クロアチア・リーグ「ディナモ・ザグレブvs.ハイドゥク・スプリト」観戦記
"DINAMO JA VOLIM"(後半)


[写真]クラニチェヴィチェヴァ・スタディオン 

 日は明けて5月13日。今回の旅で初となるサッカー観戦は「ディナモ・ザグレブvs.ハイドゥク・スプリト」では無かった。午前中、僕はNKザグレブの本拠地であるクラニチェヴィチェヴァ・スタディオンへと足を運ぶ。ディナモの本拠地マクシミール・スタジアムと比較するとかなり貧相な造りに驚かずにいられない。入口の看板半分が失われているし、壁にはBBBの落書きまでもが。ビッグクラブの陰に隠れた状況がありありだ。メインスタンドの椅子は全て木で出来ており、ピッチの周囲は自転車競技用のバンクまでもある。スタジアムでは偶然にもユース同士の対決が行われていた。スタンドで応援する子供達に聞くと、この試合は12歳のクラスによる「NKザグレブvs.ヴァルテクス・ヴァラジディン」だそうだ。試合はちょうど終わり、続いて13歳のクラスの試合が行われる。身体の成長にはバラつきがあるものの、それぞれ個性を活かしたチーム作りをしているようだ。目を引いたのはディフェンダーの動き。NKザグレブは4バック、ヴァルテクスは3バックとシステムは違えど、FWへの早い寄せ、マークの受渡しなどは共に整備されていた。また攻撃面ではNKザグレブが小柄でスピードのある右サイドバックから、ヴァルテクスは背番号10のゲームメーカーを基点にして戦う。スタンドでは子供達の親、そして違う学年のNKザグレブ・ユースの選手達が熱い声援を送り続ける。クロアチア・サッカーの裾野の広さを垣間見て僕は前半終了と共にスタジアムを後にした。

 

 スタジアム近くのスタンドで昼食にホットドッグを食べながらスポーツ紙「Sportske Novosti」を読んでいると、「ディナモ・ザグレブvs.レッドスター戦」10周年ということでマクシミールでは様々な行事が行われることを知る。その中で一番目を引いたのは14時45分にズボニミール・ボバンがBBBの慰霊モニュメントに花を捧げることだ。10年前の事件の象徴的な存在である彼の登場にいささか興奮を感じたが、15時にディナモ・サポーターのメールフレンドB氏とヴァン・イェラツィツァ広場で待ち合わせの約束をしている。約束の時間を1時間早めて貰おうと電話をするが、既に家を出てしまったとのこと。残念ではあるが、物事には優先順位があるので諦めることとした。その後、待合せ時間より早くヴァン・イェラツィツァ広場へと向う。広場ではBBBが騒いでいるものの、思ったほどの大騒ぎではない。なぜならディナモvs.ハイドゥクの前にセレモニーの一環としてBBBとディナモ・ザグレブ'82がエキジビジョンマッチが行われ、殆どがそれに合わせてマクシミールへと向ったらしい。ちなみにBBBの対戦相手は1982年にユーゴ・リーグを制したディナモ・ザグレブOBで形成されたチームだ(監督はブラジェビッチ)。20分ほど待つと、B氏は弟と彼女を連れてやってきて、カフェでしばし歓談することに。B氏はディナモのHPを作っているのだが、彼女はハイドゥク・ファンだったりする。お互いの自己紹介とディナモとの馴れ初めなどを語ったりしたあとで、トラムに乗ってスタジアムへ。彼等は毎試合スタジアムへ足を運んでいるわけではいないのだが、観戦した試合は必ず負けないそうだ。この不敗神話を信じよう。マクシミールに到着後、メインスタンド二階席(50クーナ)のチケットを買い、未だコンクリート打ち付け状態の長い階段を昇っていく。財政難のためスタジアム完成は伸び伸び、来年には完成するのでは?ということだ。見晴らしの良いスタンドに着くと、ちょうどエキジビジョンマッチが終了したところ。試合は3-0でディナモ'82の勝利、両チーム全員が手を繋いでスタンドに挨拶する。続いて歌手が出てきて、ディナモの応援歌を歌い始めた。今日は完全なるディナモの祝典の日。ということで、ハイドゥク・サポーターであるトルツィダは一人も来ていないようだ。アウェーのゴール裏席は警戒して配備されたはずのポリスマン達だけが座っている。歌手が去ったあとは、両クラブの選手が練習のためにピッチへ。ハイドゥク・スプリトの選手達を見るや否や、BBBから大ブーイングが巻き起こる。しかし、なぜだか殺気めいたものは漂わないのだ。この試合は最終節なのだが、既にディナモは31節にリーグ優勝を決めていた。ハイドゥク・スプリトはディナモ最大のライバルであるが、今夜の彼等は単に祝典の引き立て役に過ぎない。ハイドゥクの照準は3日後に同じくここマクシミールで行われるクロアチア・カップ決勝第2戦に合わせているのはスタメンを見ても明らかだ。練習の間でもスタジアムでは幾つものディナモ応援歌が流れ、BBBはマフラーをかざしながら歌い続ける。「Dinamo je Plavi("青"の意味), Dinamo je Plavi, Champion!」と歌う1982年優勝時の応援歌はカントリー調。そしてトリは勿論、ロック調の「DINAMO JA VOLIM」。スピーカーが割れるほどの大音声にサポーターも大合唱、僕も一ディナモ・サポーターとして、知っているフレーズを歌うのだ。「DINAMO JA VOLIM」が終わったところで、両チームがピッチに散り、いよいよキックオフ(17時)だ。

