2000/01シーズン、クロアチア・サッカー観戦記
"Hajduk Zivi Vjecno!" (1) 
〜ハイドゥク・スプリト優勝&トルツィダ変貌への軌跡〜

プロローグ


【写真:ディナモ戦を前にトルツィダの友人達と】

 「For Torcida Japan」−これはトルツィダ(ハイドゥク・スプリトのサポーター名)に所属する友人マリヤンが僕へのメールに必ず付けるタイトルだ。昨年、スロバキアで行われたU-21欧州選手権で仲良くなり、最後のチェコ戦で負けたあと、バールでヤケ酒を飲みにいったトルツィダの3人グループがいた。別れ際に「今度は必ずやハイドゥクの試合に行きますよ」と彼等と口約束、僕のメールアドレスを手渡す。それから4ヵ月後、「For Torcida Japan」というタイトルで一通のメールが舞い込んだ。差出人はマリヤン。彼は学業のためU-21欧州選手権に訪れなかったものの、スロバキアで僕にトルツィダの会員証をプレゼントしてくれたユライのお兄さんである。それ以後、メールで親密な遣り取りを続けていき、1年後、いよいよ口約束が実現する時が来た。しかし、マリヤンがタイトルとして記す「For Torcida Japan」を見る度に僕には一種の"後ろめたさ"が残っていた。なぜなら今までの旅行記やレポートを読んで貰うと判る通り、ハイドゥク・スプリトの天敵であるディナモ・ザグレブのファンであったからだ。1997年、初めて海外で見た試合が「ディナモ・ザグレブvs.ニューキャッスル」、負けはしたがイゴール・ツビタノビッチやダリオ・シミッチまでもが生涯最高の試合に挙げる劇的な内容。以後、僕は毎年のようにディナモを追い続けた。とはいえハイドゥク・スプリトが嫌いなわけではない。政治力でディナモの優勝が続いていただけにハイドゥクには一種の同情、「判官贔屓」のような感情を抱いていた。しかし余りにもディナモに対しては最初のインパクトが強すぎる。更にドマゴイ・アブラモビッチという将来のスター候補生とも交流を持っていた。もうディナモの呪縛に逃れられない...。マリヤンには苦し紛れに「クラブとしてはハイドゥクが好きだ。でも選手ならドマゴイ・アブラモビッチが一番なんだ。僕の中でのバランスは悪すぎるよ...」と嘘のメールを送っていた。しかし、人というのは簡単に豹変してしまうものだ。旅を通して僕は本当の「Torcida Japan」に生まれ変わっていた。


 まずは栄光に包まれたハイドゥク・スプリトの歴史を紐解いていこう。
 ハイドゥク・スプリト設立は今から90年前に遡る。プラハに留学していた4人の学生(ファビアン・カリテルナ、ルチヤン・ステラ、イヴァン・サキッチ、ヴィエコスラフ・イヴァニゼビッチ)が、スパルタ・プラハとスラビア・プラハの試合に触発され、故郷スプリトにフットボールクラブ設立を提案。1911年2月13日、スプリトの中心にある「Troccoli Caffe」でクラブ規則を定め、その日がクラブの創立日とされている。ちなみにHajdukという名前はバラッチという教授が「オスマントルコに抵抗したスラブ人の山賊」の意味で命名した。
 第1次大戦後、初の南スラブ統一国家「セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国」(1929年ユーゴスラビア王国に改称)が誕生、その翌年にはサッカー連盟が組織され、1923年には国内選手権が始まった。ハイドゥクは1926/27年に初の優勝、28/29年に二度目の優勝を果たす。しかし第二次大戦が勃発して国内選手権も解体、クロアチアはナチスの傀儡政権となり、1941年のクロアチア選手権優勝のみに留まった。この混乱の時代、ハイドゥクはファシストに対抗して選手全員がパルチザン運動に加わったのが今でも誇りとされている。

