 | 188 | 82 | パワフルなプレーを得意としたイストラ出身の大型FW。1996年4月のハンガリー戦で代表デビュー・初ゴールを記録。ユーロ96代表メンバー。ジュミニ、イストラ、パジンカ、コパール、オシエク、ディナモを経て1996年にソショーへ移籍、1997/99シーズンはハンザ・ロシュトクでプレーするが暴力事件とスピード違反のため退団した。1999年にはグラーツァAKに移籍し、国内カップ決勝戦で2ゴール上げ優勝に貢献。オーストリア・リーグでは70試合28ゴールの成績を残した。2001年11月に膝の負傷を理由に契約破棄して現役引退を発表したが、国内三部に所属する故郷のジュミニで再びプレーを始めてリーグ1位となり二部への昇格に貢献して引退。そのジュミニで監督をしたのち、2004年からプーラで監督をしており、一部昇格へと導いたが、2005年9月に辞任。2006/07シーズンは2部ポモラッツの監督を務めたものの、2007年4月に更迭。同年に3部カルロヴァッツの監督に。★ |
| Tomislav ERCEG | FW | 1971/10/22 | 4 | 1 | 184 | 75 | 勝負強さと力強いヘディングが特徴のFW。ハイドゥクでデビューしたのち(一時オシエクにレンタル)、1995年からルガノ、グラスホッパー、デュイスブルグ、ハイドゥク、アンコーナ、ペルージャ、レヴァンテ、コジャエリシュポール、ハイドゥクと毎年違うクラブを歩き渡り、2002年8月に1シーズンのレンタルでサンフレッチェ広島へ移籍。2003年5月に戦力外となり、ハイドゥクを一旦経てからイスラエルのハポエル・ペタフ・ティクバでプレーし(リーグ2位の11得点)。2004/05シーズンにはリエカへ移籍し、17ゴールで得点王、リーグMVPに選出された。2005年夏からはドイツ二部のGreuther Furthに移籍したが、2006年1月にハイドゥクにまた復帰。シーズン終了後に引退した。代表では1997年6月のキリンカップ、対トルコ戦でゴールを挙げている。国内リーグ通算得点97は史上3位。2006/07シーズンよりハイドゥクのスポーツディレクターを務めたが、一年半で辞任。今は代理人業を務めている。 |
| Petar KRPAN | FW | 1974/7/1 | 3 | - | 178 | 74 | 俊足を活かしたプレーが得意なスキンヘッドのFW。1997/98シーズンにオシエクで13点を挙げて、フランスW杯メンバーにも選出。1998/99シーズン途中からポルティング・リスボンに3年半の契約で移籍した。途中はレイリャにレンタル。足の怪我に悩まされたが、2001/02シーズンから古巣オシエクに復帰。2002年初めからはNKザグレブへ移籍し、リーグ優勝に貢献した。給与未払で契約破棄するとハイドゥクに加入し、2003/04シーズンはチーム得点王(12ゴール)でリーグ優勝に貢献。2004/05シーズンには再びポルトガルのレイリャへ。2005/06シーズンはリエカに移籍。2006年3月には中国二部の南京に移籍。10月から二部のインテルに在籍したのち、二部のNKグラフィチャールを経て、再び南京に。2008年一線を退き、故郷のオシエク・オリンピアのベテランチームでプレー。★ |
| Alen PETERNAC | FW | 1972/1/16 | 2 | - | 180 | 77 | スペインリーガで実績を残したFW。フランスW杯は最終選考で漏れたが、リーガでの実績を買われて大会後はコンスタントに代表招集されていた。ディナモから1995年にバリャドリッドへ移籍して55得点をマーク。1999年に移籍を求めて契約延長を拒否、以後チーム側が試合に出場させずに揉めたりしたが、2000年にサラゴサに加入(4年契約)。2001/02シーズンは外国人枠のために2部のムルシアにレンタル移籍。2002/03シーズンはサラゴサに復帰したが、フローレス監督に戦力外通告され、契約問題で係争した。その後は現役を引退している。 |
| Josko POPOVIC | FW | 1966/1/19 | 1 | 1 | 178 | 65 | しばらくクロアチア・リーグ最年長選手でもあったFW。シベニク在籍時の1998/99シーズンに21ゴールをマークし得点王となった。翌シーズンにシベニクからザグレブに移籍、2001/02シーズンは2部から昇格したカメン・イングラッドに移籍し、2004年までプレーした。代表としては唯一出場した1994年4月のスロバキアとの親善試合に出場、1ゴールを挙げている。クロアチア・リーグでの通算ゴール110は歴代2位。引退後はカメン・イングラッドのディレクターを務めた。 |
