クロアチア・リーグ「ディナモ・ザグレブvs.ハイドゥク・スプリト」観戦記
"DINAMO JA VOLIM"(前半)


【写真:2月14日の模様(雑誌から)

 "2月14日"−日本においてはチョコレートに悲喜こもごもする一日に過ぎない。しかし、ディナモを愛するものにとってみれば2月14日は忘れられない記念日であろう。クラブを我が物とし、ディナモの名前を拭い去ったトゥジマン大統領が死に絶えたことがきっかけで、あの忌々しい「クロアチア・ザグレブ」という名前がようやく葬られ、「ディナモ・ザグレブ」の名が3156日ぶりに正式復活した日が2000年の2月14日なのだ。BBB(バッド・ブルー・ボーイズ…ディナモ・サポーターの愛称)は街へと繰り出して歓喜にむせび、"DINAMO"のマフラー片手に馬鹿騒ぎしたという。もちろんBBBお約束の警官隊への衝突も有りだ。聖なる名"DINAMO"。この"DINAMO"という名前への愛情はクロアチアのロックバンド"PIPS, CHIIPS, &VIDEO CLIPS"の持ち歌で、今やBBBのサポーターソングとなっている「DINAMO JA VOLIM」から充分伺うことが出来る。

"DINAMO JA VOLIM"

Popevke sam slagal, i rozice bral,
i svu svoju mladost sam tebi ja dal ...

Hej, hej, hej, hej...

Navi..., navijaj,
srusit ce se stadion,
nek' je nered nek je lom,
ja te volim
dinamo!

Ti znaj, da Bog, zna za Sveto Ime to,
Sveto Ime
dinamo...
i u nebo s njim i u pakao,
Bad Blue Boys i
dinamo!

Nek se pale bakje sve,
za sve nas za Purgere,
jer na barjaku modrom,
pise samo
dinamo!

Ti znaj, da Bog, zna za Sveto Ime to,
Sveto Ime
dinamo...
i u nebo s njim i u pakao,
Bad Blue Boys i
dinamo!

Navi..., navijaj,
i kolcem i lancem i bokserom u glavu,
navi..., navijaj,
udari, razvali za dinamovu slavu,
navi..., navijaj,
i kolcem i lancem i bokserom u glavu,
ja te volim
dinamo!

Ti znaj, da Bog, zna za Sveto Ime to,
Sveto Ime
dinamo...
i u nebo s njim i u pakao,
Bad Blue Boys i
dinamo!

"好きだぜ、ディナモ"

歌も作った、バラの花積んだ
オレの青春、全部捧げた
ヘイヘイヘイヘイ…

オウオウ応援だ、スタジアムが壊れるぜ
メチャクチャやっちゃえ壊しちゃえ、
オレはディナモが好きなんだ


そうさ、神様だってご存知の聖なる名、
聖なる名ディナモ
一緒に天国、一緒に地獄 
バッドブルーボーイズとディナモ

発煙筒全部たけ、オレ達みんなの、
プルゲル(※1)のため
だって青い旗に書かれた言葉はただディナモ


そうさ、神様だってご存知の聖なる名、
聖なる名ディナモ
一緒に天国、一緒に地獄 
バッドブルーボーイズとディナモ

オウオウ応援だ、
ドタマに棒と鎖とボクサー(※2)ぶち込め
オウオウ応援だ、
ぶっ叩けぶっ壊せ、ディナモの栄光のため
オウオウ応援だ、
ドタマに棒と鎖とボクサーぶち込め
オレはディナモが好きなんだ

そうさ、神様だってご存知の聖なる名、
聖なる名ディナモ
一緒に天国、一緒に地獄 
バッドブルーボーイズとディナモ

(※1) ディナモの応援団の通称、(ザグレブの)「町っ子」の意味。
(※2) 4本指にはめる金具の凶器。

(日本語訳:大塚真彦氏)

  "DINAMO JA VOLIM"のビデオクリップはこのサイトからダウンロードできます。
(Dinamo Himnaのバナーをクリックして下さい。Real Player,1.14MB)

【写真:台帳に張ったアブラモビッチのシール。
右には直筆サインを貰う】

 僕は愛するディナモを三度(みたび)観戦すべく、5月12日、ドブロブニクからの夜行でザグレブのバス・ターミナルに降り立った。キオスクには5枚入りパックのディナモ・シールが売られていることを知り、これを収集する出費を考えれば宿代を削らねばならぬと判断、定宿であったアストリア・ホテルをやめてユース・ホステルに泊まることにした。荷物を預け、キオスクで専用台帳と共にディナモ・シールをたっぷりと買い込み、トラムでディナモの本拠地マクシミール・スタジアムへと向かう。トラムの中で最初のパックの封を開けると、真っ先にアブラモビッチのシールが登場した。これも何かの縁であろう。