【"(仮)ディナモの日"10周年行事】

10:00    クラブ代表とサポーター代表によりBBBのモニュメントに花輪を捧げる
14:00  スタジアム開場
14:45  ボバンを始めとする全ての世代の選手代表がBBBモニュメントに花を捧げる
15:00  ディナモ'82とBBBによるエキジビジョン・マッチ
16:30  サポーターによる選手表彰
16:45  歌手登場
17:00  ディナモ・ザグレブvs.ハイドゥク・スプリト
19:00  リーグ優勝の表彰式
21:00  チーム関係者の祝賀会

[写真]慰霊モニュメントに花を捧げるズボニミール・ボバン (左から2番目。中央がブラジェビッチ、ユニフォームを着るのはクラニチャールとザイェッツ)

【翌日の新聞に掲載されたズボニミール・ボバンのインタビュー】
−1990年5月13日のことを思い返すと、10年が経過したことをどのように考えるか?
"私は多くの過去を振り返る人間ではないよ。先のことを見ている。しかし、5月13日という日は私の中に刻まれていて、部分的にでも私という人間が形作られた日だ。あの時は夜通し熟慮したよ。時の流れを感じるか、全ては遠くない出来事かもしれない。今でも充分に辛いことであったと感じるよ。"
−ACミランは君がザグレブに行くことを問題にしなかったのか?
"まず何より素晴らしい理解を示してくれたミランに感謝している。なぜなら、この日にザグレブに行くことを許可してくれたからだ。"
−5月13日を正式な「ディナモの日」としようと提案が挙っていることについては?
"ディナモは1945年に誕生しており、それは良くない提案だと思う。とはいえ誰もが自分の考えを持っているしね。またクラブは常にディナモという名前であったわけではなくて、ある期間はクロアチア(・ザグレブ)であった。今はかつての名前に戻ったが、観客は戻って来ず、客席も常に満員とはならない。私は観客がスタジアムに戻ってくることを望んでいるし、名前は永久にこのままであることを望んでいる。我々は自らの国家を持ったが、解決していくべき問題が残っている。したがって前へと進んでいかねばならない。"