| Mate BATURINA | FW | 1973/8/1 | 1 | - | 178 | 75 | NKザグレブ在籍時の1997/98シーズンに18ゴールを挙げて得点王となったFW。1993年にシベニクでデビューし、1995〜1997年まではザグレブ、1997〜1999年にはハイドゥクでプレー。コリアカップではA代表デビューも果たした。1999年にはベイタール・エルサレムへの移籍が決まりかけていたが破談となり、NKザグレブへと帰還。そこでの活躍が認められ、2000年12月にグラスホッパーへの移籍してウィンガーとして活躍した。2003年8月にはイスラエルのブネイ・イェフディに移籍し、キャプテンまで務めた。2007/08シーズンからザダールに移籍、途中からは二部のソリンに移り、2008年を最後に引退した。 |
| Goran TOMIC | FW | 1977/3/18 | - | - | 188 | 77 | U-21代表経験を持つFW。シベニクで1995年にデビューし、1997年に170万マルクの移籍金でヴィチェンツァに移籍。そこではチャンスなく、レンタルでAEKアテネ、レッジーナなどでプレー。2001/02シーズンからオーストリアリーグのザルツブルグで出場機会を得て、チームの最多スコアラーとなった。2002/03シーズンは半月板損傷のため満足にプレーできず。2005年6月に自由移籍選手としてベルギー・リーグのリエーセへ。続く2006年2月に2年契約で中国のヘナンに移籍した。シベニク復帰を願っていたが、足首と膝を二度手術し、2年間公式戦の出場がないまま、2008年2月に引退を明らかにした。現在はシベニクのスポーツディレクター。 |
| Zoran BAN | FW | 1973/5/27 | - | - | 186 | 84 | ベルギーリーグで活躍したFW。故郷のNKリエカのユースで育ち、プロデビューしたあと1993年にはユベントスに所属した経歴を持つ。以後、ベレンセス、ボアビスタ(以上ポルトガル)、ペスカラを経て1997年にムスクロンへ。1999/2001シーズンにプレーしたヘンクがキャリアの最高点で、2001/02シーズンからは再びムスクロンへ。2003/04シーズンはモンス、2004/05シーズンにはセリエCのフォッジアに移籍したものの退団。リエカへの復帰もまとまらなかった。 |
歴代監督
| Name | Birth | Term | Result | Comment |
| Drazan JERKOVIC | 1936/8/6-2008/12/9 | 1990.10-1991.6 | 2勝1敗 | 1991年6月25日のクロアチア独立宣言以前に組織されたクロアチア代表チームを指揮した初代監督。1960年代にディナモ・ザグレブの主力FWとして300ゴールを記録しており、ユーゴ代表としても1960年の第1回欧州選手権では準決勝フランス戦で同点・逆転ゴール(5-4)を決める活躍をして準優勝、また1962年のワールドカップ・チリ大会では4ゴールを挙げて(大会得点王タイ)、ユーゴを3位へと導いた伝説的な名選手でもある。クロアチア史上最高のゴールゲッターと言われ、ディナモの背番号「9」は彼のためにあったとされる。ユーゴ代表では21試合11ゴール、また1981年の地中海スポーツ大会でユーゴ代表を指揮した。ディナモやヴィンコヴチ、NKザグレブのスポーツ・ディレクターや会長を務めたが、晩年は不遇を味わい、2008年12月9日、惜しまれながら72歳で死去。 |
| Stanko POKLEPOVIC | 1938/4/19 | 1992.7-1992.10 | 1勝1分2敗 | 正式独立後のクロアチア代表を最初に指揮した2代目監督。クロアチア・リーグ最初のシーズン(1991/92年)においてハイドゥク・スプリトをリーグ初代チャンピオンへと導き、その直後には短い間だが代表監督を引き受けた。その後はイランのクラブチームを率いて、2度イランリーグで優勝、イラン代表監督、フェレンツバロシュ、イスファハン、オシエクなどで監督を歴任した。2004年にトミスラフ・イヴィッチと共に、サウジアラビアのアル・イティハドを指揮したが解任。ハイドゥク・ユースの校長ものちに務めた。愛称は「シュパコ」。 |