【写真:隠された過去のクラブ紋章】
 10ヶ月ぶりに再会するマクシミール。財政難で工期は大幅に遅れているものの、コンクリート剥き出しであった北側のスタンドはガラス張りとなり、第一期拡張工事が終わるまであと僅かのようだ。明らかに変わったといえば、このスタジアム内にあるクラブ・オフィスの入口には「NK CROATIA ZAGREB」では無く、「NK DINAMO ZAGREB」と書かれたプレートが上に被せられていることだ。スタンド内に残るクロアチア・ザグレブの看板も目に付かぬよう、地元産のビール看板が被せられていたのを発見し、トゥジマンの亡霊は封印されようとしていることを知る。そんなスタジアムでも忘れ得ぬ過去を取上げた聖地がある。それがBBBの慰霊碑だ。ザグレブに寄る際には欠かさずこの場所に訪れているのだが、慰霊碑の日付を見て改めて明日が、BBBと警官隊が衝突した事件の日から丸10周年を迎えることに気付いた。クロアチア独立の気運が高まった1990年5月13日、ディナモ・ザグレブはここマクシミールにレッドスター・ベオグラードを迎えた。しかし試合中に両チームのサポーターが喧嘩を始め、それを連邦警察が抑えに入ったことから騒ぎは拡大。様々な解釈はあるものの、ボバンが連邦警察官に蹴りを入れたシーンは彼を英雄へと押し上げた。その後、クロアチアとセルビアの対立は戦争へと発展、独立戦争に志願し亡くなったBBBを弔うために作られたのがこのモニュメントだ。そして5月13日は「Dan Navijaca(サポーターの日)」「Dan Dinamo(ディナモの日)」に定められた。"2月14日"、そして"5月13日"。ディナモには今、二つの大事な記念日がある。
 練習グラウンドでディナモ・ユースの子供達の練習を眺め、スタジアムの東スタンド下にあるもう一つの練習場を訪れると、グラウンド整備をするオジサンからトップチームの練習は17時半から始まることを教えて貰う。その後、マクシミール敷地内のカフェ兼レストランで昼食。店内には幾つものユニフォームを始め、過去のディナモの写真、そして1990年のクロアチア代表としての初試合(vs.アメリカ戦)の写真などが展示されていた。昼食後、僕が応援しているアブラモビッチの携帯電話へコンタクトを取り、17時にスタジアムにて9ヶ月の再会を約束した。

 それまでは買い物をしよう。まず足を運んだのはヴァン・イェラチッチ広場に面するクロアチア代表ショップだ。しかし、今更ロートル選手のグッズを求めても仕方無い。ダメを承知で店員に「U-21代表の選手の名前が入ったユニフォームなんてものはあります?」と尋ねると、ビシュツァン、レコ、トゥドール、ヴラニェシュ、デラニャ、ショコタ、ミラディン、バラバン、ミキッチ、シミッチ、ビリシュコフ....と次々に出てくる。うぉー、嘘みたい!! 柄は最新ではなく96年EUROのもので、Lotto製ではない偽物だが、若手の名前入りのユニフォームが存在するというだけで興奮してきた。最初は1着だけ買うつもりだったのに.....ビシュツァン、レコ、ヴラニェシュ、デラニャ、ショコタの5着も購入してしまった。続いて、広場北の階段を昇ったところにある市場へ。ここの露店にも数々のグッズが売られている。そこで国旗やディナモのミニペナントを購入。そして今回最大の収穫だったのは「DINAMO JA VOLIM」が入ったCDを露店で発見したことだ。店のオジサンはCDラジカセで聞かせてくれ、値段もオマケしてくれた。でもオジサンはハイドゥクのファンだったりする。

【写真:BBBのモニュメント(5/13のもの)