[写真]ビシュツァンの先制ゴール。  
プレティコサはハンドをアピール

 試合は序盤からディナモが主導権を握る。2分にFWトミスラフ・ショコタが近距離からこの試合最初のシュートを放つが、これはハイドゥクのGKスティペ・プレティコサがセーブ。このあともFWイゴール・ツビタノビッチと、今日は右MFに入ったイゴール・ビシュツァンがハイドゥク・ゴールを襲う。この試合で目立ったのはビシュツァンの強引なまでのドリブル、左ストッパーのスティエパン・トマスの強靭さ、そしてボランチのネルマン・シャビッチの献身振りだ。マリオ・ツビタノビッチがボールを持って左サイドを駆け上がると、隣りに座る兄弟から苦笑いが起こる。彼等曰く、「彼は守備はいいんだけど、攻撃となると動きがスローすぎるんだよ」とのこと。期待通りマリオ・ツビタノビッチがセンタリングを大きく外したところ、その姿が平野孝とダブってしまい僕も笑ってしまった。最初に試合が動いたのは20分。シャビッチの左コーナーキックから放たれた低いボールは何人もの選手の間をすり抜け、ゴール中央にいたビシュツァンが頭をすくめてボールに合わせディナモが先制。BBBが陣取るゴール裏へ選手達が駆け寄ると、スタンドからは歓喜の炎が焚かれ、爆竹と白煙筒が乱れ飛ぶ。そして"クロアチア・カップも俺等が貰っちゃうぜ"と「Kup je nas!」(カップは我々に)の大合唱。更に、ビシュツァンは手でボールを押し込んだとして審判にアピールしイエローカードを喰らったプレティコサに対しては「Stipe pederu!」(スティペはホモだ)とコールを始める。これにはプレティコサがお気に入りのB氏の彼女がむくれてしまった。守勢に回ったハイドゥクもFWマテ・ビリッチの突破、MFイゴール・ムサのキープ力などが目立ったが、期待していたゲームメーカーのイヴァン・レコが全くといっていいほど機能せず。しかしディナモも実のところゲーム構成はいまいちで、決定的なフィニッシュの形までは至らない。たが28分、再びスコアが動く。イゴール・ツビタノビッチの右CKにビシュツァンがヘディング、これをプレティコサがパンチングで跳ね返すが、こぼれ球を右ストッパーのゴセ・セドロスキが押し込んだのだ。セドロスキはユニフォームを脱いでBBBのいる北側スタンドへ駆け寄った。前半は2-0で終了。この両チームの対戦は本来、選手同士が削りあう激しい戦いになるのだが、今回はピッチも何だか平和的だ。

[写真]
BBBが陣取るゴール裏席は歓喜の渦に

 続いて後半がスタート。早々にショコタが正面20mの距離から蹴った低い弾道のフリーキックが、ムサに当たってコースが変わりネットを揺さぶる。決定的な3点目に再び「Kup je nas!」のコールが響き渡った。61分にそのショコタはミハエル・ミキッチと交替。ショコタは今季21ゴールでリーグ得点王が決定、スタンドからは「Sokota Tomo!」とコールが掛かる。その後も中盤の核となったシャビッチとビシュツァンも交替。かつてこのカードで記録した4-0のスコアを上回る勢いはてんで無くなってしまった。一方、ハイドゥクは53分にバトゥリナを替えて、FWズボニミール・デラニャを投入。このデラニャが一人気を吐く。まず登場3分後に右サイドでボールを持つや、それまで鉄壁を誇ったトマスを軽くフェイントと高速ドリブルで抜き去ってセンタリングを見せる。そしてゴール前ではクロスから身体を反転させてのボレーシュート。怪我上がりとも思えないキレに、後半の楽しみはすっかりデラニャへと移ってしまった。そして84分、彼の電光石火のシュートを目にすることとなる。ゴールを背にしてパスを受けるな否や、ピッタリと背後をマークしていたトマスをあざ笑うがごとく、右にボールをはたき、瞬時に反転して左足を振り抜いた。GKのトミスラフ・ブティナもボールには届かず。これが、デラニャの実力だ! しばしディナモ・ファンであることを忘れて、彼のビューティフル・ゴールを見れた喜びに浸ってしまった。その1分前に、ハイドゥクのMFダリオ・スルナ(U-18観戦記に登場)がMFレナート・ピリポビッチを背後からタックルしたのに怒ったミキッチが、スルナを突き飛ばして2人揃ってレッドカードで退場したことはこの平和的な試合でのちょっとしたスパイスとなった。でもディナモの祝典の雰囲気は変わることなく、試合は3-1でタイムアップ。選手達はスタンドに挨拶をしたのち、リーグ優勝のカップが手渡される。そしてシャンペン・ファイト。私的に応援しているドマゴイ・アブラモビッチも私服を着て輪に加わっていたが、今季はリーグ戦で出番が無かっただけに喜びは程々のようだ。最後の最後までディナモの選手達が喜ぶ姿を見届けたかったが、ハイドゥク・ファンであるB氏の彼女にこの場は少し酷な気がしてスタンドを離れることに。スタジアム下まで降り、彼等と別れの挨拶をする。色々な話を聞きながら楽しく観戦出来た彼等に感謝。