| Vratko MARKOVIC | 1937/1/1 | 1993.6 | 1勝 | 現クロアチア・サッカー協会会長。1993年に唯一行われた対ウクライナ戦で指揮している。ボスニアのブゴイノ出身で、現役時代はDFとしてブゴヤンスキ・イスクラ、ゼニチュキ・チェリク、ディナモ、ヴィネルスポルトでプレー。ユーゴ代表のセンターハーフとして、1962年ワールドカップ・チリ大会に出場。38試合の代表キャップを持っている。その後は監督としてザグレブ、スタンダール・リエージュ、ニース、ディナモ、ハイドゥク、ラピッド・ウィーンを指揮した。フランスW杯後、サッカー協会の副会長から会長へと昇格。2002年再任。UEFAの技術委員会長にも就任している。長期的ビジョンがなく、国内のサッカー振興には消極的、かつ短絡的な発言も多いことから、会長としては絶えず批判を浴びている。 |
| Tomislav IVIC | 1933/6/30 | 1994.11 | 1勝 | クロアチアでもっとも実績と名声を得ている知将。1994年9月にブラジェビッチがUEFAから職務停止処分を受けた際、1試合だけ代表を指揮。それが今でも語り継がれるユーロ予選、敵地イタリアでの2-0の勝利だった。現役時代はNKスプリトとハイドゥクでプレー。1967年に指導者へと転じ、ハイドゥク(優勝歴:ユーゴリーグ3回・ユーゴカップ3回)、アヤックス(リーグ1回)、アンデルレヒト(リーグ1回)、ガラタサライ、アベリーノ、パナシナイコス(リーグ1回・カップ1回)、ディナモ、ポルト(リーグ1回・カップ1回・トヨタカップ)、PSJ、アトレティコ、マルセイユ(リーグ2回)、ベンフィカ、フェネルバフチェ、スタンダール・リエージュなど錚々たるクラブを指揮、UAE・イラン代表監督も務めた。2001年からマルセイユの監督を務めていたが、心臓病を理由に同年12月に監督業から離れた。2004年にサウジアラビアのアル・イティハドの総監督となったが、アジア・チャンピオンズリーグ決勝第一戦の敗戦のため解任。2006年7月にスタンダール・リエージュのユース・ディレクターに就任。戦術論に長けた人物で、現場を離れても最新のサッカーを研究する情熱は薄れることはない。頻繁にサッカー講義を行ったり、解説者をしたりしている。 |
| Miroslav BLAZEVIC | 1935/2/10 | 1994.3-1994.10 1995.3-2000.10 |
36勝22分14敗 | 「チーロ」の愛称で知られる、長きに渡ってクロアチア代表の顔であった監督。その独特なキャラクターで敵も多いが、「監督の中の監督」と言われ、国内では特別な人気と地位を保っている。現役時代は右ウィンガーとしてユーゴ、スイス・リーグでプレー。その後、シオン(優勝歴:カップ1回)、ローザンヌ、グラスホッパー(リーグ1回)、スイス代表、リエカ、プリシュティナ、ナント、PAOK、ディナモ・ザグレブ(ユーゴ:リーグ1回・カップ1回、クロアチア:リーグ1回・カップ1回)の監督を歴任したあとクロアチア代表監督に。故・トゥジマン大統領と強力なパイプを持っていたこともあって独裁色・カリスマ色が強かったが、ユーロ96でベスト8、W杯フランス大会3位と好成績を残した。W杯後には代表監督の契約を更に4年延長したが、ユーロ2000で予選敗退。マスコミからの集中批判で一時辞任を表明したものの一日で撤回した。日韓W杯予選も苦戦した上、戦争犯罪人に関する署名活動に加わったことが裏目に出て、世論の総叩きにあって2000年10月に辞任。2001年1月にイラン代表監督に就任したものの、W杯出場を達成できず。2002年3月からはNKオシエクの監督に就任。2002/03シーズンはディナモを優勝へと導くも、マミッチ副会長と対立して辞任。2003/04シーズンからスロベニアのムラの監督を務めたが、成績不振で辞任。2003年10月からヴァルテクスの監督を務め、2005/06シーズンから念願のハイドゥク・スプリトの監督となったものの、9月に成績不振で解任。直ぐにスイス一部のザマザ監督に就任。2006/07シーズンからは2シーズンに渡ってNKザグレブ監督を務めた。2008年7月にはボスニア・ヘルツェゴビナ代表監督に指名された。 |