 市場から階段を下り、ヴァン・イェラチッチ広場へ通じる道には花売りの女性がずらっと並ぶ。そこで僕はBBBのモニュメントに献花しようと思いつき、一束の白い花を購入した。その花束を手にし、再びトラムに乗ってマクシミールへと向かう。そして戦争で亡くなった若者達を偲ぶべく花をモニュメントに供え、両手を合わせて冥福を祈ったのだった。
 その後、僕はスタジアムの出入口で選手を待つのだが、まだ17時まで時間がある。練習場へと向かうユースの選手達はこの異邦人をジロジロと眺めて通り過ぎて行く。こちらから「Dobar dan.(こんにちは)」と挨拶すると明るく返事が返ってくるので、調子に乗ってディナモのマフラーをバッグから取り出すとドッと涌いた。年齢的には13、14歳ぐらいか。後を付いていき、グラウンドまで彼等の練習を見に行く。この日のメイン練習はサイド攻撃。アウトサイドとフォワードの選手が対になり、フォワードはポストとなってサイドへボールを流し、アウトサイドの選手はセンタリング。ゴール前に飛び込んだフォワードはダイレクトでシュートを狙うというもの。この年代ではまだ一つ一つのプレーに精度が欠けるが、練習のコンセプトは充分に伝わってくる。彼等のうち一体何人の選手がディナモのトップチームまで上り詰められるのだろうか。

【写真:人懐っこい子供達と共に】

 再び、スタジアムの入口で選手を待つと、昨年静岡で行われたSBSカップで来日したユースチームのコーチが現れた。声を掛け、昨年日本で応援した者だと話すと、思い出してくれて握手。そして16時30分頃から次々と選手が自家用車で現れた。ミーハーの僕はディナモ全選手のサインをゲットすることを目論む。最初に来たのはボスニア代表のエディン・ムイツィン。サイン帳を差し出すこの日本人を見るなり笑顔で「カズゥ」と言ってきたムイツィンを、僕はてっきりダミル・クルツナールだと勘違いしていた。失礼ながら「クルズナール?」と質問するとムイツィンも「Da.(はい)」と答えちゃうし。次はミハエル・ミキッチが登場。車から出てくるや否や険しい顔をして携帯電話で話しており、電話のあとのサイン応対はすこぶる無愛想。続いて、ここのところ株が急上昇中のスロベニア代表MFゾラン・パブロビッチ。「ミスター・パブロビッチ、シグネチャー・プリーズ」−このように選手にサインをお願いするのだが、全ての選手に関して名前と顔が一致するわけではない。よって僕は入口で同じように選手を迎える3人の子供に「来たと同時にこっそり選手の名前を教えてね」と約束。この人懐っこい子供達はまだ12歳。でも彼等は英語が話せることから一緒にディナモ談義を楽しむ。どの選手が人格者かなんて話を聞いていくのだが、なぜだかユリッチの評判が良くない(後から知ったのだが、パルチザン戦の勝利の際に「僕らは神や蛇をも恐れない」と失言したのが原因らしい)。彼等からも「ミウラってどんな性格なの?」と質問を受け、「ミウラは高慢な奴だよ」と説明しようにも「高慢」という英単語が思い浮かばない。手持ちの日本語-クロアチア語辞典を引っ張り出し、似たような言葉で「傲慢=bahat」という単語を見つけたので、「Miura je bahat.(ミウラは傲慢だ)」と説明したら、これが子供達に大受け。子供の一人はミウラと一緒に写真を撮って貰ったことはあるものの、同じ"bahat"な印象を抱いていたようだ。続いてお目当ての一人、イゴール・ビシュツァンが登場。緊張しながらお礼を言うと、「Welcome.」とウィンク。更に僕が最初に惚れ込んだ選手であるイゴール・ツビタノビッチまでが現れた。これで彼にサインを貰うのは3度目だが、いつでも彼は丁寧だ。このあとは順に箇条書きで書いていこう。(●は練習後に貰った選手)
○レナート・ピリポビッチ(MF)…名前と顔が一致しないので子供に教えて貰う。解りやすいサインを書いてくれた。
○スティエパン・トマス(DF)…今回の最大の発見は彼。車ですれ違うと"Yah!"と挨拶してくるように陽気で気さくな兄ちゃんだ。
○ドラジェン・ラディッチ(GK)…さすが重鎮、対応はすこぶる丁寧。「コンニチハ」「アリガトウ」と日本語で挨拶をしてくれた。
○マリオ・ツビタノビッチ(MF)…大物が続いていたこともあって急いで貰ったため、これといった印象は無し。
○ロベルト・プロシネツキ(MF)…見た目とは違ってファンに親切な彼。子供達とも普通に日常会話をしていった。
○トミスラフ・ブティナ(GK)…来季のディナモのGK。プロシネツキの後に急いで貰ったが、丁寧な応対。
○マリオ・トキッチ(DF)…冷静沈着なプレーそのままの大人しそうな方だった。
○ダミール・クルズナール(MF)…こちらがホンモノのクルズナール。トキッチと共にやってきた。
○ネルマン・シャビッチ(MF)…この辺のネームがファンを唸らせる。子供達は「彼は良い人だ」と語った。