【写真:70年代の黄金期を支えた二人。
    シュリャク(左)とイビッチ監督(右)】

 戦後、ユーゴスラビア連邦が誕生、1946年に国内リーグ選手権という形で復活する。この頃のハイドゥクの珍しい話題としては、1948/49年にオーストラリア遠征をして世界で初めて全ての大陸でプレーしたクラブとなったことだ。1949/50年には史上初めて一敗もせずに優勝。この時期に活躍した名選手としてFWベルナルド・ヴカシュがいる。また同年、ブラジルにならった「トルツィダ(Torcida…ポルトガル語で"サポーター")」という応援団が誕生した。1951/52シーズンの優勝を最後にハイドゥクは低迷するが、1970年代、名将トミスラフ・イビッチに率いられ黄金時代を築く。イビツァ・シュリャク(現スポーツ・ディレクター)、ユーリツァ・イェルコヴィッチ、ドラガン・ホルチェル、イヴァン・ブリャン、ブランコ・オブラクといった選手が活躍し、一時期はユーゴ代表スタメン11人のうち10人までもがハイドゥクの選手で占められていたという。国内リーグは1970/71、1973/74、1974/75、1978/79の4度、そして国内カップは1971/72、1972/73、1973/74、1975/76、1976/77の5度の優勝を果たし、その当時の強さは今でもトルツィダの語り草だ。ヴヨヴィッチ兄弟やイヴァン・グデリを擁した80年代はリーグ・タイトルに恵まれなかったものの、1983/84のUEFAカップでは準決勝まで進出。しかしながら90年代に入るとユーゴ紛争が勃発、1991年のユーゴ・カップがユーゴスラビア連邦でのハイドゥク最後のタイトルとなった。それと共にツルヴェナ・ズベズダ(レッドスター)、パルチザンといったライバル対決も過去のものとなってしまったのだ。
 クロアチア独立の1991年にクロアチア・リーグが誕生し、短く設定された最初のシーズン(91/92)に優勝。その後は国内リーグに2度優勝、国内カップに2度優勝、アリョーシャ・アサノビッチ、イゴール・シュティマッツ、スティペ・アンドリヤセヴッチ、イビツァ・モルナルなどが主力だった1994/95シーズンに国内リーグとカップのWクラウン、そしてチャンピオンズ・リーグでは準々決勝まで勝ち進んだのが最大のハイライトだった。しかし独立後の選手流出には歯止めが利かず、トゥジマン大統領によるクロアチア・ザグレブ(現ディナモ・ザグレブ)への異常なまでの肩入れもあって1995年以来、タイトルとは全く無縁になってしまう。トゥジマンが死に絶えた1999/2000シーズン、スラベン・ビリッチをリベロに迎えてクロアチア・カップに優勝、5年ぶりにタイトルを獲得。極度の財政難を抱えながら、常に優秀な若手を輩出するユースシステムを抱えるハイドゥク。旧ユーゴ時代は宿敵ディナモ・ザグレブを常に一歩二歩リードする成績を残してきたが、ここ数年はディナモの後塵に拝していた。政治の変化ともに、いよいよディナモ・ザグレブに煮え湯を飲ませる時がやってきたのだ。

 新たな2000/2001シーズン、ハイドゥクはFWユーリツァ・ブチュコ(→アラベス)とFWマテ・バトゥリナ(→NKザグレブ)を放出した代わりに、昨季チバリア・ヴィンコヴチでリーグ2位の15ゴールをマークした新鋭のFWイヴァン・ボシュニャク、更にオシエクで13ゴールを挙げているベテランFWスタンコ・ブバロも獲得した。一方、ディナモ・ザグレブはロベルト・プロシネツキ、スティエパン・トマス、ダニエル・シャリッチ、ゴラン・ユリッチといったレギュラー陣を思い切って放出し世代交替を進める。今季は間違いなくハイドゥクのシーズンになるかと思いきや、ペロ・ナドヴェザ監督に率いられたチームはスタートからつまずく。チャンピオンズ・リーグ予選において格下と思われたハンガリーのダナファーにホームのポリュウド・スタジアムで0-2の完敗を喫し、アウェーも2-2のドローで早期敗退を余儀なくされた。スラベン・ビリッチはこれを機に現役を引退。7月29日から開幕したクロアチア・リーグでも第4節で昇格組のチャコベツに0-2で思わぬ敗戦、それゆえナドヴェザ監督は解任されたのだ。
 後任監督として抜擢されたのはまだ若いゾラン・ヴリッチ。彼は今までの3-5-2から、より攻撃的な選手を配置した3-4-1-2の布陣を形成する。ブバロとマテ・ビリッチを最前線に、そして1.5列目にボシュニャクを置いた変則3トップは頭文字を取って皮肉混じりで"BBB"と呼ばれた("BBB"とはBad Blue Boys…ディナモ・サポーターの愛称でもある)。しかしヴリッチ就任後も不調は続き、第7節ではディナモをポリュウドに迎えたクロアチア・ダービーで0-1の敗北、とうとうハイドゥクは4位に転落する。ディナモも足踏みする中、首位に飛び出たのは攻撃的MFネナド・ビエリツァが獅子奮迅の活躍をするオシエク。ウィンターブレーク直前の第18節でハイドゥクは再びディナモに2-3の敗北、18試合終わって10勝3分5敗の勝点33で、オシエク(40)、ディナモ(36)に次ぐ3位に留まってしまった。