| Mirko JOZIC | 1940/4/8 | 2000.11-2002.6 | 8勝4分3敗 | 2000年10月にチーロ辞任を受けて、クロアチア第6代監督に指名された同国を代表する名将の一人。悲観的に思われた日韓W杯を見事に成し遂げた。スプリト、ベリシュチェ、ユナクなどでプレーした後、30歳でコーチに転身。1987年、U-20のユーゴスラビア代表監督としてワールドユース・チリ大会で優勝を果たした。それが縁となって南米に活躍の場を移し、コロコロをチリ・リーグで3度優勝、リベルタ・ドーレス杯優勝へと導きトヨタカップにも出場。以後はチリ代表、アメリカ(メキシコのクラブ)、ハイドゥク、アル・ヒラル(サウジアラビア→アジア・カップ優勝)、ニューウェールズ・オールド・ボーイズ(アルゼンチン)、スポルティング・リスボンなどを指揮した。2000年に代表監督になる前はクロアチア・ユース代表統括ディレクターを務めていた。日韓W杯が始まる前に契約満了から辞任を既に発表。本大会でも失敗に終り、マスコミの総叩きに遭った。2006年11月にディナモ・ユースの校長に就任したものの、一年余りで辞任している。 |
| Otto BARIC | 1933/6/19 | 2002.7-2004.6 | 11勝8分5敗 | 2002年7月にクロアチア代表第7代監督に就任した、オーストリアで実績と名声を得た監督。オーストリアのプラスニツゼンに生まれ、ディナモ・ザグレブ、マテラッツ、ロコモティーバでプレー。選手としては大成しなかったが、監督へと転業し、ロコモティーバ、ワッケル・インスブルック、ラスク・リンク、ディナモ・ヴィンコヴチ、シュトゥルム・グラーツ、ラピッド・ウィーン、ステイリ、カジノ・ザルツブルグ、クロアチア・ザグレブ、フェネルバフチェ、オーストリア代表などで監督を務めた。実績は8度のリーグ優勝(オーストリア7回・クロアチア1回)、5度のカップ戦優勝(オーストリア4回・クロアチア1回)、1985年にはラピッド・ウィーンでカップ・ウィナーズ・カップ準優勝、1994年にはカジノ・ザルツブルグでUEFAカップ準優勝を果たしている。1996年の欧州選手権では専門スタッフ。名前から「オットー大帝」(Herr Otto)とのニックネームを持つ。ナルシズムで傲慢なところが不人気の対象となり、ユーロ出場にはこぎつけたものの守備的な戦術と一定しない選手起用で本大会ではチーム崩壊。契約満了と共に追われるようにチームを去った。2004年11月からディナモのスポーツ・ディレクターを務めたものの一ヶ月で辞職。2006年夏からアルバニア代表監督を務めたのち、2007年末には一時的にディナモのスカウティング・アドバイザーとなった。 |
| Zlatko KRANJCAR | 1956/11/15 | 2004.7-2006.7 | 11勝8分6敗 | 2004年7月にクロアチア第8代監督に就任した、攻撃的サッカーを標榜する指揮官。愛称はチッツォ(Cico)。ザグレブ出身。現役時代はゴール嗅覚鋭い名FWとして知られた。ディナモ・ザグレブ(1973年〜1983年)ではリーグ98得点(歴代3位)、欧州カップでは32得点。ブラジェヴィッチ監督率いる1981/82シーズンのディナモでリーグ優勝の原動力となった。1984年から90年まではラピッド・ウィーンに在籍し、国内リーグ106得点、国内カップ14得点、欧州カップ戦10得点を記録し、3度のリーグ優勝・4度のカップ戦優勝。また1985年にはカップ・ウィナーズ・カップ準優勝を果たした。90/91シーズンにVSEサン・ポルテンに在籍したのち引退。ユーゴスラビア代表では11試合出場3得点、またクロアチア代表の最初の試合となった対アメリカ戦では主将を務めた。ルーマニア戦を最後に引退した後はコーチとしてディナモで2度(1996、1998)、NKザグレブ(2002)で1度の計3度リーグ制覇。カップ優勝もディナモで二度(1996、1998)。VOESTリンツ(オーストリア)、セゲスタ、ディナモ、リンツ(オーストリア)、サモボル、エル・マスリー(エジプト)、マルソニア、スラベン・ベルーポ、ムラ(スロベニア)、ザグレブ、リエカで指揮。無類の酒飲みだという噂も。息子のニコは代表選手。ドイツ・ワールドカップ予選をグループリーグ1位で突破するも、本大会ではよもやのグループリーグで敗退。人気のある監督だったが、一転して世論を敵に回し、2006年7月、契約延長されずに終わった。2007年6月にアラブ首長国連邦のアル・シャーブと1年+1年オプションで契約したものの、選手起用を巡ってオーナーと対立。2007年12月に退団した。2008年1月よりクロアチア二部のクロアチア・セスベッテの監督に就任し、一部昇格に導いた後に辞任。2009年1月にも同チームの監督に就任したものの、一試合も率いないまま会長と対立して辞任した。2009年4月にスロバキア一部のドゥナイスカ・ストレダの監督に就任。 |