 その後、アブラモビッチとの待合せの場であるマクシミール内のカフェへ。彼を待つ間、昨日スタジアムを案内してくれた子供達やディナモ・ユースの子供達に話し掛けられ、その相手をする。クロアチアの子供は本当に人懐っこい。しかし、カフェで酒を飲むオッサンからは「ミウラ」と大声で怒鳴られる。「ミウラ」はもう去年で懲り懲りだよ。でも今では彼のことは笑い種になっているようだ。「ちょっと待ってね」と子供に言って、オッサンにクロアチア語で「僕はミウラは嫌いだ。今のディナモが好きなのさ」と説明。オッサンもガハハと笑う。まあいいさ、今日はディナモ祭だから無礼講もアリさ。19時40分、アブラモビッチが車でやってきた。車内には昨日プレゼントしたばかりのグランパス・ボールが吊り下げてあって、「この可愛いヤツめ」とつい顔がほころんでしまう。右足に負っている怪我の状態は良くなってきており、明日のオーストリア戦(U-18欧州選手権プレーオフ)の出場も出来そうな感じとのこと。カフェのテーブルでクロアチア語の辞書片手に歓談していると、何人ものジャーナリストが彼に話し掛けてきた。特に一人にはくどくどと説教されているようで露骨に嫌な顔をしている。その応対振りを見ると、まだまだ彼も若いかな? その後はお父さんのアルベルト氏もやってきて挨拶。40分ぐらい話したところで、「そろそろディナモの祝賀パーティがあるので」ということで席を立ち、「頑張ってね」と握手して別れる。日が長いクロアチアと言えども夕闇が包み始めてきたので、僕もそろそろマクシミールから去ろう。スタジアム前でイゴール・ツビタノビッチとトマスを見掛けたので「Cestitam!」(おめでとう!)と大声で言うと、トマスは一瞬考え込んで「congratulation!」と英訳した。さぞかし噂されているプレミア移籍の為に英語を勉強しているのかもね。(結局ヴィチェンツァだったが、当時はマンチェスター・ユナイテッドやチェルシーへの移籍が噂になっていた) 

 このあと、定番のレストラン・ボバンで舌鼓し、宿へと戻ると不良っぽい子供達に取り囲まれる。三人の男の子と二人の女の子。まず「どこの国から来た?」と聞かれ、日本だと答えると「日本人は良い人達だ」と対応が良くなる。タバコを吹かしてるものの、まだ顔にはあどけなさが残る彼等の年齢は15歳だという。一人の男の子がディナモのマフラーをしているので、僕もバッグからマフラーを取り出すとたちまち意気投合。また、チベットに興味があるという一人の女の子は「二千年龍」と書かれたTシャツを着ており、「文字の意味を教えて」と言うので、日本-クロアチア語の辞書を引いて教えて挙げる。ディナモの話だけでなく、クロアチア人の印象、日本とクロアチアの比較、日本と中国の比較などを尋ねられ、彼らは興味津々に僕の言葉に耳を傾ける。大人のフリをしているが、まだまだ可愛い子供達だ。ただ中国の話の時に「チトーは毛沢東と同じコミニュニストだ」との意見が彼等の口から出た時にクロアチアでの歴史教育の側面を見た気がした。最後に「スキンヘッドの人達は黒人とアジア人を襲うから気をつけてね」と僕の身の上を心配してくれて、彼等全員が僕に握手を求め去って行った。そして別れ際の一言はあの合言葉で。「Kup je nas!」

CROATIA LEAGUE 1999-2000 33th
Dinamo Zagreb vs. Hajduk Split

2000.5.13  Maksimir Stadium

Dinamo Zagreb Hajduk Split
position name position name
GK 12. Tomislav Butina GK Stipe Pletikosa
DF 2. Mario Tokic DF Igor Duzelov
DF 4. Goce Sedloski DF Hrvoje Vukovic
DF 20. Stjepan Tomas DF Anton Grdic
MF 7. Nerman Sabic
['62-27.Renato Pilipovic]
MF Ante Mise
['69-Dario Srna
]
MF 15. Daniel Saric MF Ante Jazic
MF 17. Mario Cvitanovic MF Josip Bulat
MF 10. Edin Mujcin MF Igor Musa
MF 22. Igor Biscan
['73-6.Zoran Pavlovic]
MF Ivan Leko
['80-Mario Carevic]
FW 18. Igor Cvitanovic FW Mate Baturina
['53-Zvonimir Deranja]
FW 25. Tomislav Sokota
['61-14.Mihael Mikic
]
FW Mate Bilic
【Dinamo Zagreb 3−1 Hajduk Split】
GOAL '20 Biscan (Dinamo)
GOAL '28 Sedloski (Dinamo)
GOAL '47 Sokota (Dinamo)
GOAL '84 Deranja (Hajduk)

一部の写真画像についてはSport-Netから許可を頂いた上で、利用させて頂いています。THANKS!


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