 そしてそして、待ち焦がれたドマゴイ・アブラモビッチが現れた。再会と共に握手。電話では片言のクロアチア語で通したが、「英語は話せるの?」と聞くと困った顔をして「Ne.(いいえ)」。とりあえず今は再会だけを喜び、日本から持ってきたプレゼント(グランパスのマスコットボール)を手渡した。また練習後に会う約束をして彼はスタジアムへと入っていく。その後も僕は子供達を横にしてサイン集めに興じる。

○トミスラフ・ショコタ(FW)…得点王にも関わらず、彼には顔の特徴が無いので最初は名前と一致しなかった。
○ゴセ・セドロスキ(DF)…入口にいたオジサンが「カズゥ、セドロスキだぞ」と声を掛けてくれて彼だと気付いた。
○アルディアン・コズニク(FW)…予想通りのナイスガイ。彼も「ミウラ」と明るく挨拶してきた。
○ウラジミール・バシーリ(GK)…ここのところ出番に恵まれないこともあり、ちょっと憂鬱な感じ。
○ゴラン・ユリッチ(DF)…子供達は「愚かな人だ」と辛辣に批判したけど、にこやかに応対してくれた。
○マリオ・バジーナ(FW)…一度プレーを見てみたい選手の一人。本人は至って紳士。
●ダニエル・サリッチ(MF)…帰り際に見つけてサインをゲット。大人しそうな人だった。
●ヨシップ・シミッチ(FW)…サインの横に(16)と書き、「これはディナモの背番号ね」と語る。「U-21欧州選手権では優勝してね」と言うとニコッと笑顔。

【写真:左からパブロビッチ、シャビッチ、
僕、ツビタノビッチ、ショコタ】

 「もう練習が始まるよ」、ということで子供達に引っ張られながら、スタジアムの東スタンドの下にある練習グラウンドへ。しかしこの日はハイドゥクとの対戦前日ということもあり非公開練習、よって我々は練習場の入口でシャットアウトされた。幾人かのジャーナリストは「そんなこと聞いてないぞ」とチーム関係に対して文句を告げる。残念がる僕に子供達は機転を利かしてくれ、スタンドから練習グラウンドを覗けるポイントへと案内する。非公開という割には身体をほぐし、ボールを回す程度の練習だった。トマスなんて僕らが覗いているのに気付くと、大きく手を挙げた。アブラモビッチの姿を探すが、彼は練習に参加していないようだ。その後、練習場の入口近くへ戻るとラディッチとユリッチが高齢からか真っ先に練習から上がっていく。2人と記念写真を撮り、これから練習を終える選手についても一網打尽で記念写真を撮ろうと企んでいたところ、アブラモビッチが車でやってきて「後ろに乗ってよ」と言う。世話になった子供達と別れの挨拶をして、車に乗り込み、何処へ連れてかれるかと思ったら、昼食を食べたマクシミール地区内のカフェだった。そこでお茶をしながら、英語が多少話せるアブラモビッチの友人を介して色々と話す。今日は太股の怪我のため練習を回避したそうだ。30-40分ほど話したのち、また翌日の試合後に同じ場所で再会することとなった。(彼との詳しい談話については「アブラモビッチ独占インタビュー」にて紹介) その後、カフェのテラスで他の選手とお茶をしているイゴール・ツビタノビッチを発見。「ミスター・ツビタノビッチ」と声を掛け、「僕は3年前にここを訪れ、チャンピオンズリーグ予選で貴方がニューキャッスル戦で決めたゴールに興奮し、それ以来、貴方とディナモを応援しています」と英語で話すと、「それはどうも有り難う」とたいそう喜んでくれた。「一緒に写真をお願い出来ませんか?」と話すと快諾してくれ、店内のボーイをカメラマンとして呼びつけ、同席していたショコタ、シャビッチ、パブロビッチと共にカメラに収まった。そして全員と握手して別れる。3年分の思いの丈を告白したことで、僕の気分は晴れ晴れしていたのであった。明日の「ディナモの日」、心行くまでディナモを応援するぜ!!

(後半へと続く)


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