【写真:クロアチアカップ準々決勝第1戦、H.ドラゴヴォリャック戦で
デラニャは同点のボレーシュートを決める
 撮影:Sport-Net


 しかし、冬のメルカートでビエリツァはカイザースラウテルンへ、ディナモのキャプテンであるイゴール・ビシュツァンはリヴァプールへと移籍。また3月にはディナモで長くNo.10を付けていたMFエディン・ムイツィンまでもが、ジェフ市原へと去る。一方、ハイドゥクはアラベスからDFズラトコ・ジョロンガ、NKザグレブからMFクルノスラフ・レンデュリッチの二人をレンタルで獲得。更に3月6日、昨季以来、怪我がちで満足なプレーを出来てなかったFWズボニミール・デラニャがクロアチア・カップ準々決勝の対フルヴァツキ・ドラゴヴォリャック戦で2ゴール、うち1発はロスタイムにチームの敗戦を救うアクロバティックなボレーシュート。"ポパイ"の愛称を持つ天才肌FWの完全復活と共にハイドゥク快進撃の予感を漂わせた。
 12クラブで構成されるクロアチア・リーグのレギュレーションは特殊なものだ。まずはホーム&アウェーの総当りで22試合こなし、それ以後は上位6クラブの「決勝リーグ」と下位6クラブの「降格リーグ」に分かれて同じく総当りの10試合、計32試合で競う。勝点は全て通して"勝ち"が3、"引分け"が1である(一昨年までは前半戦の勝点は半分に計算されていた)。前半の22節を終わって、ディナモが首位を奪い返して勝点46、2位がオシエクの44、そしてハイドゥクは41と続く。残り10試合で首位との勝点差は5。まだ射程圏内だ。
 決勝リーグの最初の試合となる第23節(3/31)、ハイドゥクは新たな3トップのデラニャ&ブバロ&ボシュニャクが4ゴールを叩きだしてNKザグレブに4-2の勝利。一方、ディナモはヴァルテクスにホームで0-2と敗れ、マリヤン・ヴラク監督が解任される。一方、オシエクもスラベン・ベルーポに引き分け、スタンコ・ムルシッチ監督が辞任。続く第24節(4/7,8)、弔い合戦となったディナモvs.オシエクはディナモが3-1の完勝し、逆にハイドゥクはスラベン・ベルーポと1-1で分けて、再び首位のディナモとは勝点差4。ビエリツァ無きオシエクにはかつての勢いは無い。いよいよディナモとハイドゥクのマッチレースとなった時点で、僕は6度目となるクロアチアの地を踏むことになる。

 

クロアチア・リーグ 2000/01シーズン
第1節〜第24節までのハイドゥク・スプリトの試合結果

3強の成績
(勝敗, 順位, 勝点)

対戦相手 結果 得点者 (数字は今季ゴール数) Hajduk Dinamo Osijek
第1節(7/29) Marsonia(H) ○2-0 Leko@,Bilic@ ○A3 ○@3 ○B3
第2節(8/6) Zagreb(A) ○2-0 BilicA,Bosnjak@ ○A6 ○@6 △C4
第3節(8/13) Slaben Belupo(H) ○2-1 LekoA,Bozac@ ○A9 ○@9 ○B7
第4節(8/20) Cakovec(A) ●0-2   ●A9 ○@12 △B8
第5節(8/27) Cibalia(H) △1-1 Sablic@ △A10 △@13 ●C8
第6節(9/10) Rijeka(A) △0-0   △B11 ●@13 ○C11
第7節(9/17) Dinamo(H) ●0-1   ●C11 ○@16 ○A14
第8節(9/24) H.Dragovoljac(A) ○3-1 BosnjakA,BilicB,LekoB ○B14 ○@19 ○A17
第9節(10/1) Varteks(H) ○2-0 BosnjakB,LekoC ○B17 △@20 ○A20
第10節(10/4) Osijek(A) ●1-2 Bubalo@ ●C17 ○@23 ○A23
第11節(10/14) Sibenik(H) △0-0   △C18 △A24 ○@26
第12節(10/21) Marsonia(A) ○5-0 Miladin@,LekoD,Musa@,Deranja@,Pletikosa@ ○C21 △A25 △@27
第13節(10/28) Zagreb(H) ○2-0 BosnjakC,BubaloA ○B24 ○A28 ○@30
第14節(11/4) Slaben Belupo(A) ●0-2   ●B24 △A29 ○@33
第15節(11/12) Cakovec(H) ○3-1 MusaA,BilicCD ○B27 ○A32 ○@36
第16節(11/18) Cibalia(A) ○2-0 Andric@,BubaloB ○B30 ●A32 ○@39
第17節(11/25) Rijeka(H) ○3-0 BubaloC,LekoEF ○B33 △A33 △@40
第18節(12/3) Dinamo(A) ●2-3 DeranjaA,MiladinA ●B33 ○A36 ●@40
第19節(2001/2/25) H.Dragovoljac(H) ○4-0 BilicE,LekoG,BubaloD,DeranjaB ○B36 ○A39 ○@43
第20節(3/4) Varteks(A) △1-1 BubaloE △B37 ○A42 △@43
第21節(3/10) Osijek(H) △1-1 DeranjaC △B38 △A43 △@44
第22節(3/18) Sibenik(A) ○3-0 DeranjaD,MusaA,BilicF ○B41 ○@46 ●A44
【決勝リーグ】
第23節(3/31) Zagreb ○4-2 DeranjaEF,BosnjakD,BubaloF ○B44 ●@46 △A45
第24節(4/7) Slaben Belupo(A) △1-1 Rendulic@ △A45 ○@49 ●B45



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